382.深化篇:マニアックな知識と妄想
今回は「マニアックな知識と妄想」についてです。
両方揃わないと味けない小説になります。
マニアックな知識と妄想
小説が「あなたにしか書けない作品」であるためには、あなたが知っている「マニアックな知識」を書く必要があります。
決して付け焼き刃の知識で小説を書いてはなりません。
そんな知識は読み手にすぐバレてしまいます。
情報処理と簿記
高校の選択授業で「簿記」を習った方はいるでしょうか。
なかなかマイナーな選択科目なので、人気はなかったと思います。
私は高校の選択授業では「情報処理」と「簿記」を取りました。
今では当たり前ですが「情報処理」は「コンピュータ」に関する知識が身につきます。
まぁ私は中学1年生のときにはすでに自力で「国家試験一級」に受かるだけの知識を持っていましたから、授業はただの暇つぶしであり遊びでしたけどね。
前にお話ししたと思いますが、私は小学校二年生からコンピュータに興味を持ち、BASIC言語も実機なしで憶えたくらいです。
だから私からコンピュータを切り離したら、なにも残らないのかもしれません。
ちなみに高校の「情報処理」ではデジタルの0と1や、2進数や16進数、「OR」「AND」「NOT」「XOR」、CPUとインターフェイスの関係などがありましたが、中1で知っているものなので、今さら感満載でした。
タイピングスピードは高校当時は150字/分は出せましたから、「ワープロ検定」も余裕でクリアしています。二十歳頃に180字/分を出しました。
コンピュータに関する知識は、時代の最先端は追いかけていませんのであまり詳しくありませんが、小学生当時のコンピュータ事情には精通していたのです。
そんな私は当時のコンピュータユーザーを主人公にした小説ならすらすらとあらすじが浮かんできます。
「情報処理」「コンピュータ」という「マニアックな知識」が活かせるからです。
「簿記」は四級スタートですが、ちょっと勉強しただけで二級の合格ラインは確実に取れました。
ちなみに「簿記一級」は法律に関することが出題されるため、それを知ってからすぐにあきらめました。
「簿記検定」に関しては「複式簿記」と「勘定科目」さえ憶えればいいだけなので、間違いようがありません。
この二つはそれなりに自信があり、のちに書店の雇われ店長となって「簿記」の知識が活かされ、通信販売部門の役職に就いて「情報処理」の知識が活かされたのです。
あ、そうそう。「情報処理」も「簿記」も本試験は受けていません。
当時受験するだけのお金が家計になかったのです。
でもその知識は今に活かされています。
方眼紙とサランラップ
では「方眼紙」と「サランラップ」について述べてみたいと思います。
両方とも遥か昔にコンピュータで用いられた物ですが、今の若い方は使いみちがわかりませんよね。
そういう意味ではこれも「マニアックな知識」に類するものです。
「方眼紙」も「サランラップ」もCGを書くために用いていました。
コンピュータは当時BASIC言語で動いていたのです。
そして当初CGはBASIC言語の「LINE」文という命令文で直線を引いて描いていました。
命令文というのは、コンピュータに「こういうことをしなさい」と指示を出す文のことです。
当時の主流はBASIC言語でしたから、BASIC言語の「LINE」文を用いて画面上の「ある座標から別の座標までに直線(LINE)を引いて」いたわけです。
そうやってコンピュータ上に線を引いていって、線が囲われたら「PAINT」文という命令文で色を流し込んでいました。
コンピュータ黎明期のCGは「方眼紙」に描いた絵から座標を拾って、LINE文でブラウン管に線を引いては塗っていく必要があったのです。
では「サランラップ」はどうでしょう。
CGを描くソフトウェアが発売されたあと、カーソルキーでカーソルを動かして線の座標まで持っていって直線を引く必要がありました。
当時イメージスキャナは超高額でアマチュアレベルで所有している人はまずいませんし、マウスも一般的ではありませんでした。
そこで「サランラップ」に油性マジックで絵を描いて、そのラップをPCモニタの表面に貼り付けることで、LINE文を使わずともソフトウェアでカーソルを動かして直線を次々に打ち込んでいくことができるようになりました。
しかし難点もあったのです。
当時のPCモニタはブラウン管CRTでしたから、当然表面は湾曲しています。
そこに「サランラップ」を貼り付けるのが難しく、たいていしわくちゃになっていました。
うまくCRTに貼り付けられても見る位置が異なると、当然座標がズレますから絵がゆがんでおかしくなります。
そこでソフトウェアで直線を引くときは、始まりから終わりまで頭を一点に固定して、視線だけを動かして直線を引いていく必要があったのです。
双方とも今ではもう見かけなくなりましたよね。
「マニアックな知識」とはこういうものを指すのです。
歴史小説のマニアックな知識
当時のことを知っていれば、それはじゅうぶんに「マニアックな知識」になります。
私のように「経験してきた」ことが一番の「マニアックな知識」です。
ですが、必ずしも経験していなくてもかまいません。
当時の資料や文献に当たることで、情報を収集していきましょう。
それも一方からでなく反対側からも集めるべきです。
幕末ものを書きたいのであれば「倒幕派」「維新派」の情報を収集するだけでなく、「佐幕派」「新選組」などの情報も集めましょう。
片方だけを集めただけでは「真実味」が足りません。
物事には表があれば裏があり、味方がいれば敵がいます。
双方を合わせることで、初めて歴史小説は書けるのです。
妄想はすべてを超越する
「マニアックな知識」があれば「良い小説のタネ」ができます。
自ら「体験」した「マニアックな知識」には価値があるのです。
しかしそれだけではただの「知識の寄せ集め」でしかありません。
なにかを加える必要があります。
見出しに書かれていますね。そう「妄想」です。
「マニアックな知識」に「妄想」を加えることで、小説は一気に奥深くなります。
たとえば「拳銃マニア」でモデルガンをたくさん所有している人は、そのモデルガンで本当に撃っているような「妄想」をするものです。
多くのマニアはこの「妄想」が楽しいからモデルガンを収集しています。
「拳銃マニア」はモデルガンとはいえ実物があったうえで「妄想」していました。
しかし実物もないのに「妄想」することもあります。
それが「小説を書く」ことと「小説を読む」ことです。
「小説を書く」ときの「妄想」とは、「物語の登場人物がこんな状況に出くわすとどう反応するのだろうか」というものになります。
「小説を読む」ときの「妄想」とは、「書かれている文字列を読んで、どんな登場人物なのかどんな状況なのかどんな行動がとられているのかどんな感じ方をしているのか」といったものです。
小説は「妄想」で作られて、「妄想」で読まれます。
つまり「小説では妄想がすべてを超越する」のです。
最後に
今回は「マニアックな知識と妄想」について述べてみました。
「マニアックな知識」があれば「良い小説のタネ」ができます。
「マニアックな知識」のない小説は味けないのです。
ですがそれだけでは物足りません。
そこに「妄想」を加えることで、物語が一気に膨らみます。
「マニアックな知識」だけでも「妄想」だけでも得られなかった「小説の完成形」がそこにあるのです。
皆様も右手に「マニアックな知識」、左手に「妄想」を携えて、小説を執筆していきましょう。