453.発想篇:裏側も描く
今回は「裏側」についてです。
主人公の行動には必ず「結果」が出ます。
その「結果」を主人公は受け止めるのですが、主人公以外の人物もその影響を受けているのです。
そこで主人公以外の人物に及ぶ影響も書いてみましょう。というお話です。
裏側も描く
小説は主に主人公の一人称視点で進んでいきます。
ですがそれだけだと主人公のことしかわかりませんよね。
別の人物の情報を読み手だけに知らせて、主人公の知らない「秘密」を共有する「傍観者」の視点を書くことも必要です。
物語では、ときに主人公の行動の「結果」を裏側から評価してみましょう。
主人公側の「結果」は書けていても、「結果」によって影響を受けた側のことも書くのです。
アルスラーン戦記と銀河英雄伝説
田中芳樹氏『アルスラーン戦記』において、主人公アルスラーンは奴隷解放を目指して行動を起こし、実際に奴隷を解放することができました。
しかし当の奴隷としては、ただ言われたとおりに働いているだけで日々暮らしていける「奴隷」の立場に魅力を感じていたのです。
軍師ナルサスはこうなることを想定して、アルスラーンに釘を差していました。
これにより田中芳樹氏は「奴隷解放」の是非を読み手に託したのです。
このやりとりは直接書かれていますから、主人公アルスラーンも知っていることですし、読み手も当然知っていることです。
少し前に書きましたが、同じく田中芳樹氏『銀河英雄伝説』においてブラウンシュヴァイク公爵が領地ヴェスターラントに熱核兵器を撃ち込むという情報を主人公ラインハルト・フォン・ローエングラムが聞き及びます。
その際、熱核兵器を阻止して戦争を続けたときの戦死者数は、ヴェスターラントに熱核兵器を撃ち込ませて犠牲者を出しても戦争の早期終結による戦死者数を合わせたよりも多くなるという試算を、幕僚であるパウル・フォン・オーベルシュタインに説かれました。
ここでも田中芳樹氏は「死者数」の是非を読み手に託したのです。
オーベルシュタインは総死者数の少ない「熱核兵器を撃ち込ませる」策を支持し、ジークフリード・キルヒアイスはのちに「弱き者を救ってこそ王道を歩める」と「熱核兵器を阻止する」策を支持していることが明らかになります。
主人公であるラインハルトはその間に立ってどちらの策を支持すべきか迷うのです。熟慮の時間が必要だとしていったん艦橋から離れますが、オーベルシュタインは阻止限界時刻をラインハルトに偽って伝えていたため、結果としてヴェスターラントに熱核兵器が撃ち込まれてしまいます。
オーベルシュタインから「起こったことを最大限に利用してください」と説かれて、内戦の早期終結へ向けて進撃の歩を速めたのです。
ラインハルトが銀河帝国の実権を握り銀河帝国皇帝となったのち、ヴェスターラントゆかりの人物から「ヴェスターラントを忘れたか」となじられて大きく肩を落とすことになります。
これはラインハルトの視点ではなく、「結果」を受けたヴェスターラント側の視点を持ち出したからこそ生まれた「傍観者」の視点です。
西風の戦記
田中芳樹氏の作品の中で、私が最も好きなのが『西風の戦記』です。
長編単巻で読みやすく、戦闘描写や人物描写も巧みで、お手本にちょうどよいと思っています。
県立港ケ丘高校二年生の永井香澄と池畑史朗が、異世界に赴いて体験するファンタジー、いわゆる「異世界転移ファンタジー」です。
しかもこの二人は対立する勢力へ別々に転移することになります。
つまり夜叉公主アポロニア側と叛乱軍レオン・パラミデュース側の双方の情報がわかるのです。
どちらが表で裏なのかはわかりません。
香澄と史朗はともに主人公であり「対になる存在」であり、アポロニアとレオン・パラミデュースもともにもうひとつの「対になる存在」同士だからです。
ちなみにこの小説は三人称視点で書かれています。
そのため、アポロニア陣営のことも、レオン・パラミデュース陣営のことも手にとるようにわかります。
そこで視点を切り替え、情報をあえて制限することで読み手に「この先の展開はどうなるのだろう」と考える余地を与えているのです。
つまりアポロニアが表のときはレオン・パラミデュースが裏に、レオン・パラミデュースが表のときはアポロニアが裏になる構図となっています。
片方が動くとき、もう片方はどう思っているのだろうか。
それを文章で読ませるときもあれば、言及せずにいるときもあります。
言及していないときは、読み手に「謎」を提示しているのです。
「謎」は「解か」なれればなりません。
「裏側を描く」ことで物語は幅を広げ、「裏側を描かない」ことで「謎」が生じます。
一人称視点では
「裏側を描く」ことは三人称視点だからできることであって、一人称視点ではなかなか使いこなせないと思います。
上記した『アルスラーン戦記』『銀河英雄伝説』『西風の戦記』はいずれも三人称視点の小説です。
一人称視点の場合は、読み手と「秘密」を共有して「傍観者」の視点を加えることでワクワク・ハラハラ・ドキドキを誘ってください。
この「秘密」が「裏側を描く」ことになるのです。
「こいつは裏でこんなことを考えているんだ! 主人公早く気づいてくれ!」という「傍観者」視点を持たせるためには、「秘密の共有」をして「裏側を描く」ことがたいせつになります。
表の主人公が活躍している影に、裏で起こったことはなにか。それによって人々にはどんな影響があったのか。
それを書くことで物語の幅が広がります。
一人称視点だからといって、主人公だけを追いかけるのではなく、主人公の行動が周囲にどんな影響を与えているのかを書く。
それが書けている小説は、「小説賞・新人賞」の一次選考を突破できるはずです。
渡航氏『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』も主人公・比企谷八幡の行動によって周囲がどんな影響を受けたのか。それをしっかりと描いています。
一人称視点であれば周囲がどう思っているかなんて書く必要はないはずです。
でも書くことによって出来事の因果関係がはっきりとして、八幡の行動にどんな意味があるのかを読み手が期待するようになります。
最後に
今回は「裏側も描く」ことについて述べてみました。
とくに三人称視点では必須の発想法です。
ライトノベルに多い一人称視点では「裏側」は書けません。
その代わり読み手が感情移入している主人公も知らない「秘密」を読み手に読ませましょう。
「秘密の共有」によって読み手へ「傍観者」視点を持たせるためです。
また一人称視点でも全編通してひとりの主人公だけということはまずありません。
別の誰かが主人公になったとき、本編の主人公が起こした出来事の影響を書きましょう。
そうするだけで「裏側も描く」ことができます。