324.執筆篇:感じる・思う・考えるを間引く
今回は「あやふやな書き方をしない」ことについてです。
一人称視点で小説を書いていると、どうしても書いてしまいがちなのが「感じる」「思う」「考える」という言葉です。
しかしある程度は間引けますので、どうやって間引くかを見ていきましょう。
感じる・思う・考えるを間引く
とくに「一人称視点」で小説を書いているとき、どうしても増えるものがあります。
それが「感じる」「思う」「考える」という単語です。
しかしある程度間引くことはできますので、その方法を見ていきましょう。
感じるを間引く
まず「感じる」です。
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部屋着にダウンコートを羽織ってコンビニまで行こうと思ったが、寒さが厳しく感じられた。
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という文があったとします。
では問題です。
ここから「感じる」を間引いて文章を成立させてください。
答え合わせをします。
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部屋着にダウンコートを羽織ってコンビニまで行こうと思ったが、寒さが厳しい。
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これだけです。本当に間引いただけですよね。
では逆向きの設問にします。
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火炎ブレスが頬をかすめ軽いやけどにひりつくのを感じながらもギリギリの距離でかわし、ドラゴンへ一撃を叩き込んだ。
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これはどうでしょうか。
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火炎ブレスが頬をかすめ軽いやけどにひりつきながらもギリギリの距離でかわし、ドラゴンへ一撃を叩き込んだ。
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やはりこれだけですね。
そうなのです。
主人公の「一人称視点」であることが明確なら、書かれてあることは基本的に主人公が感じていることそのものになります。
そこに「感じる」と特段書く必要はありません。
では次はどうでしょうか。
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今年は東京でも大雪が降ったので厳冬だと感じました。
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これは少し難しいと思います。
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今年は厳冬で東京でも大雪が降りました。
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とすれば同じ内容で「感じる」が消えましたね。
文節の順序を入れ替えても意味が通じる場合は、この方法で「感じる」を省けます。
思うを間引く
次は「思う」です。
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高校に入ったからには東大受験に向けて勉強したいと思います。
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という文があるとします。
これはきっぱりと、
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高校に入ったからには東大受験に向けて勉強します。
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でいいはずです。
いや「勉強したいと思います」は、「勉強をするつもりだけど実際にはどうなるかはわからない」ときに用いるから、と理屈をつけたい人がいるのは承知しています。
それなら、
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高校に入ったからには東大受験に向けて勉強するだろう。
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でかまいませんよね。
なにも「思います」と書く必要がありません。
では、
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冬には屋台で熱燗がいいと思う。
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はどうでしょう。
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冬には屋台で熱燗がいい。
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こちらも「思う」そのものを削りました。
いや「屋台で熱燗を断定したいわけではないんだ」とおっしゃるのなら、
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冬には屋台で熱燗がいいだろう。
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でかまいませんよね。
「感じる」と同じ理由なのですが、主人公の「一人称視点」で定まっているのにわざわざ「思う」と書く必要などありはしないのです。
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今年も広島カープの優勝は揺るがないと思う。
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という文はどうでしょうか。
「今年も広島カープの優勝は揺るがない。」か「今年も広島カープの優勝は揺るがなかろう(揺るがないだろう)。」でいいと思います。(「思う」って言ってますね)。
考えるを間引く
では「考える」の番です。
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微熱があり鼻水・タン・咳など風邪に似た症状があることも考えて、早めに受診した。
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という文があるとします。
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微熱があり鼻水・タン・咳など風邪に似た症状があるので、早めに受診した。
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でいいはずです。
こちらも、いや「これは自分が下した判断であることを明確にしたい」ので、意図的に「考えて」を使っているんだという人は、
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微熱があり鼻水・タン・咳など風邪に似た症状があるようなので、早めに受診した。
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のようにすれば「考える」を使わずに意図どおりになったはずです。
「アルバイトが夜勤であることも考えて、朝食を摂ったらすぐに寝よう。」という文なら「アルバイトが夜勤なので、朝食を摂ったらすぐに寝よう」でなんら問題ありません。
間引くのであって省くのではない
文章を書くことに慣れていない人は、つい「感じる」「思う」「考える」という三語を用いてしまいます。
それ自体は悪いことではないのです。
ただしあまりにも目につくようだと読み手が単調なリズムを催して飽きてしまいます。
かといって「感じる」「思う」「考える」を無闇に消してしまうとどうなるでしょうか。
主人公の「主観」が薄れて「客観」に寄ることになります。
今回取り上げた例を一つひとつ検証してみれば、三語を用いたほうに「主観」があり、用いないほうに「客観」があるのがわかるはずです。
ここからが今回のキモです。
主人公の「一人称視点」なのだから、「主観」を取り入れて描写したい場合は、あえて「感じる」「思う」「考える」といった思考三語を用いたほうがよいのです。
「一人称視点」で書いているのに「描写」が薄いと指摘された人は、もう少し「感じる」「思う」「考える」の思考三語を用いてください。
増えたぶんだけ「描写」も増していきます。
ですが、どの文を読んでも「感じる」「思う」「考える」という思考三語の羅列では、あまりにも文章がくどすぎます。
「一人称視点」であっても「客観」による「説明」は必要です。
ですから「一人称視点」で書いていて「説明」がろくにできていない人は、もう少し「感じる」「思う」「考える」つまり思考三語を間引いていきましょう。
このバランスがとれているかどうかに、結局のところ筆力の基礎が見え隠れするのです。
最後に
今回は「感じる・思う・考えるを間引く」ことについて述べてみました。
「感じる」「思う」「考える」の思考三語は「一人称視点」では必ずと言っていいほど現れます。
「三人称視点」では「神の視点」でなければ「感じる」「思う」「考える」を断定することはできません。
「語り手視点」は主人公ひとりしかいない状況でも、主人公のことを「三人称視点」で書ける利点がありますが、主人公の心を覗いてしまうと主人公の「一人称視点」に化けてしまいます。「三人称一元視点」なら主人公の心は覗けます。
つまり「感じる」「思う」「考える」の思考三語を断定で書けるのは現在使用禁止されている「神の視点」の他には「一人称視点」「三人称一元視点」だけです。
ということは、「一人称視点」で読み手の感情移入を誘うのも「感じる」「思う」「考える」の三語にあると思われるかもしれませんね。
しかしこれらが垂れ流されているだけではただの「グチ人称視点」です。
適度に三語を抜いて「説明」に落とし込んでバランスをとるようにしてください。