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王の剣士3「剣士」  作者: 雅
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第四章 六(二)

 閃光が奔る。


 剣を弾き、流し、斬り上げる。

 胸元で止められた刃を反して薙ぐ。


 互いの刃が上段かと思えば下段へ、流星のように尾を引く。

 剣が翻る都度、周囲の木立が切り裂かれて倒れ、大地が削られた。

 黒森が苦痛を受けて騒めく。


 剣を撃ち合わせ、一瞬互いの視線が交叉する。同時に弾き上げて跳び退さると、後ろ足で地面を蹴った。


 鋭い音が響き、互いの足元で剣が交叉して止まる。

 二人の間の地面が衝撃を受けて陥没した。


 身体を入れ替え、再び距離を取る。


 残響が、一瞬の内に静寂を取り戻した廃墟の中に谺して消えた。


 ゆらりと上体を起こしたバインドの口元に冥い笑みが湧き上がる。

 肩が僅かに震え、それは次第に大きくなり、高い哄笑に変わった。


「はははっ! ――いいなぁ、これだよ。俺は長い間、ずっとこれを待っていた。この俺と、再び剣を合わせられる相手を……!」


 ゆっくりと、左腕の剣を目の前に掲げる。

 剣を縁取る赤い焔が、喜びに震えるようにざわざわと揺らぐ。


「お前も、そうだろう……」

「……言ったはずだ。俺は、お前とは違う」


 不快さを隠そうともせず、レオアリスはそう吐き捨てた。

 だが、剣を合わせている間、ずっと身の内に沸き上がってくるもの。


 愉悦。

 闘いへの――


 二つの思いがある。


 警鐘を打ち鳴らすものと、貪欲にその愉悦を欲するもの。


「考えるな」


 バインドが動く。


 先程よりも疾い剣戟を剣の平で流すように手の内を反し、レオアリスはそのまま弧を描いて斬り下ろした。

 切っ先がバインドの脇腹を掠めた。

 初めて、赤い血が散る。


 バインドは後方へ跳び、雪の上に片膝を付いた。僅かに掠めただけの刃の凍るような痛みに、瞳を細める。

 捉えられれば確実に、二つに切り裂かれるだろう。


 だがまだバインドの望む存在には足りない。

 生と死を垣間見る、その戦いこそがバインドの望むものだ。


 それだけが、自らの存在を満たす。


 それ以外は必要ない。


 右腕が存在を訴えるように軋んだ。


「――まだ、足りないな。その程度じゃあ期待外れだ。……お前の目を覚まさせるには、何が必要だ? 怒りか」


 身を起こし、バインドは脇腹から流れ出る血に目を細め、にぃっと笑った。

 瞬く間に血が止まり、傷口が塞がっていく。


「お前のその剣、その青白い光。覚えてるよ。……昔話をしようか……?」

「必要ない」


 振り抜かれたレオアリスの剣を、赤い刃が受け止める。

 バインドは剣を反すと、レオアリスの剣を巻くようにして足元の地面に押さえ込んだ。


 レオアリスに退く間を与えず、剣を跨ぐように踏み出し体重を乗せる。


「っ」


 バインドがぐいと顔を寄せた。

 見開かれた瞳の中に、狂気と愉悦が仄見える。


「まぁ聞けよ、お前にも懐かしい話だ――。俺が初めて戦った剣士。この地で反乱を起こした剣士の一族の一人だ。そいつが一番強かった。美しい長剣を持っていてなぁ。

青白い光を纏う……お前のこの剣のように」


 レオアリスの瞳を捉えたまま、口元が歪んだ笑みを浮かべる。


「そいつとの戦いが、俺の中の欲望を呼び起こした」

「……黙れ」

「剣士の本能――切り刻む悦びだ」

「黙れ!」


 レオアリスは弾かれるように叫んだ。バインドが嗤う。


「お前の、父親だよ! 似ていたぞ、お前に、よぉく!」


 レオアリスの瞳に怒りが灯る。


 抑えられていた剣が足元から跳ね上がった。

 バインドの腕が高々と上がる。


 振り下ろされた剣に、バインドの身体が真っ二つに割られたかに見えた。


 衝撃を受けて、大地に深い亀裂が走る。

 巻き上がった雪と土砂の中に踏み込んだレオアリスの背後で、嘲笑が響いた。


「お前の父親を殺すのは楽しかったよ。感謝してるんだ……おかげで俺は、剣士とは何者かを知ったんだからなぁ!」


 目の前が怒りで霞む。剣が大きく脈打ち、引きずられるように振り抜いた。

 バインドの背後の木々が薙ぎ倒され、積もった雪の上に崩れる。


 二の太刀、三の太刀を軽くいなし、バインドはレオアリスの懐に踏み込んだ。


「!」


 バインドの剣が紅く輝く。

 右下から剣が振り抜かれる。刃より熱の塊を叩きつけられるような感覚だ。


 辛うじて防いだ剣もバインドの剣の勢いを殺しきれず、レオアリスは後方へと弾かれた。


 木の幹に肩と頭を打ち付け、一瞬意識が遠退く。

 薄れかけた視界に紅い光が過る。


「っ」


 反射的に木の幹を押すように離れた場所を、焔が砕いた。


 バインドが間合いを詰め、迎え打つレオアリスの剣を弾く。

 そのまま手を緩めず、鋭い切っ先がレオアリスの身体を掠めた。


「くく、どうした? 剣が鈍いな」


 躱しているにも関わらず、焔の熱が皮膚を焦がすのが判る。それだけで体力が消耗していく。


 バインドが一歩踏み込むごとに、レオアリスは後退する。


 逸らしたレオアリスの首を剣が掠め、切れた服の襟元から蒼い石の付いた鎖が覗いた。


「へぇ」


 バインドが面白そうに瞳を見開く。


 退こうとした肩が木の幹にぶつかって漸く、自分がいつの間にか木を背後にしているのに気付き、レオアリスは舌打ちした。


 だが崩された感覚を取り戻そうとしても、沸き上がってくる怒りが邪魔をする。


 バインドがずい、と踏み込み、剣を突き出した。

 左に抜けようとして、木の幹に突き立った剣に絡まった鎖に引かれ、がくんと身体が止まる。


 レオアリスは木の幹を背に振り返り、バインドと正面から向かい合った。


 バインドの瞳が細められる。


「……なつかしいな、この飾り。お前の一族の紋章じゃないか?」


 じり、と剣の当たっている鎖と首の皮膚が焦げる。

 キン、と小さい音がして鎖が千切れた。


 剣先に弾き上げられ、反射的に追った手を、バインドの赤い刃が切り付ける。


 咄嗟に躱したものの、右の二の腕が深く裂け鮮血が噴出し、足元の雪を紅く染めた。


 腕を抑えながら、離れた雪の吹き溜まりに落ちた鎖を、レオアリスの視線が追う。

 その様子をバインドが面白そうに眺めた。


「気になるか? そうだろうなぁ。あれはお前の父親のものだ。よく残っていたもんだ。――青い石のものはその長だけが持つ。今のお前に相応しいじゃないか」


 バインドの哄笑が廃墟の中に響いた。


「たった一人だもんなぁ?!」


 雪を吹き上げて剣風が走る。

 だが切り裂いたのは、バインドの残像のみだ。バインドの姿は視界から消えている。


 移動する気配を追いながら、レオアリスは大きく息を吐いて呼吸を整える事に集中する。


『殺せ』


 じわり、と心の中に浮かび上がってくる、殺意。

 そしてその喜び。


 それらが自分を支配しようと沸き上がる。


(――邪魔を、するな!)


 気配は、上だ。


 鋭い金属音とともに、頭上に振り上げた剣が、打ち下ろされたバインドの剣を弾く。


 踏みしめた足元が雪に取られ、体勢を崩したレオアリスの上に、新たな剣戟が振り下ろされる。

 逸らした左肩に焼け付く痛みが走った。


 予期した追撃はない。体勢を直したレオアリスの周囲で、バインドが嗤う。


「……余計な事を考えていると死ぬぞ。剣も満足に振るえないまま死なれちゃ、この俺が十七年待った甲斐が無い。……まだ後押しが必要か?」


 振り返り様、叩きつけるように振り抜かれた剣が、バインドの頬を浅く切り裂く。

 赤い血が飛び散り、花弁のように雪の上に散った。


 バインドは身動ぎもせず、レオアリスの剣先をちらりと眺めた。腕が血を拭いとると、既にそこに傷は無い。


「しっかり狙えよ。……なあ、お前の父親は強かったぜ。この俺よりも……」


 喉の奥で嗤いを転がす。


 バインドの剣がレオアリスの右腕と胸を掠める。

 熱を受け、レオアリスの瞳が軋んだ。


「それで何故俺が今生きているか、教えてやろうか」


 打ち込んだ剣はバインドの左手に弾き返される。


 バインドは大きく踏み込み、間合いを詰めた。


「……一瞬だけ、奴は何かに気を取られた。そこに力を向けた。気に食わないよなぁ。俺との戦い以上の、何があるっていうんだ?

……俺は、その何かを探した」


 その言葉を聞くなと、心の奥で警鐘が打ち鳴らされる。


 だが聞くまいとしても、塞ぐ術などなく言葉は自然と耳に入り込む。


 レオアリスの剣が正確さを欠くのと反比例するかのように、赤い剣が、浅く、だが確実に、レオアリスの身体に熱を刻み付けていく。


「そして、剣士の里で……ここで、それを見つけた」


 聞くな。


 脳裏に青い光が過ぎる。


 自分を押し留めるように、暖かく包んだ光。


 バインドの声が低く、愉悦を宿して蛇のように這う。


「赤子だった――」


 青い。


 聞くな。


「――お前だよ」


 びくりと震え、レオアリスの剣が動きを止めた。


 俯いたその右肩を、バインドの剣が貫く。

 更に剣を深く押し込むと、腱が千切れ、骨を削る音がバインドの耳にも届いた。


 噴き出すはずの血が、剣の纏う炎の熱で赤く蒸発する。剣を握った右腕が、力を失ってだらりと下がった。

 俯いたレオアリスの表情は見えない。


 バインドが剣を引き抜くと、つられるようにレオアリスの膝が雪の上に落ちた。


 右肩を覆う激痛にも苦鳴すら上げず、俯いたまま動かない姿を見下ろし、バインドは苛立つようにその瞳を細めた。


「早くしろ。それとも、終わりか?」


 紅い剣が、レオアリスの頭上に持ち上がる。それでもレオアリスは身動ぎすらしない。


 その内面を現わすかのように、手にした剣からは光が失せている。


 バインドは鋭く舌打ちをし、振り上げた剣に力を篭めた。


「つまらねぇ……。死ね」


 翼の羽ばたきが凍る大気を打った。


 銀の鱗が光を弾き急降下する。

 顔に掴み掛かった鋭い鉤爪を躱し、バインドの剣が飛竜へと動く。


 剣が飛竜を捉える寸前で、鍔を弾く音と共に白い閃光が走った。


 首許に伸びた白光を後方に飛んで避け、バインドは笑みを浮かべたままの顔を向けた。

 首に浮かび上がった赤い筋をなぜる。


 鞘走らせた剣を納め、ロットバルトは再び柄に手をかけた。


「……面白い太刀筋だなぁ。惜しかったか?」

「全く。限界ですよ」


 向かい合うと、じわりと圧迫感が身体を包む。

 レオアリスの剣と対する時とは違う、狂気を孕んだ剣気に、ロットバルトは無意識に退こうとする足を押し止めた。


 バインドは光の無い闇色の瞳を、膝を付いたままのレオアリスと、正面のロットバルトに交互に向ける。


「剣士同士の戦いに、不粋だとは思わないか?」

「べらべらと、埒もない事を捲し立てる貴様よりはマシだ」


 不愉快な響きを隠しもせず、ロットバルトはバインドを睨み据えた。


「クク……」


 バインドはチラリと上空に視線を飛ばした。

 飛竜が再びバインドに掴みかかろうと旋回する姿を捉え、嗤う。


「――余計な手出しをしなければいいものを。まあ、お前等の死もまとめて、レオアリスにくれてやるのもいいかもなぁ?」


 バインドが一歩踏み出す。それだけで強烈な圧迫感が叩きつける。


 更にもう一歩――だがロットバルトの間合いには足りない。

 ロットバルトを相手に、バインドに間合いなど関係ないだろう。

 バインドが剣を一振りすれば、それで終わりだ。


 ロットバルトは鞘を強く握り込み、バインドに視線を注いだまま距離を測った。


 あと数歩踏み込んでくれば剣が届く。それを待つだけで激しい消耗を覚えた。


 レオアリスは雪の上に膝を付いたまま、動く気配すらない。


 ロットバルトはバインドを退かせる方法を探して思考を巡らせる。


 バインドがもう一歩、歩を進めた。

 じり、と冷たい汗が額を伝う。


 バインドが再び踏み込む。


(チ)


 何の策も浮かばないまま、左手の指が剣の鍔を弾きかけた、その時。


 一瞬、大気が震えた。


 二人の視線が吸い寄せられるように一点に向けられる。


 レオアリスの身体を青白い光が覆うように包んでいる。


 レオアリスの剣が纏う、剣光。



 ふいに強烈な圧迫感が、レオアリスの身の裡から膨れ上がった。


 剣光が爆発するように急速に広がる。

 光に触れた瞬間、ロットバルトは弾かれ、後方に飛ばされた。


「っ」


 雪に片手を付き、霞む頭を振って顔を上げる。


 視界の先、先程までと変わらない位置に、レオアリスが立ち上がっているのが見えた。


 陽炎のように青白い剣光がその身体を取り巻いている。



 バインドもまた、弾き飛ばされたその場で、レオアリスの姿を捉えた。


 驚愕に見開かれた瞳が、次第に再び強い愉悦の色を滲ませる。


 レオアリスはその場に立ったまま動かない。だが、その足元から、ゆっくりと、放射状の亀裂が広がっていく。


 右手に剣を提げたまま、レオアリスの左手が持ち上がり、鳩尾の上に置かれた。


 ずぶりと沈み、光が溢れる。


 白い世界が、青く染められていく。


 再び、左手が引き抜かれる。


 ゆっくりと現れたのは、右手の剣を映したかのような、青白い光を纏う長剣だ。



 ロットバルトが息を呑む。

 レオアリスの剣は彼の十三対目の肋骨――即ち、二本。


 だがこれまでの戦いで、レオアリスが二本の剣を持つ所を、ロットバルトは見た事が無かった。


 強い不安が胸に灯る。


『俺は、狂うと思うか?』


 ミストラの時とは違う、だが確かに、レオアリスが纏う強烈なまでの鬼気は、普段見知ったものではない。


 レオアリスの負った傷が、瞬く間に癒えていく。


「……ク……ハハ、ハハハハハ! 待っていた、待っていたぞ、これを! ……漸く、会えたなぁ!」


 感に耐えないというようにバインドが喉を震わせた。


 立ち上がり、レオアリスに向かって歩き出す。


「さぁ、思う存分戦おうじゃないか」


 バインドの剣が熱を増す。

 たちまちの内に周囲の雪が溶け、乾き始めた。








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