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騒捜ゴースト  作者: 時計座
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騒捜ゴースト

 死んだ後、人はどうなるのだろうか。

 きっと、誰もが一度は抱いたことがある疑問だろう。

 星になる。天国へ行く。生まれ変わってくる。幽霊になる。日本では、仏様になるなんてこともある。その説は様々で、挙げたらきりがない。

 当然、その全てに科学的な根拠はない。だがしかし、死後の世界は生きている人間の信仰心の問題でもある。それぞれが信じたいものを信じればいい。

 転生を信じるもよし、仏様を信じるもよし。はたまた、「幽霊などいるわけがない」と一切を信じなくても、それはそれでありだ。

 だが、視えてしまったら?



 御堂(みどう)游斗(ゆうと)はつまらない思考を振り払うように頭を振って、目の前のパソコンに向き直った。

 長い時間考えていたのだろう。パソコンの画面は既に真っ暗で、游斗の癖っぽい茶髪を鏡のように映している。

 ちょこっとだけマウスに触れると、画面は光を放って目を覚ます。目に光が染み、そういえばと、つけ忘れていた電気をつけに椅子から立ち上がった。夏ならまだ明るい時間だが、今は秋も深まってきた十月。窓の外で日は既に沈みきっていた。

 さほど広くないマンションの一室だが、専門学校生の部屋らしいと言えばらしい。扉横のスイッチまでたどり着き、カチッとスイッチを入れると、部屋全体が明るい光で照らされた。

「へえー! これが先輩の新しい小説ですか!?」

 突然、游斗の背後から声が響く。元気を通り越してハイテンションという言葉がしっくりくるその声に、游斗は溜め息を溢してから振り返った。

 そこでは、高校生くらいの少女がパソコンの画面を興味津々に覗き込んでいた――――ふわふわと、椅子の上で浮遊しながら。

 ブレザータイプの制服を身にまとい、外跳ねした髪はセミショート。そんな彼女は画面を凝視した後、くるりと身体を半回転させた。

「『ザクロの部屋』、いいタイトルじゃないですか!」

 彼女は無邪気に笑い、希望しかないようなぱっちりとした瞳が游斗に向けられる。

 それに返した游斗の視線は、憮然としたもの。

「勝手にパソコンを覗かないっていつも言ってるよね? 歌守(うたもり)さん」

「いいじゃないですか! だって私、先輩の小説好きですもん!」

 浮いたまま、歌守日向(ひなた)は勢いよく画面を指差す。その指先が、僅かに画面へ入り込んだ。

「好きだからいいでしょ、っていう論理はどことなく犯罪の臭いがするけどね」

「そんなんじゃありません!」

 懸命に反論する日向を適当にあしらって、游斗は元いた椅子へ腰かける。そのときに、游斗の上半身が日向の足をすりぬけた。短く日向の悲鳴が上がる。

「きゃっ! 触んないで下さいよ先輩!」

 反射的に動いた日向が游斗の目の前に降りる。つまりはデスクに首より下を埋める形だ。

「いくら先輩でも痴漢で訴えますよ!」

「まず(さわ)れてないし、歌守さんにそういった興味はない。それ以前に、不法侵入したまま勝手に居候してる幽霊の言うセリフじゃないよね」

「むうぅ!」

 涼しげな顔で述べる游斗に、日向の顔が真っ赤に色づいていく。

 そうなのだ。歌守日向はもう生きていない。游斗が高校を卒業する間近、十五歳という若さで亡くなった、現役の幽霊なのだ。

 生きていれば今頃十六歳。希望に溢れた高校生活を続けるはずだった彼女は今、浮遊やすり抜けといった、生きていれば一生手に入らなかったであろう能力を存分に発揮して、居候幽霊ライフを謳歌している。

「いいですよ! 先輩のこと、痴漢変態ドスケベ野郎だって言いふらしてやりますから!」

「残念ながら僕は痴漢でも、変態でも、ドスケベ野郎でもない。それと、言いふらすって誰に? 君の姿も声も、僕にしか見えないし聞こえないでしょ」

「ご近所の幽霊仲間ですー!」

 べー、と舌を出して日向が玄関へ向かう。幽霊間に変な噂が流れても、游斗は別に痛くも痒くもない。無視してパソコンのキーボードに指を構える。

 そもそも游斗は日向以外の幽霊を見たことがない。もちろん、ご近所の幽霊仲間というのも知らない。

 もしや日向と同じように、誰かの家に勝手に居候しているのでは――――と游斗が思案したとき、日向が大慌てで戻ってきた。

「先輩先輩! 先輩ってば先輩!」

「聞こえてるから少し静かに。ご近所に迷惑がかかる」

 もっとも、人間に聞こえるとは思えないが。心の中で呟いた游斗は椅子から振り向き、血相を変えた日向へ呆れ半分な目を向けた。

「それで、どうしたの?」

「あのですね! 先輩のこと言いふらそうと玄関から顔だけ出したら、ちょうど玄関の前にすごく怖そうな人がいて!」

 しかも二人! とピースを突きつけてくる日向。その意味のわからなさに、游斗は瞼を歪めた。

「なんで僕の家の前に?」

「知らないですよ! 先輩何か変なことしました!? あ、痴漢!?」

「してない。ていうか、歌守さんが何かやらかしたんじゃないの?」

「あり得ません! だって私、なんにも触れないんですよ!?」

「じゃあ痴漢のされようもないね」

「あ、それは――――」

 言い合う二人を、備え付けのインターホンの音が遮る。

 ハッとなって日向が振り向いた。

「ああ! とうとう先輩に天誅がぁぁぁ!」

「大袈裟。僕を悪者みたく言わないでよ」

 立ち上がって、游斗は「はーい」と玄関の向こうへ声をかける。軽くパニック状態の日向をすり抜けると、念のためチェーンをかけてから玄関を開いた。

 僅かに開けた玄関扉の隙間からは、日向の言う通り二人の男が顔を覗かせた。一人は40代くらいで眼鏡をかけており、もう一人は20代らしきオールバック。双方ともスーツに身を包んでいる。

 どちらも游斗に見覚えはない。

「あの、どちら様ですか……?」

 游斗が恐る恐る尋ねると、二人の男は懐から何かを取り出した。

「突然申し訳ない。こういうものです」

 男たちが見せてきたそれは警察手帳だった。眼鏡の男の手帳には『警部補 黒島(くろしま)昌樹(まさき)』と、オールバックの男の手帳には『巡査 吉瀬(きちせ)俊輔(しゅんすけ)』と書かれている。

「警察、の方?」

 一旦扉を閉めてチェーンを外し、再び扉を開く。

 游斗は何かをやらかした覚えはない。なので堂々と扉を開けたのだが、部屋の中からは「連行!? 連行されちゃうの!?」と騒がしい幽霊の声が響いてくる。游斗は無視して目の前の刑事たちに集中した。

 黒島という刑事は警察手帳を引っ込めると、おもむろに一枚の写真を取り出した。写っているのは髪の長い、30歳手前くらいの女性。その顔は、今度は游斗にも見覚えがあった。

「この方、ご存知ですか?」

 黒島が尋ねる。やましいことがない游斗は嘘をつく必要がないので、素直に「ええ」と呟いた。

「ウェザーズで働いてる人ですよね。確か、桜庭(さくらば)さん」

 ウェザーズ、とは近くのスーパーのことだ。品質や値段の他に会計の手早さも売りとしており、聞く話ではレジ打ちの練習もしているという。游斗も幾度となく通い、そこで名前を覚えた店員の一人が桜庭だ。

「彼女が――――」

 どうかしたんですか、と聞こうとして、それを吉瀬に遮られる。

「彼女? つまりあなたと桜庭さんは交際していたということですか!?」

「はい?」

 突然わけのわからないことを叫ばれ、游斗が眉をひそめる。それに構わず、吉瀬は指を額に添えて続けた。

「ボロを出しましたね。恐らく動機は別れ話のもつれ。桜庭さんは浮気性で痴漢癖のあるあなたにうんざりしていた。桜庭さんから別れを告げられたあなたは、近くに落ちていた包丁で桜庭さんを殺害した。つまり、あなたが犯人だ!」

「えっ! やっぱり先輩は痴漢だった!?」

 ボケの山を全て捌ききれるほど、游斗は器用な人間ではない。壁に埋まる日向を一瞥してから、こちらへ指を差し向けている吉瀬を指差し返して黒島へ尋ねた。

「なんですかこの人」

「失礼。無視していただいて結構です」

 黒島が桜庭の写真をしまう。游斗は改めてどうしたのかと聞こうとして、吉瀬が言っていたことを衝撃と共に思い出した。

「殺害って……殺されたんですか? 桜庭さん」

「ええ、昨晩。あそこの、ほら、升目(ますめ)神社で」

 思い出すように自分の後方を示す黒島。

「それで、この辺の方に色々聞いて回ってるんですよ」

 それで游斗に合点がいった。いわゆる、地道な聞き込みというやつだ。自然と口から「物騒ですね」と言葉が漏れた。

「でも、僕はあまりお力にはなれないと思いますよ。昨日は早く寝たし、桜庭さんをよく知ってるわけでもないし」

「本当にそうですか御堂(ごどう)さん!?」

 吉瀬が再び吼える。早くも嫌な予感がして、游斗は顔をしかめた。おまけに游斗の苗字は『御堂(みどう)』である。

「僕、御堂(みどう)っていうんですよ」とさりげなく游斗が訂正を入れると、「じゃあ早く言ってください!」と美しい責任転嫁を返された。

「御堂さん! あなたは被害者と面識があった! だから殺した! 違いますか!?」

 もはやこじつけをも凌駕した、ただの暴走である。溜め息すら勿体なく思えてしまい、游斗はちらと黒島へ目で救難信号を送った。が、彼も肩を竦めるだけで、吉瀬をたしなめようなどという気は微塵もないらしい。つまり、勝手に無視してくれ、ということだ。

 仕方がないので、吉瀬を無視して黒島へ向き直る。

「とにかく、僕はあまりお力になれそうにないですね」

「そうですか……ちなみに最近、身の回りで変わったこととかありますか?」

 聞かれて、游斗はつい日向を見てしまうが、黒島が聞きたいのはそんなことではないと思考を改める。

 とは言っても、游斗は一介の専門学生だ。朝起きて、学校に行き、小説の技を学ぶ。この決まったサイクルを繰り返す日々に、今のところ現実的な異常はなかった。

「先輩! 今私のこと、私のこと見ましたよね!?」

 刑事たちにかぶるのも気にせず、日向が游斗の目の前に回る。一生懸命に自分を指差す彼女から、游斗は出来る限り視線を逸らした。

「どうかされました?」

 それを不思議に思ったのか黒島が游斗の顔を覗き込む。その僅かな動きでちょうど日向の顔と重なり、少女とおじさんの顔がミックスするという非常に可笑しな現象が游斗の目の前で起きた。

「……ふふっ」

 こらえきれず、思わず失笑する。刑事二人の頭にハテナマークが浮かんだ。

「すいません、気にせずどうぞ」

 緩んだ頬を引き締め、心を無にしてから游斗は黒島を見やる。

 笑った直後に無表情という不可解な行動に首を傾げながらも、黒島は「そうですか」と眼鏡のブリッジを人差し指で押し上げた。

「ありがとうございました。何かありましたら署の方までご連絡ください」

 では、と黒島が一礼の後、吉瀬を連れて去っていく。どこか不満そうに見えた吉瀬の背中を、神妙な顔をした日向が眺めていた。

「あの刑事、先輩を痴漢と見抜くとは……!」

「いや見抜けてないから。痴漢じゃないし」

 呟きながら游斗は扉を閉める。踵を返すと同時に日向が扉をすり抜けて呑気な声を上げた。

「にしても、桜庭さんかぁ。私、あの人結構好きだったんですよ? 仕事熱心っぽかったし」

「確かに。実際、相当の真面目さんだって聞いたことあるよ」

「そんな人が、なんで殺されたんでしょうか?」

「さあねえ」

 デスク前のキャスター付きの椅子に身体を落とし、游斗は天井を望む。

「人は誰しも、自分の知らないところで恨まれてたりするものだから」

「なんか、誰かの名言みたいですね」

 日向が游斗を頭上から覗きこむ。まるで宇宙空間にでもいるかのように浮かぶ日向は、その身体を空中に寝そべらせた。

「ねえ先輩!」

「どうしたの急に大声出して」

 もっとも、日向の場合は大声が基本なので今さら驚きはしないが。真上に寝転がる少女は、游斗にぐぐっと顔を近づけ告げた。

「私たちで、事件解決しちゃいましょう!」

「……何言ってるの」

 一瞬の絶句の後、游斗の口から溢れたのは本音。クエスチョンマークさえつかなかった声は、日向の顔に得意気な色を与えた。

「だから、ミステリー小説家が事件に首を突っ込んで、警察も驚く早さでスパッと解決するあれです!」

 日向が腕を鋭く真横に振り抜く。普通、至近距離でそんなことをすれば確実に游斗にぶつかるが、そこは幽霊の特性だ。今回もいつもの通りまるで何も起こらない。

「あれって言われても分からないし、僕はまだ小説家じゃないし、近くで叫ぶとうるさいよ」

「細かいことはいいです!」

 見事に説明を放棄し、日向は床に立つように浮かぶ。

「とにかく、事件現場に行ってみましょう!」

「やだ」

 意気込む日向を一蹴し、游斗がキーボードを叩く。

「面倒なことには関わりたくないし、僕は小説書くので忙しいの。僕の小説盗み読みしてるんなら知ってるでしょ?」

「大丈夫ですって。先輩の小説なんて誰も期待してないですから」

「さっき僕の小説好きだって言ってなかった?」

「今嫌いになりました!」

 ご都合合わせの掌返しに苦笑しながら、游斗の指がエンターキーを弾く。パソコン画面に主人公のセリフが打ちつけられた。

「事件が気になるなら歌守さんだけ行ってくればいいよ。お化けなんだし、現場の規制とか関係ないでしょ」

「えー! 先輩も行きましょうよー! 一緒じゃないと意味ないですよー!」

 駄々をこねる子供のように地団駄を踏む真似をする日向。それ自体はうるさくはないのだが、視界の端でちらちら動くものがあると鬱陶しい。游斗は渋い顔でスマホを取り出した。

 馴れない手つきで一つずつ番号を押していく。それに気づいた日向が、「お?」と興味を示した。

「もしかして、これから現場向かいます、ってさっきの刑事さんに?」

「違うよ。除霊師呼んで歌守さんを成仏させてもらう」

「うええっ!?」

 そんな馬鹿な、と言いたげな表情が日向に浮かぶ。游斗は無視して指で次の番号を探す。

「私、何か変なことしました!?」

「心当たりがないことに驚きだよ」

 確かこれで、と游斗が番号を並べ終える。あとは通話ボタンを押せば、少々胡散臭い除霊師へ繋がるはずだ。

 躊躇いなくボタンを押そうとした瞬間、日向が絶叫を上げた。

「そんなことさせませぇぇぇぇぇぇんっ!」

 刹那、日向の身体からパチパチと音がする。電気が弾けるような音が徐々に大きくなると、続いて薄い発光をし始めた。

 何をしているのだ、と疑問を抱えた游斗が構わずスマホへ目を落とす。今度こそ通話ボタンに指をかけようとして、部屋の違和感に気づいた。

 蛍光灯が不規則に点滅しているのだ。まるで寿命がきたように。目に悪い点滅を数回繰り返したあと、徐々に光を失い、そして完全に消灯した。

「停電?」

 と一度疑うも、游斗はその考えをすぐに破棄する。停電にしては蛍光灯の消え方がおかしかったし、何より、スマホにまで支障をきたす停電など聞いたことがない。

 画面右上に表示されているバッテリー残量が、溶けるように減っていっているのだ。80%あったものが60%となり、そして40%、20%、10%と瞬く間に数字は小さくなる。游斗が何をするより早く、スマホは充電切れを起こして暗くなった。

「……何これ」

 游斗が真っ暗な画面に向けて呟く。そこに映る顔は、至って普通の表情をしていた。

 仄かに光る日向が鼻を鳴らして胸を張った。

「どうです? これぞ私の必殺技『電力吸い取りの術』です!」

「……ああ、そうなんだ」

 あっけらかんと答える游斗が、日向を見て弱い唸り声を上げる。

「ええ!? なんですかそのリアクション! もっとびっくりしてくださいよぉ!」

「充分びっくりしたよ。びっくりしすぎて、一周回ってこんな感じだよ。本当に驚くと人間こんなもんだよ」

 いつだったか化けた日向を初めて見たときを思い出して、游斗はそうだよなと自己肯定する。

 しかし、まさか日向がこんな人間離れした業をもっているとは――――もう既に人間ではないが――――夢にも思わなかった。呆れと感心が入り交じった息を吐き出し、游斗の指がスマホ画面を撫でる。

 反応がない。どうやら本当に電力を吸い取られたらしい。電力吸い取りの術もそうだが、除霊師を呼ばれたくないがためにスマホの充電を奪うという日向の行動心理も游斗には衝撃的だった。

「わかった。電話はしないから電気返して」

 スマホを日向へ向けて、充電返せとアピールする。だが日向は半目になって、游斗の顔とスマホをちらちらと交互に見た。

「もしかして僕がこっそり電話する、とか思ってる?」

「まあ、それもありますけど……」

 あるのかよ、と内心思いながら、游斗は未だ奇妙な表情をする日向へ訝しげな視線を向ける。

 「実は……」と口ごもった日向は、にこっと不器用な笑顔を浮かべた。

「……吸い取った電気は戻せないんですよねー」

「エコノミーの欠片もない能力だね」

 呆れながら皮肉まじりに呟き、仕方なくスマホを充電コードへ接続する。だが残念なことにこちらの電力も空っぽらしく、スマホの画面は眠ったままだ。さすがの游斗も溜め息を禁じ得ない。

「だって仕方ないじゃないですかぁ。幽霊だって万能じゃないんです」

「知ってる。万能どころか、できることの方が少ないんじゃない?」

 物に触れない時点で日向にできることはほとんどなくなる。そのくせ超能力染みたことができるのだから、游斗が脱力感を覚えるのも無理はない。

「あ、放電ならできますけど。バーンと」

「危険な匂いしかしないからいい」

 と、游斗が不意に違和感を覚える。部屋から一切の電気的な明かりが消えているのだ。蛍光灯もやられたのだから当然のように思えるが、明かりというのは何も蛍光灯のみではない。スマホも光を放つし、それはパソコンも同じはずだ。

 そのパソコンから明を感じられない。まさかと思い画面を覗き、游斗は唖然とした。

「落ちてる……」

 物理的な落下ではない。パソコンの電源が落ちているのだ。書きかけの小説を塗りつぶした真っ暗な画面には、游斗の表情が見事に映りこんでいる。

 游斗はすぐにキーボードやマウスを弄るが、やはり息を吹き返す様子はない。

 まさか。

 慌てて立ち上がり、台所の冷蔵庫を開ける。游斗の悪い予感は見事に的中し、冷蔵庫は僅かな光さえも発さない。完全に眠りについていた。

「あ、言い忘れてたんですけど、電力吸い取りの術ってコントロール利かないんですよね。範囲的には、この部屋全部がプチ停電みたいになってます」

 明るい声で告げた日向は「テヘペロ」と若者らしく舌を出す。その仕草に、游斗の片眉がぴくりと動いた。

 多少乱暴に冷蔵庫を閉じる。小綺麗なシンクの脇に並んだ調味料の列から一つを手に取ると、蓋を開けて中の白い砂状を手のひらにぶちまけた。

「お? もしかして、私のために手料理を!?」

「そんなわけないでしょ」

 ぶっきらぼうに答え、手のひらに乗せたものを日向へ投げつける。霧吹きのように広がったそれはやはり身体をすり抜けるが、その際に日向から悲鳴が上がった。

「あっつ! なんですかこれ! 塩!?」

「正解」

 落ち着き払った声で言うも、游斗は攻撃の手を緩めない。次の塩を振り撒くと、日向は水を嫌う猫のように逃げた。猫ではなく幽霊なので、壁の向こうへだが。

 壁から顔だけ出して、日向が部屋の様子を窺う。

「そっ、そんなに塩撒いちゃダメですよ! もったいないじゃないですか!」

「僕としては電気の方がもったいないから大丈夫」

「そういう問題じゃ――――」

 言いかけた日向めがけて大量の塩が飛ぶ。日向が咄嗟に壁へ戻るのとタッチの差で、塩が壁に当たって落ちた。

「危ないじゃないですかー!」

 もはや顔すら出さない。隣の部屋から怒った声だけが聞こえてくる。

 釈然としない様子で、游斗が手をパンパンとはたく。胸のうちで静かに怒りの炎を燃やしながら、近くのハンガーから黒いパーカーを剥ぎ取った。

 パーカーを羽織ると、そのポケットに財布を突っ込む。玄関で靴を履いて鍵を開けた。

「あれ? どこか行くんですか?」

 解錠の音で日向が顔を見せる。游斗は振り返りもせず、「買い物」とぶっきらぼうに返した。

「今晩のご飯でも買ってくる」

「え!? 手料理は!?」

「作るわけない。というか歌守さん食べられないでしょ、幽霊なんだから」

 そうでしたー! とバカっぽく叫ぶ日向を尻目に、游斗が玄関を開け放って外へ踏み出した。

 鍵を閉めて、游斗はマンションの階段を下りていく。スマホが落ち、小説をパーにされ、冷蔵庫もやられたという三重の怒りが、游斗の足音にありありと表れていた。

 マンションを出ると、心なしか大きな歩幅で夕刻の歩道を突き進む。すれ違う通行人からも「なんか不機嫌?」と思われそうな態度であるが、游斗はそんなこと気にしない。気にするつもりもない。

「っていうか、居候を許可した覚えもないんだけどな……」

 今更なことをブツブツ呟きながら、游斗は点滅中の信号を渡りきる。無意識のうちにたどり着いた先は、最新トレンドのスーパー、ウェザーズだった。

 事件の話を聞いて僅かながら興味が湧いたのか、それともいつもの癖で近場にやってきたのか。できれば後者がいいなと思いながら、游斗は自動ドアをくぐる。

 買い物かごを手に取り、何を買おうかと店内を回ろうとしたときだ。

「ふむふむ、キャベツならこっちよりこっちの方がよさそうですなぁ。だって3%引きだし!」

 キャベツをそれっぽく眺めながら、当然のように浮かんでいる少女。その姿を見た途端、游斗は回れ右をして帰りたい衝動に駆られた。

 日向である。食えもしない手料理を家で待っているはずの彼女が、游斗より早く、予知でもしたかのようにそこにいた。

「あ、せんぱーい! 偶然ですね!」

 游斗を認めるや否や、日向は買い物客をすり抜けて游斗の目の前に現れる。

 無視するとうるさいのは学習している。周囲に聞こえないよう、游斗は潜めた声で呟いた。

「お化けはいいよね、家とか壁とか気にしないで直線距離で動けるから」

「いやぁ、そんなに褒めないでくださいよぉ」

「褒めてない。むしろ皮肉」

 えー、と不満げに唸る日向を通りすぎ、店の奥へ進む。気になった商品を一瞥し、誘惑を感じる前にやはり不要と判断する。そうして本当に必要なものだけを買い物かごに入れていると、ふと遠くから聞いたことのある声が游斗の耳を掠めた。

 足を止めた游斗の後ろで、日向が首を傾げる。

「どうしたんですか? あ、おうちの電気ならそろそろ復旧するころじゃ――――」

「早く帰ろっか」

 決して電気が理由ではない。游斗は手早く弁当をかごに入れると、身体の向きを百八十度変え、レジへ直進しようとした。

 それを呼び止める、件の声。

「御堂さん!」

 ああ、見つかってしまったか。嘆息してから、游斗は視線のみをその方向へ向けた。

「偶然ですね。証拠隠滅ですか?」

 日向以上に最悪な偶然である。初っぱなから失礼全開な刑事、吉瀬に、游斗は嫌悪感を隠さない。

「ただの買い物です」

「本当に?」

「本当です。刑事さんこそ、お一人で寂しそうですね」

 仕返しとばかりに言い返すと、吉瀬は僅かにその表情を歪ませた。

「な、なぜ私が独身だと……!?」

「知りませんよ。そういう意味で言ったわけじゃないし」

 唸る吉瀬を游斗が呆れた目で見据える。その遠く後ろに、二人の店員と談笑している黒島の姿が見えた。

 なんだ、相方いるじゃないか。無意味に狼狽える吉瀬を無視すると、游斗は黒島へ声をかけた。

「お疲れ様です、刑事さん」

「おや、先ほどの」

 振り向いた黒島は意外そうな目をしてから、柔らかい表情を浮かべた。

「お買い物ですか?」

「さすがですね」

「は?」

 いやいや、普通そう思いますよ。とでも言いたげに黒島が小首を傾げる。

 どこかの誰かが証拠隠滅を疑ったもので。と言いたいところを飲み込んで、游斗は誤魔化しの愛想笑いを張り付けた。

 二人の店員は游斗の買い物かごを見ると、「いらっしゃいませ」と頭を下げた。

「あ、もしかして"事情聴取"の最中でした?」

 黒島と一緒にいた二人の店員に目をやりながら、游斗が尋ねる。細身の若い女性店員の胸元には『八沢(やさわ)』というネームプレートがあり、もう一人の背の高い初老の男性店員は『多田(ただ)』というらしい。よく見ると、多田のプレートには『店長』と肩書きがしてあった。

 つい吉瀬のノリのまま話しかけたことを心配していると、黒島はにこやかな笑みを浮かべた。

「いえ、一通りのお話は伺えたので。ついでに何か買っていこうかと」

「いつも奥さんにこき使われてますよね、黒島さん」

 游斗の後ろで吉瀬が不貞腐れた言い方をする。独身であることを悲観しているのか游斗には分からないが、黒島がする苦笑いは少なくとも吉瀬には面白くないだろう。

「こっちはこき使われる相手すらいないのに……」

「大丈夫ですよ」

 そんな吉瀬を慰めるように、八沢が微笑みかけた。

「きっと刑事さんにも、素敵な出会いがありますよ」

八沢(やざわ)さん……」

八沢(やさわ)です」

 游斗のときにもしたミスを再び繰り出す吉瀬。だが游斗のときのように声は荒らげず、むしろ緊張したような早口で「すいません」と素直に非を認めた。

「あの……本当ですか?」

 目をキョドらせ、口の辺りがもぞもぞと動く。分かりやすいお世辞に分かりやすい反応を示す吉瀬は、游斗が知る限り最も単純な人間かもしれない。

 八沢が「本当ですよ。ね、店長」と多田に振ると、多田は大きく頷いた。

「そうです。誰かがあなたを待っているはずですから」

「あー、そですか」

 急激な態度の変化である。熱された石が急に冷えるような、ひびが入りそうな吉瀬の冷め具合に游斗は脱力感を禁じ得ない。同じ内容を言われてもここまで反応が違うのは、(ひとえ)に語り手の違いだろう。若い女性と初老の男。分かりやすすぎる吉瀬に、游斗から限界値の溜め息が溢れた。

「そうですねー、きっとであえますよ」

 游斗が皮肉混じりに呟くと、吉瀬はくわっと顔に覇気を戻し、游斗を睨み付けた。人差し指で真っ直ぐ指してくる。

「言っておきますが!」

「声でかいです」

 游斗の注意も聞こえていないかのように、吉瀬は周囲の耳目を集めたまま叫ぶ。

「あなたも容疑者の一人ですからね!」

 僅かに客たちからざわめきが上がる。游斗を見て何かを囁く主婦もおり、こんな風評被害もあるのだと無駄な学習に游斗は吉瀬を睨み返す。

「御堂先輩?」

 ざわめく空気の中現れた声に、游斗の注意がそちらへ向く。少し離れた場所からこちらを窺っていた女子高生くらいの店員は、游斗の顔を確認すると笑顔を咲かせた。

「やっぱり御堂先輩です!」

 ポニーテールにまとめた髪を揺らしながら、彼女が游斗の前に立つ。

 言い方からして游斗の後輩にあたるのだろうが、残念ながら游斗に心当たりはない。ほんの一年前までは高校生だったというのに、だ。

 思い出そうとして、不自然な游斗の表情となる。それを覗き込んだ彼女が、察したように目を潜めた。

「もしかして、覚えてません?」

「……ごめん」

 一言謝ってから、游斗の目は彼女の胸元へ向く。決して如何わしい意味はなく、ネームプレートを確認するためだ。

「『姫永(ひめなが)』……?」

「はい。姫永涼乃(すずの)です。小鳥丘(ことりおか)高校の」

 名乗られて、游斗の記憶の隅にぼんやりと影が浮かぶ。高校時代、よく日向と一緒にいた女子だ。

「ああ、歌守さんの友達の」

 言ってから、游斗はしまったと口をつぐむ。游斗にとって日向は毎日顔を付き合わせている同居人だが、それ以外にとっては会うことの叶わない故人だ。

 姫永の顔が僅かに下を向き、「はい」と小さな返事が返ってくる。

「……ごめん、辛いこと思い出させちゃったかな」

「いえ。もう割りきれてますから」

 口ではそう言っているが、半分は空元気だろうと游斗は感じる。日向と姫永は仲がよかった、それはもう姉妹といってもいいくらいに。日向の死後どこかで踏ん切りはつけたのだろうが、それでも何かの拍子に思い出せば辛いだろう。

「もしもーし」

 暗い空気を、吉瀬の呑気な声が吹き飛ばした。悪い意味で。

「二人だけで勝手に進めない。話が見えないですからね」

 面白くなさそうな視線を向けてくる吉瀬に游斗は、空気読め、と睨むような視線を返す。吉瀬も大概だが、それを咎めない黒島にも憮然の視線が飛び火した。

「八沢さーん、これどこ持っていけばいいですかー?」

 遠くで台車を押さえた男性店員が八沢を呼ぶ。振り向いた八沢はちょっと考えてから、

「それは私がやっておくから。大國(おおくに)くんは奥からもう一つ台車用意してきて」

 と指示を飛ばす。それから刑事たちに向き直ると、

「すいません、そろそろ仕事に戻りますね。後輩だけ走らせるのも悪いですから」

「いえいえ、お時間を取ってしまって申し訳ない」

 黒島と互いに頭を下げ合うと、八沢はそそくさと台車をどこかへ転がしていった。

「では、私も戻りますかな。店長もしっかり働かなければいけませんから」

 では失礼、と多田も去っていく。姿が見えなくなったところで、吉瀬が堂々と口を開いた。

「ありゃクロですね」

 いきなりどうした。游斗の目での問いかけには気づかず、吉瀬は淡々と黒島に語りかける。

「あの店長、被害者と仲悪かったそうですから。動機は充分です」

「なるほど……」

 それらしく黒島が腕を組む。続けて吉瀬が告げる。

「おまけに、金を借りていたという話もあります。決まりですね」

「だが被害者は、八沢さんにも金を貸していたらしい」

「八沢さんが犯人なわけないでしょう。やだな黒島さんってば」

 扱いの差が酷すぎる。実際犯人が誰なのか游斗に知る術はないが、多田へ同情せずにはいられなかった。隣の姫永と困惑の視線を交わす。

「そういうわけで、犯人はあのくそじじ――――」

 と言いかけて、吉瀬は游斗と姫永の視線に気がつく。一瞬だけ目を見開いた後、

「刑事の極秘情報を盗み聞きとは、いい度胸してますね!」

 と、清々しいほどの逆ギレを披露した。

 極秘なら堂々と話すな、なんて言っても無駄なのだろう。悟った游斗は、理不尽な怒りに混乱する姫永を連れてその場を離れた。

 守秘義務というものの存在を知らないのだろうか。吉瀬ならいつか大統領の警護情報をもぽろっと溢しそうで、他人事ながら心配になる。が、そもそもからして吉瀬にそんな重大な情報が回るはずもないかと、游斗は勝手に安心した。

「っていうか、バイトとはいえ店員の前で店長をディスるなよ……」

 姫永を横目に、嘆息に近い愚痴を溢す。そんなことしていてもきりがないので、游斗は持っていることさえ忘れかけていた買い物かごを空いているレジへ乗せた。

「いらっしゃいませ」

 レジの店員がかごの中身をバーコードリーダーに通していく。作業は非常に慣れた手つきで、あっというまに金額表示機に"¥1458"のデジタルな数字が浮かび上がった。

「姫永さん、そろそろ仕事に戻らないとじゃない?」

 千五百円を支払いながら、游斗が姫永を気にかける。と、姫永は否定するように胸の前で手を振った。

「いえ、私もう上がる時間なので」

 言われて時計を確認する。店内の壁に掛けられた丸時計は、まもなく七時を指し示す。

「四十二円のお返しです」

 レジの店員からお釣りを受け取り、多くない買い物を済ませた游斗は一礼して去っていく姫永を見送る。

 適当にレジ袋に詰め込んで、これから帰ろうかというとき、ふと日向の姿が見えないことに気づいた。

「歌守さん?」

 試しに呼んでみても返事はない。先に帰ったのか、それとも店内を徘徊しているのか。

 困った幽霊だと思いながら、とりあえず店内を眺め回してみる。目線の高さだけではなく、天井付近も見上げるように。しかし見つからない。

「……まあいいか」

 独り言を呟き、游斗はウェザーズを出る。夜の街に漂う空気は冷えきっていた。身体を震わせパーカーを羽織り直すと、駐車場を横切って街路へ出た。

 車が通る度に冷たい風が游斗の身体を裂く。何度目かの鳥肌を立たせたところで、視界の隅で黄色いテープが目立った。

 升目神社である。桜庭が殺害された現場というのは本当らしく、入口にテープで規制がされていた。

 もちろん、游斗はそこへ訪ねていくつもりは毛頭ない。好奇心のみで立ち入り禁止のテープを潜るほど子供ではなく、それ以前に游斗自身があまり乗り気でない。

 無視して帰る。無難な選択を取ろうとしたところで、神社から游斗を呼び止める声があった。

「せんぱーい! せーんーぱーいー!」

 テープの向こう側で大袈裟に腕を振るのは、いつの間にかウェザーズから消えていた日向だった。

「せーんーぱーいーっーてーばー!」

 素直に言えば、非常に迷惑である。頭痛がしたような気がして游斗がこめかみを押さえる。そう困惑していると、しびれを切らした日向がテープをすり抜け、ふわふわと游斗のもとへやってきた。

「このこの~」と、当たらない肘で游斗の脇腹を突いてくる。

「なんだかんだ言って、先輩も興味あるんじゃないですかぁ」

「は?」

「だってわざわざ遠回りして、升目神社まで来てるじゃないですか」

 言われて游斗はハッとする。升目神社は、ウェザーズから自宅までの最短ルートから少し外れた場所に位置する。無意識のうちに游斗の足がこちらへ向かっていたのだ。

「本当は、事件解決したくて仕方ないんじゃありません?」

「そんなことない」

 と言い返すものの、説得力が皆無であることくらい游斗は自覚している。その心情が顔に表れていたのか、游斗を見る日向の顔がにやけた。

「……にやけるのやめてくれるかな」

「にやけてないですよ」

 気づいてないのか、わざとなのか。なんだか日向に調子を握られたような気がして、游斗から嘆息が漏れた。

「わかった。野次馬なのは認めるから、余計なことは喋らないで」

「余計なこと?」

 カクンと日向が首を傾げる。游斗は疲れた目を向け、それの説明を口にする。

「事件のあれこれ。歌守さんのことだからどうせ、色んな証拠とか調べてきたんでしょ」

「さすが先輩、分かってますね」

 嬉しくないと言う代わりに、「そりゃどーも」とぶっきらぼうに游斗が告げる。

「ただでさえ吉瀬刑事から色々聞かされてるんだ、これ以上は勘弁」

 捨て台詞のように吐き捨てて、游斗が再び夜道を歩き出す。游斗にスピードを合わせて進む日向が、隣から何か言いたげな視線を向けていた。

「ダメなものはダメだから」

 一瞥もせずに游斗が言う。わがままな子供にするような口跡になったが、日向の扱い方としては強ち間違ってもいないだろう。事実、日向の頬は子供みたく膨れている。

「じゃあいいですよ。違う話します」

 不貞腐れたまま日向が游斗の前に躍り出る。游斗の歩は止まっていないので、日向は後ろ向きで前進する格好だ。

「先輩って、ビンゴ強いですか?」

「ビンゴ?」

 そう、と返して日向が宙に四角をなぞる。その中に縦横二本ずつ線が引かれ、3×3の小さなビンゴが游斗のイメージに現れた。

「ビンゴって運ゲーですけど、どうしてかよく当たる人っているじゃないですか」

「それは、まあ確かに」

 游斗は記憶から過去のビンゴ経験を掘り起こす。ビンゴはもともと頻繁にするゲームではないが、パーティのような集まりがあれば定番と言っていいほど行われていた。

 その際、なぜか早く一列開けてしまう人というのはいる。じゃんけんに強い弱いがあるように、ビンゴにも少なからずそういうものは存在していた。

「例えば右上が開いたとしますよね」

 日向が指で宙の一点を突く。游斗の脳内でも同じ場所が開けられた。

「それで、次に真ん中下が開きます」

「真ん中下?」

 游斗の違和感を気にせず、日向の指がその位置を突く。二つ目の穴が開いた。

「でもそれじゃ、リーチはかからないよね」

 游斗が告げると日向はコクリと頷く。ビンゴゲームの展開としては現実的だが、どうも日向が言わんとしていることが見えてこないのだ。

「それで最後に、真ん中下の下が開きます」

「は? 真ん中下の下?」

 意味が分からず游斗がオウム返しする。真ん中の下の下、つまりは枠の外側だ。

「真ん中下の、下? さっき開いた所のさらに下ってこと?」

 日向が大きく頷く。マス以外の箇所が開くビンゴなど聞いたことがないし、それはもはやビンゴカードの損傷だろう。突き出した日向の指と同時に、游斗の脳内ビンゴにヒビが入る。

「こういうビンゴってどう思いますか?」

 意見を求めるように、大きな瞳が游斗へ向けられる。どう思うも何も、そもそもビンゴとして成立しているのか怪しいものだ。青息吐息を溢して、游斗が困惑気味に尋ねる。

「これってビンゴなの?」

「ビンゴです! 多分……」

 曖昧すぎる返事に游斗の疑心は加速する。疑心が勢いづけば、自然と勘は鋭くなる。かまをかけるように、游斗は思ったことを口に出した。

「そういえば升目神社の神紋(しんもん)も、3×3の正方形だったよね」

 ギクリと音がした。日向の表情が固まる。

「……やっぱり」

 分かりやすすぎる反応に游斗は脱力感さえ覚える。大方、さりげなく事件の情報を刷り込もうとしたのだろう。あからさまで全然さりげなくなどなかったが。

「神社の神紋に穴でも空いてたの?」

「違いますよ! そんなことになってたら大変じゃないですか!」

 ムキになって日向が言い返すが、人一人が死んでいる時点で既に大変な事態である。お化けは死に関する異常感が違うのか、と游斗が変わったハテナを感じる。

「穴じゃなくて、血がついてたんです」

 游斗が信号に歩を止めると、日向が前を向いて呟く。

「神社の賽銭箱に、神紋? が描かれてるんです。そこに血痕がつけられてたんですよ。右上と、真ん中下と、真ん中下の下に」

 思い出すように語りながら、日向が游斗へ振り向く。

「桜庭さんが倒れてたのもそのすぐ近くらしくて、警察はダイイングメッセージと見てるみたいです」

「ふーん」

 さほど興味なさそうにして游斗が青になった信号を渡る。真面目風に話していた日向が「え? あれ?」と驚いた声を出した。

「反応薄くないですか? それだけ?」

「これ以上は勘弁って言ったでしょ。僕が聞いてたのは全部歌守さんの独り言」

 そんなぁ、とショックを受ける日向を置いて、游斗の足は進む。少ししてマンションにたどり着き、二階の自宅へ戻ると、何より先にスマホを充電コードに繋いだ。

 僅かなバイブレーションと共にスマホにエネルギーが送られる。電気が復活したというのは本当らしく、游斗は安堵に息を吐く。

 買ってきたものを小さなテーブルの上に広げる。食品系を手早く冷蔵庫に突っ込んだ後、弁当の輪ゴムを飛ばないように丁寧に取った。

「いただきます」

 両手を合わせ、游斗が割り箸を割る。それを横から日向が羨ましそうに見ていた。

「……それやめてくれないかな。とても食べづらい」

「私は食べづらいどころか、一口も食べられないんですよ。食べられるだけいいじゃないですか」

「そういうのを屁理屈って言うんだよ」

 猫に小判なことを言いながら、游斗が白米を口へ運ぶ。よだれを垂らしそうな日向から意図的に目を背けていると、横でスマホが震えた。

「メール……?」

 箸を止めて、游斗がスマホを手に取る。行儀が悪いだのなんだのとぼやく日向を思考の外に、游斗がメッセージを開いた。

 内容は学校の連絡。後日の授業スケジュールが変わるという旨のメッセージに、游斗は手早く"了解です"とだけ返信を打った。

「……それ」

 小さく、日向がスマホを指差す。

「……そうですよ、そうだったんですよ!」

「そうって、何が?」

 訝しげな視線の先で、日向が触れられない手でスマホを幾度と透かす。そして、半分狂ったような甲高い声を上げた。

「わかったんですよ! ダイイングメッセージ!」

 最高の笑顔を向けられ、游斗の倦怠感が加速する。スマホを机の上へ戻すと、何も聞こえなかったことにしてサラダへ箸を伸ばした。

「先輩! 聞こえてますか!?」

 興味を引けていないことを察した日向が、わざと游斗に覆い被さる。游斗からすれば視界がほぼほぼ塞がれるのでたまったものではないが、それにまともな反応をするのさえ億劫だったのだ。ただ「きこえてない」と棒読みだけを返す。

「聞こえてるじゃないですか!」

「きこえてない」

 いや聞こえてるでしょ! と日向が騒ぐ。だが游斗は「きこえてない」の一点張りで白を切り通すと決めている。知らん顔でサラダをシャクシャクと咀嚼する。

 むぅと膨れていた日向が、ようやく游斗から離れた。

 諦めたか、と游斗が目だけをそちらに向ける。だが游斗の予想に反して、日向は口角を上げて人差し指を構えていた。

「血痕が付いていた位置にはちゃんと意味があったんです!」

 あろうことか、勝手に謎解きショーを始めてしまう。游斗が聞いていようがいまいがお構い無しに、日向は饒舌に探偵気取りで語りだした。

「昨夜、升目神社へ呼び出された被害者の桜庭さんは現場へ現れました。呼び出したのはもちろん犯人。ここでは仮に『X』……いや、『Y』としておきましょう」

 なぜ変えた。とまっとうな疑問を抱いた游斗は、梅干しを摘まむ寸前にまさかと思い至る。

「Yってもしかして、『YUTO(ユウト)』のYじゃないよね?」

 ビデオの一時停止を押したように、日向の動きがピタリと止まる。ほんの一瞬、綺麗な静寂が舞い降りた。

「…………そんなわけないじゃないですか」

「信憑性が微塵もないね」

 まあいいけど、と游斗が梅干しを口へ運ぶ。染み渡るすっぱさに顔のパーツが寄せられた。

 日向が自らの頬を挟むように二度叩く。思考を切り替えましたよという風に目付きが探偵もどきのそれに戻った。

「気を取り直して……桜庭さんの前に現れたYは、持っていた包丁で桜庭さんをグサリ。動機は恐らく、桜庭さんに告白を断られたから」

「何その、悲恋の結末みたいな動機」

「それでですね、大事なのはここからです」

 游斗を無視して日向が続ける。聞いてほしかったくせに返答はスルーとは。面白くなさそうに游斗が梅干しの種を吐き出した。

「怖くなったYはその場から逃げ出します。Yの一撃は桜庭さんに致命傷を与えました。でも即死じゃなかった。桜庭さんにはまだ僅かに息があったんです!」

 グッと拳を握って熱弁する日向。熱を受け流しながら游斗は水を一口飲んだ。

「最後の力を振り絞って、桜庭さんは賽銭箱の升目に血痕を付けた……それは、犯人の名前を示すメッセージ! 桜庭さんは3×3の升目を、あるものと結びつけたんです!」

 熱さが増していく日向がビシッとスマホを指差す。

「ズバリ! スマホのキーボードです!」

「キーボード?」

 游斗の手が止まり、オウム返しがされる。日向が「そう!」と気を吐いた。

「升目の血痕はキーボードに対応していたんです! 血痕が付いていたのは真ん中下と、右上と、真ん中下の下! それをキーボードで考えるとどうなりますか!?」

 有無を言わさぬように日向が游斗へ詰め寄る。それを特に気にするでもなく、游斗は頭の中で二つの升目を重ねた。

「真ん中下は『や』、右上は『さ』、真ん中下の下――――つまり、『や』の下は『わ』……」

「その三つを並べると!?」

 眩いくらいの期待の視線を送る日向。游斗はゆっくりと答えを口にした。

「『やさわ』……八沢さん?」

「そういう店員、いましたよね!」

 游斗の脳裏に八沢の姿が浮かぶ。吉瀬に妙に気に入られていた、若い女性だ。

「彼女が犯人、ってこと?」

 游斗が疑問ありげに尋ねると、興奮度マックスな日向の険しい表情が返された。

「当然じゃないですか! 八沢には動機もあるんですよ!」

「動機っていうのは……」

「だから、恋愛感情のもつれです!」

 自信満々に答える日向に、游斗はやっぱりというように溜め息を吐く。二名の間に金銭のやり取りがあったことを游斗は知っているが、それを言っても面倒になるだけなのでそっと胸の奥へ秘めた。

「何より! ダイイングメッセージが的確に犯人を示しているんです! これが一番の証拠です!」

 日向の拳が強く握られる。一通りの推理が終わったらしく、うるさいくらいに声を張り上げていた日向が、打って変わって静かになった。

 箸を置き、游斗は思考する。動機うんぬんは置いておいて、確かにダイイングメッセージは八沢の名前を示している。とりあえずではあるが、ちゃんと筋は通っていた。

 だが、納得できるかと聞かれれば答えはノーだ。犯人の名前を残したいのなら、もっと単純で分かりやすい方法があるからだ。

「……わざわざ升目に血を付けなくても、携帯に犯人の名前を書いておけばよかったんじゃないかな」

「あっ」

 と絶句して、日向が音を立てて固まる。一秒ほどの間があってから、雨に濡れた犬のように顔を小刻みに振った。

「そ、それは、あれです。犯人が携帯持ち去ったんですよ!」

「現場見てきた限りで、どうだったの?」

「……携帯、あったみたいです。それどころか、なくなったものは何もなさそうで」

 珍しく日向の声のボリュームが落ちる。携帯がその場にあったのなら日向の推理は弱くなる。

「あ、でも変わったものなら落ちてましたよ! 賽銭箱の中覗いたんですけど、ケースに入ったICカードが一枚――――」

「あれも一応お金だからね。あると思うよ、そういうこと」

 游斗が一蹴すると、日向がうなだれる。「うぅ」と残念そうに溢しながら小さくなった。

「問題は、どうして携帯を使わず、升目に血痕を残すなんていう方法を取ったのか」

 肩を落とす日向を横に、游斗は再び箸を持ち、ゆっくりと弁当を食べ進めていく。

「歌守さん、血痕は本当に桜庭さん本人が付けたものだった?」

「それは間違いないみたいです。血痕の指紋は桜庭さんのだったし、桜庭さんが最後の力を振り絞った形跡もあったみたいです。警察の人が話してました」

 うーん、と游斗が唸る。犯人による偽造ダイイングメッセージという線も考えていたが、その可能性は低くなった。ならばますます桜庭の行動が不可解なものになる。

 推理の方向としては、日向は間違っていないだろう。だがこうも疑問が生まれてしまっては、八沢犯人説も弱くなる。

 弁当を食べ終えて、游斗が一つ深呼吸をした。

「……ごちそうさま。少し散歩してくる」

「え? こんな時間にですか?」

 立ち上がる游斗に日向が意外そうな目を向ける。

「考えを整理したいんだ」

 靴を履き、游斗は再び玄関から夜へ繰り出す。本日二度目だからか、空気の冷たさはそれほど感じなかった。

 パーカーのポケットに両手を突っ込んだ格好は、あまり子供の見本にはできない姿だろう。マンションを出た游斗は、悪いお手本のままゆっくりと人気のない歩道を歩く。

 なぜ桜庭は携帯という便利なツールを使わず、神紋に血痕を残したのか。遠回りな方法を取った、もしくは取らなければならなかった理由を、游斗はオルゴールのネジでも巻くようにゆっくりと脳内ギアを回転させる。

 仮に八沢が犯人だとして、彼女が現場に残っていたとしたら、そもそもダイイングメッセージなんて残せない。不審な動きをした途端にトドメをさされるだろう。

 では、一度立ち去った八沢が戻ってくると桜庭が思ったとしたら。これならば、ダイイングセッセージを難しくして、八沢に勘づかれないようにする意図は成立する。だが。

「……どうも腑に落ちないんだよなぁ」

 蛍光色を落とす街灯の下で立ち止まり、小さく溢す。

 八沢が現場に戻る目的が分からないのだ。"犯人は現場に帰ってくる"なんて刑事ドラマではよく聞くが、意味もなく戻るのはただリスキーなだけだ。

 日向が言うには、桜庭の持ち物は何もなくなっていないらしい。つまり、財布や携帯を盗りに、という線は消える。

 次に、八沢が私物を落としたことに気づいて引き返してくる、という可能性。これは充分にあり得ることだろう。じゃあ何を落としたか、となってくるとお手上げだ。今は何を落としたとしても、それが証拠になりかねない。

 そういう、皆無に等しい可能性を調べるのは刑事や鑑識の仕事であり、今更ながら游斗には手段も義務もなかったりする。

 しかし、游斗の脳細胞は休まない。科学捜査ができないのなら、游斗に残された手札は推理のみである。

 ――――また歌守さんがうるさいしな。

 そんな建前を用意して游斗が細く笑む。深呼吸で酸素を入れ換えてから、游斗は身体を反転させて歩き出した。

 そのときである。やってきていた通行人と游斗の肩が接触したのは。

「きゃっ!」

 女性の悲鳴と共に互いがバランスを崩す。地に手をついた游斗は反射的に顔を上げた。

「すいません! 大丈夫ですか……!?」

「は、はい。こちらこそすみません……」

 ちょうど街灯の真下あたり、振り返った顔に游斗は思わず「あ」と言葉を落とした。

「姫永さん…………」

「あれ、御堂先輩?」

 膝を折る格好で座り込んでいたのは、姫永涼乃だった。バイト中のエプロン姿と違い、今は高校生らしいブレザーの制服に身を包んでいる。

 怪我がないことを確認した後で、游斗は姫永の手を掴んで立ち上がらせた。

「どうしたの、こんな時間に一人で」

 今頃ここにいるということは、バイトを終えて真っ直ぐ帰路にはつかなかったということだ。プライベートを探るのはいささか無粋だが、女子高生の夜の一人歩きというのもいただけない。

 姫永はちょっとだけ目を逸らしながら、恥ずかしそうに告げた。

「ちょっと寄り道してて……」

「ゲーセンとか?」

 姫永の眼が驚きに色づく。どうやら大当たりらしかった。

「え、なんで分かったんですか!?」

「いやいや、適当に言っただけだから」

 驚いたときの反応が日向に似ているなと思いながら、游斗は近くのガードレールに腰かける。冷たい感触がズボン越しに伝わった。

「で、これから帰るところ?」

「はい。……まあ、うちは門限ないんで、遅く帰っても大丈夫ですけど」

「今どき珍しいね、門限ないって」

 素直な感想を述べ、游斗が冗談気味に笑む。それにつられるように「そうですか?」と姫永も薄く微笑んだ。

 その後、一瞬だけ姫永の顔に(かげ)りがさした。

 一瞬。本当に一瞬。

「……姫永さん?」

 游斗が気になって尋ねたときには、既に姫永の表情から暗さは消えていた。

「はい? どうかしました?」

 何事もなかったかのように返す姫永に、游斗は少し言葉に詰まる。ようやく口から出た言葉は、

「ううん、なんでもない」

 だった。きっと見間違えたのだろう、そう思って游斗は一切の違和感を頭の片隅へ追いやった。

 そうすると、忘れかけていたことが思い出される。

「あ」

 そもそも、事件の情報を整理しようと外へ出てきたのだ。姫永に会ってすっかり忘れていたが、游斗の思考が再びそちらへ回り出す。

「ねえ、姫永さん」

「なんですか?」

「八沢さんが大切にしてるものとかある?」

「八沢さんが?」

 はて、と首を傾げる姫永にクエスチョンマークが現れる。さっぱり意味が分からないという表情の後、何かを察したように両目を大きく開いた。

「もしかして、惚れちゃったんですか?」

「いや、そうじゃないんだけどさ。結構大事なこと……かもしれなくて」

 まさか、証拠になるものを探してます、なんて言えるわけもなく、曖昧にぼかした返事をする。

 姫永は思い出すように考え込んでから、絞り出すように一つの答えを口にする。

「スマホ……ですかね」

「スマホ?」

 游斗が聞き返すと姫永は「ええ」と頷いた。

「八沢さん、結構携帯ゲームとかする方らしいですよ。いわゆるガチ勢ってやつです」

 姫永の説明を片耳で聞きながら、游斗は一人深く考える。

 確かに、スマホを現場に落としていくわけにはいかないだろう。そんなヘマをすれば、犯人は私ですと言っているようなものだ。ゲームガチ勢でもそうでなくても、絶対に避けたいと思うはずである。

 が、あまりに当たり前な答えすぎて、参考にはならなかった。八沢を犯人と決めるには弱い。

 だんだん視線が地面を捉えていく。それを自覚しながら、游斗の意識は情報の中をグルグルと駆け回っている。

「そういえば八沢さん、桜庭さんにビックリしてました」

 游斗の思考に姫永の言葉が割り込む。桜庭という名前に条件反射するように、俯いていた顔が上がった。

「どういうこと?」

「桜庭さん、最近携帯持ち始めたらしくて。みんなと連絡先交換するときも結構手間取ったんです」

「……え?」

 游斗の思考が止まる。構わずに姫永は続けた。

「桜庭さん、メールの打ち方もままならなかったんですよ。それを見た八沢さんが、嘘でしょって顔して」

 懐かしそうに姫永が語る度、游斗の推理が崩れ去っていく。砂浜に建てた砂の城が、打ち寄せた波にさらわれていくように。

「そう、ちょうど今の御堂先輩みたいな顔して……御堂先輩?」

 まるで地蔵みたく固まった游斗の前で姫永が手を振る。

「あの、大丈夫ですか?」

「そんなバカな……」

 ポツリと呟いた。それが聞こえたのか聞こえなかったのか、姫永がよく分からなさそうに「え?」と溢した。

 升目のダイイングメッセージは被害者が携帯慣れしていることを大前提として考えている。でなければ、死に際の人間がそんなものを残せるはずがないからだ。だが、桜庭は携帯を扱いなれていなかった。

 升目が携帯のキーボードを表していなければ、推理が根本から変わってくる。桜庭が残したかったメッセージが、その解き方から変わってくるのだ。

「それ、冗談とかじゃないよね?」

 ガードレールから降り、姫永へ真っ直ぐ問いかける。姫永は少し困惑した様子を見せた後、首を横に降った。

「冗談でも嘘でもないです。ていうか、なんで私が嘘つかないといけないんですか?」

 さぞ不思議そうな表情を覗かせる姫永。そりゃそうだと思う反面、信じられない気持ちが游斗の頭の中であちこち絡まる。

「八沢さんじゃない……? じゃあいったい――――」

 と、不意に游斗の視界が強烈な光で照らされる。手で目を被うと同時に、ガードレールを挟んだすぐ横の車道を一台の車が通りすぎていった。冷たい風が吹き抜ける。

「眩しっ……」

 通り抜けた車を視線で追いかけ、游斗が身体を反転させる。まず視線が捉えたのは、車のナンバープレートだった。

 『89-40』。見えたのはその四桁だった。

「あー、いますよね。ライトを上げて走る車。私もたまに遭遇します」

 姫永が同情するよう話す。それを背中で聞き流しながら、游斗はじっと遠くなる『89-40』を眺めていた。この数字が頭の中の絡まりを消し飛ばしてくれるような、そんな感覚で。

 そっとパーカーのフードを被り、游斗の目が閉じられる。

「……御堂先輩?」

 姫永の呼びかけにも応じず、游斗が瞑想でもするように静かになる。

 永遠にも思えるほど長い静寂。姫永が瞳に心配の色を湛え始めた頃、ようやく游斗の瞼が開かれた。

「……そういうことか」

 一言呟き、おもむろにフードを脱ぐ。

「御堂先輩……どうしたんですか?」

 様子を窺うような姫永の問いかけに、游斗は振り返って口角を上げた。

「これで歯車が噛み合った」


 ☆ ☆ ☆


 夜というのは冷えるものである。それはどんな場所であろうと共通していることで、たとえ大勢の人でごった返す繁華街でも、眠らない街と呼ばれるような大都会でも、太陽という光源を失えば当然のように気温は下がるのだ。

 特に、昼間のうちから日陰になっている場所はより一層冷える。大きな建物に周囲を囲まれた細い道なんかは好個の例であった。遠くから漏れる弱い光が目立つ。

 その道を歩く男の影。肩に鞄らしきものを提げ、冷たい空気の中を進んでいく。

「……こんばんは」

 不意の声が男の足を止める。小さな別れ道の片方から、二人が姿を表した。游斗と姫永である。

「さっきまでお仕事だったんですよね。遅くまでお疲れ様です」

 なんでもなく游斗が男へ告げる。男は窺うように小さく頭を下げ、姫永の不安げな視線が両者の間を行き来した。

 男が游斗を見据える。横にいる姫永と見比べてから初めて口を開いた。

「……姫永さんのお知り合い?」

「ええ、まあ」

 不審がる男にそう返し、游斗が愛想笑いを浮かべる。ちらと夜の更け具合を見るように目を動かしてから、探るように男を見た。

「時間も時間なので単刀直入に聞きますけど……自白する気はありますか?」

「……何を言っているのか、全然分かりませんが」

 男の表情に薄く警戒の色が表れる。「そうですか」と游斗が頷いた。

「じゃあ、ちょっとだけ僕のお話に付き合って下さい。手短に済ませますから」

 そう言って、游斗がポケットから四つ折りになった紙を取り出す。それを開くと、何か書かれている面を男に向けた。

「見えますか? この升目と、升目に書かれた三つの赤い丸」

 暗い中でも見えたのか、男は近づいたり目を細めたりなどはしなかった。ただ少し憮然としただけ。

 その反応を返事と受け取り、游斗は赤丸の一つを指差した。

「これ、桜庭さんのダイイングメッセージだそうです。現場の升目に、こんな風に血痕を残して」

「え、そんなものあったんですか?」

 横で聞いていた姫永が驚愕の色を浮かべる。その姫永に目だけで返事をした游斗は、視線を男へ戻して言う。

「最初僕は、この升目と携帯のキーボードが対応してるのかなと考えました。でも姫永さんいわく、桜庭さんは携帯に不慣れで、メールの打ち方もよく分かってなかったと」

 姫永が二回ほどぎこちなく首を縦に動かす。男は静かにその様を眺めている。

「だから考え方を変えました。桜庭さんが携帯以上に慣れ親しんでいる升目は何か」

 游斗がマジックペンを取り出し、持っている升目に何かを書き加える。キュッキュッというマジックペン特有の音が止まると、游斗が満足そうに笑んだ。

「多分これだと思うんですよ」

 マジックペンのキャップを閉め、再び升目を男へ向ける。升目には赤い丸の他に、曲がりくねった歪な字で数字が割り振られていた。下段が左から1・2・3、中段が左から4・5・6、上段も同じように7・8・9と書かれている。携帯とはまた違った並び方だ。

「見覚えないですか?」

 游斗が問うても男から反応はない。代わりに、横から覗きこんだ姫永が「あっ」とすぐに閃きを見せた。

「分かった?」

「これって、レジのキーボードじゃないですか?」

 游斗を見上げるようにして姫永が尋ねる。その表情へマジックペンを向け、游斗が「正解」と答えた。

「ウェザーズはレジ打ちの早さにも拘っていると聞きました。真面目な店員ならきっと練習なんかもしているんでしょうね。恐らく、桜庭さんも。レジのキーボードは、携帯のキーボード以上に慣れていたのかもしれません」

 そこで一度区切ると、游斗はマジックペで真ん中下升の2と重なっている赤丸を示す。

「この丸、携帯のキーボードで考えるとちょうどそれぞれ『や』と『さ』と『わ』に乗っかってたんです」

 言いながらマジックペンで順番に赤丸を指し示していく游斗。男は黙って聞いている。

「最初は八沢さんが犯人かもとか思ったんですけどね」

 でも、と手を止めて、マジックペンのキャップを弾くように開ける。

「これはレジのキーボード。桜庭さんが残したかったのは数字です」

 2と赤丸が書かれた升の下に、もう一つ赤丸がある。携帯ならば『わ』を示しているその位置にマジックペンが走った。

「レジなら、こうですよね」

 游斗が見せた升目には新たに『00』が追加されていた。しっかりと赤丸と被さっており、その左隣にはおまけなのか『0』も書かれてある。

 『0』から『9』と『00』が規則的に一つずつ配置されたそれは、よく見る一般的なレジのキーボードだ。数字が全て並びきった完成形を見ながら、游斗はもう一度マジックペンで赤丸を指し示す。

 赤丸が重なっているのは真ん中下升の『2』と、右上升の『9』と、『00』の三つ。ここでようやく何かに気づいたように、男の顔に焦りが現れた。

「順番は『00』『9』『2』。これが、犯人を示す語呂です」

 言葉遊びが好きな人間なら、きっと語呂合わせで遊んだこともあるだろう。先ほど游斗が暗い中で釘付けになったナンバープレート『89-40(やくしまる)』も、語呂合わせである。

 游斗は眼前の男へ静かにペン先を差し向けた。

「桜庭さんを殺した犯人はあなただ、0092(おおくに)さん」

 游斗がウェザーズでその名前を耳にできたのは幸運だった。八沢が彼の名前を叫んで指示しなければ、游斗の中で男は『名前も知らない従業員』で終わっていただろう。

 游斗の責めるような視線と姫永の半信半疑の視線が、男――――大國を突き刺す。冷える夜中に音だけが消え去った。

「……証拠はあるんですか?」

 タイミングでも計ったように、大國がしばらくの間を空けて問い返す。

「もちろん」と答えた游斗は、紙をしまいながら尋ねる。

「大國さん、最近升目神社に行きましたか?」

「いいえ。お参りも神頼みもあまりしない性質(たち)で」

 大國の答えに数度頷いた游斗は、もう一つ、というように人差し指を立てる。そしてその指で大國のズボンのポケットを指し示した。

「大國さん、今ICカード持ってますか?」

 游斗の指摘と同時に大國の足が半歩下がる。それをしっかり捉えた游斗は、少し強気に一歩踏み出す。

「持ってないですよね。だって今、ICカードは賽銭箱の中ですもん」

「なっ……!?」

「行きましたよね、昨夜。升目神社に」

 大國が絶句する。大きく開かれた目を見て、游斗の瞳が輝いた。

「電子マネーもお金ですけど、ケースごと入れる必要はないです。ただ入れにくいだけですから。大方、桜庭さんと揉み合いになったときにでも落としたんでしょう。となればあなたの指紋の他に、桜庭さんのDNAくらい付いててもおかしくないですよね。もしかしたら血痕って形で残ってるかも」

 游斗が語る度に大國から動揺が漏れる。ICカードが証拠になる、なんてことはわざわざ口にしなくても充分すぎるほど伝わっていた。これ以上、何かを言う必要はなかった。

「……降参です」

 大國が呟いた。溜め息と共に肩から力が抜ける。

「凄いですね。警察の方……じゃなさそう。探偵さんとか?」

「まあ……そんなところですかね」

 曖昧な肯定をして游斗が苦笑する。日向に言わせれば『探偵役』なのだろうが、正式な肩書き的には『首を突っ込んだ学生』である。

 はっきり言って、ICカードはかまかけだった。游斗自身、ICカードの持ち主が誰かなんて分かっていない。だが結果として白旗を上げさせたのだから、良しとできるだろう。

「……今から自首してきますよ」

「……はい」

 静かに言葉を残し、大國が游斗たちの方向へ歩き出す。未だに信じられないというような表情の姫永が、ブレザーの裾を強く握った。

 大國が游斗の真横を通りすぎる。その瞬間に、游斗はふと違和感を覚えてしまう。

 ――――交番も警察署も、反対方向じゃないか?

「ねえ、大國さ――――」

 と、游斗が振り向いた瞬間、風を切る勢いで鞄が振り抜かれた。

「あぶなっ!?」

 すんでのところでかわした游斗がすぐに目で大國を追う。肩に提げていた鞄を投げ捨てた彼は、一心不乱に夜道を駆け出していた。

「っ、待て!」

 反射的に游斗が地を蹴って追いかける。背後で叫ぶ姫永の声を気にする余裕もなく、遠ざかる影を見失わぬよう必死で走った。

 だが、常日頃の運動量の差か、無情にも二人の距離は離れる一方。やがて大國の姿は夜の中に消え、游斗からは完全に見えなくなった。

 息を整えつつ游斗が速度を落とす。足を止めたそこは、少し入り組んだ路地の交差点だった。右にも左にも道が続いている。

「どこ行った……?」

 呟いても返答などあるはずもない。前後左右を見回しながら、游斗は意図して冷静に考えた。

 逃げたところで、それはその場しのぎにしかならない。後日警察が証拠を持って現れれば、大國は今度こそ御用だ。ならば、今日素直に自首するのが賢い選択と言える。

 しかし大國にその気はなさそうである。ただ単に賢くないだけなのか、それとも。

「……証拠?」

 そもそも、大國が罪を認めたきっかけは游斗のかまかけである。ICカードが証拠になると告げたら、諦めたように肩を落として。

 逆に言えば、ICカードさえ取り戻せば証拠になり得ないということ。つまり。

「っ、神社か!」

 弾かれたように游斗が左の道へ駆け出す。

 升目神社の入り口には立ち入り禁止のテープが張られているが、警官はいなかった。中に入るのは実に容易いだろう。

 息せき切って升目神社へやってきた游斗は、テープを潜って階段を駆け上がる。

 賽銭箱の裏で大國が苦い顔をしていた。

「大國さんっ!」

 暗い神社に声を響かせる。賽銭箱がガタンと音を立て、大國が焦りの表情を向けてくる。

「……鍵、ですか」

 肩で息をしながら、游斗が大國と対峙する。尋ねた内容について大國は何も返さず、賽銭箱を忌まわしげに睨み付けた。

 まだ証拠は回収されてなさそうだが、安心はできない。鍵がかかっていても、その気になれば開ける方法はいくらでもあるのだろう。

 互いに何も言わない。音も光もほとんどない中で、意を決して游斗が口を開いた。

「大國さん、自首して下さい……しないと言うのなら……」

 大國から視線を外さず、パーカーのポケットへ右手を入れる。スマホを取り出して通報を示唆するためだ。

 だが、

「……ん?」

 右手は何も掴まない。不思議に思い、他のポケットも探すが、やはりスマホはない。

「……あ」

 そこで思い出す。スマホは今、家で充電中なのだと。

 噛み殺すような声を夜空に向けて押し出し、居候幽霊に苛立ちの念を飛ばす。呪い返されるなんてことは気にせず、精一杯にあの性格を呪ってみせた。一度だけ強く地団駄を踏む。

 それが隙になったのだろう。勢いよく飛び出してきた大國が、游斗に飛びかかってきた。

「うぉ!?」

 転げるようにしてかわした游斗が見たのは、殺意を孕んだ大國の顔。背中を冷たいものが駆け抜ける。

 游斗が動くより先に大國が再び襲いかかる。立ち上がる暇もない游斗は無様に転がって回避した。服が砂や泥で汚れていく。

 大國と游斗の距離は離れない。騙し騙し逃げてはいるが、それも時間の問題だった。確実に追い詰められているし、体力もいつまで保つか分からない。

 頬を伝う汗さえそのまま、なりふり構わず転げ回る。一瞬の間を見逃さずに勢いだけで立ち上がった游斗だが、大國の追撃でバランスが崩れ、近くの樹木へ頭から激突してしまった。

「いってぇ……!」

 痛みに顔が歪む。一旦タイムを頂きたい状況だが、そんなもの通用するはずもなく、大國の拳が容赦なく游斗の頬を貫いた。

 再び游斗が地を這う。ただ先ほどと違うのは、逃げられる見込みも、体力もないということ。そびえ立つ樹木をバックに大國が游斗を見下ろしている。

 絶体絶命。荒い呼吸を繰り返しながら游斗は歯噛みする。大國から放たれる殺気が、夜の空気に紛れて肌を切り裂きそうだった。

 悪く思わないでください。大國の口がそう動いた後で、その両手が游斗の首へ狙いを定めた。

 ――――死んだら僕も幽霊になるのかな。

 面白くもない冗談が游斗の頭を過る。諦めて瞼を閉ざした瞬間に、(まばゆ)い閃光が網膜の奥まで照らし上げた。

「ん……!?」

 車のライトなんかとは比べ物にならないほど明るく、目を閉じて更に腕でガードしてもまだ眩しいくらい。おまけにバチバチという音と、僅かに大國の悲鳴も聞こえている。

 少しして全てが止んだとき、游斗の目に映ったのはボロボロになって倒れ伏す大國の姿だった。所々衣服が焼け焦げ、髪の毛もチリチリになっている。

「……何が起きたんだ……?」

 まるで漫画の世界のような怪奇現象に、游斗は目を白黒させるのみ。焦げた臭いが充満しており、よく見れば眼前の樹木も焼け焦げていた。

 その樹木の上。ふわりと舞い降りた影が游斗を見て告げる。

「危なかったですね、先輩!」

「……歌守、さん?」

 泥だらけの游斗を見下ろして日向がどや顔を浮かべる。満足げに数度頷くと、次に気絶して倒れている大國へ目をやった。

「いやー、まさか大國が犯人だとは思いませんでした! っていうか、どうしてこいつが?」

 未だ理解が追いついていない游斗は、日向からの問いかけにワンテンポ遅れて首を振った。

「動機は知らない。……それより、どうして歌守さんがここに?」

「だって、先輩中々帰ってこないんですもん」

 寂しそうな視線で日向が告げる。

 時計もスマホもない游斗には時刻を知る術はないが、家を出てから一時間以上が過ぎていることは間違いなかった。

 ばつが悪そうに俯き、游斗がもう一つの疑問を溢す。

「さっきの光さ、歌守さんの仕業でしょ……何したの?」

「何って……ただの放電ですけど」

 さらっと答える日向。游斗が「放電?」と繰り返した。

「ほら、見せたじゃないですか、電力吸い取りの術。あれで吸い取った電気は放電できるんです」

「ああ、そう言えばそんなことも言ってたね……」

 数時間前に起きた出来事を思い出しながら游斗が樹木を見上げる。樹木が焼け焦げているのは、上空で放電された電気を避雷針のように引き寄せたからだろう。引き寄せられた電気は樹木の近くに立っていた大國を襲い、游斗の危機を救った。

「落雷と同じメカニズムか……結構危ないことしたね」

 納得したように告げる游斗に、浮遊して動く日向が首を傾げた。

「危ないですか?」

「あっぶないよ!」

 立ち上がった游斗が日向へ詰め寄る。

「これ下手したら僕まで感電してたし、感電死ってリスクもあったし、最悪木が燃えて火事って可能性だってあったんだからね?」

 焦げた樹木を指差し、日向の軽率な行動を咎める。咎められた日向は、いまいち理解できてなさそうな表情で空返事だけしていた。

「……聞いてる?」

「聞いてます! ……多分」

 明らかに聞いてない受け答えに游斗から思わず嘆息が漏れる。何がどう危ないのか、手取り足取り説明するのはさぞ骨が折れることだろう。今の游斗に、そこまでの気力は残っていなかった。

 力が抜けて再び地面にへたりこむ。顔を伏せたところで、遠くから小さくサイレンの音が聞こえてきた。

「……ん?」

 顔を上げて遠方を望む。回転する赤いランプは、サイレンが近づくにつれてよりはっきりと視認できるようになる。

 幾つかのブレーキ音と同時にサイレンが止む。騒がしく階段を駆け上がってきたのは数人の制服警官と刑事と、姫永だった。

 姫永の髪は乱れており、非常に急いでやってきたことが窺える。荒い呼吸を肩で繰り返し、開口一番何かを言おうとして、その言葉は夜空に霧散した。

 無理もない。樹木が焼け焦げ、犯人が気絶しているのだから。

「……えっと」

 姫永が恐る恐る游斗へ歩み寄る。明らかに困惑しているその表情に、游斗は苦笑いを浮かべるしかない。

 姫永は現場をもう一度見回してから、躊躇いがちに游斗へ尋ねた。

「いったい……何が起きたんですか?」


 ☆ ☆ ☆


 参考人として警察に連れていかれた游斗が家に戻ったのは、翌日の昼過ぎのことだった。

 普通ならば任意同行者が日を跨いで取り調べを受けるなどあり得ないのだが、状況が状況だっただけに異常なほど長引いた。

 当然、帰宅した游斗はくたくたで、靴を乱暴に脱ぎ捨てるとほぼ同時に玄関に倒れこんだ。

「…………つかれたぁ」

 魂が抜け出そうな嘆息を吐き出し、死んだ目でフローリングの溝をなぞる。なぞった先に、床から顔だけ出している日向がいた。

「疲れてますねー」

「他人事みたいに言わないでよ。誰のせいだと思ってるのさ……」

「大國のせいです!」

 自信満々に返答する日向に、游斗の疲労が加速する。床を這って日向に顔をつき出し、しかめっ面を見せた。

「もとを辿りすぎ」

「文句言わないでくださいよ! 先輩のピンチを救ったのは誰ですか?」

「警察呼んだ姫永さん」

 游斗が本心で感謝しているのは姫永である。が、日向の不服そうな顔を見て、不本意に「と」と続けた。

「雷落とした雷神歌守様」

 それが精一杯の皮肉だったのだが、気に留めていないのか伝わっていないだけなのか。特に不機嫌な様子は出さず、日向は至って普通に游斗へ尋ねた。

「で、結局どうなったんですか?」

「え? 何が?」

「私の放電! ピンチの少年を救った奇跡の落雷、みたいに取り上げられてません!?」

 両手を高く広げ、日向がさながらミュージカルのように回り出す。そんな日向を、游斗は面倒臭さと一緒に一刀両断した。

「神社の木を焼き焦がした恐ろしい怪奇現象って取り上げられてるよ」

「うそぉ!?」

 驚愕の表情で振り向く日向に「本当」と返して、游斗はおもむろに起き上がる。

「そのことについて散々聞かれたんだよ、警察で。本当のこと話しても信じてもらえるとは思えなかったし、ずっと"知りません""分かりません"の一点張りしてた」

 家の奥へ行き、倒れるようにデスク前の椅子に身体を沈める。フゥ、と息を吐いた。

「なんだか警察も、犯人よりそっちの方が気になるみたいで」

「あー、犯人と言えば」

 游斗の目線の高さまで浮かび上がった日向が疑問を口ずさむ。

「大國が桜庭さんを殺した動機はなんだったんですか?」

「ああ、それね……」

 游斗が困り顔で伏せる。ちらと日向を一瞥した後、顔を伏せたまま溢すように呟いた。

「……告白を断られたから、だって」

「え?」

「歌守さんの推理、そこだけ当たってた」

 耳にしたときは游斗も驚いたものだ。動機が幼稚だったのもそうだが、何より日向の推理が的中していたことに驚いた。

 日向のテンションが爆発する。奇声を発しながら舞い踊る姿に、游斗は頭を押さえずにはいられない。

「すごい、すごいです! 私、名探偵になれちゃうかも!」

「…………そんなことよりさ」

 僅かにトーンを落とし、游斗が日向を制止させる。天井近くまで文字通り舞い上がっていた日向を見上げ、鉛にでもなったかのような口で問いかけた。

「姫永さんと会うの、久しぶりだったんでしょ…………」

「……そうですね」

 呟いた日向が游斗の前へそっと降りる。珍しく真面目な顔をしていたかと思うと、すぐに破顔させた。

「でも会ったっていうより、私が一方的に眺め回して懐かしんでただけですけど。姫ちゃんに、私の姿は見えませんから」

「寂しくないの?」

「先輩には見えてますし、ご近所の幽霊仲間もいます。寂しくはないです」

「そういう意味じゃ――――」

「それに!」

 游斗の言葉を強く遮り、日向が吐露する。

「……私が死んでから、もう半年経つんです。姫ちゃんは私のいない生活に慣れ始めてます。今更どうこうしようなんて、そんな気はないです」

 まあ欲を言えばもっと遊びたかったですけどね、と最後に茶化す日向。游斗も日向もそれからは何も言わず、互いの視線も外れ、しばらくの静寂が訪れた。

「…………そもそも、なんだけどさ」

 気分も雰囲気も重たい中、さらに重たい口を開けて游斗が正面を向く。

「歌守さんは、なんで死んだの?」

「……はい?」

 日向が意味を聞き返してくる。クエスチョンマークの浮かんだ顔を見て、游斗はもう一度口を開けた。

「なんで自殺なんかしたの?」

「じ、自殺!?」

 日向の表情が一変する。まるでその事実を今初めて聞いたかのように。

「え、何言ってるんですか先輩! 私が自殺!? えええ!?」

 自分を指差し、頭を抱え、叫び散らし、半狂乱になった日向が部屋中を飛び回る。その様を、同じく混乱しかけている游斗が耳を塞ぎながら目で追いかけていた。

「な、何に驚いてるの……? 歌守さん、自分で死んだんでしょ?」

「違いますよっ!」

 キレ気味に叫んだ日向が神速で游斗へ距離を詰める。反射的に背もたれへ退いた游斗の間近で、未だ興奮冷めやらぬ日向は訴えるように怒鳴りつけた。

「私、誰かに殺されたんです!」

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