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354.不調篇:自分で考えて体験する

 今回は「体験」が執筆に与える影響についてです。

 とくに「自分で考えたことを体験する」と書ける内容が一気に増えます。

自分で考えて体験する


 小説を書きたいのだけど、後でツッコミを入れられるのが嫌で書けないでいる方が多いと思います。

 他人の情報を用いて「正しいことを書こう」とするから情報の裏取りや時代考証をしっかりやって事実に裏付けられた「確信」を持って書く必要があるのです。

 そうではなく「私はこう考えて行動したらこういう体験をした」という文章を書こうと思えば、客観的な情報の正しさではなく、あなたが考えて体験した過程を書くことに集中できます。

 それがたとえ正しい情報ではなくても、あなたが考えて体験したことに変わりはありません。

 だからあなたの考えをそのまま書けばいい。

 それが正しいか正しくないかなんて問題ではありません。

「私はこう考えてこういう体験をした」という思考過程を読ませる小説を書こうとすれば、誰にだって小説は書けるのです。




体験はなにものにも代えがたい

 書き手が体験したことは実際に起こったことであり、揺るぎようのない事実です。

 だから自信を持って「私はこう考えてこういう体験をしたんだけど」という文章を書くことができます。

 連載小説でもなければ、それで「書き手の考えから得た体験」が否定されることはありません。

「エベレストに登るためにはシェルパに協力を得て道案内をしてもらわなければならない」という「正しい知識を書こう」とするから裏取りや考証に手間がかかって書けなくなるのです。

 同じ「山に登る」ことを書きたいのなら、「富士山に登ったことがある」とか「高尾山に登ったことがある」とか「六甲山に登ったことがある」とか、書き手であるあなたが実際に山に登った体験を書きましょう。

 無理に「エベレスト登頂を目指す」小説を書く必要はないのです。

 それが書けるのは「実際にエベレスト登頂した」人でなければなりません。

 たとえば田部井淳子氏や三浦雄一郎氏や野口健氏などです。

 実際に登頂していない人は「妄想」で書くか、登頂したことのある人に取材するかしなければなりません。

 また「富士山に登ったけど登頂できずにあきらめて引き返した」経験をしたことがあるのなら「富士山に登頂しようとして失敗した話」が書けます。

 こういう服装でこういう道具を持って登ってみたんだけど、結果的になにがダメだったから失敗したのか。

 そういう状態で山に登ろうと考えて失敗を経験した過程が書けるのです。




他人から与えられた体験は書けない

 他人から与えられた条件で得た体験では小説は書けません。

 自分で考えて条件を揃えた体験だから、その過程を小説として書けるのです。


 旅行会社が企画する「パック旅行」に参加して「パリ旅行」を楽しんだとします。

 エッフェル塔や凱旋門やルーブル美術館を訪れる。高級ブランドの店をまわって商品を購入していく。旅行業者から与えられたホテルに泊まって、用意された食事を摂る。

 まさに至れり尽くせりです。

 ではこれで「パリ旅行」を題材にした小説を書いてみてください。

 多くの人は書けないはずです。

 なぜなら、エッフェル塔や凱旋門やルーブル美術館に寄った理由がわかりませんし、高級ブランドの店をまわった理由もわからない。ホテルの評価もわからないし食事の良し悪しもわからない。

 つまり「パリ旅行」をするに至る過程がすべて他人任せなため、「なぜこういうことをしたのか」の裏付けとなる「自分で考えて体験」していないのです。

「パック旅行」で訪れた地域のことは、いっさい書けないと思ってください。


 それと異なり、自分で考えて旅行先をフランスのパリに決め、訪れる観光名所や泊まるホテルや食べるレストランなどもすべて自力で決めるのです。

「自由旅行」とでも名づけましょうか。 

 そうすれば「なぜこういうことをしたのか」は「考えた過程」を経験しているからすらすらと思い浮かびます。

「パリ旅行」を題材にした小説が書けるのです。

「自分で考えて体験」したことでなければ小説には生かせません。

 書き手が「自分で考えて体験」した感動は事実です。

 だから感動したことをどうしても他人に伝えたくなります。

 よって可能なかぎり「書き手自らが取材すべき」なのです。

 旅行のプランを考えるだけでも楽しいですし、自分で考えていることですから、そこに決めた過程も明確にわかります。




小説のパック旅行は禁止

「小説が書けない」という人は「小説のパック旅行」を楽しんでいるだけなのです。

 小説投稿サイトでランキング上位の作品を読んで「今はこういう作品がウケるのか」と分析しても、そのような作品は書けません。

「小説のパック旅行」だからです。

 稀にその分野の知識が豊富で、長編小説一作書けるだけの量があるのであればなんとか書けるのです。

 連載小説にするとなれば、膨大な知識の裏付けがなければ書けたものではありません。

 人気のある小説に関する知識が、たまたまあなたの専門知識が生かせるものである確率はきわめて低いはずです。

 バッチリと当てはまるような偶然は何度も起こりません。


 そうではなく「あなたが自ら面白そうな小説を発見」して、「なぜこういうことを書くのだろう」「こういう出来事が起こったらどうなるのだろう」と突き詰めて考えてください。

「ここをこうしてみたら面白いかも」「ここがこうなっているのは危険ではないか」「ここをこうするとツッコまれそうだ」

 あなたが考えたことは、思考の過程が明確であり、あなたにとっての事実です。

 だから「小説の自由旅行」ができます。

「小説の自由旅行」ができれば、あなたは小説が書けるのです。

 けっして「小説のパック旅行」をしないでください。

 自分で考えて、思考の過程を明確にし、それに従って小説を書くのです。

「小説の自由旅行」をしましょう。

 他人が考えたことを知識として学んだだけでは「小説のパック旅行」であり、あなたにはそのような小説が書けないのです。

「小説を書きたい」人は、まず「自分で考えて体験」することから始めましょう。


 写真家を主人公にした小説を書きたいとします。

 写真の知識を、カメラ雑誌や書籍などから他人の情報を読むだけでは、とても浅いものです。まさに「小説のパック旅行」と言えます。

 そうではなく、カメラ屋さんでいいカメラを実際にいくつも試してみて、そのうち気に入った一台を購入するのです。

 そしてISO感度、絞り(1/F値)、シャッタースピード、露出、レンズといった要素によって、写真がどう変わってくるのか。それを自分で試行錯誤して体得してください。

 実際に「自分が考えて体験」したことですから、その情報は事実です。

 なぜその機種を選んだのか。ISO感度を上げると暗い場所でもシャッターが切れる。ボケ味を出したいので絞りを開放する。空の青を強調するために露出をマイナスにする。交換レンズによってどんな写真が撮れるのか。C−PLフィルターを付けるとガラスの反射が写らなくなる。

 こういった生きた情報こそが「小説の自由旅行」の成果なのです。





最後に

 今回は「自分で考えて体験する」ことについて述べてみました。

 文字の情報を読むだけより、実際に体験したほうがよいのは皆様にもわかると思います。

 でも「パック旅行」のようにすべてお膳立てされた体験をするよりも、旅程を「自分で考えて体験」した「自由旅行」のほうが断然いい。

 皆様も「小説の自由旅行」に出かけてみませんか。




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