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三百枚書けるようになるお得な「小説の書き方」コラム  作者: カイ.智水
基礎篇〜右も左もわからないときは、まずは基礎から
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12. :テーマについて

 小学校の国語の時間から、読書しては「この作品のテーマはなにか」と考えさせられた私たち。

 それを知ることでなにが得られるのだろうかなどに言及しています。

テーマについて


 小説はよく「テーマはなにか」と問われます。

 小学校から始まる国語の授業で、小説を読解して「テーマはなにか」という問題が出題されるくらいです。

 小学校から私たち日本人の脳裏に「この小説のテーマとは」と考えるクセがついているとも言えます。


 だいたいは小説のラストあたりを読み込んで、テーマになりそうな文言や出来事を探そうとします。

 子どもの頃から質問されているので見抜き方もおおかたこのとおりです。

 そして模範解答もやはりそんなもの。


 でもそんな小説のテーマがわかったとして、読み手としてはそのテーマからどんな影響を受けるのでしょうか。

 そもそも小説のテーマを知って、それでその小説に書かれていることすべてを理解できるのものなのでしょうか。




そもそもテーマとは

 小説のテーマを見抜くことで、その小説をすべて理解することはできません。

 私がこれまで述べてきた「主人公の結末(エンディング)」を知っただけで、物語のすべてはわからないのです。

 そこに至るまでの出来事の数々。それらによって移り変わる主人公の立場や認識や感情。それらが合わさって初めてその小説の言いたいことが理解できます。

 決して結末(エンディング)だけで物語のすべては決まらないのです。


 アニメのガイナックス『新世紀エヴァンゲリオン』のテレビ放映版では最終二話で主人公・碇シンジの内面による問いかけが描かれます。

 そして本編ラストで皆からの「おめでとう」コールを受けて終わるのです。

 これを観て『新世紀エヴァンゲリオン』は主人公が皆から「おめでとう」と言ってもらう物語だと言えるでしょうか。言えませんよね。

 それまでに戦ってきたエピソード、人々との関係、内面の移ろいと成長。それらを含めてが『新世紀エヴァンゲリオン』という作品であり、その過程こそがテーマと言えるのです。


 小説もそれとなんら変わりません。

 「主人公の結末」がわかったとしても作品全体を評価するに当たらないのです。

 そこに至るまでの過程を含めてが、小説のテーマとなります。

 だから初心者が小説を書くにあたり、その小説で読み手に伝えたい「テーマ」を設定する必要はありません。

 いえ、執筆するとき「テーマ」はかえって自由な展開を阻害します。

 こういう「テーマ」を掲げたのだから、それを匂わせるエピソードを作らないといけない。そんな考え方をしてしまうからです。

 それでは主人公や他の登場人物が自由に動けませんから「キャラが勝手に動く」こともなくなります。

 書き手の都合だけで人物の動きを制限してしまう。

 結果人々は躍動感を失い、ただ用意された台本を読み合わるだけにすぎなくなるのです。




テーマをことさらに掲げない

 小説で明確にテーマを設定する必要はありません。とりあえず「現段階」では。

 ここではこのような出来事を起こして主人公にこういう影響を与えてやろうか、と考えてください。

「テーマ」に沿っている出来事を起こさないといけないな、と考えてはならないのです。

「出来事を起こして影響を与えよう」は人物が自由に反応できる余地を残してあります。

「『テーマ』に沿った出来事を起こさないと」は人物に台本通りの反応しか許しません。

「テーマ」を定めてその約束された未来へ向かって一本道を歩くのだろう、と早い段階で読者に見抜かれた瞬間にその小説は先を読まれなくなります。だって一貫して「テーマ」に沿った展開しかしないのですから。

 それ以上読まなくたって「テーマどおりの終わり方をするんでしょ」と思われてしまうのです。

 これではフォロワーもリピーターも増えません。


 これに対し「出来事を起こして影響を与えよう」と思って物語を展開していけば、先々の展開はまったく予測できないのです。

 一つの出来事が終わっても「次はどんな出来事が起きるのだろう」と読み手はワクワク・ドキドキした期待感を抱いてくれます。

 そういう展開であればこそフォロワーもリピーターも増えていきます。


 だから初心者の方が最初から小説に「テーマ」を持ち込むこと自体が誤りなのです。

 すべてを読み終えた読み手の「心に痕跡を残す」こと。

 その痕跡によってのみ書き手が伝えたかったことが浮かんでくるのです。

 けっして一文で論じられるような「テーマ」ではありません。


 初心者の書き手は最初にお題目として「テーマ」を掲げないほうがいいのです。




文学賞か大衆文芸か

 批評家は「テーマがわからないから」という理由で作品にバツを付けます。

 でも大衆は読んでいてワクワク・ハラハラ・ドキドキするから作品を読み進めますし評価もします。

 だから芥川龍之介賞・直木三十五賞に代表される文学賞と、書店員・ファンが選ぶ本屋大賞や「このミステリーがすごい!」「このライトノベルがすごい!」とでは結果が異なるのです。

 文壇に名を残したいとお思いなのでしたらどうぞ「テーマ」を使ってください。

 それで批評家ウケはするでしょう。でも大衆ウケはしませんけどね。


 小説界はすでにインターネットが主戦場となっています。

 一部の批評家の支持と、その他大勢の支持のどちらを優先すべきか。考えなくても自明だと思います。

 大衆ウケした小説が出版社の目に止まり、「紙の書籍化」されて書店に並ぶ。それがシリーズものならシリーズが続く限り読み手が買い続けてくれる。

 せっかく苦労して書いた小説です。お金にならないとわかっているのに貴重な時間を割いてまで小説を書く奇特な人は稀だと思います。私は稀な人ですけど。

 たいていの書き手は心のどこかで「将来的に小説でお金を稼ぎたいな」と思っているはずです。


 文学賞を受賞しようとした場合を考えます。

 現在小説を書いている書き手の人数をざっと一万人と仮定します。

 その中で大賞に選ばれるのはただ一人。つまり一万分の一の確率でしかありません。かなり低いと思いませんか。

 文学賞に引っかからない書き手はどんなに頑張っても一巻で数千部を売るのが関の山です。

 それに比べ大衆ウケを狙えば、競争相手が一万人いようが「紙の書籍化」される書き手は複数名生まれます。出版社が売上を見通せるからです。

 小説投稿サイトはまさに「紙の書籍化」を狙った出版社の関心の的となっています。

 より大衆ウケする書き手が自然と小説をお金に変えられるシステムです。

 それでもあなたは文学賞を狙いたいですか?





最後に

 小説を書き始めたときに「テーマ」は必要ありません。

 小説の書き出しから「完」「了」まですべてが「テーマ」であるべきなのです。

「木を見て森を見ず」といいます。「テーマ」だけを見て「全体」を見ない。これで読み手を惹きつけられるでしょうか。

 以前にも述べましたが、インターネット時代の小説は、一投稿ぶんのエピソードで必ずオチをつける必要があります。

 そこで確実に「心に痕跡を残す」のです。

 読み手はそのエピソードだけを読んで、シリーズの頭から読み直したくなり、結果続きが読みたくなるような小説を望んでいます。それ以外は眼中にありません。

 小説は書き手の自己満足のためにあるわけではないのです。読み手のためにこそあります。読み手の「心に痕跡を残す」ためにこそ。




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