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王の剣士3「剣士」  作者: 雅
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第一章 七

 北の空が明るかった。


 夜の闇を嘲笑うかのようなその赤い色に気付いて、北の外門の警護に当たっていた近衛兵の一人が目を凝らす。


「おい、北が変じゃないか?」


 傍らに立つ同僚に声をかけ、その方角を指差すと、彼もまた空を見上げて頷いた。


「火……か? もしかしたらどこかの森が燃えてるのかもな」


 それが北の街道が伸びている方角である事を確認し、城壁の上を見上げる。誰かに声をかけて上から確認してもらうつもりだったが、歩哨は少し前に通り過ぎたところで、すぐ近くに姿は見えなかった。


「とにかく准将に報告しよう。悪いが、ここを頼む……」


 微かに風に何かの匂いが混じった。


 衛士の視線が、外門に掲げられた松明の明かりと闇との境界に注がれる。


 いつの間にか、男が一人立っていた。


 闇が形を成したようだ。


 外堀に掛けられた橋を、音もなく、だが悠然と近づいてくる。


 そのいかにも平然とした姿に、衛士達は思わず諸侯の名前と顔を一通り頭に浮かべた後、漸く見た事のない相手だという事に気付いた。


「……止まれ! 何者だ!」


 声を張り、二人の衛士が手にした長槍の石突きを足元に打ち付け威嚇する。その音に気付いた数名の歩哨が、城壁を門の真上まで駆け寄った。男の姿を認め、弓を構える。


 弦につがえられた矢先が男の喉元に向けられているものの、男の歩みが止まる気配はない。


「所属と名を名乗られよ!」


 男は口元を笑いの形に歪めた。瞳の上まで艶のない黒い前髪が落ちかかり、表情を覆い隠している。


 低く陰鬱な愉悦を宿した声が、ゆるく吹き付ける風に乗った。


「――近衛師団第二大隊中将……バインド」


 衛士らはぽかんと口を開け、それから顔を見合わせた。二隊は衛士らの所属する隊だ。


「おい、ふざけるな! 第二大隊の中将にそのような者はいない!」


 立てられていた槍が、一斉に男に向って倒される。城壁の上でいくつもの弓が引き絞られた。


「捕えよ!」

「クク」


 男の左腕のある辺りが、夜の闇の中で赤く輝く。口元の笑みが、一層深く吊り上がった。




 






 ざわりと、樹々が揺れる。


 身の裡の剣が僅かに震えるのを感じ、レオアリスは足を止めた。


 辺りに視線を巡らせても、映るのは夜の闇と、中天に昇った細い月が投げ掛ける僅かな光に浮かぶ石塀、そして樹々の影だけだ。影に埋もれたもうすぐそこには、自分の屋敷の門がある。


 だが、レオアリスは今来た道に再び身体を向けた。


 騒めく樹。


 その脈動に合わせるように、剣が鼓動を刻む。


「……誰だ」


 闇に呑まれた視線の向うからは、何の答えもない。


 だが、確かに、そこにいる。


 何か。


 自分に意識が向けられているのが判る。


 漆黒の瞳が一点を捉えて、ゆっくりと細められた。


「俺に用なんだろうが、だんまりじゃ分からねぇ。出て来い」


 ここは外れとは云え王城の城壁内だ。滅多な者では入り込める場所ではない。


 しかしレオアリスに向けられた気配は、これまで感じた事の無いものだった。


 どこか不快な、味わった事の無い感覚。


 そのくせどこか……、どこかで知っているかのような、剣の騒めき。


 暫らく闇に視線を向けていたが、動く気配が無いのを見て取ると、レオアリスは僅かに息を吐いた。


 それから、自分が息を詰めていた事に、少なからず驚きを覚える。


「……出てくる気が無いなら、引っ張り出すぜ。王城内に無断で立ち入らせる訳にはいかない」


 闇へと一歩踏み出した時、微かな笑い声が風に乗った。


 低く嘲るように震える、含んだような笑い。


 視線の先で朧ろげな影が闇から浮かび上がる。


「師団第一大隊大将、だったなぁ」


 言葉と共に、微かな鉄のような匂いが流れた。あれは、血の……。


 レオアリスは瞳をきつく眇めた。


「貴様……どうやって入った」


「クク。簡単だったな。もっとましな兵を配せよ、大将殿」


 言葉が終わらない内に、風を切る音と共に青白い閃光が闇へと走る。足元に敷き詰められた石畳の上に、一直線に亀裂が生じる。


 浮かび上がっていた影がゆらりと溶けた。


 右手に青白く光を纏う剣を提げたまま、レオアリスは視線を巡らせる。その先に再び影が浮かんだ。


「おお、止めてくれ。まだ何も話してないじゃあないか。久々の再会の感動を、少しは味わわせて欲しいなぁ」

「知らねぇな」


 視線だけを影に向けたまま、手の中の剣の感触を確かめる。


 先程の一刀は、十分な速さを持たせた。威嚇のつもりはない。


 だが、影は何の気なしに避けている。


「連れない事を言うなよ。俺は、お前をよぉく知ってる。まぁ、もっとも俺達が逢ったのは、お前がまだ赤子の頃だったが」


 眉を潜めるレオアリスの視線の先で、何か細長いものが、ぼうっと赤い輪郭を纏った。


 呼応するように、レオアリスの剣が、ゆっくりと一つ脈打つ。


「レオアリス。今じゃ最高位とさえ謳われる剣士だってなぁ。クク、嬉しいぜ」

「……」

「なのに、お前は仇のもとに仕えるか。哀れだなぁ」

「……何、だと?」


「お前の一族はどうなった?」


 一歩、踏み込もうとした瞬間、背後で足音が鳴った。


 影が動く。


 レオアリスは踏み込みざま、剣を振り抜いた。


 火花が散り、赤い輪郭を纏う何かが、レオアリスの切っ先を受け止めた。


 赤く、焔を纏う、


 剣。


 柄はなく、刃はそのまま、男の左肘から盛り上がるように生えている。


 レオアリスの瞳が、僅かに見開かれた。


 ――剣士。


 自分と同じ――


 じわり、と紅い剣が熱を帯びた。


 男と目が合う。


 冥い、愉悦と闇を宿した瞳。


「上将!」


 声が掛かった一瞬に視線が弾かれる。


「お前が生まれた頃だ。調べてみろよ」


 どこか楽しげな響き。ふっと、圧し返していた剣の力が消える。



「――俺の名は、バインド」



 向けた視線の先には、もう男の姿は無かった。


 直後に駆け寄ったロットバルトが闇の向うを追おうとするのを、手を上げて制する。レオアリスの手の中の剣に目を留め、ロットバルトは只ならぬ事態である事を悟り、驚いた色をその顔に浮かべた。


「上将? 何が……」

「分からない。……いや」


 レオアリスはもう一度だけ、闇の中に視線を向けた。


 確かに、あれは剣士だ。


 焔を纏った剣。


 既に何の気配もない。


 レオアリスの剣がその手の中から掻き消える。


 俄かに外門の方角が慌ただしく騒めきだした。


「何があった」


 レオアリスはロットバルトに視線を向けたが、答えは大方予想が付いている。先程の影が纏っていた、血の匂い……。


「北外門で、衛士数名が何者かによって殺害されました。現在、王城内に兵を手配しています」


 兵達の呼び交わす声が、深い夜の中に響いて、レオアリス達の所までも聴こえてくる。


「もう、城内にはいないだろう」


 ロットバルトがレオアリスの視線を追って、再び木立の影に視線を向ける。


「中将以上を集めろ」


 無言で頭を下げるロットバルトの横を抜け、レオアリスは城門へ足を向けた。


『お前が生まれた頃だ』


『仇の下に仕えるか』


(――何者だ)


 バインドと名乗った。初めて聞く名だ。自分の事を詳しく知っているような口振り。



『お前の一族はどうなった?』



 打ち込んだ右腕に、微かな痺れを感じた。


 





 



 冥い夜の帳の中で、男は低く笑いを忍ばせた。


 左腕には、先程剣を受けた時の鋭い衝撃が未だに残っている。


 右肩の付け根から腕にかけて、鈍く重い痛みが走るのを感じて、視線を落とした。


 馴れ親しんだ痛みだと、口元を歪めながら思う。


 視線の先、男の右腕は、肩から先が闇に溶けたかのように、そこには無かった。


 忍び笑いが圧し殺しきれない哄笑に変わる。


「もう少し待てよ。もう少し。思う存分、切り刻ませてやる……。楽しみだなぁ」








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