317.執筆篇:物語にたいせつな二つのこと
今回は「物語にたいせつなこと」についてです。
どちらも当たり前のことなのですが、意外と認識が浅くなることがあります。
物語にたいせつな二つのこと
小説で読み手の感情を動かすものは主に次の二つです。
・時間の流れがあること。
・状況や状態に高低差があること。
ではそれぞれを見ていきましょう。
時間の流れがある
ほとんどの小説では時間が流れています。
時間が流れていない小説は、あってもショートショートくらいではないでしょうか。
なぜ小説は時間が流れると思いますか。
基本的に小説が「主人公がどうする話」であり、そのために「主人公がどうなりたい」から始まって「主人公がどうなった」で終わる物語になっているからです。
「どうなりたい!」と主張して「どうする」のか、その結果「どうなった」かに落ち着くまでを書きます。
つまり小説は必然的に時間が流れるものなのです。
たとえば川原礫氏『ソードアート・オンライン』ではVRMMORPG「ソードアート・オンライン」のアインクラッド最下層から物語が始まります。
そこから主人公のキリトが多くの人物と交流しながら、「誰かがクリアしない限りゲームから出られない」「ゲーム内で死んでしまうと現実でも死んでしまう」というデスゲームの攻略を目指すのです。
七十四階層でアスナとパーティーを組んで、システム上の結婚を交わします。
七十五階層のボスを倒したときにキリトはヒースクリフの正体を看破するのです。
そして全プレイヤーの解放を賭けた一対一の「デュエル」が始まります。
キリトは結果として「デュエル」を奇跡的に勝利するのです。
デスゲームは百階層あるうち全体の四分の三でクリアされ、キリトの「黒の剣士」という二つ名はSAO最強の剣士であり、ゲームクリアをもたらした英雄の名として語り継がれることになります。
では振り返りましょう。
一階層からスタートして七十五階層までたどり着く。
どう考えても時間が流れていますよね。
しかも七十四階層で結婚までしているのです。
そこで二週間をアスナとともに暮らしてから七十五階層の攻略に赴いています。
小説は「省く」美学です。
もし「時間を流す」ことを省いてしまうと『ソードアート・オンライン』はどうなってしまうでしょうか。
デスゲームが始まった途端にヒースクリフの正体を看破して「デュエル」に持ち込んで勝つ。
ここまで省略してもやはり「時間は流れて」しまいますよね。
だから小説を書くときは、必ず「時間が流れる」ようにしてください。
「時間が流れる」から物語が進むのです。
ここで皆様にひとつ質問します。
あなたは今回のコラム投稿をここまで読んできました。
それまでに時間はどれだけ流れましたか。
あなたがしたのは目の前にある「文章を読んでいた」だけです。
たったそれだけのことでも「時間は流れて」います。
小説において、時間を止めて書くことはとても高等な技術が必要になります。
「文章を読んでいる」だけで時間が流れてしまうからです。
マンガの荒木飛呂彦氏『ジョジョの奇妙な冒険』第三部スターダスト・クルセイダース編ではラスボスであるDIOが「時間を止める」能力を有していました。
「時間を止める」ことを描写するのがどれだけたいへんなことなのか。
本コラムをここまでお読みいただいた方は痛感するのではないでしょうか。
だからこそ荒木飛呂彦氏は世界中にファンを持つ著名なマンガ家となれたのです。
状況の高低差
たとえば今まで一度も女性にモテたことのない男性の物語があるとします。
最終的に女性と結婚するとしたらどうでしょう。
女性にモテたことのない状況は程度が低いと思いますよね。
そして女性と結婚する状況は程度が高いはずです。
この状況の高低差が、物語を面白くさせます。
田中芳樹氏『銀河英雄伝説』の主人公ラインハルト・フォン・ローエングラムは下級貴族から銀河帝国皇帝にまで昇り詰めます。
自由惑星同盟側の主人公ヤン・ウェンリーは准将から元帥まで出世するのです。(エル・ファシルの頃は中尉でしたから中尉から元帥までと言ってもいいですね)。
それぞれが武勲を重ねて元帥となり、ラインハルトはゴールデンバウム家から帝位を奪い取って皇帝の座に即きました。
田中芳樹氏『アルスラーン戦記』の主人公アルスラーンは逆に最初は王太子の地位にありましたが、戦で大敗して辺境へと落ち延びるのです。
そこから勢力を少しずつ拡大させてついにパルス国王として返り咲くことに成功しました。
つまり元々高い地位にいたのにある時どん底まで叩き落され、そこからじわじわと這い上がってくる物語なのです。この手の物語を「貴種流離譚」と呼びます。
マンガの鳥山明氏『DRAGON BALL』の孫悟空は、当初「野生児」としての強さでした。
そこから武天老師(亀仙人)の下で修行して武術家として成長し、ナメック星では超サイヤ人として覚醒します。
強さのレベルがどんどん上がっているのです。
今はアニメ『ドラゴンボール超』で「ゴッド」だ「ブルー」だとさらなるパワーインフレを招いています。
当初の「野生児」の頃とどのくらい差があるのか、読み手や視聴者としても判断がつきかねるではないでしょうか。
マンガの堀越耕平氏『僕のヒーローアカデミア』は主人公の緑谷出久がまったくの無個性からスタートします。
No.1ヒーローであるオールマイトから個性「ワン・フォー・オール」を託され、初めのうちは個性に振り回されっぱなしでしたが、徐々に馴染んでいって使い方を少しずつマスターしていくのです。
最終目標はオールマイトのレベルでしょうが、今のところまだそこまで到達していませんね。
当のオールマイト自身は個性を譲り渡したため、徐々に「ワン・フォー・オール」が使えなくなっていくのです。
つまり時間が経過するごとに出久は強くなり、オールマイトは弱くなっていきます。
もしヴィランがこのことを知っていたら、出久はすぐに抹殺されていておかしくありません。
知られていないことで出久はヴィランにそれほど邪魔されずにゆっくりと頭角を現してくるのです。
(2019年6月時点では出久が「ワン・フォー・オール」の継承者であることはヴィラン連合の知るところとなっています)。
わかりやすいところで四点挙げてみました。
いずれも初めと終わり(現時点)に格差がありますよね。
この「格差」こそが「物語」の根幹なのです。
最後に
今回は「物語にたいせつな二つのこと」について述べてみました。
小説は「文章を読む」だけで時間が流れてしまう芸術です。
絵画のように一瞬だけ見て「いいな」と感じることはできません。
だから小説は否応なく「時間が流れる」ことに留意してください。
それがわかれば「時間を止める」書き方について工夫することができるようになります。
そして小説には「高低差」が必要です。
たとえば一介の村人に過ぎなかった若者が勇者となって帰還してくる。
立場や力量・技能の高低差がありますよね。
それほど大袈裟でなくてもいいのです。
それまでは自分の気持ちを打ち明けられない少年が、勇気を振り絞って気になる異性へ告白する。
これも勇気の高低差がありますよね。
小説に限らず物語に「高低差」があると読み手は「主人公が成長した」ことを実感するのです。
逆に当初勇者でありながら、時間が進むごとに老化していき、最後は老いぼれて朽ち果てるというのも「高低差」を感じさせます。
こういった「退廃」型「破滅」型の物語も数多く作られていますので、皆様にもいくつか心当たりがあるのではないでしょうか。




