297.短編篇:短編小説の登場人物と連作
今回は「短編小説に出す人数」についてです。
より多くの人物を出したければ「短編連作」という手があります。
中国古典の司馬遷氏『史記』も一篇には数名しか登場しません。
ですが、それを何篇にもわたって描き出すことで、広大な中国大陸を感じさせる壮大な物語となるのです。
短編小説の登場人物と連作
短編小説には小説である以上、当然のように登場人物がいます。
ですが無制限にキャラを増やしてしまうと、ひとりひとりの描写がどうしても不足してしまいます。
短編小説において登場人物は何人が適切なのかを考えてみましょう。
登場人物は最小限に
短編小説ではまず「登場人物を最小限にする」必要があります。
たとえば主人公ひとりなら原稿用紙四十枚使えるとして、「対になる存在」が登場すればキャラひとりあたり原稿用紙二十枚使うことができるのです。
これが三人目も出てくるとキャラひとりあたり原稿用紙十三枚になってしまいます。
どんどん書ける分量が少なくなるのです。
では短編小説では何人登場させればいいのでしょうか。
まず小説である以上、主人公は絶対に必要です。
主人公のいない小説はただ情景を書いた散文でしかありません。
では主人公以外は要らないのでしょうか。
主人公しかいない小説は何も起こらず淡々としていて牧歌的です。
主人公がひたすら哲学を追及するような短編小説も「あり」といったら「あり」。
でもそんな哲学的な小説を読み手が面白く読んでくれるものでしょうか。
主人公以外はモブキャラにしてしまう手もありますね。
昭和初期くらいまではそれでよかった時期があるのですが、現代ではそういう小説が少なくなりました。
現代の小説には主人公の他に、「対になる存在」が不可欠です。
主人公と「対になる存在」との間で起こる出来事を書いたものが現代小説になります。
主人公との対比、対立、協力、融和などその役割はさまざまです。
たとえば恋愛小説なら主人公と想い人、ファンタジー小説なら勇者と魔王、SF小説なら人類と未知の生物など、必ずといってよいほど「対になる存在」が登場します。
なんでも知っている人と、なんにも知らない人という対比も「あり」です。
現代の短編小説なら最低限、主人公と「対になる存在」が出てきます。
それだけかと思うかもしれませんが、実際には第三の人物が登場するものです。
もし主人公と「対になる存在」だけで物語を書こうとすると、どうしても原稿用紙五枚から十枚程度のショートショートになってしまいます。
第三の人物は主人公の協力者、「対になる存在」の協力者、主人公と「対になる存在」を仲介する者、どちらかの敵や双方の敵といった役割を担います。
最近では「物語のきっかけを作る人」という意味で第三の人物を登場させることが多いですね。
第三の人物は「存在を匂わせる」だけでもかまいません。
問題は四人目以降が必要かになります。
個人的な意見を述べるなら「四人目以降はモブキャラにする」ほうがよいでしょう。
先ほど書きましたが、主要な人物が増えるほどひとりあたりの描写に費やせる枚数が減っていきます。
人物の掘り下げができないとどうしても底の浅い小説になっていまうからです。
だから短編小説であれば「主要な登場人物は二人、よくて三人」くらいにして、残りはモブキャラにしてしまえば、二人か三人のキャラをじゅうぶんに掘り下げることができます。
ただしこちらも短編小説の上限まで使って書くというのであれば、第四の人物を登場させてもかまいません。
短編連作
短編小説では「主要な人物」は二人か三人が望ましい。
ですが勇者ものバトルもの冒険ものならパーティーを組んでいることが多いですよね。
そしてたいていは四人から六人パーティーを組みます。
四人ならゲームのエニックス(現スクウェア・エニックス)『DRAGON QUEST』の影響が見て取れますし、六人ならゲームのSir−Tech『Wizardry』の影響でしょう。
これらパーティーで「主要な人物は二人から三人(上限いっぱい使って四人)」にしてしまうと、どうしても深くキャラが掘り下げられない人物が出てしまいます。
対策として「短編連作」にしてみましょう。
「短編連作」とは「同じ舞台・世界観において異なる人物の組み合わせで短編小説を連鎖的に書いていく」ことです。
六人パーティーで主要な人物を最大四人まで選び出してひとつの短編小説を書きます。
次は他の組み合わせで短編小説を書くのです。
そしてまた次は別の組み合わせを書く、という具合で連作していまきす。
一作にあれもこれもと詰め込もうとするのではなく、エピソードをひとつずつ切り出して短編小説にしていくべきです。
こうすれば短編小説としての完成度が格段に高まりますし、書きたいキャラを深掘りすることもできます。
今回の短編小説で深掘りできなかった人物は次の短編小説で語ればよいのです。
詰め込むとどうしても人物が増えるほどひとりに費やせる枚数が減っていってしまい薄っぺらい描写しかできなくなります。
小説は読み手が主人公に感情移入する娯楽です。
肝心の主人公に関する情報が少ない中で、どうやって読み手を主人公に感情移入させればよいのでしょうか。
短編連作であれば、ひとつひとつの短編小説で主人公を務めるキャラを深掘りできます。
私は、短編小説を書く前に長編小説を書きあげる経験をしたほうがいいと思っています。
ですが長編小説を書くのがどうしても苦手な書き手は一定数いるものです。
その場合は「短編連作」の形で、ひとつのエピソードに登場人物は二人から多くて四人、それ以外はモブキャラにして一片の短編小説を書いてみましょう。
それら短編小説を積み重ねることで、ひとつの大きな物語が紡がれていくのです。
小説投稿サイトに投稿される作品は、ある意味で「短編連作」の形と言ってよいでしょう。
一回の投稿ぶんは原稿用紙十枚から十二枚ほどの一節であり、それを四つつなげることで「起承転結」を揃えます。
これが一章となり「短編小説」の体をなすのです。
こうやって章が次々と続いていくさまは、まさに「短編連作」と言ってよいでしょう。
最後に
今回は「短編小説の登場人物と短編連作」について述べました。
普通は長編小説で勝負しないと「プロの書き手」にはなれません。
では短編小説しか書けないと長い物語を紡げないのでしょうか。
上記したように「短編連作」という手段をとれば、ひとつの短編小説ではなしえないほどのボリュームのある小説に仕上がります。
直木三十五賞(直木賞)は「長編小説か短編集」が選考基準です。
「短編連作」も「短編集」のひとつなので賞レースでの目標になりますね。
私は中学生の頃に中国古典・司馬遷氏『史記』で「短編連作」に初めて触れました。
一篇こそ短いのですが、ひとつの出来事をさまざまな人から描いていくことで、長編小説に負けないほど物語性に富む作品に仕上がっています。
『史記』は歴史小説・時代小説を書く人だけでなく、ファンタジー小説やSF小説を書くにもタメになるすぐれた「短編連作」だと思います。
いよいよ100万字、300回が目の前に迫りました。
おそらく次回で100万字を突破して「短編篇」は終了となります。
300回でうまく仕切り直しができるといいのですが、さてどうなることでしょうか。