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王の剣士3「剣士」  作者: 雅
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終章 二(二)

 御前演習の流れの最終確認だけにも関わらず、一つ一つの手順や事項を頭から追う様に確認していけば、会議が終了した頃には既に二刻が経過していた。

 太陽もかなり西に傾いている。


 アスタロトが随分と真面目に参加していたのが印象的だと、そんな事を思いながら、レオアリスは王城の広間まで来るとグランスレイを振り返った。


「文書宮に行ってくる。かなり待たせたかもな。お前はどうする?」

「私は先に戻らせて戴きます。もう今日は公務はございません。ゆっくり休息をお取りください」

「グランスレイも身体を休めろよ。皆にもそう言っといてくれ」


 グランスレイが頷き、一礼して王城の出口へ向かうのを確認し、レオアリスは王城の奥、王立文書宮へ向かった。


 廊下を暫く歩き中庭への扉を出ると、広い中庭に純白の花崗岩で造られた長い回廊が伸びている。


 擦れ違う学院生達が、やけにさざめいている。

 彼等の会話の中に度々ヴェルナーの名前が交じるのを聞いて、レオアリスはロットバルトがつい一年ほど前まで王立学術院の院生だった事を思い出した。

 まだ学院生達の間でも、話題に新しいようだ。


 在席していた間、ずっと首席だったと聞いている。首席にありながら内務へ進まず軍へ入る事も極めて珍しい例で、今年の学院生達の進路に大きな選択肢となったとも。

 武の方が伴っている事が肝心だが、今後の参謀部候補が増えるのは、軍にとっても歓迎すべき事だ。


 ともかくロットバルトが既に来ているのが判り、レオアリスは少し足を早めた。


 王立文書宮の扉の横にロットバルトが寄りかかっているのを認め、片手を上げる。

 周囲を遠慮がちに囲んで立ち止まっている学院生達の姿に、どこも余り変わらないと苦笑を洩らした。


「悪い、少し長引いた。……待ったみたいだな」


 ロットバルトが一礼し、面を上げる。


「私も今しがた来たところです」

「回廊からこっち、話で持ちきりだったぜ。ちょっと詳しく聞いてみたいよな」

「お聞きになるほどの価値はありませんよ。それより、会議は恙無く?」

「無事終わって、後は明日を待つだけだ」


 レオアリスの面に浮かんだ苦い色に、ロットバルトは口元に笑みを刷いた。


「剣舞は?」

「……最後に回された。アヴァロン閣下の前だ」


 不服、というより心底嫌がるような低い声に、ロットバルトはレオアリスの顔を同情と興味の入り交じった瞳で眺めた。


「――それはまた」

「有り得ねぇ。普通に年功序列でいいじゃねえか。第一大隊なんだし、一番最初で。最初なら失敗しても演武が終わった頃には忘れてるよなぁ」

「失敗の度合いにも寄りますがね」


 総将の前など大舞台だ。

 そこへ本来の序列を無視して置くということは、まだ試す気持ちが全体的にあるのだろう。

 失敗すれば、またそれを理由にあれこれと批判も挙がる。


「二刀を披露されればいい。失敗しさえしなければ、批判の口を閉ざさせるいい機会になりますよ。それに今回の報告は既に上げていますから、期待は持たれているとお考えになった方がいいでしょう」

「……もういっそ、おもいっきりぶん回すかな」

「それで発散されるのもいいかもしれませんが。一応、修繕費は押さえてありますしね」


 その言葉にレオアリスは隣を見上げた。


「……ちょっと参考に聞きたいんだけどさ。修繕費はどの位押さえてるんだ?」


 ロットバルトの告げた数字に、レオアリスは呆れて口を開いた。


「――お前、俺がどれだけ壊すと思ってるんだ」

「さて。命が幾つあっても足りないと思った事は何度もありますが」

「――」


 自分の所業――大抵記憶が余り無いところが余計怖い――を思い返し、レオアリスは肩を落とした。

 やはりまだ今一つ確信が持てない。


「やっぱ、二刀はよすか……」

「ご随意に」

「……本題。見せたいものがあるって言ってたろ」


 ロットバルトは頷いて、すぐそこにある重厚な扉を示した。


「そうでした。どうぞ中へ」


 王立文書宮の扉を押し開け、正面の机に近づくと、スランザールがいつものように書物に突っ込んでいた顔を上げる。


「ふむ」


 それだけ呟いて立ち上がり、ちょこちょこと二人に近寄る。


「少しは成長した顔をしておるの」


 スランザールは首を伸ばしてレオアリスの顔を覗き込み、そう言ってくしゃりと笑った。


「成長したかどうかは判らないけど、まあ少しは変わったつもりだよ」

「己の自覚はその程度が程良いものじゃ」


 普段国内随一の知恵者と自ら公言して憚らない老公はそう言うと、ロットバルトへ顔を向けた。


「お前も、ましな顔になったの」


 皺枯れた声でカラカラと笑うスランザールに対して、ロットバルトはただ笑みを返し、一礼しただけだ。


 レオアリスはその顔を眺め、スランザールに視線を移す。スランザールは王立学術院の院長も兼務している。


「そうかもな……。ロットバルトって学院生時代はどんなだったんだ?」


 再び興味が湧いてそう訪ねると、スランザールは口元を尖らせた。


「つまらんヤツじゃったわ。わしの会心の問いを全部解いてしまいよる。しかも解答が実利一辺倒で全く面白みがない。不可をやろうかと何べんも思ったが、周囲が煩く止めるでのぅ」

「それは残念ですね。正当な評価を戴く機会を逸していた訳だ」


 嫌味とも素直な感想とも判別しにくい物言いに、スランザールは眉を盛大に寄せた。


「ふん。して、今日は近衛が二人も揃って学問の聖域に何の用じゃ。わしの教えを聞きたいと申すのであれば、特別に時間を割いてやらない事もないが」

「いえ。それはまた次の機会に」


 さらりと否定され、スランザールの皺顔がさらにくしゃくしゃと寄った。


「閉架を見せて戴いても?」


 文書宮の開架は十数万冊の文書量を誇るが、整理途中や分類前、そして持ち出し不可の貴重な書物を含む閉架は、更に開架の数倍の規模になる。


 基本的に申請さえ行えば、希少本以外は誰でも閲覧が可能だ。


「ふむ、まあ良いじゃろう。……大戦のか」

「そうです。以前と同じ場所ですか」

「あそこら辺は変わっとらんよ。くれぐれも言うとくが、整理を付けていない訳ではないぞ。他をやっとるだけじゃ」

「じいさんの場合、すぐ読み耽るからじゃないのか?」


 レオアリスが口を挟むと、スランザールはじろりとその顔を睨んだ。


「スランザール様と言わんか、小僧。大体お前のような不勉強者の孫を持った覚えはないと」


 レオアリスが肩を竦める横から、ロットバルトが付け加える。


「貴方と上将の祖父君は、良く似ておいでなんですよ」


 スランザールの皺顔が、何とも表現しがたいほどくしゃくしゃになった。


「……ふん。勉強せぇ」


 スランザールはくるっと後ろを向くと、さっさと机に戻り、再び書物に首を突っ込んだ。


「似て……るけど……まあ」


 レオアリスも照れくさそうに、片手で黒髪を交ぜた。ロットバルトは可笑しそうに笑い、レオアリスを案内して机の奥にある扉を開ける。



 扉の向こうはすぐ左右が階上へと続く短い石段になっていて、それを上がるとまた長い廊下があった。


 内側の壁には、幾つもの扉が一定間隔に設けられ、書物の分類名と数字が振られている。


「こんな場所あったのか……」


 レオアリスが感心して見回していると、ロットバルトが足を止めずに振り返る。


「学院の関係者にはありふれた場所ですが、一般の閲覧者は余りここまでは入りませんね。開架で足りない程深く調べようとする者位です」


 ロットバルトの言うとおり、僅かな距離を歩く間に、学士らしき女性と一度擦れ違った。頻繁に使われているのだろう。


 ロットバルトはしばらく歩いてから、一つの扉で立ち止まった。扉の表記は、史書だ。


 扉の向こうは天井が三階部分まで吹き抜けになった広い部屋で、壁一面の書棚の他に、十数基の書架が二列にずらりと並んでいる。


「すげぇ……」


 こんな部屋が幾つもあるのかと、レオアリスは手近な書架に寄り、書物の背に視線を流した。

 古いもの、新しいものがまちまちに置かれ、背表紙に標題の無いものも多い。


 ロットバルトは並んだ書架の一つを選んで入ると、背表紙の表記を確認しながら歩き、やがて立ち止まった。取り出したのは一冊の幅広い書物だ。


 部屋の中央に戻り、設えられている卓にそれを置いた。


 近寄って見ると一見しただけでもかなり古い造りで、表紙の装丁や縁が所々擦れている。


「彼の名前を聞いて、以前これを見た事があったのを思い出しました。子細な表記はありませんが……」

「――」


 レオアリスは一旦ロットバルトの顔に視線を向けて、また書物に落とした。


 静かに息を吐く。


 多分、その事なのだろうと考えていたのだが、目の前に見せられて改めて、書物が残されていたのだと感慨を覚える。


 レオアリスはゆっくりとそれに触れた。

 特別な感覚が伝わってくる訳でもなく、乾いてかさついた古い紙の手触りがあるだけだったが、それでも心臓の鼓動が早まった。


 指先がすぐにそこを開いたのは偶然だろう。

 年代記というべきなのか、淡々と起こった出来事だけを記しているものだ。時折小さく絵が添えられている。


 その項に書かれているのは三百年前のバルバドスの大戦の記述で、文章を眼で追えば幾度も、その名が浮き上がるように飛び込んできた。


 戦場の記録。

 月日と場所、布陣や戦果、そうした事務的な記述の中の、温度を持って感じられる名前。


 彼が戦場に有ったのは、大戦が終結する直前の、ほんの数年間のようだった。


 幾度か項を繰った後、レオアリスは挿絵の一つに引き寄せられるように視線を落とした。


 彩色のない小さな挿絵で、何処かの戦場に、王の姿が描かれている。


 その横に一人の青年が立っていた。


 顔までは見えないが、背格好、そして手にしている飾り気のない長剣は、レオアリスのそれに良く似ていた。


 大戦の剣士――

 今までただ歴史の中で聞くだけだった名が、自分と関わりを持つのは不思議な感覚だ。


 声に出さないままに名を呟くと、胸の奧が静かに騒めく。


 右手を上げ、軍服の上から胸に掛けた飾りに触れた。


 僅かに躊躇い、それから、自分の耳にも届かないほど微かに、もう一つ、別の呼び方を呟く。


「――父さん」


 現実感は少し薄い。

 それでも、胸の中に震えるように、暖かい火が灯るような気がした。


 レオアリスはそれを噛み締めるように瞳を閉じた。


「……もう少し探せば、色々と記述は見つかるかも知れませんね」


 彼の――ジンの事は伏されている訳ではない。ただ記憶の中に埋もれているだけだ。

 辿っていけば、判る事は少なくないのだろう。


「――時間が出来たら、聞いて回るか」


 村に戻って、祖父達に聞く事もできる。近づく事は可能だ。


「居たんだもんな」


 鳩尾に手を当てる。


 自分の裡に在る、穏やかなもう一つの鼓動が感じられる。

 父と母、二人から受け継いだ剣の鼓動。


 それはこの先ずっと、レオアリスと共にある温もりだった。








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