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三百枚書けるようになるお得な「小説の書き方」コラム  作者: カイ.智水
描写篇〜さまざまな描写の仕方
218/1500

218.描写篇:小説は一次元の芸術

 今回から「描写篇」がスタートします。

 初めの四回は皆様に小説の位置づけをしてもらいたい。

 その後何回かに分けて描写について考えていきます。

 今回は「一次元の芸術」です。

 小説って基本的に一直線にしか読みませんよね。

 そして一字ずつ眺めていって単語を作り、文節を作り、文を知る。文章の流れで文意が読み取れる芸術なのです。

小説は一次元の芸術


 舞台演劇は「三次元の芸術」です。役者がどこにいてどんな行動をとるのか。役者は立体的に行動できます。だから「三次元の芸術」なのです。

 映画やテレビなどは「二.五次元の芸術」といえるでしょう。基本的に舞台演劇のように立体的に動けます。しかし映すものはスクリーンであったりテレビであったりと平面です。だから「二.五次元の芸術」と称することにします。

 マンガやアニメやイラストは「二次元の芸術」です。平面の紙やコンピュータに描いたものが平面に表示されます。二次元で作られて二次元で観られるのです。だから「二次元の芸術」と呼ばれます。




小説は一次元の芸術である

 小説の次元はなんでしょうか。標題に書いていますね。「一次元の芸術」です。

 つまり直線に記された文字を順に読んでいくことで味わう芸術になります。

「一次元の芸術」である小説は日本文学なら、文の流れそのものが上から下への一次元という特徴があるのです。

 しかしそのまま真下へずっと読み進められる「巻物」状になっている小説というものは「今は」ありません。

 スマートフォンアプリとして縦読みできる「Webマンガ」が生まれましたので、小説もいつそうなるかわからないのです。

 ですがもし小説を縦読みできるようにしたら、自分はいったいどこまで読んだのかを客観的に把握することが困難になります。小説は文字だけで書かれているからです。

 途中で読みさして「続きは後で読もう」と思ったとします。

 そのとき小説を縦方向にスクロールしていくだけだと、どこまでスクロールさせれば前回読みさしたところまでたどり着けるのでしょうか。

 ときには通りすぎてネタバレということも考えられます。小説を縦読みだけにしてしまうのは合理的ではありませんよね。




小説は擬似的な二次元である

 規定の文字数で左上に位置がズレてそこでまた上から下への一次元の流れが生まれます。そうやって一ページそして見開きの最後まで続いていきます。

 つまり「擬似的な二次元」となるのです。

 「擬似的な二次元」と呼称する理由は「行と行との間に隔たりがある」からです。

 隔たりがあるため縦には読み進められますが横には進めないようになっています。

 新聞の「ラ・テ欄」や推理小説の暗号のように、ある位置から縦方向や横方向に読んでいくと意味のある文章になるという例がないではありません。

 しかしそれらはあくまでも「そうなるように」書き手が工夫しているからです。普通に小説を書くのならそんな工夫をする必要はないでしょう。




行間を読む

「行と行との間に隔たりがある」からこそ生まれた「行間を読む」という言葉があります。

 文章として書いていないのだけれど、読み手には書き手と共通の認識が存在する状態を指すのです。

 作品を読んできて書き手が読み手に情報を「適切に」与えていたならば、読み手は「行間を読め」るようになります。

 この「適切に」がなかなかに難しく、極めるのには相当の時間がかかるでしょう。

 でも何も考えないときよりも、ある程度意識して書くようにしていれば、いつか「行間」に何かが書いてあるかのようになります。

 うまい書き手は「行間を読ま」せるのです。

 拙い書き手は「行間なんて知ったこっちゃない」と思っています。

 これが経験や技術つまり「才能」と呼ばれるものの差になるのです。

 (私は「才能」なんてほとんどないのではないかと思っております)。




小説は擬似的な三次元でもある

 小説は「擬似的な二次元」だけかというとそうではないことは少し考えればおわかりいただけると思います。

 あなたは小説を読むときに見開きの最後の文字を読んだ後なにをするのでしょうか。

 必ずページをめくりますよね。そうするとまた新しい「擬似的な二次元」が書かれていることになるのです。

 こうやってページをめくっていくことで「擬似的な二次元」が次々と現れます。

 そうです。縦書きの視線と次行に移る横の視線の他に、ページをめくって右上に移る視線があります。

 つまり小説には「ページ」という擬似的な奥行きがあるのです。ということは「一次元の芸術」である小説は「擬似的な三次元」で成り立っているということになります。

(小説投稿サイトでは改ページを使わない作品もあります。連載している場合は前後の投稿部分へ移動することができますので改ページと同じように機能します)。




小説は擬似的な四次元でもある

 ふむふむ。小説は「擬似的な三次元」なのか。とそこで考え終わらないでください。

 小説は「擬似的な四次元」でもあるのです。

 たとえば小説本文をざっくり三つに分けて「現在」「過去」「未来」の時間軸から見たらどうでしょうか。

 この形をしている小説はかなりあります。推理小説が好例です。

 冒頭は「現在」の殺害現場からスタートします。そして関係者のところへ赴いてアリバイを聞き込みしているのです。

 つまりアリバイを語っている間は「過去」について書かれています。

 そうやって「現在」と「過去」とを往復して情報を集めるのです。

 そして次なる死体が発見されます。そう「未来」に進むのです。

 そしてまた「過去」と「現在」の間を往復してのアリバイ確認。

 情報が揃って真犯人を割り出せたら「現在」で関係者を集めて推理ショーを始めます。そして真犯人が自白して逮捕されるのです。

 そこで物語は終わらず「未来」に進んで関係者たちのその後が語られて終わります。

 このように小説には行の縦軸・列の横軸・ページの奥行き軸に加えて自由に過去や未来へ行き来できる「場面(シーン)」の時間軸が存在するのです。

「三次元の芸術」である舞台演劇、「二.五次元」の芸術である映画にドラマ、「二次元の芸術」であるマンガやアニメを思い返してください。物語は「時間軸」がつねに一方通行ではないですよね。

「現在」で止まっているのはイラストくらいなものでしょう。イラストは動きませんからね。





最後に

 今回は「小説は一次元の芸術」であることについて述べてみました。

 でもお読みいただいた通り、イラスト以外の表現媒体は「擬似的な四次元」でもあるのです。

 だからこそとくに時間軸を綿密に管理する必要があります。

 管理しないと時間があっちへ行ったりこっちへ行ったりして、今はどの時間について書かれた場面(シーン)なのかがあやふやになるのです。

 一度そうなってしまうと、読み手は混乱して先が読めなくなります。

 結果読み手があなたの小説から離れていってしまうのです。

 そうならないためにも、時間軸の管理はしっかりしてくださいね。




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