黒酷レッテル
「それで、そのときにみっちゃんがねー?」
ノートにペンを走らせる。教卓の前に立つ教師の話を聞き逃さないよう、耳に神経を注ぐ。
「知ってる! ゆうちゃんが泣いちゃったやつでしょ?」
擬音の有効活用。その題目の下に、実際の文章を使い分かりやすく分解、解説したものを記していく。
「そうそう! 死ぬかと思ったーって大泣きしちゃって」
次第に文字が乱雑になっていく。教師の言葉も所々聞こえない。
「幽霊だからもう死んでるのにねー!」
静かなはずの教室で、ワイワイキャッキャと騒ぐ二人の幽霊少女。自分を挟んで展開されるガールズトークに、御堂游斗の青筋が立ちかけていた。
「では、今日はここまで」
その一言で教室が開放的になる。教師がドアに消えた途端、あちらこちらから気の抜けた声が聞こえてきた。
游斗は素早く手荷物をまとめると、席を立つ。
前の席の男子生徒が振り返った。
「御堂、お前このあと暇か?」
「ごめん暇じゃないまた誘って」
早口に断ると、游斗はそそくさと教室を出る。その後ろから二人の幽霊少女もついてきていた。
階段を上がり、屋上の扉を開ける。喫煙所であるこの場所は、いつも人気がない。学校の生徒のほとんどが非喫煙者なだけあって、訪れる人は少ないのだ。
「先輩、未成年者の喫煙はいけませんよ!」
幽霊の一人、歌守日向が真面目な顔して言ってくる。
游斗はベンチに腰掛け、長いため息を吐き出した。
「僕がタバコ吸いに来たとでも……?」
「え、違うんですか?」
「違うよ。僕タバコなんて吸わないの知ってるでしょうが」
日向はもう一人の幽霊、小船渡舞夏と一緒に首を傾げる。じゃあどうしてこんなところに、とでも言いたげだ。
「あのさ、授業中に騒ぐのやめてもらえるかな? うるさくって集中できやしない」
幽霊二人が目をぱちぱちさせる。やがて舞夏の瞳が潤み始める。
「舞夏たち……うるさかった?」
今にもこぼれそうな涙を溜めた目で游斗を見る。すぐさま日向があーっと游斗を指差した。
「女の子泣かせましたね! いーけないんだーいけないんだー!」
小学生のように、ここぞとばかりに游斗を煽る日向。
游斗もなにか言い返そうと思うが、舞夏の顔が視界に映るたびに言い様のない罪悪感に蝕まれる。八歳――――中身は十二歳――――の女の子に泣かれては敵わない。
「あーうん……わかった、わかったから泣かないで。ちょっと言い過ぎたよ、ごめんね?」
なるべく穏和に、刺激しないように声色を作って言う。舞夏は小さなひゃっくりを数回繰り返したあと、一度頷いた。
「ううん……舞夏も授業中は静かにする」
「舞夏ちゃん大丈夫?」
日向が舞夏の背中をさすり、涙を拭ってやる。舞夏は小さな声で「大丈夫」とだけ応えた。
「よかったですね先輩! もし舞夏ちゃんが許してくれなかったら、必殺『八つ裂きの術』の刑でしたよ!」
聞きなれない、しかし心当たりのある名称に游斗は肩をすくめる。
「それも幽霊術の新技?」
「はい! いい感じに真っ二つです!」
空を手刀で切る日向。真っ二つは八つ裂きではないのでは? という素朴な疑問は游斗の胸の奥にしまわれる。とりあえず怖そうだったからだ。
舞夏を見る。さっきまで泣きそうだった銀髪の少女は、屋上の床に頭を突っ込んで階下を覗いている。
「ここってセンパイの学校なんだよね?」
顔を上げて舞夏が聞いてくる。いつの間にか『センパイ』呼びが定着している。
「そうだよ」
「高校?」
「ううん、専門学校。小説のね」
おおー、と感嘆の声。それからもう一度階下を見て、笑顔を咲かせた。
「センパイって小説家なんだね!」
「小説家っていうか……まだなってはないけど」
游斗の訂正を聞いているのかいないのか、舞夏は恍惚な表情で空を見る。それからふと、穏やかな顔をした。
「いいなぁ……舞夏も何かになりたかったなぁ……」
誰に言うでもなく呟いた言葉が風に流される。チクリと胸が痛くなって、游斗は日向に目線を向けた。
たびたび忘れかけるが、彼女たちの人生はとうに終わっている。何者にもなる前に、終わってしまっているのだ。
「……ねえ舞夏ちゃん」
日向が優しく声をかけた。舞夏が振り返る。
「なに?」
「舞夏ちゃんって、死んだときのこと覚えてる?」
頷く舞夏。今度は日向が羨ましそうにした。
「いいなぁ。私は記憶が曖昧で覚えてないから……気がついたら、いつの間にかお化けになってて」
日向は自嘲する。風に乗って、地上を走る車の音だけが響く。
しばしの沈黙の後、舞夏が口を開いた。
「夏休みに友達とプールに行ってね。その帰りに舞夏はバイクにひかれちゃったの」
小さな幽霊はベンチに座る。そして続きを口にした。
「あんまり痛さは感じなかったんだけどね。でも友達とか、まわりの大人の人たちが駆け寄ってきて……舞夏は『大丈夫』って言ったんだけど、誰も聞こえてなかったみたい。たぶんそのときにはもう、舞夏は死んじゃってたんだと思う」
淡々と語られる惨事に、游斗はただ黙って聞くしかない。
隣に座る死者は、ワンピースの裾を触りながら微笑む。
「最初はわけがわからなかったよ。なんで自分がふわふわ浮いてるのか全然わかんなくて。あてもなく三日くらいふらふらして、疲れて、そしたら偶然大きなおうちを見つけて」
「師匠の家のこと?」
日向の問いかけを舞夏は肯定した。
「そこで渡村ばぁばと出会って。ばぁばは舞夏を見て驚いた顔をしたんだけどね、でも部屋で優しく寝かせてくれたんだ」
「渡村さんが……」
意外だった。あの威圧感たっぷりの渡村が誰かに寝床を与えるなど。
「……先輩。今失礼なこと考えませんでした?」
日向の鋭い指摘に游斗が固まる。できるだけ平静を装い、
「いいや?」
と首を振る。しかし日向の疑惑の視線はそれない。
ジロジロ眺められていると身体がかゆくなる。睨み返すわけにもいかず困っていると、
「あ、でもそういえば」
と思い出したように舞夏が声を上げた。
「舞夏が起きたら、『さっさと出ていきな』って渡村ばぁばに言われた」
「え?」
意味を理解しかねて游斗が聞き返す。舞夏は顎に指を当て、可愛らしい動作で空を見上げる。
「寝かせてくれたときはすごく優しかったのに、朝起きたら怖い顔してて。ここはわしの家じゃ、早く帰れ、って舞夏を追い出そうとしてきたんだよね」
「それで、どうしたの?」
「本当のおうちはみんな泣いてて戻りたくなかったし、かといって他に行くところもないし……そう思ったら、なんか涙が出てきちゃって」
本当のおうち、というのは小船渡家のことだろう。喋る舞夏の目尻にも小さく煌めくものが浮かぶ。
「ばぁばに何回もお願いして、あの家で暮らせるようになったんだけどね」
なんとなく頷けてしまう。潤んだ瞳で何度も懇願されれば、渡村と言えども断るのは至難の技だ。
こぼれそうな涙を日向が掬っている。
「小船渡さん、一つ聞いてもいい?」
游斗が訊くと、舞夏はこちらを向いた。目にもう涙はない。
「なに?」
「あの家にあった隠し部屋と、そこにあった骸骨のこと。なにか知らない?」
うーんと唸る舞夏。曖昧な表情だった。
「あの部屋はね、ずっと結界が張ってあって、舞夏もこの前初めて入ったんだよね」
「この前初めて?」
「うん。結界が弱まってたからこっそり」
いたずらっぽく舌を出す。共に住んでいた舞夏であっても、あの部屋には中々入れてもらえなかったらしい。
「そしたらあの骸骨見つけて、『誰の骨?』って聞いたら『わしの骨じゃ』って言うんだよ渡村ばぁば。ちょっと怪しいじゃん?」
怪しいどころか、それは渡村の大嘘だった。游斗と日向は互いに苦笑を浮かべる。
舞夏は足をぶらぶらさせながら話す。
「だから『えー嘘だぁ』って言ったら『嘘ではない』って言われて。そこから口喧嘩みたいになっちゃって、ばぁばが『証明すればいいのだろう』って言い出して。確か、探偵呼ぶとかなんとか」
「探偵?」
意外な単語に游斗は目を丸くする。
「うん。でも呼んだのに来なかったから三流だよその探偵」
グサリ。探偵でもない游斗の胸に痛みが走る。そしてすぐに推察が立った。
渡村はわざわざ作り話までして、あの骨が自分のものであるという結論を游斗に出させたがっていた――――それも恐らく、舞夏の前で。
つまり、それほど添山の存在を隠したかったということだ。日向が日にちを間違えたせいで、舞夏の前で推理を披露することはなかったが。
游斗は日向に顔を近づけると、静かにに耳打ちした。
「歌守さん。小船渡さんと一緒に先帰ってて」
「え?」
ポカンとした表情を浮かべた日向だが、游斗の目を見ると何かを察したように頷いて舞夏に笑顔を向けた。
「舞夏ちゃん。遊びに行かない?」
ナンパのような台詞で誘う日向。舞夏は首を傾げた。
「遊園地とか?」
「ううん。そんなに面白いところじゃないけど。狭いし」
狭くて悪かったな。游斗の胸の中で密かに怒りが沸く。
日向の悪意ありげな説明に、舞夏は少し悩んだあと、
「行ってみる」
と返事した。刹那、日向が舞夏の手を取る。
「よしっ、じゃあ行こう~! 先輩またあとでで~す!」
手を振りながら日向が床へ沈んでいく。游斗一人残った屋上は、変に広く思える。
立ち上がり、凝りかけた身体を伸ばす。それから屋上隅の自販機に歩み寄った。手のひらに小銭を乗せ、商品の並びを眺める。
ペットボトルのお茶を買おうとして、品切れであることに気づく。よく見れば、ほとんどが品切れ状態だった。
「……しょうがない、か」
游斗は踵を返し、階段を下りた。
☆ ☆ ☆
警察署のロビー。人はそれほど多くはないが、ちらほら視界に入る制服警官が緊張感を寄越してくる。
ソファに腰かける游斗は、人を待ちながらスマホを操作していた。
『小船渡舞夏』で検索すると、四年前のニュース記事がヒットした。
八月七日午前十時三十分頃、市民プール近くの交差点で起きたひき逃げ事件。その被害者として舞夏の名前は載っていたが、添山の名前は載っていない。まだ容疑者の特定に至ってなかったのだろうか。
画面をスクロールすると、当時の他の記事もある。どこかの市議の失言、日本初上陸らしいスイーツ、水泳選手の結婚の下には俳優の不倫記事。中でも一際目を引いたのは銀行強盗のニュースだ。
強盗犯は現金の強奪に成功したものの、徒歩での逃走ではその重量が足枷となり、やむなく現金を捨てて逃走したという騒ぎ。犯人は捕まっていないらしい。
間抜けな話だと思いながら画面を動かす。そのとき、奥の階段から足音が下りてきた。
「お待たせしました、御堂さん」
オールバックの髪、すらりとした長身、それでいて溢れ出るポンコツ感。吉瀬俊輔を視界に捉えた瞬間、游斗はため息を吐きたい衝動に駆られた。
吉瀬は当然のように游斗の隣に座る。缶コーヒーを手渡された。
「それでよかったですか?」
受け取りながら、游斗は返事の代わりに苦い顔をする。
「……言っときますけど、文句は受け付けません。私の金です」
「わかってますよ」
ぶっきらぼうに言って、缶コーヒーを開ける。香りが鼻を通り抜ける。
一口飲んで息をつく。隣を見れば、吉瀬も同じものを飲んでいた。
「……あの、黒島さんは」
呟くように聞く。
「……不在です」
呟くように返される。
少しの沈黙。
「これですか」
游斗はスマホにひき逃げの記事を表示させた。横目で見た吉瀬が頷く。
「添山の遺体が発見されてからというもの、ほとんど休まずに動き回っているんです……それも、いつになく怖い顔で」
「なにかわかりましたか?」
「さぁ。私にも何も話してくれないので……ただ」
「ただ?」
吉瀬は辺りを見回してから、できる限りの小声で言った。
「黒島さんの独り言を聞いちゃったことがあって……『竜胆か……』って」
「竜胆?」游斗も小声になる。「植物の?」
「いいえ。どうやら人の苗字らしくて」
「苗字……?」
思案する游斗。視線がじっと床の一点を撫でていると、突然そこからヒョコっと頭が出てきた。
ビクリとする。しかし、それは見慣れた日向の顔だった。
「竜胆ですか?」
これまでの話を聞いていたらしい。日向は浮かび上がると、游斗の缶コーヒーを『味見の術』で吸い込んだ。
苦そうに舌を出しながら日向は言う。
「私、たぶんその人知ってますよ」
游斗はコーヒーを飲み干すと、立ち上がった。
「ごちそうさまでした」
手短に吉瀬に礼を言い、空になった缶を預ける。
警察署を出ると、日向が細い道へ入っていった。
「小船渡さんは?」
前を飛ぶ日向へ問いかける。日向が顔だけ振り向いた。
「家で留守番してもらってます!」
「留守番って……」
游斗が落胆の色を見せる。
勝手に家のものをいじられないか心配になりながらも、游斗は素直に日向の後を追う。やがて小さなビルにたどり着いた。
「ここは?」
「雑居ビルです」
「いやそれは見ればわかるんだけどさ」
ろくに説明もせず、日向がそそくさと中へ入っていく。呆れつつ游斗もついていく。
「三階ですからねー」
それだけ言って日向は先に天井へ消えた。いつものことながら少し癪だ。游斗はちゃんと階段で上るしかない。
三階につくと、日向が待っていた。
「こっちです」
フロアの一角に『竜胆商事』の看板が打ち付けられた扉があった。
「会社……?」
游斗が溢すと日向が頷いた。
「はい。ヤバい会社です」
「ヤバい……って?」
「簡単に言うと、プチヤクザみたいな?」
瞬間的に游斗の身体が強張る。さらっと告げた日向は、扉をすり抜けて入っていった。
「え、ちょっと歌守さん!?」
声を潜めて呼び戻す。扉から顔だけ出てきた。
「どうしたんですか? 早く来てくださいよ」
「無茶言わないでよ。ヤクザの巣窟に簡単に入れると思う?」
「ヤクザじゃなくて、プチヤクザです」
「どっちでもいいよ」
まあまあ、と游斗をなだめる日向。
「……ん?」
と日向が扉の奥を振り返った。游斗からは当然なにも見えない。
「どうかした?」
「聞き覚えのある声が……」
そう言って日向は引っ込んでしまう。残された游斗は、とりあえず、ドアノブに手をかける。
音を立てないように扉を開ける。思ったより整頓されたスペースだが、不思議なことに誰もいない。
「失礼しまーす……」
静かにお邪魔する。耳をすませば、奥の部屋から人の声が聞こえてくるのがわかった。
そっと近づき、聞き耳を立て――――ようとしたところで、勢いよく扉が開かれた。
「うわっと!?」
驚いて声を上げてしまう。
扉から出てきたのは黒島だった。彼も彼で游斗に驚いている。
「御堂さん? なぜここに……」
聞かれて游斗は返事に詰まる。どうしてここに来たのかなど、游斗が日向に聞きたい。
「吉瀬さんから聞きました。全然休んでないそうですね」
游斗は咄嗟に話題を切り替えた。が、これではまるで黒島を連れ戻しにきたかのようだ。生憎そんな使命は預かっていない。
「大丈夫です。最低限休んではいますから」
最低限、という言葉が引っ掛かった。ニコニコ顔の黒島が游斗には違和感にしか見えない。
その黒島の背中に一人の男が現れた。
「まったく、真面目な刑事さんですよ」
黒いスーツに蛇柄のネクタイ、角刈りにのせたサングラス。四十代ほどの大柄な男性に、游斗は一瞬で萎縮した。
「こんな愚直な人は中々おりませんよ。うちの社員にほしいくらいだ」
胡散臭い笑顔で話す男に、黒島はほんのわずかだけ笑み返す。
「ご遠慮しておきます。今の仕事が天職だと思っておりますので」
「はは。ますます殊勝な方だ」
豪快という言葉が似合う。見上げる游斗の横で日向が囁いた。
「この人が竜胆淵成。ブラック企業『竜胆商事』の社長です」
「ブラック企業……?」
「はい。シロクマも真っ青になるほどブラックです」
よくわからない例えだった。白なのか青なのか黒なのか。
しかし、具体的にどんなブラック企業なのかは怖くて聞く気になれなかった。
「では、私はこれで」
そう言い、黒島が踵を返す。游斗も竜胆に一礼してから黒島を追いかける。こんなところに取り残されてはたまらない。
竜胆商事を出て階段を下りる最中、游斗は黒島に問いかけた。
「さっきの人、疑ってるんですか?」
「もちろんです」
振り返りもせず黒島は言う。
「彼は添山殺しの最有力容疑者ですから」
「それはその、竜胆の仕事柄的な……?」
「確かに、あまりいい噂を聞かない人物ではあります。ですが、それだけではありません」
一階につくと黒島は一度足を止めた。
「竜胆は四年前に、最後に添山と接触した人物です。それも、舞夏がひかれた直後のこと……」
淡々と語る黒島の背中は、辛そうだった。
「もし舞夏の件に竜胆が一枚噛んでいたとしたら……」
「黒島さん……」
游斗の心配げな視線が黒島を見上げる。それに気づいた黒島は優しげに顔を崩した。
「大丈夫ですよ。吉瀬くんにも『心配はいらない』と伝えてください」
そして一人で行ってしまう。それを止めることは、游斗にはできなかった。
☆ ☆ ☆
「なんか、らしくなかったですねー」
帰路につく游斗の横で、ふわふわ浮かびながら日向がこぼした。
すでに日は西に傾いている。オレンジ色の空が眩しい。
「黒島さん?」
「いつもは、いかにも紳士って感じの人なのに、今日はちょっと変じゃなかったですか? 紳士は紳士だけど、影があったっていうか……」
首を捻る日向。游斗は信号のボタンを押した。
「誰だって、いつも通りでいられなくなる時はある。仕方ないと思うよ」
バイクが過ぎ去ると信号が青に変わる。游斗が歩き出す。
「ことがことだけに、ちょっと心配ではあるけどさ。でも今、僕たちにできることはないよ」
「……何もしないなんて、先輩冷たくないですか?」
「だって実際、何もできないよ。吉瀬さんさえ置き去りにして単独行動してるんだから、部外者の僕たちには何もできない」
「それはそうかもしれないですけどー……」
ふて腐れた日向がそっぽを向いた。すぐそこに游斗の自宅マンションが見える。
「あ、でも舞夏ちゃんの面倒くらいは見れるんじゃないですか?」
名案とばかりに顔を輝かせる日向。游斗は呆れた目を日向へ向けた。
「どうしてそういう話になるのかな。というかそもそも、お化けに世話焼く必要なんてあるの?」
「現に先輩も焼いてるじゃないですか! 私という幽霊のお世話を!」
「居候してるだけでしょうが」
そうあしらって游斗はマンションの階段を上る。自分の部屋の前で止まると、バッグから鍵を取り出した。
その隙に日向が先に部屋に入る。二人でいるとわりといつものことだが、やはり少し癪だ。
鍵を開けて玄関へ入る。それと同時に、日向が飛び付いてきた。
「先輩!」
反射的に避けてしまう。肩と肩がすり抜けた。
「どうしたの歌守さん」
「いないんです!」
血相を変えて叫ぶ日向。
「舞夏ちゃんがいないんです!」
「どういうこと?」
「わかりません! 待っててって言ったのに」
游斗はすぐさま部屋に上がり込む。いつも通りの部屋だ。特に散らかってもおらず、なくなっているものも見当たらない。しかし、そこに小船渡舞夏の姿はなかった。
玄関に戻ると、日向へ聞く。
「小船渡さん、何か言ってなかった?」
「いえ、なにも……あ、ただ」
「ただ……なに?」
日向は言いにくそうにした後、「実は……」と喋った。
「私が先輩の所に向かうとき、ちょっとだけ寂しそうにしてて……もしかしたら、こっそり後をつけられたかなぁ~なんて……」
游斗は頭を抱えた。もしそうだとすれば、黒島との会話も筒抜けしていたかもしれない。
「歌守さん。小船渡さんが行きそうな場所に心当たりは?」
「そんな急に言われても……」
あたふたした日向は考えた挙げ句、
「師匠の家くらいしか……」
「よし、行くよ」
游斗は日向を連れて急いで渡村の家――――もとい添山の死体発見現場に向かった。
大きな扉を開けて中を覗く。最近警察の出入りが激しかったせいか、はじめて来たときより埃が少ない印象を受ける。
他の部屋には目もくれず、真っ先に隠し部屋に向かう。扉を開けると、すでに中に人影があった。
しかし舞夏ではなかった。赤く染まった髪と偉そうな立ち姿。
「……なんだ、お前かよ」
鑑識員の晒科だ。晒科は游斗を一瞥すると、骸骨があった台へ視線を戻す。
「何しに来た。現場に戻るなんて、犯人じゃねぇんだからよ」
「晒科さんこそ、どうしたんですか? この部屋じゃ、現場保存も何もないでしょう?」
――――先に小船渡さん探してて。話題をそらした游斗は日向に目で指示を送る。頷いた日向が部屋の外へ消えていった。
「別に現場守りに来たわけじゃねぇ。ただ気になったことがあっただけだ」
「気になったことって?」
晒科は台に上って腰かけると、片膝を立てた。
「なんでここに、添山の死体があったのか。隠すなら他にいいところあったはずだろ」
晒科の言う通りだった。
確かに館とその周辺は人気はないし、隠し部屋などそうそう見つからない。だが死体を隠すだけなら、どこかに埋めるという手もある。館の近くには山もあり、難しくないはずだ。
「四人も共犯がいたんだ、死体一つ埋めるくらい簡単だったろうに」
「四人?」
游斗が聞き返すと、晒科は自分のくるぶしの辺りを指で小突いた。
「骨の状態から単独犯じゃないことはわかってんだ。少なくとも四人はいる」
游斗の推理と同じである。複数犯であることは間違いないらしい。
「ここで殺されたのか、それとも別の場所で殺されてここに捨てられたのか。どっちにしろ、こんな部屋に来る意味がわかんねぇな」
そうごちた晒科のポケットから音楽が流れる。かなり激しいロック調の曲だ。
スマホを取り出し、画面を確認した彼女の顔が曇る。舌打ちしてから電話に出る。
「なんの用だポンコツ」
『晒科さん! 今どこにいるんですか!』
漏れ聞こえてきたのは吉瀬の声だ。焦りが声色に現れている。
「あ? どこでもいいだろうが」
『殺人事件なんです! しかも被害者が……』
「被害者が……どうした?」
言葉を止めていた吉瀬が、抑えた声で言った。
『……竜胆淵成という男なんです』
☆ ☆ ☆
游斗と晒科が竜胆商事に到着したのは、日が完全に沈みきった後だった。
会社の玄関スペースで一人の男が仰向けに倒れている。竜胆だ。胸の辺りには真っ赤な血が花を咲かせ、スーツを滲ませている。
竜胆の死体の周りでは、何名もの捜査員が忙しく動き回っている。
「晒科さん」
暗い表情の吉瀬がやってきた。游斗を見るとわずかに頭を下げる。
晒科が竜胆の亡骸を見下ろした。
「まさかこいつが殺されるなんてな……刺殺か?」
「はい。ナイフのような刃物が凶器と思われますが、まだ見つかってません……それと」
吉瀬は捜査員たちを見て、暗い顔をさらに暗くした。
「黒島さんと連絡が取れないんです……」
「警部と?」
頷く吉瀬。游斗は悪い予感がした。
「……御堂さん?」
吉瀬が游斗の顔を覗きこんでくる。
游斗は少し目を泳がせた後、声を潜めた。
「黒島さん……昼間竜胆と会ってたんです」
「ええええ!?」
という吉瀬の大声で、周囲の視線が一斉に集まる。せっかくの游斗の配慮が台無しだ。
三人は視線から逃げるように、こそこそと隅っこに移動した。
「黒島さん言ってたんです。竜胆は、添山殺しの最有力容疑者だって」
「そ、それって……」
「姪の仇の仇、ってことだな」
晒科の一言で嫌な空気が流れる。まるで、黒島の音信不通が偶然でないかのようだ。
「……そんなわけ、ないじゃないですか」
吉瀬が口角だけ吊り上げる。
「きっと電源切れたか、電波が届かないだけですよ。もう一回かけてみます」
スマホを持って吉瀬は外へ出ていった。その背中を晒科が鼻で笑う。
「別にまだ何も言ってねぇよ。まぁ……」
真っ白い手袋が両手を包み込む。
「捜査しないことにはなんとも言えねぇけどな」
それだけ言い、晒科は鑑識員たちの中へ混ざっていった。
一人になる游斗。邪魔をしてはいけないと思い、隅で息を潜める。
じっと捜査員たちの動向を見守る。
「先輩?」
突然背後から声をかけられた。振り返れば、壁から日向が顔を出している。
游斗を見るなり、日向は顔いっぱいに不安を浮き上がらせた。
「先輩ぃぃ……どうしましょう……」
「どうするって何が……? 小船渡さんは?」
日向は一度壁の中に戻ると、舞夏の背中を押して出てきた。
「センパイ……」
舞夏も同じ顔をして游斗を見上げる。
「いったい、どうしたの?」
黙って舞夏が両手を見せてくる。
游斗は言葉を失った。
舞夏のどちらの手のひらも、血で真っ赤に染まっていたからだ。
「小船渡さん……どうしたのそれ」
舞夏は俯いてしまい返事はない。
游斗は日向へ視線を向ける。
「これ何?」
「分かりません。私が見つけたときにはもう、こうなってて……ただ一つ言えるのは、幽霊は出血なんてしないってことです」
幽霊は出血しない。ならば彼女の手に張り付いた血が、誰のものかなんて容易に想像がついた。
すぐそこで死んでいる男が一人いる。致命傷から出血もしている。
「小船渡さん……まさか……」
亡霊の銀髪少女は、ずっと俯いたままだった。