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430.深化篇:伝わった手応え

 今回は「日本語の文法」が未完成なことと「伝える」ことについてです。

 日本語は時々刻々と変化しています。この書き方が正しい文法というものは残念ながら存在しません。

 だから小説の文章にひとつとして同じ文法はないのです。

伝わった手応え


 小説の文章というものは、ひじょうに難しいものです。

 英語には正しい「文法」があり、それを並べていけば自然と文章が作れます。

 しかし日本語には明確な「文法」はありません。




日本語はやまとことばから始まった

 日本語は元々「やまとことば」と呼ばれる話し言葉から始まっています。

 そうです。最初は文字を持っていなかったのです。

 しかし三世紀までには中国から大量の「漢文」の文献が入ってきました。

 これにより、「漢文」の読み順を表した「返り点」が生まれます。

 長く「漢文返り点」で文章が作られてきました。

 平安時代に「ひらがな」と「カタカナ」が生まれます。

 これにより「話し言葉」であった「やまとことば」が表音文字として紙に書けるようになったのです。

 たとえば紀貫之氏『土佐日記』や紫式部氏『源氏物語』などが「やまとことば」で書かれるようになりました。

 それでも「漢文返り点」で中国文献は読んでいましたから、二つの「文法」が並走していたのです。

 そしてそれまで「返り点」で読んでいた「漢文」を、「やまとことば」で書き出した「漢文訓読文(読み下し文)」が生まれました。

『孫子』の「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」や、『論語』の「子曰わく、学びて時に之を習う、亦説しからずや」などが「読み下し文」ですね。

 これにより「読み下し文」の「文法」が、「やまとことば」の「文法」と交わります。

 拍車をかけるように、今度は明治維新後の英語教育により、「英文」の「文法」が交わることで、今日あるように「正しい日本語の文法」が定まらなかったのです。

 逆に言えば「どんな言語も日本語に訳せてしまう」という利点があります。

 このまま永遠に完成しない言語が「日本語」なのかもしれません。


 ちなみに森鴎外氏はドイツへ留学していたことがあり、翻訳家としての一面を持っています。森鴎外氏の小説は「ドイツ語」の「文法」が見て取れるのです。

 皆様ご存知の村上春樹氏は英文の翻訳家としても有名で、彼の書く日本語の小説も「英文」の「文法」が大きな影響を与えています。

 村上春樹氏の小説は好き嫌いの差がひじょうに激しい。

 その理由は「日本語の文法」というより「英文」の「文法」で書かれているからでしょう。

 英語が読み書きできる方なら彼の小説はすらすらと読めて面白いと言います。

 私のように英語が苦手な人は彼の小説をどうしても受け入れられません。

 日本語で書かれている小説なのだから、日本語の文法で書いてくれと思ってしまうのですね。




日本語は永遠に未完成の言語

 小説の書き手が伝えたいことを書いて、それを読み手が読んだら書き手の言わんとしていることが伝わるのかどうか。

 そのひとつが前述した、いまだ完成されていない「日本語の文法」によるものです。

 どう書けば読み手に伝わるのかは、その未完成な日本語を使いこなすしかありません。

 日本語で小説を書くとき、「小説の構造」よりも「日本語の文法」から学ばなければならないのです。

 英語やフランス語のように完成された言語であれば、文法はすでに固まっており、「小説の構造」から考えることができます。

 伝えたい文章は、その完成された文法に書き出すだけで済むのです。

 未完成な日本語で小説を書くには、段階がひとつ余計にかかってしまいます。

 この差が小説の面白さに少なからず影響を与えているのです。


 ですから日本語は「文法」をある基準で使いこなせて自然な文章が書けるようになることが大前提です。

 私のコラム群も「自然な文章が書ける」人向けの内容になっています。

 いちいち助詞の「は」と「が」の違いや、助詞「から」と「より」の違いなんてレベルから説明していません。

「自然な文章が書ける」ようになるには、「自然な文章」で書かれている小説を読みまくることです。

「五回でも十回でも」、「自然な文章」で書かれている小説を読み返してください。

 そのうちに「自然な文章」が身につきます。




伝えたいなら基本は一人称視点

 では「小説の構造」を学んで、読み手が興味を持って読み進めてくれるような小説を書くにはどうすればよいのでしょうか。

 書き手が伝えたいことを読み手へ伝わるように書くのです。

 小説の多くが「一人称視点」です。

 伝えたいことを最も正確に読み手へ伝えるには「一人称視点」が適しています。

 主人公が見たこと・聞いたこと・感じたこと・思ったこと・考えたことなどを順繰り書いていくだけで、読み手が主人公に成り代わって物語を体験していくのです。

「三人称視点」は「主人公の体感」を書けないため、どうしても読み手を惹き込む力が弱くなります。

 群像劇のように、主人公がたくさんいる場合はどうしても「三人称視点」にするしかないのです。そんな場合でもたいていは「三人称一元視点」になります。

 ですが、ヒロイック・ファンタジー小説やアクション小説を書いているのに「三人称視点」では、文章から躍動感を感じません。

 ヒロイック・ファンタジー小説やアクション小説なら「一人称視点」が当たり前です。




伝わったと思ったら成長が止まる

 小説の書き方は十人十色、百人百様、千差万別、さまざまあると思います。

 しかしすべての書き方に共通しているのは「書き手の意図を読み手へ伝える」ことです。

 そして「正確に読み手へ伝わった」とき、読み手は物語に感動を覚えます。

 小説投稿サイトへ投稿した作品に、感想がたくさん付いたり「文章評価」「ストーリー評価」が高かったりブックマークが増えたりする。

 それが「正確に読み手へ伝わった」実感となって残るのです。


 しかしこの「正確に読み手へ伝わった」という手応えを感じてしまうと、書き手の成長が止まってしまいます。

 なぜなら「この書き方で正確に読み手へ伝わったのだから、これからもこのやり方で書けばいいや」と思ってしまうからです。

 しかし、時間は絶えず流れています。

 今「良く」ても、明日には「まぁ良い」くらいになって、明後日には「普通じゃないかな」というくらい読み手の受け取り方の変化が激しいものだからです。

 変に成功体験をしてしまったがために、成長が止まってしまうのは避けましょう。

 つねに新しい日には新しい気持ちで執筆に望み、これまで以上に「正確に読み手に伝わる」よう研鑽(けんさん)してください。

 立ち止まれば時代に取り残されてしまいますよ。





最後に

 今回は「伝わった手応え」について述べました。

 日本語は「永遠に未完成な言語」です。

 われわれはこの「永遠に未完成な言語」を用いて小説を書きます。

 一度好評を得てしまうと、その書き方に固執してしまいやすいのです。

 それでは日々変化する時代に対応できなくなります。

 たとえ「伝わった手応え」を感じたとしても、毎日が新しい日であることに留意して「もっと伝わる書き方があるはずだ」と模索してください。

 それが本当の意味での「伝わる文章」なのです。




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