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三百枚書けるようになるお得な「小説の書き方」コラム  作者: カイ.智水
表現篇〜一歩先行く表現の磨き方
291/1500

291.表現篇:改めて説明と描写とは(補講)

 今回も補講を行ないます。

 丹精込めて書きましたが、今ひとつ書ききれていないようなもどかしさがあるので、後日さらなる補講をする予定です。

改めて説明と描写とは


 「説明」と「描写」について質問がございましたので、今回は改めて述べていきたいと思います。

 ただ、伝えきれていないものがまだあるようなので、後日改めて補講を行なう予定です。




説明とは

 まず「説明」ですが、見たこと、聞いたことを主観を交えず書くことです。


「三人称視点」には視点の主観が盛り込めません。

 もし視点の主観が混じってしまうと、その小説は「視点を持つ人物の一人称視点」になってしまうからです。

 つまり視点から見えたこと、聞こえたことをただ単に文章として書いていくこと。

 それが「説明」なのです。

――――――――

 柳は鋭い音を立てながらバットを振り回す。しかしボールにはかすりもしなかった。

――――――――

 これに対し「一人称視点」での「説明」もやはり視点から見えたこと、聞こえたことをただ単に文章として書きます。

 それだけではなく「一人称視点」では視点から見えたこと、聞こえたことに対して視点を持つ者の感想を付け加えることができるのです。

――――――――

 柳は風を斬り裂く鋭い音を立てながら力いっぱいバットを振り回す。しかしど真ん中から地面につくほど落差のある変化をしたボールにはかすりもしなかった。

――――――――

 ともに「説明」をしているわけですが、この違いがわかりますか。

 後者は視点を持つ者が有する感覚が反映されていますよね。

 一文目は「鋭い音」に対して「風を斬り裂く」、「バットを振り回す」に対して「力いっぱい」と連用修飾がかかっているのです。

 二文目は「ボールにかすりもしなかった」に対して「ど真ん中から地面につくほど落差のある変化をした」と連体修飾がかかっています。

 しかしこれはあくまでも「説明」です。

「描写」に必要な「推測」と「比喩」がありません。

 ただ起こったことをそのまま書いているにすぎないのです。


 出来事に対してどんな「感想」を抱いたのか、どんな「推測」が生まれたのか、どんな「比喩」を当てはめたのか。それがわかりません。




描写とは

「説明」に対して「描写」は書き慣れていないとなかなか難しいかもしれません。

 基本的に「一人称視点」は「描写」をしやすいのが特徴です。

――――――――

 足の底から寒さがこみ上げてくる。空を見上げると雪が降り出しそうな空模様だ。冬の底はとうに過ぎていた。季節外れの気温だ。

――――――――

 これは「説明」に見える「描写」になります。

 省略している部分をあえて書いてみるとわかるかもしれません。

――――――――

 まるで足の底から寒さがこみ上げてくるようだ。空を見上げると今にも雪が降り出しそうな空模様だ。冬の底はとうに過ぎているはずだ。まるっきり季節外れの気温だといえる。

――――――――

「まるで〜ようだ」「〜そうな」「〜はずだ」「まるっきり〜といえる」は推測ですよね。

「〜そうな」だけを残して、「まるで〜ようだ」「〜はずである」「まるっきり〜といえる」を削除するつまり「隠喩」にすることで、一見「説明」に見える文が実は「描写」だったことがわかります。

 ですがこれは「一人称視点」だから言えることなのです。


「三人称視点」だとまったく同じことが書けなくなります。

――――――――

 隆治は足の底からこみ上げてくる寒さを感じたようだ。空を見上げると今にも雪が降り出しそうな空模様だ。冬の底はとうに過ぎていた。季節外れの気温だ。

――――――――

 直したのは一文目のみです。

 なぜかというと「寒さがこみ上げてくる」は明確に「それを感じている人物の感覚」が描写されています。

 それを「三人称視点」つまり誰にもセンサーを付けていない状態で書くには、「それを感じている人物の感覚」を改める必要があるのです。

 そこで「〜を感じたようだ」と他人事にしてしまえばよい。

 まぁ「寒い」ことをただ「寒い」と書くのはお粗末ですが。

 とりあえずここでは「足の底からこみ上げてくる寒さを感じたようだ」と書きます。

 「足の底から寒さがこみ上げてくるのを感じた」とも書けますが、これだとセンサーを持つ人物が感じたものを報告している形になってしまい、「説明」を「描写」に寄せようとしてわかりづらくなるだけです。

 残りの文は隠喩がそのまま「説明」に転用できるのでそのまま用いています。


「三人称視点」では基本的に「描写」は書けません。

 なにを見て、なにを聞いて、なにを感じて、なにを思って、なにを考えているのか。

 それを断定で書いてしまうと、そういう感覚を抱いた人物がセンサーを持っていることになります。

 つまり「三人称視点」から「一人称視点」に切り替わってしまうのです。


 でも群像劇を書くときは「三人称視点」で書きたいですよね。

 主役級のキャラが多く登場し、彼ら彼女らのことを平等に書くのには「三人称視点」が適しています。

 そうなると文章は「説明」と「声」「心の声」だけになってしまい、「描写」のないつまり「味わいの薄い」文章になるのです。

 現在の小説界隈では「神の視点」はご法度です。

 しかし群像劇でも誰かの心の中を知らなければ、人物が読み手の予想外な行動を起こして混乱を招きます。

 誰かの心の中はしっかりと書かなければならないのです。

 どうにかしなければなりません。


 唯一の解決策は「あるシーンの主人公は誰か」ということを決めておき、その人物の「一人称視点」か「三人称一元視点」で書くことです。

 こうすれば「描写」をきちんと書くことができます。

 また「シーンごとに主人公」を設定することで、心の中を「描写」することもできるのです。

 状況を説明する節だけは「三人称視点」で書き、人物が出てきたら誰かにセンサーを付けて「一人称視点」「三人称一元視点」に切り替えます。

 視点を持つ者が見たこと、聞いたこと、感じたこと、思ったこと、考えたことを書いていけば、群像劇であっても「描写」を増やすことは可能なのです。


 いちばんわかりやすいのが田中芳樹氏の作品です。

『銀河英雄伝説』は場面(シーン)ごとにしっかりと主人公を決め、そのキャラの感覚や思考だけを読ませています。

『アルスラーン戦記』も同様ですよね。

 場面(シーン)ごとの主人公は誰なのか、その人以外の心の中を書かないようにすること。

 これを徹底すれば群像劇であっても「描写」を組み込むことは可能なのです。





最後に

 今回は「改めて説明と描写とは」ということについて述べてみました。

 小説は基本的に「説明」を書きます。

 しかし読み手を作品に惹き込み、人物に感情移入してもらいたいのであれば、「一人称視点」もしくは「三人称一元視点」で書かなければなりません。

 ライトノベルではとくに「主人公の一人称視点」で書かなければ、読み手の共感は得られないのです。

 ライトノベルを「三人称視点」で書くのはオススメしません。

「三人称視点」は子供用プールのようなものです。

 たいてい底が浅くて読み手の感情移入も浅くなってしまいます。

 群像劇など、どうしても「三人称視点」で書かないと数多の人物をさばききれないということもあるでしょう。

 であれば、概観で「三人称視点」を用いても、いざ話が始まったら「誰かを主人公に」してその人の「一人称視点」か「三人称一元視点」にするのです。

 一人ひとりのキャラを深掘りできて、高飛び込みのプールのように物語の底が深くなります。

 前回かるく触れた「語り手視点」ですね。




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