110.応用篇:主人公は何と向き合わなければならないのか
主人公が向き合うことになるもの。それが小説の要です。
今日で108日連続投稿になりました。とうとう人の煩悩まで行ってしまいましたか。
(『ピクシブ文芸』でのカウントです)。
主人公はなにと向き合わなければならないのか
「主人公がどうなりたい」から始まって「主人公がどうなった」で終わるのが小説です。
その間に幾重にも障壁が立ちはだかっています。そもそも障壁とはなにかと疑問に思った方もおられるでしょう。
障壁は大きく「外面の障壁」と「内面の障壁」に分けられます。
外面の障壁
「外面の障壁」は身体的に影響を受ける障壁です。戦闘やケンカなどが主ですが、たいていの場合は「死」を連想・意識させます。「死」は人間が最も興味を惹かれる存在だからです。
バトル小説なら剣や拳を交える相手の力量が障壁になります。身体を傷つけられてダメージを受ける。ときには「死」を覚悟のうえで戦闘を乗り越えなくてはなりません。
生死の瀬戸際にある平均台の上を歩いているようなものです。いつ転落してもおかしくない。
そのギリギリの感覚こそがバトル小説の醍醐味なのです。
『小説家になろう』で人気の高い「異世界転生」は、転生するために現実世界で主人公が死ななければなりません。
のっけからとんでもない「外面の障壁」が立ちはだかっています。「障壁を乗り越える」イコール「現実世界で死ぬ」ということですからね。
ここまで極端な「外面の障壁」というのは幅広い小説界を見てもライトノベルくらいなものではないでしょうか。
「死んでから本当の物語が始まる」わけです。
いきなり主人公が死ぬのは、読み手としてはあまり気分のいいものではありません。その後「異世界転生」することがわかっているとしてもやはり後味は悪いと思います。しかもたいていの「異世界転生」ものはその後も「死」を匂わせるような演出が続きます。少し「死」を軽く見ているように感じられませんか。
「異世界転生」における「死」が軽い作品として長月達平氏『Re:ゼロから始める異世界生活』が挙げられるのではないでしょうか。こちらはゲームさながらな世界観と設定で、たとえ死んでもリセットされてセーブ地点まで戻されるだけで終わります。しかも死んでも記憶は残っているので、多分にゲームプレイを意識したライトノベルです。
たとえ登場人物の誰かが死んだとしても、リセットすれば「生き返る」というか「元に戻る」ことになります。「死」が軽いため、かえって登場人物が「死にまくる」演出をしなけけばならないのです。少しジレンマを感じませんか。
「死」を重く感じさせる演出として有名になったのが川原礫氏『ソードアート・オンライン』でVRMMORPGというゲーム世界の中にプレイヤーが入り込み、ゲームで死ぬと現実世界の体も死んでしまう。誰かがゲームをクリアしない限りゲームから脱出する術はない。『Re:ゼロから始める異世界生活』でわかるようにゲームの「死」はとても軽いものです。その軽さを「現実世界でも死んでしまう」とすることで、ローファンタジーでありながらも、ハイファンタジーのような生死に直結する混沌の中へ読み手を導き入れました。
ホラー小説なら迫りくる殺人者の魔の手が主人公の身体を害そうとしてきます。読み手としては主人公が早く気づいてくれ、その場から逃げてくれといったハラハラ・ドキドキさせられる展開が続くのです。「死」を意識させながらもギリギリのところで機転を利かせ、ピンチを脱します。そして物語のクライマックスで殺人者と正面切って戦うことになるのです。そこで敗れてしまえば「死」が待ち構えています。
でも瀬戸際まで追いやられながらも起死回生の反撃で殺人者を返り討ちにするのです。
このように「外面の障壁」は「死」と向き合う必要に迫られます。その緊迫感が物語に緊張感を与えるのです。
内面の障壁
「内面の障壁」は精神的に影響を受ける障壁です。期待や不安など心が揺れ動かされる障壁ということになります。
恋愛小説なら「対になる存在」の見た目が高くて凡百な主人公では落とせそうにないとか、恋のライバルが主人公よりカッコイイ・かわいいとかいうのも障壁のひとつでしょう。
またスポーツ小説なら対戦相手と駆け引きをして「これならいける」「このままではダメだ」「このまま勝ちきりたい」「なんとか逆転する手はないのか」といった心の揺れ動きが詳らかに書かれます。
小説投稿サイトではどうしても「異世界転生」などの「外面の障壁」に作品が偏りがちです。でもアニメ化などメディアミックス戦略をとる場合、「内面の障壁」についても広がりのある小説のほうが映えます。
ただ「死」と向き合うだけの重苦しい作品よりも、「心の揺れ動き」を描いてコミカルで人情味のある作品のほうが見ていて楽しいですよね。
「内面の障壁」を描いたライトノベルの傑作は、本コラムで何度も出てきた渡航氏『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』が挙げられるでしょう。
とにかくひたすらこじらせている主人公・比企谷八幡は、国語教師の平塚静により強制的に奉仕部へ入部させられます。そして部長の雪ノ下雪乃との不器用なやりとりが始まるのです。そこへ依頼に来た由比ヶ浜結衣はその後部員となり、八幡・雪乃・結衣の三人による青春ラブコメへと発展していきます。
序盤は八幡と雪乃の「心の揺れ動き」がメインですが、そこに結衣が加わることでさらに複雑な「心の揺れ動き」が発生するのです。
「内面の障壁」はこのような期待や不安といった「心の揺れ動き」を指しています。そして一つの障壁を乗り越えるとまた次の障壁が現れてくるのです。そして物語は現在最終局面を迎えました。「内面の障壁」を完全に乗り越えたらそこで物語は終了です。
現在人気の高い伏見つかさ氏『エロマンガ先生』も「内面の障壁」が主眼となっています。
ライトノベル作家の主人公・和泉正宗とその妹で自室に引き籠もるイラストレーターの「エロマンガ先生」こと和泉紗霧との間で繰り広げられる「心の揺れ動き」がテーマです。
それぞれラノベ作家とイラストレーターとしての成長と、二人の人間関係の進展が「内面の障壁」となっています。
単に「紗霧ちゃんかわいい」という問題ではなく「内面の障壁」とのせめぎ合いが見どころなのです。
確かにキャラデザがかわいいというのは人気の要因ではありますが、それだけでなく二人が協力して「内面の障壁」を乗り越えていくさまが読み手にウケるのだと思います。
同じく伏見つかさ氏『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』も普通の高校生の主人公・高坂京介と、スポーツ万能で読モ(読者モデル)の妹で中学生の高坂桐乃の「内面の障壁」を際立たせた作品です。
妹・桐乃が「妹萌え」エロゲの愛好者という変わり種の設定で、そんな妹とは不仲だった京介がそのことを知ったことから「内面の障壁」が発生していきます。それをお互い次々と乗り越えていきながら、桐乃がアメリカへ留学するのを機に最大の「内面の障壁」が立ちはだかったのです。その後どうなったかは本作をお読みください。
このように「内面の障壁」は「心の揺れ動き」と向き合う必要に迫られます。
とくに多感な中高生がよく読むライトノベルの場合、バトルなどによる「外面の障壁」だけでなく、恋愛や日常などの「内面の障壁」に強く共感を覚えるものです。
外面と内面の融合
バトル小説だから「外面の障壁」である「死」をたくさん出せばいいとか、恋愛小説だから「内面の障壁」である「心の揺れ動き」をたくさん出せばいいとか、そんな単純な話ではありません。
バトル小説であっても「内面の障壁」を組み込んだほうが物語の厚みが出ます。恋愛小説であっても「外面の障壁」を組み込んだほうがいいのも同様です。
「外面の障壁」が縦軸なら「内面の障壁」は横軸です。これを組み合わせることで小説は平面を作ることができます。そこにキャラクターの魅力を高さ軸とすることで、ライトノベルは立体を構築できるのです。
「外面の障壁」と「内面の障壁」の一方だけでなく双方あったほうがいい。ただの線から平面へ、平面から立体へ。この広がりこそが小説の魅力を最大限に高めるのです。
最後に
今回は「主人公はなにと向き合わなければならないのか」について述べてみました。
小説投稿サイトでは主に「外面の障壁」である「死」がテーマとなることが多いのです。その対極として「内面の障壁」である「心の揺れ動き」がテーマの作品も人気が出ます。
両者が程よく合わさった作品として賀東招二氏『フルメタル・パニック!』が挙げられるでしょう。長編シリーズは「外面の障壁」、短編は「内面の障壁」という具合に組み合わせられて、ロボットが出てくるライトSFでありながらも作品に奥行きを与え、キャラクターが魅力的なので立体として意識できる作品となっております。
主人公は「外面の障壁」「内面の障壁」と向き合わなければなりません。片方だけでは惹きが弱いのです。双方をうまく取り入れていくことで、作品は立体となっていきます。