385.深化篇:結末までのルート選択
今回は「結末までのルート選択」についてです。
「結末」を定めても、そこへ至るルートは無数にあります。
その中から書き手は一本のルートを作り出すのです。
結末までのルート選択
物語の「結末」へたどり着くためには、通るべきルートが何通りもあります。
書き手であるあなたはその中から一本のルートを選択して小説を書くのです。
それが「結末」までの最短距離かもしれませんし、さまざまな紆余曲折を経た末ようやくたどり着いたものかもしれません。
どの地点を通るのか
主人公は「結末」までに、どのルートを通って地点に立ち寄るのでしょうか。
日常生活に置き換えると、「目的地」まで行くのにどの経路を通って、どこに立ち寄るのかということです。
地点を通過すること。それが小説で「エピソード」の「出来事」を経験することに当たります。
通過または立ち寄る地点の数が多くなるほど、小説の分量が増えていくのです。
だから小説の全体の長さによって、地点の数の増減で分量を調整します。
ショートショートなら地点は一つあればじゅうぶんでしょう。
短編小説なら地点を「エピソード」ひとつに「出来事」四つ前後は設定したいところです。
「起承転結」に代表される四部構成にしたいですからね。
長編小説なら「エピソード」も四部構成にすると書きやすいと思います。
連載小説なら「連載の四部構成」つまり導入部・展開部・解決部・惹起部で構成するといいでしょう。
コラムNo.328「執筆篇:連載の起承転結」で示した「主謎解惹」「起問答変」の形ですね。
いずれにせよ、「エピソード」の「出来事」は主人公が通過または立ち寄る地点になっています。
その地点ではどんなことが起こるのか。
それによって登場人物や社会はどのような影響を受けるのか。
主人公がどのルートを通って「結末」までたどり着くのかを決めることが、「小説の構成」ということになります。
テレビドラマ『水戸黄門』は水戸光圀公一行が「越後のちりめん問屋の光右衛門」と名乗って諸国を巡り、ある地点へ着いたら騒動に巻き込まれるのです。
行く先々で騒動が巻き起こりますので、実は厄介者ではないかと思わなくもありません。
テレビドラマ『暴れん坊将軍』だって将軍である徳川吉宗が「徳田新之助」と名乗ってお忍びで城下町を歩いていると騒動に巻き込まれます。
このパターンで騒動が起こることから、やはり吉宗が厄介者のように思えてなりません。
地点は多くあるのに文章が短くなる
地点を増やしたのに分量がそれほど増やせない書き手も数多くいます。
その場合は地点つまり「エピソード」の「出来事」をきちんと書ききれていないのです。
とりあえず「エピソード」の流れを追いかけていけば、読み手も物語を理解してくれるはずだ。
そんな安直な考えから、「エピソード」の流れつまり地点の通過だけを意識して、じゅうぶんな説明と描写を蔑ろにしてしまうのです。
それでは読み手の感情を動かすことはできません。
スキーのスラローム競技で目の前に迫ってくる旗門を通過することだけを考えず、全体的な攻略を考えなければタイムは出ません。
どんなにひとつの旗門を素早くクリアできたとしても全体的なタイムが遅ければ意味がないのです。
全体的なタイムを縮めるために、旗門だけでなく「旗門と旗門のつなぎ」が重要になります。
「エピソード」内にある四つの「出来事」をそれぞれ単独でクリアしようとしてはいけません。
ひとつの「エピソード」として四つの「出来事」をまとめて流れがスムーズになるよう計らうのです。
そして物語はいくつかの「エピソード」で構成されており、すべての「エピソード」をまとめた全体の流れがスムーズになるかを考慮する必要があります。
地点の流れが感動を生む
小説の「エピソード」に含まれている「出来事」は、主人公や登場人物にさまざまな影響を与えます。
とくに主人公がなにを見ているのか聞いているのか、感じているのか思っているのか考えているのか。
読み手が主人公に感情移入するためには、「エピソード」の「出来事」つまり地点でしっかりと説明と描写を行なっている必要があります。
説明は「見ているのか聞いているのか」の部分であり、他にも「嗅いでいるのか味わっているのか触れているのか」という五感を通して得られる情報を書くものです。
描写は「感じているのか思っているのか考えているのか」の部分であり、直感や第六感の類いや思考や心がどのように受け取ったのかを書くものです。
これらが的確に読み手に示されることで、読み手は物語を理解します。
なにをどのように受け取ったのか。
描写のこの機能のおかげで、読み手が物語を理解できれば、感情は必ず動くのです。
物語の流れは「出来事」の流れであり、地点の流れでもあります。
つまり地点の流れが感動を生むのです。
たとえひとつひとつの地点の攻略がうまくなくても、全体の攻略に成功しているのであればそれでよい。
すべての文を「名文」にする必要はなく、物語全体を読んだら「名作」だと思わせられればそれでいいのです。
小さな地点にこだわることもなく、あくまでも全体の出来を追求しましょう。
「名文」が書けなくても「名作」は生み出せます。
「出来事」の流れ、地点の流れによって、読み手の「心に痕跡を残す」ことができれば、それが「名作」なのです。
最後に
今回は「結末までのルート選択」について述べてみました。
「結末」に至るルートを選択し、全体の流れをスムーズにしてあげることで、どんなに文章が下手くそでも「名作」を生み出すことは可能なのです。
「結末」に至るルートが明確であれば、多少文章が怪しくても文章に勢いを与えることができます。
文章に勢いがあれば、読み手はスラスラと先を読み進めてくれるのです。
勢いがなければ、どんな名文も途中でお腹いっぱいになってしまいます。
勢いを生むためにも「結末」までのルート選択は明確にしておきましょう。