308.執筆篇:やりたいこととやらなければならないこと
今回は「葛藤」がテーマです。
人には「やりたい」ことと「やらなければならない」ことがあります。
どちらかをやろうとすればもう一方を捨てることになるのです。
この「どちらも捨てがたい」という状態が「小説の主人公」にはあります。
やりたいこととやらなければならないこと
小説に限らず人間には「やりたいこと」が必ずあるはずです。
「やりたいこと」がまったくない人間はなにをしますか。
とりあえず誰かが与えてくれた作業をただ黙々とこなすしかないのです。
それで未来は開けるでしょうか。
なかなか難しいと思いますよね。
やりたいこと
たいていの人には「やりたいこと」があります。
本コラムを読んでいる方は「小説を書きたい」と思っているはずです。
「小説は書きたくない」と思っている人が本コラムを読むはずがない……と言い切れないのが悲しい。
ただの読み物として、小説の分析として本コラムを読んでいる方が一定数います。
ときどきメッセージやコメントや感想で「自分は小説を書かないけれど楽しく読んでいます」と書いてくださる方が結構いるのです。
それはともかく。
やはりたいていの人には「やりたいこと」があります。
それは小説の主人公や「対になる存在」、周囲の人々にもあるのです。
そこに人の行動原理があります。
「小説を書きたい」と思っている人は、その行動原理として「プロの書き手になりたい」と思っているものです。
プロになってお金を稼げたらどんなに楽だろうか。
そう思ってしまうから「プロの書き手」を目指すために「小説を書きたい」と思っているのです。
ではあなたの書こうとしている小説の主人公は「なにをやりたい」と思っているのでしょうか。
川端康成氏『雪国』『伊豆の踊子』などは主人公はさして「やりたいことがない」状態でそれぞれの場所に赴いていくのです。
現地について、自然や人々と接して「自分はなにをやりたいんだろう」という問いの答えを見つけ出してから、物語が動き始めます。
でも現在の小説界隈で「やりたいことがない」主人公というのはなかなか受け入れられません。
ライトノベルとして『小説家になろう』でランキング1位となっている理不尽な孫の手氏『無職転生 ―異世界行ったら本気だす―』という作品があります。
こちらも「やりたいことがない」主人公がトラックに轢かれて死に、異世界転生することになるのです。
そこから「やりたいこと」を見つけていって物語が動き出します。
だから『雪国』『伊豆の踊子』の主人公のように、現地に行ったら「やりたいこと」が出来たわけですね。
これに対し太宰治氏『走れメロス』の主人公メロスは「暴政を世に訴えたい」と思っています。
とにかくその意志がひじょうに堅いので、物語を貫く「テーマ」ともなっているのです。
主人公に「やりたいこと」がないと小説の書きようがありません。
だから早めに「やりたいこと」を見つけ出せるよう、書き手がお膳立てしてあげなければならないのです。
最初から「やりたいこと」が明確なら、そこに向かって物語を進めていけばいい。
当初主人公に「やりたいこと」がない小説は、「やりたいこと」を見つけ出すためだけに紙幅を割かねばならなくなるのです。
水野良氏『ロードス島戦記』の主人公パーンは「父のような立派な騎士になりたい」と思っていました。
そのため騎士の振る舞いを意識しながら行動することになります。
まぁ最初のうちは行き当たりばったりで動いていましたけどね。
水野良氏『魔法戦士リウイ』の主人公リウイは当初「やりたいこと」がとくにないのです。
魔術師である育ての親カーウェスのもとで魔術師としての修行をさせられているのですが、どうにも魔術師が自分の性に合っていない。
そこで肉体を鍛えてはケンカに明け暮れるような異端児となりました。
そんなあるとき女三人の冒険者パーティーがケンカに巻き込まれていたのを見て、「助太刀」として暴れまくります。
当然捕まって牢屋に放り込まれますが、宮廷魔術師でもあるカーウェスの威光によって翌日牢屋から出されるのです。
そこに件の女三人が現れてリウイを冒険者の仲間にしたいというようなことを頼みに来ます。
実際には戦の神マイリー教の侍祭メリッサが「リウイが勇者だ」との天啓を受けたためです。
メリッサ本人は不本意でしたが、これまでの日常では味わったことのない「冒険者」へのワクワク感が止められず、リウイは冒険者となります。
ここでようやく主人公に「やりたいこと」が見つかるのです。
遠回りをしましたが、最初のエピソードに巻き込まれたことで「やりたいこと」が見つかるのは、小説ではよくあります。
やらなくてはならないこと
人間は同時に「やらなくてはならないこと」も持ち合わせています。
資本主義が全盛な現在においては生きていくために職業に就かなければなりません。
そして一度職に就いたら、給料が出る限り働く必要があるのです。
「やらなくてはならないこと」が強くなると「やりたいこと」を抑圧してしまいます。
つまり「仕事をしなければならないので、小説を書きたいのに書いている余裕がない」という状態に陥るわけです。
「小説を書きたいのにそんな時間がない」は本コラムを読んでいらっしゃる方の中に結構いるのではないでしょうか。
あなたと同様、小説の登場人物にも「やらなければならないこと」があるはずです。
日々の生活を送るために「やらなければならないこと」は必ずあります。
少なくとも食事を摂らない限り人間は生きていけません。
そして飲食した以上は排泄する必要もありますね。
そうなると都市部なら生活費を稼がなければなりません。
山村であれば狩猟と収穫で自給自足の生活を送ることは可能です。そうであっても狩りや採取をしなければなりませんよね。
同じ服を着続ける人は少ないはずです。そうなれば毎日のように洗濯をする必要があります。
このように、生きていくかぎりなにがしか「やらなければならないこと」は存在するのです。
『ロードス島戦記』のパーンなら「騎士として困った人々を見捨てておけない」ですし、『魔法戦士リウイ』のリウイなら「魔術師としての勉学に勤しまなければならない」ということになっています。
まぁリウイは出生が明らかになってからこの「やらなければならないこと」が消滅してしまうことになりはするのですが。
相反性
「やりたいこと」と「やらなければならないこと」はたいていの場合相反しています。
「やらなければならないこと」をするために時間が費やされてしまい、「やりたいこと」をする時間がなくなってしまうからです。
あなたの「小説を書きたいのに、書く時間がない」という状況も相反していますよね。
「ゲームをしたいけど、大学に入るためには勉強をしなければならない」というのも同様ですね。
また「庶民に恩恵を与えたいけど、税金を取らなければならない」という小役人もいるでしょう。
いないと自治体としては困ってしまいますが。
もちろん「やらなければならないこと」をスルーして「やりたいこと」だけをやる人もいます。
たとえば現在日本政府が抱える借金は1000兆円を突破しているのですが、緊縮財政や赤字国債の停止などにはいっさい手をつけていません。
この点は諸外国のエコノミストからさんざん指摘されているにもかかわらず政府は無視を決め込んでいます。
そのカウンターとして民主党政権が誕生したわけですが、彼らも財政赤字を解消しようとはしなかったのです。
だから国民は改めて自由民主党を支持しました。
このように「やりたいこと」と「やらなければならないこと」は相反しています。
その葛藤が物語にぴりりとしたスパイスを利かせることになるのです。
最後に
今回は「やりたいこととやらなければならないこと」について述べてみました。
人には「やりたいこと」と「やらなければならないこと」があります。
どちらを優先すべきか。
この葛藤は物語に深みを与えてくれます。
「やりたいことだけやればいい」という人物もいることでしょう。
ただそれだけだと深みがない。
「やりたいことだけやればいい」と思いながら裏では「やらなければならない」出来事が進行している。
それが表出した際に、それでも「やりたいことだけやればいい」と思う人物には信念があります。
「やらなければならない」出来事に対処しようとするのもひとつの生き方です。
「やりたいこと」と「やらなければならないこと」のバランスをいかにとり、物語に葛藤を与えるのか。深みを作るのか。
そこが問われます。