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王の剣士3「剣士」  作者: 雅
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第四章 七(一)

 骨を断つ鈍い音が、ロットバルトの許まで届いた。

 断ち切られた首が雪の上に転がる。


 ロットバルトの位置からは、佇んでいるレオアリス後ろ姿が見えるだけで、その表情は判らない。


 ひきつっていたバインドの身体が、やがて静かに動きを止めた。


「つまらないな。もう終わりか」


 その声はぞっとするほど無機質な響きを持っていた。


 先程までのバインドとの戦いは、互いの力がほぼ拮抗していた。

 二本目の剣の出現、全能力の解放がここまでの差をもたらす事になるとは、おそらくバインド自身想定していなかっただろう。


 それとも、それがバインドの望みだったのか。


(どうなった……?)


 あの感情を欠いた声の響き。


 レオアリスが頭をもたげ、ゆっくりと視線を巡らせる。


 ロットバルトは知らず、剣の鞘を左手で掴んだ。

 冷えたその感触に気付いて笑う。


 普段のレオアリスからは感じる事のない、心臓を撫ぜるような恐怖がその場を満たしている。


 このまま放っておけば、切り裂くものを求めて、眼にするもの全てを滅ぼすだろう。かつてのバインドのように。


 だが今この場には、ロットバルト一人しかいない。


(……俺が、止めるか?)


 止められる可能性があるのか。


(――全く、自信が無いな)


 自分一人で止める自信どころか、大隊一つ手にしていた所で何の勝算もない事は、バインドが証明している。


 だが、すぐにでもレオアリスはロットバルトを見つけるだろう。

 今のレオアリスにどれほど彼の意識があるのか、この場からは想定が付かない。


 どうすれば戻る?


(剣を手放させるしかない)


 最も単純で、最も効果的だ。


 どうやって?


「知るか」


 価値の無い自問に、自嘲気味に笑う。


 レオアリスの視線がロットバルトを捉えた。


 ふ、とレオアリスの姿が消えたと見えた瞬間、目の前にその姿があった。


 上げられた漆黒の瞳と一瞬視線が重なる。

 何も考える間もなく、身体だけが動いた。


 地面を蹴ったその後を追って横薙の閃光が走る。

 咄嗟に立てた剣が、砕けた。


(しまっ)


 剣風に弾かれ、後方の森へ弾き飛ばされる。


「っ」


 雪の上に全身を叩きつけられ、ロットバルトは激しく噎せ返った。


 先程の位置から再びレオアリスは一息に間合いを詰めた。


 呼吸を失ってその場に沈み込んだのが幸いした。


 横薙の剣がロットバルトの頭上を抜け、背後の木々が衝撃と共に断ち切られる。



 息をつく間もなく振り下ろされた剣が、ロットバルトの首の横で止まった。



 剣のひやりとした感覚が皮膚に伝わる。

 自分の首と胴が未だに繋がっている事に、どこか他人事のように不思議さを覚えた。


 だが剣は止まったまま動く気配が無い。


 首筋で剣が小刻みに震えるのを感じ、ロットバルトは視線を上げ、レオアリスを見た。


 レオアリスの瞳が軋む。見慣れた感情の色が、僅かにその瞳に揺らいだ。


 噛みしめられた唇から、擦れた声が途切れ途切れに押し出される。


「……離、れろ……っ」


 鬩ぎ合う意識を表わすように、剣を握った右手を、左手が押さえ込む。

 レオアリスはよろめくように、数歩後退った。


(……まだ――)


 先程の初太刀を避けられたのも、この為だ。

 まだ完全にレオアリスの意識が消えた訳ではないのだ。


 止めるなら、今を置いて他にはない。

 だが幾度思考を巡らせても、自分の今の能力を考えれば答えは全て、否だ。比較にならない。


 それでも、ただ殺させる訳にはいかない。

 一旦身近な者を斬れば辛うじてかけられている枷は外れ、もはやレオアリスは自分を押し止める事はできないだろう。


 一つだけ、賭けのような方法がある。


(気休めに近いな)


 それでレオアリスの意識が戻る確率など、握った砂の一粒もあるかどうかだ。


 だが、きっかけにさえなればいい。自らの意志で剣を抑えない限り、レオアリスの意識を戻す他の方法はない。


 それを捜して視線を巡らせ、ロットバルトは息を呑んだ。


 雪を踏んで、ゆっくりとこの場に近づいてくる者がある。


 カイル――レオアリスの祖父だ。

 右手に丸い香炉を提げている。


 来るなと、喉元まで込み上げた声を飲み込んだ。刺激を与えるのは避けたかった。

 レオアリスはまだ背後に気付いてはいない。


(何をするつもりだ……?)


 カイルは足を止めると低く何かを呟いた。

 その詞に合わせ、提げていた香炉から薄紫の煙が溢れ出し、雪の上に落ちると這うようにレオアリスの足元に漂っていく。


 それは足元からゆっくりと、レオアリスの身体を絡めとろうとするかのように立ち昇った。


 ロットバルトの許にも煙がじわりと這い寄る。足先に僅かに触れたそれは、ひどく重量感を伴う。

 咄嗟に足を引いたものの、触れた瞬間頭の奥が鉛のように重くなった。

 おそらくは捕縛用の術なのだろう。


 煙を嫌い、レオアリスは身体を捩る。

 だが絡み付いた煙に繋ぎ留められたかのように、脚は動かない。


 脚に、腕に絡み付いた煙が厚みを増す毎に、剣がじり、と下がった。


 上体が揺れ、雪の上に膝が落ちた。


(……成功したのか?)


 煙は途切れる事なく、屈み込み動きを止めたレオアリスの背に纏いついていく。



 

 



 じわり、とレオアリスの中に怒りが生まれる。

 手足が痺れるように重く、鉛を括られたように動かない。


 苛立ちと怒りが胸の奥に渦巻く。

 自分を抑え込もうとするのは何だ?


 背後に、何かの気配があった。


 邪魔だ。


 雪についた右手が、剣の柄を握り込んだ。



 



 

 レオアリスが動かなくなったのを見て、カイルは大きく息を吐いた。


 掲げた香炉を下ろそうとした瞬間、青白い光が走り、手にした香炉を砕いた。


「!」


 衝撃でカイルが雪の中に倒れ込む。


 身を起こし向けた視線の先で、レオアリスの身体が重い戒めを纏ったまま、ゆっくりと立ち上がる。


 取り巻く煙を断つように、身体の周囲を剣が一閃した。

 煙が掻き消える。


(やはり、抑える事は出来ぬか)


 カイルは予め分かっていたかのように、僅かに笑った。

 恐らくは、抑える事は不可能だろう、と……


 ふと、瞳を見開く。

 ならば何故、自分はこの方法を選んだのか。


 その場に立ち尽くしたカイルに向かって、レオアリスは足を踏み出した。



 



 

 自分の邪魔をしていた相手に向って歩く。


 目の前まで来ても相手は動く気配もない。簡単に斬れる。

 それは少し、つまらなかった。



 ――違う。



 心の奥に浮かんだ声を無視して、剣がゆっくりと持ち上がる。



 凍える冬に自分を暖めた腕。

 目の前にいるのは。



 剣が切り裂く事への喜びに満ちる。



 囲炉裏の傍で、そのしわがれた声が語る言葉に耳を傾けた。



 剣が、動きを止めた腕に苛立つように震えた。

 目の前の相手は逃げる気配すら無い。


 斬れ。

 剣の歓喜が全身に流れ込む。



 ……何で――


 胸の奥底で、微かな悲鳴が響いた。

 


 何で、逃げてくれない。







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