352.不調篇:人生なんて似たようなもの
今回は「換骨奪胎」についてです。
パッと見では意味がわからないと思います。
ですが小説を書くとき頭に入っているとかなり気が楽になるのです。
人生なんて似たようなもの
小説は「いつ」「どこで」起こった物語なのかを書き手が自由に決められます。
ですが、そこで繰り広げられるのはいつの時代のどこの場所で起こっても大同小異、ほとんど同じ物語です。
なぜだと思いますか。
「主人公が私たちと変わらない『人間』だから」です。
どんな階級に生まれ、どんな人に育てられ、誰と出会って別れたのか、どんな学校に進学して、好悪感情があらわになり恋愛をして結婚したり別居したり離婚したり、どんな会社に入ってどんな地位を得て失ったのか、どんな病気に罹ってどんな事故に遭ってどんな死に方をしたのか。
結局のところ、物語というものは現在の私たちから遠く離れることはないのです。
STAR WARS
たとえばルーカス・フィルム(現ディズニー)『STAR WARS』のエピソード4を思い出してください。
最初に上映された『STAR WARS』のことです。
辺境の惑星に住む主人公ルーク・スカイウォーカーが人のいる場所に出向いたらロボットのR2−D2とC−3POと出会いました。
R2−D2がレイア姫のホロビジョンをルークに観せて「助けてほしい」と頼むのです。
ルークは話に聞いていたオビ=ワン・ケノービのところに出向いて助力を頼み、オビ=ワンは加勢する代わりとしてルークに「ジェダイの騎士」の訓練を受けさせます。
ルークとオビ=ワンはレイア姫を助けに向かうための宇宙船を探し、ハン・ソロの操る「ミレニアム・ファルコン号」に乗ることに決めたのです。
当初こそ「ジェダイの騎士」は眉唾ものなルークとハン・ソロでしたが、訓練を重ねた結果ルークはある程度の「ジェダイの騎士」となりました。
戦艦スター・デストロイヤーに乗り込んでレイア姫の救出を図りますが、オビ=ワンがダース・ベイダーによって倒されてしまうのです。
救け出したレイア姫からの情報により要塞デス・スターの設計図が手に入り、反乱軍はその弱点を看破します。
戦闘機X-ウイングに乗ったパイロットたちがデス・スターの弱点目がけて総攻撃を仕掛けます。
そこに割って入るダース・ベイダーでしたが、ハン・ソロの活躍によりなんとか追い払うことに成功するのです。
ルークは「フォース」を信じて照準器に頼らず自ら感じた「フォース」のとおりにミサイルを打ち込みます。
ミサイルは見事排気口に入り込み、デス・スターの中枢部を直撃してデス・スターそのものが破壊されました。
歓喜に湧く反乱軍の元へルークが帰還して終劇です。
換骨奪胎
『STAR WARS』からSF要素を省いて代わりにファンタジー要素を盛り込んでみても、しっくりとくる物語になります。
同じく「人間が行動した結果」だからです。
このようになにかの物語の骨格を元にして自分の作品として再利用することを「換骨奪胎」と言います。
演劇の世界では「あらゆる物語は各国の神話と民間伝承とウイリアム・シェイクスピアで出尽くした」と言われているくらいです。
つまりまったく新しい物語というものは、現在ではまず見当たりません。
たくさんの物語に触れていると「あれ? この物語ってどこかで読んだような」と思うところが必ず出てきます。
とくにテレビで放送される「二時間ミステリードラマ」はほとんどが成り行きで人を殺してしまい、警察が何度も尋ねてきて、最終的に真犯人がなぜか「崖の上」に立っています。
「崖の上」という不安定な場所に立つことで真犯人の不安定な心を表し、刑事や探偵の説得によって罪を認めるのです。
こんな「二時間ミステリードラマ」が山のようにあります。
真犯人の人物像が異なっていたり職業が異なっていたりしますが、物語の展開自体は「換骨奪胎」以外のなにものでもありません。
ハリウッドは換骨奪胎で出来ている
『STAR WARS』をファンタジー風味に仕立てると「囚われの姫を助ける白馬の騎士がラスボスを倒す」という鉄板の物語になります。
本来は認識が逆で「囚われの姫を助ける白馬の騎士がラスボスを倒す」というファンタジー作品をSF風味に仕立てたものが『STAR WARS』なのです。
「フォース」はどこか「魔法」を感じさせますよね。
ハリウッド映画は世界最高峰と思われがちですが、こと脚本やストーリーに関しては「換骨奪胎」した作品がひじょうに多いのです。
皆様がよく知っているものとして映画・黒澤明監督『七人の侍』を西部開拓期のメキシコに「換骨奪胎」した『荒野の七人』が挙げられます。
監督のジョン・スタージェスは『七人の侍』をとても気に入っていて、どうしても『七人の侍』を「換骨奪胎」した映画が撮りたかったとされているほど。
イタリア映画ですがセルジオ・レオーネ監督『荒野の用心棒』も黒澤明監督『用心棒』の「換骨奪胎」です。
また当事者は否定していますが、手塚治虫氏『ジャングル大帝』がディズニーによって「換骨奪胎」され、『ライオン・キング』が生まれました。
ディズニーといえば『アナと雪の女王』は車田正美氏原作のアニメ『聖闘士星矢』のアスガルド編を「換骨奪胎」したと揶揄されているくらいです。
換骨奪胎した作品の調整
「換骨奪胎」はストーリーに悩むことがないためたいへん便利です。
しかし作品によってそれ相応の調整は必要になります。
たとえば「剣と魔法のファンタジー」の魔力を『STAR WARS』では「フォース」という力にしてフィットさせているのです。
時代も場所も異なっているのなら、それに合わせた調整をしましょう。
「その時代その場所ではこの設定に無理がある。だからこれに置き換えてみよう」と考えるのです。
たとえば厩戸王(聖徳太子)の時代をモチーフにした作品があったとします。
それを現代に「換骨奪胎」させようとすれば、時代による衣服や道具の変化が必要です。
たとえば紙に書かれた「十七条の憲法」はインターネットで自社Webサイトの「経営理念」といったところにアップロードして、スマートフォンで誰もが見られるようになっているとか。
「日出処の天子、書を没する処の天子に致す。つつがなきや〜」という公式文書も小野妹子が遣隋使として運んでいたものを、インターネットのメールに書いて相手国に送りつけるだけでいいのです。
これを地で行っているのがアメリカ合衆国のドナルド・トランプ大統領です。
普通の大統領であればマスメディアを利用して、まず報道官がマスメディアに発表して自国民に政策を伝えます。
しかしトランプ大統領は公式会見はせず『Twitter』に自らの発言を投稿しています。
時代の変化なのか暴言がバレないようにライターに書かせているのか真偽は不明ですが、新しい時代の政治を垣間見せたという点ですぐれたアイデアでしょう。
最後に
今回は「人生なんて似たようなもの」について述べてみました。
どんな世界のどんな人物であろうとも、「人間である」ことに変わりはありません。
「換骨奪胎」はそれ自体悪ではありません。
ただ露骨すぎるとパクリ騒動が発生することは『ライオン・キング』『アナと雪の女王』を見てもわかるのではないでしょうか。
時代や場所に合わせて調整をして、違和感のない「換骨奪胎」ができるようになれば、ストーリーに困ることはなくなります。
でもそれだけの作家では将来性は期待できません。
たとえ結果としてなにかの「換骨奪胎」になったとしても、一から世界を作り主人公を立て、登場人物を配置して、人間関係のやりとりをさせて物語を創ってみてください。
ただ単に「換骨奪胎」しかしていない人よりもはるかに多くのことを手に入れることができます。