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王の剣士3「剣士」  作者: 雅
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第一章 四

 剣が纏う青白い光が、意識と全身を圧迫するように感じられる。


 レオアリスの構えは無位だ。ただ右手に剣を提げている、それだけの立ち姿に打ち込む隙を見つけられず、ロットバルトは呼吸を整える為に深く息を吐いた。


 この相手を前にすると、自らの剣への自信などあっさりと消し飛ぶ。

 意識を研ぎ澄ませ、集中力を高める。己の限界を知り、それを越える為の方法を模索する。それがこの手合わせの、最大の意義と言えた。


 いくら待っても打ち込む隙は生まれない。ロットバルトは自分が最も得意とするもの、剣速に視点を切り替えた。

 いつ撃とうと同じであれば、待っていても仕方がない。


 左手で鞘を握ったまま、鍔に添えた親指でそれを弾く。鞘走る剣を引き抜き、レオアリスの喉元へと一息に振り抜く。


「速ぇっ」


 先に手合わせを終えて眺めていたクライフが、思わず身を乗り出す。だが声を発する前に、既に手合わせは終わっていた。


 撃ち抜いた切っ先は喉元に達する寸前でレオアリスの剣に阻まれ、音を立てて砕けた。


 それと同時に、その場を支配していた緊張が解け、クライフは大きく息を吐いて再び演習場の壁に凭れかかった。


 ロットバルトは自分の手の中に残された柄を呆れた顔で眺めた後、目の前のレオアリスに一礼した。踵を返し演習場の端へ向かう途中、入れ違いに進み出たグランスレイが軽くその肩を叩く。


「速度が増したな」

「……そうかもしれませんね」


 結果止められているのでは素直に喜ぶ気にはなれず、ロットバルトは苦笑を浮かべた。手合わせはこれまで幾度となく行われていたが、いまだ一度も切っ先がレオアリスの身体を掠めた事は無い。


 折れた剣を片手に戻ると、クライフが座り込んでいた顔を上げ、にやりと笑ってロットバルトを迎えた。


 広い演習場内は演習も全て終えて人影も疎らになり、時折緩い風が低く砂埃を吹き散らしていく。


「お疲れさん~。やっぱり折れたな。ま、俺の槍も折れたけどよォ。四名様鍛冶場へご案内ってとこだ。副将入れて五名か?はぁあー、新調したばっかりだってのに、また作らなきゃいけねぇ」

「一隊は鍛冶師に嫌われてますよ、完全に。これまでに何本打たせているやら」


 ロットバルトの言葉に同意するように、クライフはしゃがみ込んだままがくりと頭を落とした。


「もう俺、あの親父達のところに顔みせるの、辛くってなー」

「同感だね。その内あそこは過労死するだろう。そうしたら、香典は一隊全体の褒賞渡しても足りないよ」


 クライフの隣で塀に寄りかかっていたヴィルトールが、笑いながら器用に溜息を吐いてみせる。クライフは穂先の折れた槍を手の中でぼんぽんと弾ませながら、グランスレイとレオアリスの手合せに視線を向けているロットバルトを見上げた。


「お前、かなり真剣だろ。下手したらほんとに斬りかねないんじゃないか?」


 ロットバルトはレオアリスとグランスレイの剣の軌道を目で追ったまま、事も無さそうにそれを肯定する。


「そのつもりが無ければ、立ち会う意味がありませんよ」

「おいおい」

「しかし加減した剣では、剣すら合わせて貰えないでしょう」


 あの疾い剣は、まともに打ち合わせれば簡単に相手の剣を砕くが、全ての太刀を受けとめる訳でもない。甘い太刀筋であれば、苦もなく躱される。


 彼等にとってはレオアリスの剣と打ち合う事自体が、一つの基準でもあった。


 どこまで自分の剣が通用するのか、レオアリスのような相手を前にすれば知りたくもなるだろう。


「そりゃま……」

「斬るつもりというのは正しくは語弊がありますが、実際のところ貴方もそう変わらないのでは?」

「当然、手抜きなんざしねぇ。俺はいつだって本気だぜ。けど、当んねえし折られちまうし堪んねェよ。ほんっとマジ次こそ五合保たせてやるわ!


 拳を握り締め悔しそうに力説を始めたクライフの横から、ヴィルトールのからかい混じりの声が掛かる。


「へぇ、お前まだ五合いってないの?」


 クライフをからかうのはヴィルトールの日課のようなものだが、これでこの二人は息が合っている。クライフはその顔を斜めに睨み付けた。


「うっせぇな!そういうお前は何合なんだよ」


 レオアリスと剣を打ち合わせて一合。躱された太刀は計算に入れない。


「最近七は保つようにしてるよ。ただ力まかせに振ればいいってものじゃない。手を抜く訳にはいかないが匙加減はないと、すぐ終わったらもったいないからね」


 不服そうに口元を歪めたまま、クライフはヴィルトールに向けていた顔をロットバルトに戻した。


「だ、そうだぞロットバルト。お前何合?」

「初太刀が良ければ一合」

「いち……」


 笑い飛ばそうとして止める。初太刀を最も重要とするロットバルトの剣にしてみれば、一合目でレオアリスが剣を持って止める事の方が、結果としてはいい。


「……意味ねえ議論じゃん」

「気付いたか。ま、何を重視するかだね」

「私は何合を数えるより、二刀で手合せしたいわ」


 それまで黙っていたフレイザーが、腰の後ろに交差させて佩いた二本の剣に視線を落とす。鞘に納まった細身のそれは、やはり折れて今は使い物にはならない。


 クライフは地面に胡坐をかいたまま、唸るように頬に右手を当てた。


「二刀か、そういや見た事ねえな。アスタロト公は凄かったって言ってた事あるけどな」

「凄かったって表現はどうなんだ? 語彙が足りないんじゃないか? クライフ。」

「アスタロト様の表現まんまだよ! 悪いけど!」

「あの方はそういう言い方するわねぇ」


 フレイザーからの同意に気を良くして、クライフは大きく両手を広げ三人を見回した。


「だろ? ま、ともかくさ、二刀見てみたいよなぁ。見たくねぇ?」


 その言葉にフレイザーは深く頷いたが、ヴィルトールは同意しかねるというように肩を竦めた。


「一刀でも保たないのに二刀なんて無理だよ」

「そりゃそうかもしれねぇけどさ。剣士の二刀だぜ? フツー剣士だって剣は一本しかないんだろ?」

「確かに、剣士で二刀を持つのは、上将くらいのようだけどね」


 そう言いながらヴィルトールは、演習場中央でレオアリスと剣を合わせているグランスレイに顔を向けた。


 巨体のグランスレイが扱う大剣を、レオアリスはほんの僅かな動作で難なく凌いでいく。


「しかし、これだけ手筋の違う剣を相手に息一つ乱さないからなぁ。さすがと言うべきか、恐れ入る」

「楽しそうだよなぁー。こっちは必死だってのに」


 ヴィルトールは長剣、フレイザーは細身の二本の剣を、クライフは長槍、ロットバルトは剣の鞘走りを利用する抜き打ちを得意とする。


 それぞれ全く違う太刀筋と休む事もなく剣を合わせているにも係らず、レオアリスは全ての太刀を読んでみせる。


 けしてそれぞれの剣技が劣っている訳ではない。事実第一大隊は、精鋭を揃える近衛師団三大隊の中でも、最も剣技に長けると言われている程だ。


「まあ、剣の腕を押し上げる最大の要因だからね。感謝すべきさ」

「上将程じゃないにしろ、剣士ってのは皆こうなのかね。あんま戦場じゃお目にかかりたくねェなぁ。上将が師団で良かったよ」


 そう言った後、クライフはふと首を傾げた。


「……そういやぁ師団に他にいないな。いたっけ。お前知ってる?」


 問われて、ヴィルトールが首を振る。


「いや、上将以外、正規も含めて軍に剣士はいないだろう」

「そうだよなぁ。絶対数が少ないんだからそうかもしれないが、他に二、三人いてもおかしくねぇのにな」

「かもな。まあ上が決める事だ。さて、私は一足先に鍛冶師の小言でも聞きに行ってくる」


 ヴィルトールは曖昧に頷くと、剣を取り立ち上がった。


「俺の分も先に謝っといてくれ」

「知らないよ。自分で言え」


 退意を告げる代わりに剣を上げ、ヴィルトールは演習場の門へと足を向けた。


 クライフは軽く悪態を吐きつつ片手を上げて答えたが、二人の会話を聞いていたロットバルトは、僅かな違和感を覚えてその後ろ姿を見送った。


 高度な戦闘能力を有する剣士。軍に採用されているのがレオアリス一人のみと言うのは、考えてみればおかしな話だ。確かに剣士は存在そのものが数少ないが、在野の数名の名は時折耳にする。


「剣士って軍がキライなのかね。まぁ、上将も結構、役に縛られるの嫌そうだしな」


 向けられたロットバルトの意外そうな顔に、クライフはピクリと眉を顰めた。ロットバルトの言葉を牽制するように、整い過ぎとさえ言えるその顔をじろ、と睨む。


「お前も何それ。俺がなんか考えるのが意外か? 考えるっつーの」

「いえ。私も同じ事を考えていたもので」

「お、そうだろ。やっぱ思うよなぁ。近いとこで言や、上将の一族だって……」


 取り様によってはそれも失礼な発言だが、クライフはすぐにころっと口調を変え、しゃがみ込んだまま頷いた。それからはた、と口を噤み、ひどくばつの悪そうな表情を浮かべる。


「あ、や、今の撤回。失言だ」


 ロットバルトは何も言わず、頷くだけに留める。


 レオアリスの一族は、彼が生まれた頃に失われている。


 失われた詳しいいきさつについては、大隊の者達はもとより、レオアリス自身も知らないようだった。


 特にそれについて、レオアリスが何かを言った事はほとんど無い。出身にしても、問われれば常に、北方の術士の村、と、それだけだ。


 ただ以前、それに近接するだろう幾つかの出来事があった。


 数ヶ月前、まだ季節が春を迎えたばかりの頃、第一大隊が王の命を受け、東方の辺境に聳えるミストラ山脈に住む、アリヤタという半獣族を調査した時の事だ。


 アリヤタ族はその内蔵が非常に高価で希少な術の触媒となるため、乱獲され、絶滅に瀕していた。ヴィルトールの右軍がミストラに着いた時には、もはや彼らは取り返しの付かない程その数を減らしていた。


 あの時のレオアリスは、自分から望んでミストラに赴いたにも関わらず、終始どこか憂鬱そうだった。


 レオアリスが現在の姿――剣士として覚醒したのは王都に上がる直前の事で、それ以前は術を生活の糧とする術士として育っている。


 それ故にその件に関しては、かつて術士として生きていた者が抱く罪悪感とも言うべき感情と、それ以外の何かを抱えていた。


 ミストラ山脈の奥で眼にした焼け落ちた村に、生き残った僅か十名にも満たない半獣達。


 その時に、レオアリスの力が暴走したのだ。


(暴走か。表立って言える事ではないが、そう表現せざるを得ない)


 それが何を原因としたのか、明確には判らないままだ。その後の調査は行われていない。


 王の命が下らなかったからだ。


 だが、膨れ上がった力が山の斜面を断ち、滅びかかったアリヤタ族の村ごと飲み込んでいく、あの様。


 あの時の凄まじいまでの力の発露、それを、ロットバルトは今でも明確に思い出す事が出来る。


 事件後、レオアリスの故郷を訪れる機会を得た時、彼と村人の姿が全く似ていないと知った。


 鳥の頭を持った半鳥の一族であった彼等は、小さくひっそりとした村で十数にも満たない人数が暮らしていた。


 あの時、外界から切り離されたような辺境の村の、その更に奥を示した、レオアリスの横顔が浮かぶ。


 指し示した先に広がる、深い森。



『――あのずっと奥に、今はもう滅びた村がある。ガキの頃、一度だけそこに連れて行かれて、爺さん達が何かに祈るのを、訳も分からず見てた』


『そこかもしれないし、そうじゃないかもしれない』



 ロットバルトの脳裏に浮かんだ横顔には、明確な感情は読み取れない。


 ただその時の推測だけで言えば、レオアリスの一族も、アリヤタ族と同じような理由で滅んだ種なのではないかと、そう思える。


 あの時レオアリスが抱えていたもの、おそらくあの力の暴走を呼んだものは、『怒り』だ。


 滅びかけた村、滅びに瀕した種族、為す術もなくただそれを眺めるだけしか出来ない事への……


(……いや、少し違うな。共感か?)


 それも納得できる根拠が薄い。ロットバルトは今更ながら、あの時調査を進言すべきだったと考えていた。密売に関連する裁判への対応に追われてはいたが、原因を子細に分析し把握しておく必要は本来あったのだろう。


 それはもしまた同じ事が起こった時、どう対処すべきかという事だ。


 あの時左軍に、レオアリスを抑える事は出来なかった。


 もしあそこにいたのが左軍だけではなく、一大隊だったとしても同じ事だ。


 ヴィルトールも理解しているのだろうが口にしない、だが厳然とした事実がある。王があの暴走を抑えなければ、おそらく、


「……ト、おい」


 はっと現実に引き戻されると、すぐ目の前に当のレオアリスの顔があった。


「……失礼しました。ご面倒ですが、もう一度……」


 視線を落としロットバルトが姿勢を正すと、レオアリスは呆れたように笑った。周囲に眼を向けると、クライフとフレイザー、グランスレイもいつの間にか既に姿を消している。


「ま、そんな大した用じゃないんだが」


 レオアリスは口元に右手を当て、まじまじとロットバルトを眺める。


「何です?」


 ロットバルトはその視線を受けて蒼い瞳を細めた。先程までの思考を読まれたのかと思ったのだが、レオアリスが考えていたのは別の事のようだった。


「いや、今度……」


 ふいに声を潜めたレオアリスに何事かと身構えると、レオアリスは漆黒の瞳にどこか楽しげな光を浮かべ、ロットバルトの持つ剣を指した。


「それ、貸してくれ。ちょっとでいいからさ」


 ロットバルトは整った顔に、物柔らかな笑みを刷いた。


「遠慮します」

「……即答だな……」


 まだロットバルトの剣を指差した状態のまま、レオアリスは頬に憮然とした色を浮かべる。剣を借りるというよりは、ロットバルトの得意とする抜き打ちをやってみたいのだ。


 抜き打ちという特殊な技を考慮して打たれた剣は一般的ではなく、特別に打たせる必要がある。使おうと思っても、すぐに手に入るものではない。だから取り敢えず借りて、という事なのだろう。


「貴方なら出来るのでしょうが、私の剣で、というのはお断わりします。貴方はすぐ折るでしょう」


 レオアリスは鍛冶師が鍛えた剣を使う事ができない。その力の負荷に耐えられず、すぐに剣が折れるのだ。作りの荒い剣であれば、それこそ振っただけで折れてしまう。正直、一隊の中で鍛冶師に一番嫌われているのはレオアリスだ。


 すぐに折られると判っているものを貸す気は、さすがのロットバルトにもない。


「ちっ。さっきクライフもそう言ってさっさと逃げやがった」

「当然ですね。鍛冶師に打たせたらいかがです」


 鍛冶師と聞いて、レオアリスの眉間の皺が更に濃くなる。


「あのじじいども、俺が近寄るだけで怒鳴るんだぜ?」

「それも、当然でしょう。王から賜った剣すら折るんですから」


 その言葉に、レオアリスは途端に決まり悪そうに視線を泳がせた。


 以前彼は、王から下賜された剣を折ってしまった事がある。その時のレオアリスは、蒼白になって暫くの間落ち込んでいた。


 アスタロトには散々からかわれていたが、ただ王はレオアリスが剣を折る事を見越していたのだろう、謝罪するレオアリスを前にひとしきり笑っただけだという話だ。


「くそ、断るか? 普通」


 不満そうにぶつぶつと独りごちながらも、それ以上要求する気は失せたようで、レオアリスは演習場の端に向って歩き出した。


 向かった先、演習場の出入口近くではまだ数名の隊士がいて、それぞれに訓練を続けている。既に通常の訓練は終了していて、自主的に行っているものだ。レオアリスはその姿に嬉しそうに眉を上げ、彼等へと近づいた。


「まだやってんのか、熱心だな」


 掛けられた声に振り返り、レオアリスとロットバルトの姿を認めて、隊士達が一斉に跪く。


「気にしないで続けろよ。まあ、ちょっと見させて貰う」


 隊士達は嬉しそうにお互いの顔を見合せた。大将が個々の剣を見る機会はなかなか得られないため、特に末端の隊士達にとっては降って湧いた幸運と言える。


 再び訓練に戻った彼等を、レオアリスはその場に立ったままじっと眺めた。二人一組での立ち合いや、器具を使った練習だ。


 その一つには、打ち込みの修練の為に使われる、棒の切れ端を複数吊しただけの単純な器具が設えられているが、ただ打つだけではゆらゆらと不安定なそれは確実に捉える事は難しい。数名の隊士はそれに苦心しているようだった。


 剣を振り抜いても、支えが無いために標的は容易く後方へと力を逃がし、上手く捉えられずにいる。


「……手の内が甘い。捉える瞬間に絞めてみろ」


 レオアリスの助言に、隊士は柄を握り直し、二、三度振った。それからもう一度器具に向かって振り抜いたが、今度は標的を越して剣が泳いでしまう。


「違うって。それじゃ全体に力が入り過ぎだ」


 隣に立ち、肘、肩を軽く叩いて力を抜かせる。隊士の肘を支えるように手を当て、肩越しに標的を覗き込んだ。


「絞めるのは打ち抜く瞬間だけでいい。全体に力が入ってたら逆に速度が落ちるからな。打った後の体捌きも落ちる」


 レオアリスが指導を始めたのを見て、他の隊士達もその周囲に集まって来た。真剣な表情で頷きながら一言も聞き漏らすまいと、身を乗り出すように聞いている。


「もう一度。深呼吸してからだ」

「はっ」


 隊士は幾分緊張しながらも剣を右手で握りなおすと、身体の前で中段に構え、一呼吸置いてから振り被った。


 気合いと共に正面の標的に向かって剣を振り下ろす。


 先程より堅い手応えが響いたものの、芯を捉えきれずに標的は今度は左へ逃げた。


「やっぱ右肩に力が入ってんなあ。……ちょっと貸してみな」


 慌てて差し出された剣を受け取ると、レオアリスは器具の正面に立ち、周囲の隊士達を見渡した。


「打つ寸前まで力は大していらない。特に肩は楽にしろ。絞めるのは小指から二本、中指から先は支え程度で十分だ」


 一旦柄を上にして逆手に持った剣を持ち上げ、言葉の順に沿って右手の小指と薬指の二本だけで握って見せる。隊士達が頷くのを見てから、左足を斜め後ろへ引き、身体を僅かに落とした。


 周囲が無意識の内に息を飲んで見つめる中、一度剣の平を流すように当て、吊した十個程の標的を全て揺らす。


 一つ一つがばらばらな方向へ浮ききった瞬間に、レオアリスは右足を一歩踏み込んだ。


 一閃としか映らなかった。


 瞬きの間に、標的が全て乾いた音を立てて砕ける。その場の隊士達が同時に感嘆の声を上げた。


「おおっ」

「早……見たか?」

「いや、初太刀しか……」


 続けざま、高い金属音が弾ける。


「げっ……」


 剣を振り抜いた姿勢のまま固まったレオアリスに、一歩下がって眺めていたロットバルトは溜息をついた。


 身体を起こし、刃の中程から砕けた剣を束の間まじまじと見つめ、それからレオアリスは気まずそうに視線を反らせた。


 茫然としたままの隊士へ、そろそろとそれを差し出す。


「……悪い……。」

「は……? ――あ、いえ」


 今更ながらに折れた自分の剣に気付いて、隊士は目にした剣への感嘆と無残な剣の状態に、複雑な顔のままそれを手にした。


「ついうっかり……悪かったな」

「い、いえ! とんでもございません」


 自分よりも低い位置にある顔が更に低くなるのを慌てて押し止め、隊士はその剣を素早く鞘に収める。


 ロットバルトはその様子に仕方無さそうに息を吐き、二人の方へ歩み寄った。


「戻る前に調度課に寄りなさい。上将が折ったと言えば咎める者もないでしょう。経費は上将の報償から落とすよう伝えますよ」

「……そうしてくれ……」

「もちろん、この器具についても」

「それもかよ? 何の為に修繕経費積んでんだ」

「既に逼迫しておりますので。まあ増額を財務と交渉してみることは可能でしょうが、その場合は財務の担当者を崩すのはお任せしますよ」

「判った判った。俺が責任持つ」


 溜息をついて歩き出そうとした時、折れた剣を眺めていた隊士が遠慮がちに口を開いた。


「上将、お願いがあるんですが」


 レオアリスが振り返ると、隊士は折れた剣を掴んだまま左腕を胸に当てる。


「折れた剣を、返却しなくても宜しいですか」

「?」


 隊の武具は全て貸与品のため、破損した場合は新しいものを受け取る際に返却するのが常だ。


「その、手元に置いておきたいので……」

「いや、だけど」

「構いませんよ」


 レオアリスが戸惑っている間に、ロットバルトが微かに笑ってそれを了承する。隊士は勢い良く一礼すると、仲間の元に戻った。レオアリスが首を傾げる。


「何で? 意味ねぇじゃんか。それより持ってられると余計後ろめたいんだけど……」

「貴方にとってはいい薬でしょう」


 口に出してはそう言って笑ったものの、実際隊士にとっては逆にいい指標になるだろう。


 心なしか肩を落としたままレオアリスが歩き出した時、微かな金属音が鳴り、足元に小さな飾りらしきものが落ちた。地面を二三度転がったそれを、ロットバルトの手が拾い上げる。


「上将、こちらは」


 レオアリスは振り向いて、今更ながらに自分の襟元をつまみ上げた。


「ああ、悪い」


 細い鎖に通した小さい銀の飾りだ。握り込めば掌に軽く納まるくらいのそれには、中央に青い石と剣の意匠が施されている。


 確か、レオアリスが常に身に付けているものだ。


 レオアリスに手渡そうとして、青い石が暮れかけた陽光を微かに弾き、ロットバルトはふと瞳を細めた。


 石の奥に何かの影が浮き上がっている。剣の意匠。見ない紋章だ。レオアリスの一族のものなのだろう。


(剣士の一族か……)


 レオアリスのような剣士ばかりだったのだろうか。


(それで滅びるとは、考えにくいな)


 レオアリスはその中でも、特に高位の戦闘能力を持っていたと言えるのだろう。ふとある疑問を抱いて、ロットバルトは視線を上げた。


(――この人はこれまでに、全力で戦えた事があるのか?)


 常に二本の剣の内の一本しか用いない。グランスレイもまた、レオアリスが二本の剣を持つところを見た事が無いと言っていた。


 それはレオアリスにとって、「剣士」にとって、どうなのだろう。


「何だ?」


 我に返り、他愛もない疑問は消える。レオアリスは受け取る為に手を差し出しかけたまま、怪訝そうにロットバルトを眺めている。


「いえ……。失礼しました」


 飾りをレオアリスの手に戻すと、レオアリスは切れた鎖を見て面倒そうに一つ息を吐いた。


「ガキの頃からずっと付けてるからなぁ……」

「鎖を代えれば済みますよ。大切なものなのでしょう」


 レオアリスは銀のそれを持ち上げた。陽光を弾き、青い石の奥まで透けるように光る。


「爺さん達が片時も離すなって言ってたから、何となくだ。まぁ、前はいつか食うのに困った時にでも売ろうかと思ってたんだけど、そりゃちょっとさすがに止めた」


 その言い草に、ロットバルトは少し呆れて笑った。


「食うに困る、ですか」

「お前はちょっと想像付かないかもな」


 ヴェルナー家は、貴族の子息が比較的多い近衛師団の中でも異色といえる。食料や衣服に困るなど、言葉すら頭の中に入っていないのではないだろうか。


「想像した事もありませんね」


 悪びれもせずに言ってのける参謀官に肩を竦めると、レオアリスは上着にそれをしまって演習場の出口に足を向けた。


「この後、何だっけ」

「夕刻から会議が一件。出席者は総将、三隊の各大将です」

「めんどくせぇ……。働きすぎだ」


 レオアリスは天を仰ぎ、うんざりと溜息を吐いた。訓練ならいくらでもやっていいが、会議など肩が凝るばかりだ。この後の会議はまだいいが、出席人数が増えるに従って議事進行は遅くなり、時間ばかりが無駄になる。


「王の御前演習が近いでしょう。その件ですよ」

「ああ」


 僅かにレオアリスの声の響きが変わった事に、ロットバルトが笑みを洩らす。


「何だよ」

「いえ」


 殊、王に関する事になると、気付いているのかいないのか、レオアリスの纏う空気が変わる。その様子を眺めると誰もが、父親に褒められた子供のような印象を覚えた。


 演習場を横切り厩舎の扉をくぐると、個別に仕切られた柵がずらりと並び、数騎の飛竜が翼を休めている。レオアリスは入り口の程近くの柵の中に寝そべっている、銀鱗の飛竜に近寄った。


「ハヤテ」


 主の声に首を擡げ、ハヤテは喉を鳴らしてレオアリスの差し出した手に顔を寄せる。青い宝玉のような瞳を瞬かせ、早く乗れというように一声鳴き翼を震わせた。


「散歩には行かないぜ。司令部に戻るだけだ」


 ハヤテはつまらなさそうに木の柵に顎を置き、それでも主を乗せるために身体を屈めた。レオアリスはその首を軽く叩いてから、ハヤテの背に飛び乗る。


 手綱を繰ると、銀の翼が風を孕み、ふわりと宙に舞う。


 厩舎の中央は飛竜が出入りしやすいように広い間口が取られている。ハヤテはそこから厩舎の外に上がり、一度気持ち良さそうに旋回した後、悠然と王城を目指して翼をはばたかせた。ロットバルトはそれを見届けてから一礼し、自らの飛竜の元へと足を向けた。


 演習場と王城の間には、広い城下の街が横たわっている。上空から映る王都には、血の様に赤い斜陽の長い影が差していた。


 燃えるように王都を染め上げる、美しいはずのその色が、レオアリスは幼い頃からあまり好きではない。飛竜の上にも染めかかる夕光を避けるように瞳を閉じる。


 閉じた瞼の奥に、赤い光は残像となって散った。










 

 

 燃えるような夕日の中、落日よりも更に紅い炎が幾筋も走り、枯れかけた草木に灯る。


 それを追うように衝撃が大気を切り裂き、樹々を刈った。


 灯った炎は一瞬にして掻き消え、轟音と共に大地に亀裂が穿たれる。


 崩れゆく音と闇の中、男は満足そうな笑みを冥い口元に浮かべた。


 総てとはいかない。


 だが、元通り。

 


 

 さあ、再会と行こうじゃないか?








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