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355.不調篇:ステレオタイプに陥らない

 今回は「ステレオタイプ」の危険性についてです。

 なにごとも先入観を持ってしまうと、異なる視点から物が見えなくなります。

 熱中してきたものを書くことが、他の書き手と差をつける要点になるのです。

ステレオタイプに陥らない


『Wikipedia』によると「ステレオタイプ」は、「判で押したように多くの人に浸透している先入観、思い込み、認識、固定観念やレッテル、偏見、差別などの類型・紋切型の観念である。」とされています。

 つまり「紋切型」ですね。

 小説を書くとき、気をつけていただきたいのが「ステレオタイプ」に陥らないこと。

 固定観念や思い込みを小説に書いても、書き手の思ったような反響は得られません。

 逆に個性的な物の見方・観念がある小説は、多くの読み手がついて評価されます。

 なぜかというと、前回述べた「小説のパック旅行」と「小説の自由旅行」の差です。




誰もが言うことが真実ではない

「小説のパック旅行」であっても「皆が同じような小説を書いていてランキングに載っているじゃないか」という考えに囚われてしまうことがあります。


「人は産まれたときから善である」という中国古典・孟軻(もうか)氏『孟子』から続く社会的な風潮があると、当時の諸国の王たちはつい「性善説」に囚われてしまったのです。

 中国戦国時代末期、儒学者たちは『孟子』から「性善説」を刷り込まれてステレオタイプに「性善説」を唱えていました。

 だから犯罪が横行し、怠惰な暮らしをしていても誰からも咎められない、という国力を落とすに足る現象が起こったのです。

 しかし同じ儒学者であっても荀況(じゅんきょう)氏が著した中国古典『荀子』は違いました。

「人は生まれたときから悪である」という「性悪説」を唱えたのです。

 つまり社会的な風潮、「ステレオタイプ」によらず「自分で考えて体験」したことを書きました。

「性悪説」はその後荀況の門下にいた韓非(かんぴ)氏による中国古典『韓非子』で完成したのです。

 秦王の贏政(えいせい)がそれを読んで深く感銘して副読本とし、諸国を次々と打倒。初の中国統一王朝を築いてのち自ら「始皇帝」と称しました。

 荀況氏が「自由旅行」をしたから韓非氏によって「性悪説」が確立し、中国は統一されたのです。


 それほど「自由旅行」には価値があるのです。

 そのためには「皆がそう言うから」ではなく「私はこう考えるんだけど」「私はこうしたい」という姿勢で物事と向かい合う必要があります。


「生きる」ということは「考える」ということです。

「なぜあの人はあんなに悲しんでいるんだろう」と考えること。

「考えた」結果、体験や知識が深まっていきます。

 自分がなにを欲しているかわからない人はいない。

――と思われがちですが、実際に「自分がなにを欲しているかわからない」人が結構います。

「将来どうなりたいのかがわからなく」て、「とりあえず大学へ行ってから考えるか」と大学受験をひとつの目標にしてみる。

 大学に進んでも「卒業後どうなりたいのかがわからなく」て、「とりあえずサークルやアルバイトでもしながら考えるか」とサークル活動やアルバイトに勤しんだりする。

 そういう人が「他人の知識を言われるがままに信じてしまう」のです。

 つまり「パック旅行」に参加しています。

 そうなると知識は深まりません。

「自分で考えて体験」する機会を喪失しているからです。

 だから有名大学を出てどんなに高度な知識があったとしても、そういう人に小説は書けません。

 語るべき体験があったうえで、それに関する知識がある。

 だから小説が書けるのです。


 たとえ「皆が書いていてたくさん読まれている」小説であっても、「本当にこの小説は読むに値するのか」という視点で分析しなければなりません。

「誰もが言うことは真実」ではないのです。

「成功して認められたいから、成功者と同じことをすればいい」という考え方が、すでに「パック旅行」という「ステレオタイプ」になります。


 あなたには子ども時代から今に続くまで、なにか熱中してきたことがひとつはあるはずです。

 それを小説にすることが「小説の自由旅行」と言えます。

 私は器械体操の床運動が好きで、高校時代まで自力でタンブリングの練習をしていました。

 指導者もおらず設備もないので学校の砂場をピット(ウレタン製のスポンジを底の深い穴に敷き詰めたものです)代わりに何度も技に打ち込んでいたものです。

 そんなことをしていた子どもは、おそらく私くらいなものでしょう。

 だから私は「タンブリング」を小説に書くだけの「自分が考えて体験」した「知識」を持っています。

 あなたにも必ず「熱中してきた」ことがあるはずです。

 それを生かした小説を書けば、躍動感のある小説になります。




熱中してきたことは小説にできる

 あなたが熱中してきたことを小説に書けば、生き生きとした文章になります。

 たとえばあなたは剣道や剣術に打ち込んできませんでしたか。

 中学校の体育で選択科目として剣道・柔道・ダンスが取り入れられたのは2012年度のようです。

 その中で剣道を選んだ人であれば、剣術の駆け引きについて小説に書けます。

 もちろん柔道を選べば柔道の、ダンスを選べばダンスの小説が書けるでしょう。

 2020年度からは小学校でプログラミングが必修化されるそうです。

 となればそれを経験してきた書き手は、プログラミングに関する小説が書けます。


 MMORPGである『Ultima Online』や『FINAL FANTASY XIV』などに熱中してきたのならMMORPGについて小説に書けるのです。

 実際に川原礫氏がMMORPGの世界観を舞台にした『ソードアート・オンライン』『アクセル・ワールド』を書いていますよね。

 誰にでも熱中しているものがあるはずです。

「ない」と即言できる方は、少年時代を思い返してみてください。

 必ず熱中していたものがあるはずなのです。


 なぜ「ある」と断言できるか。

 「熱中するものがなければ人生を楽しく感じない」からです。

 熱中している間はとにかく楽しい。

 だから誰もが「明日も楽しみたいな」と思って日々を暮らしています。

 もし「熱中するもの」がなく「人生の楽しみ」がないとどうなると思いますか。

 おそらく現実に失望して自棄に陥るはずです。

「これ以上毎日を過ごしていても、なんにも楽しくないんじゃないか」と、今を生きている皆様は思っていますか。

 だから私は「熱中している(していた)ものが」必ず「ある」と断言するのです。





最後に

 今回は「ステレオタイプに陥らない」ことについて述べてみました。

 誰かが唱えた論説を、自身の頭で考えて疑わない。そして鵜呑みにするような人は「ステレオタイプ」に陥っています。

 つねに「それが正しいのか」「他にやり方はないのか」を自身の頭で考えてみてください。

 あなたのその考えは「熱中している(していた)ものから得た知識」が土台になります。

 今あなたに「熱中しているもの」はありますか。

 過去に「熱中していたもの」がありませんでしたか。

 読書でもテレビゲームでもスポーツでもかまいません。

「熱中」していれば「自分が考えて体験」した「知識」を必ず持っているはずなのです。

 その知識を土台にして「ステレオタイプ」から脱却しましょう。




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