第四章 六(二)
閃光が奔る。
剣を弾き、流し、斬り上げる。
胸元で止められた刃を反して薙ぐ。
互いの刃が上段かと思えば下段へ、流星のように尾を引く。
剣が翻る都度、周囲の木立が切り裂かれて倒れ、大地が削られた。
黒森が苦痛を受けて騒めく。
剣を撃ち合わせ、一瞬互いの視線が交叉する。同時に弾き上げて跳び退さると、後ろ足で地面を蹴った。
鋭い音が響き、互いの足元で剣が交叉して止まる。
二人の間の地面が衝撃を受けて陥没した。
身体を入れ替え、再び距離を取る。
残響が、一瞬の内に静寂を取り戻した廃墟の中に谺して消えた。
ゆらりと上体を起こしたバインドの口元に冥い笑みが湧き上がる。
肩が僅かに震え、それは次第に大きくなり、高い哄笑に変わった。
「はははっ! ――いいなぁ、これだよ。俺は長い間、ずっとこれを待っていた。この俺と、再び剣を合わせられる相手を……!」
ゆっくりと、左腕の剣を目の前に掲げる。
剣を縁取る赤い焔が、喜びに震えるようにざわざわと揺らぐ。
「お前も、そうだろう……」
「……言ったはずだ。俺は、お前とは違う」
不快さを隠そうともせず、レオアリスはそう吐き捨てた。
だが、剣を合わせている間、ずっと身の内に沸き上がってくるもの。
愉悦。
闘いへの――
二つの思いがある。
警鐘を打ち鳴らすものと、貪欲にその愉悦を欲するもの。
「考えるな」
バインドが動く。
先程よりも疾い剣戟を剣の平で流すように手の内を反し、レオアリスはそのまま弧を描いて斬り下ろした。
切っ先がバインドの脇腹を掠めた。
初めて、赤い血が散る。
バインドは後方へ跳び、雪の上に片膝を付いた。僅かに掠めただけの刃の凍るような痛みに、瞳を細める。
捉えられれば確実に、二つに切り裂かれるだろう。
だがまだバインドの望む存在には足りない。
生と死を垣間見る、その戦いこそがバインドの望むものだ。
それだけが、自らの存在を満たす。
それ以外は必要ない。
右腕が存在を訴えるように軋んだ。
「――まだ、足りないな。その程度じゃあ期待外れだ。……お前の目を覚まさせるには、何が必要だ? 怒りか」
身を起こし、バインドは脇腹から流れ出る血に目を細め、にぃっと笑った。
瞬く間に血が止まり、傷口が塞がっていく。
「お前のその剣、その青白い光。覚えてるよ。……昔話をしようか……?」
「必要ない」
振り抜かれたレオアリスの剣を、赤い刃が受け止める。
バインドは剣を反すと、レオアリスの剣を巻くようにして足元の地面に押さえ込んだ。
レオアリスに退く間を与えず、剣を跨ぐように踏み出し体重を乗せる。
「っ」
バインドがぐいと顔を寄せた。
見開かれた瞳の中に、狂気と愉悦が仄見える。
「まぁ聞けよ、お前にも懐かしい話だ――。俺が初めて戦った剣士。この地で反乱を起こした剣士の一族の一人だ。そいつが一番強かった。美しい長剣を持っていてなぁ。
青白い光を纏う……お前のこの剣のように」
レオアリスの瞳を捉えたまま、口元が歪んだ笑みを浮かべる。
「そいつとの戦いが、俺の中の欲望を呼び起こした」
「……黙れ」
「剣士の本能――切り刻む悦びだ」
「黙れ!」
レオアリスは弾かれるように叫んだ。バインドが嗤う。
「お前の、父親だよ! 似ていたぞ、お前に、よぉく!」
レオアリスの瞳に怒りが灯る。
抑えられていた剣が足元から跳ね上がった。
バインドの腕が高々と上がる。
振り下ろされた剣に、バインドの身体が真っ二つに割られたかに見えた。
衝撃を受けて、大地に深い亀裂が走る。
巻き上がった雪と土砂の中に踏み込んだレオアリスの背後で、嘲笑が響いた。
「お前の父親を殺すのは楽しかったよ。感謝してるんだ……おかげで俺は、剣士とは何者かを知ったんだからなぁ!」
目の前が怒りで霞む。剣が大きく脈打ち、引きずられるように振り抜いた。
バインドの背後の木々が薙ぎ倒され、積もった雪の上に崩れる。
二の太刀、三の太刀を軽くいなし、バインドはレオアリスの懐に踏み込んだ。
「!」
バインドの剣が紅く輝く。
右下から剣が振り抜かれる。刃より熱の塊を叩きつけられるような感覚だ。
辛うじて防いだ剣もバインドの剣の勢いを殺しきれず、レオアリスは後方へと弾かれた。
木の幹に肩と頭を打ち付け、一瞬意識が遠退く。
薄れかけた視界に紅い光が過る。
「っ」
反射的に木の幹を押すように離れた場所を、焔が砕いた。
バインドが間合いを詰め、迎え打つレオアリスの剣を弾く。
そのまま手を緩めず、鋭い切っ先がレオアリスの身体を掠めた。
「くく、どうした? 剣が鈍いな」
躱しているにも関わらず、焔の熱が皮膚を焦がすのが判る。それだけで体力が消耗していく。
バインドが一歩踏み込むごとに、レオアリスは後退する。
逸らしたレオアリスの首を剣が掠め、切れた服の襟元から蒼い石の付いた鎖が覗いた。
「へぇ」
バインドが面白そうに瞳を見開く。
退こうとした肩が木の幹にぶつかって漸く、自分がいつの間にか木を背後にしているのに気付き、レオアリスは舌打ちした。
だが崩された感覚を取り戻そうとしても、沸き上がってくる怒りが邪魔をする。
バインドがずい、と踏み込み、剣を突き出した。
左に抜けようとして、木の幹に突き立った剣に絡まった鎖に引かれ、がくんと身体が止まる。
レオアリスは木の幹を背に振り返り、バインドと正面から向かい合った。
バインドの瞳が細められる。
「……なつかしいな、この飾り。お前の一族の紋章じゃないか?」
じり、と剣の当たっている鎖と首の皮膚が焦げる。
キン、と小さい音がして鎖が千切れた。
剣先に弾き上げられ、反射的に追った手を、バインドの赤い刃が切り付ける。
咄嗟に躱したものの、右の二の腕が深く裂け鮮血が噴出し、足元の雪を紅く染めた。
腕を抑えながら、離れた雪の吹き溜まりに落ちた鎖を、レオアリスの視線が追う。
その様子をバインドが面白そうに眺めた。
「気になるか? そうだろうなぁ。あれはお前の父親のものだ。よく残っていたもんだ。――青い石のものはその長だけが持つ。今のお前に相応しいじゃないか」
バインドの哄笑が廃墟の中に響いた。
「たった一人だもんなぁ?!」
雪を吹き上げて剣風が走る。
だが切り裂いたのは、バインドの残像のみだ。バインドの姿は視界から消えている。
移動する気配を追いながら、レオアリスは大きく息を吐いて呼吸を整える事に集中する。
『殺せ』
じわり、と心の中に浮かび上がってくる、殺意。
そしてその喜び。
それらが自分を支配しようと沸き上がる。
(――邪魔を、するな!)
気配は、上だ。
鋭い金属音とともに、頭上に振り上げた剣が、打ち下ろされたバインドの剣を弾く。
踏みしめた足元が雪に取られ、体勢を崩したレオアリスの上に、新たな剣戟が振り下ろされる。
逸らした左肩に焼け付く痛みが走った。
予期した追撃はない。体勢を直したレオアリスの周囲で、バインドが嗤う。
「……余計な事を考えていると死ぬぞ。剣も満足に振るえないまま死なれちゃ、この俺が十七年待った甲斐が無い。……まだ後押しが必要か?」
振り返り様、叩きつけるように振り抜かれた剣が、バインドの頬を浅く切り裂く。
赤い血が飛び散り、花弁のように雪の上に散った。
バインドは身動ぎもせず、レオアリスの剣先をちらりと眺めた。腕が血を拭いとると、既にそこに傷は無い。
「しっかり狙えよ。……なあ、お前の父親は強かったぜ。この俺よりも……」
喉の奥で嗤いを転がす。
バインドの剣がレオアリスの右腕と胸を掠める。
熱を受け、レオアリスの瞳が軋んだ。
「それで何故俺が今生きているか、教えてやろうか」
打ち込んだ剣はバインドの左手に弾き返される。
バインドは大きく踏み込み、間合いを詰めた。
「……一瞬だけ、奴は何かに気を取られた。そこに力を向けた。気に食わないよなぁ。俺との戦い以上の、何があるっていうんだ?
……俺は、その何かを探した」
その言葉を聞くなと、心の奥で警鐘が打ち鳴らされる。
だが聞くまいとしても、塞ぐ術などなく言葉は自然と耳に入り込む。
レオアリスの剣が正確さを欠くのと反比例するかのように、赤い剣が、浅く、だが確実に、レオアリスの身体に熱を刻み付けていく。
「そして、剣士の里で……ここで、それを見つけた」
聞くな。
脳裏に青い光が過ぎる。
自分を押し留めるように、暖かく包んだ光。
バインドの声が低く、愉悦を宿して蛇のように這う。
「赤子だった――」
青い。
聞くな。
「――お前だよ」
びくりと震え、レオアリスの剣が動きを止めた。
俯いたその右肩を、バインドの剣が貫く。
更に剣を深く押し込むと、腱が千切れ、骨を削る音がバインドの耳にも届いた。
噴き出すはずの血が、剣の纏う炎の熱で赤く蒸発する。剣を握った右腕が、力を失ってだらりと下がった。
俯いたレオアリスの表情は見えない。
バインドが剣を引き抜くと、つられるようにレオアリスの膝が雪の上に落ちた。
右肩を覆う激痛にも苦鳴すら上げず、俯いたまま動かない姿を見下ろし、バインドは苛立つようにその瞳を細めた。
「早くしろ。それとも、終わりか?」
紅い剣が、レオアリスの頭上に持ち上がる。それでもレオアリスは身動ぎすらしない。
その内面を現わすかのように、手にした剣からは光が失せている。
バインドは鋭く舌打ちをし、振り上げた剣に力を篭めた。
「つまらねぇ……。死ね」
翼の羽ばたきが凍る大気を打った。
銀の鱗が光を弾き急降下する。
顔に掴み掛かった鋭い鉤爪を躱し、バインドの剣が飛竜へと動く。
剣が飛竜を捉える寸前で、鍔を弾く音と共に白い閃光が走った。
首許に伸びた白光を後方に飛んで避け、バインドは笑みを浮かべたままの顔を向けた。
首に浮かび上がった赤い筋をなぜる。
鞘走らせた剣を納め、ロットバルトは再び柄に手をかけた。
「……面白い太刀筋だなぁ。惜しかったか?」
「全く。限界ですよ」
向かい合うと、じわりと圧迫感が身体を包む。
レオアリスの剣と対する時とは違う、狂気を孕んだ剣気に、ロットバルトは無意識に退こうとする足を押し止めた。
バインドは光の無い闇色の瞳を、膝を付いたままのレオアリスと、正面のロットバルトに交互に向ける。
「剣士同士の戦いに、不粋だとは思わないか?」
「べらべらと、埒もない事を捲し立てる貴様よりはマシだ」
不愉快な響きを隠しもせず、ロットバルトはバインドを睨み据えた。
「クク……」
バインドはチラリと上空に視線を飛ばした。
飛竜が再びバインドに掴みかかろうと旋回する姿を捉え、嗤う。
「――余計な手出しをしなければいいものを。まあ、お前等の死もまとめて、レオアリスにくれてやるのもいいかもなぁ?」
バインドが一歩踏み出す。それだけで強烈な圧迫感が叩きつける。
更にもう一歩――だがロットバルトの間合いには足りない。
ロットバルトを相手に、バインドに間合いなど関係ないだろう。
バインドが剣を一振りすれば、それで終わりだ。
ロットバルトは鞘を強く握り込み、バインドに視線を注いだまま距離を測った。
あと数歩踏み込んでくれば剣が届く。それを待つだけで激しい消耗を覚えた。
レオアリスは雪の上に膝を付いたまま、動く気配すらない。
ロットバルトはバインドを退かせる方法を探して思考を巡らせる。
バインドがもう一歩、歩を進めた。
じり、と冷たい汗が額を伝う。
バインドが再び踏み込む。
(チ)
何の策も浮かばないまま、左手の指が剣の鍔を弾きかけた、その時。
一瞬、大気が震えた。
二人の視線が吸い寄せられるように一点に向けられる。
レオアリスの身体を青白い光が覆うように包んでいる。
レオアリスの剣が纏う、剣光。
ふいに強烈な圧迫感が、レオアリスの身の裡から膨れ上がった。
剣光が爆発するように急速に広がる。
光に触れた瞬間、ロットバルトは弾かれ、後方に飛ばされた。
「っ」
雪に片手を付き、霞む頭を振って顔を上げる。
視界の先、先程までと変わらない位置に、レオアリスが立ち上がっているのが見えた。
陽炎のように青白い剣光がその身体を取り巻いている。
バインドもまた、弾き飛ばされたその場で、レオアリスの姿を捉えた。
驚愕に見開かれた瞳が、次第に再び強い愉悦の色を滲ませる。
レオアリスはその場に立ったまま動かない。だが、その足元から、ゆっくりと、放射状の亀裂が広がっていく。
右手に剣を提げたまま、レオアリスの左手が持ち上がり、鳩尾の上に置かれた。
ずぶりと沈み、光が溢れる。
白い世界が、青く染められていく。
再び、左手が引き抜かれる。
ゆっくりと現れたのは、右手の剣を映したかのような、青白い光を纏う長剣だ。
ロットバルトが息を呑む。
レオアリスの剣は彼の十三対目の肋骨――即ち、二本。
だがこれまでの戦いで、レオアリスが二本の剣を持つ所を、ロットバルトは見た事が無かった。
強い不安が胸に灯る。
『俺は、狂うと思うか?』
ミストラの時とは違う、だが確かに、レオアリスが纏う強烈なまでの鬼気は、普段見知ったものではない。
レオアリスの負った傷が、瞬く間に癒えていく。
「……ク……ハハ、ハハハハハ! 待っていた、待っていたぞ、これを! ……漸く、会えたなぁ!」
感に耐えないというようにバインドが喉を震わせた。
立ち上がり、レオアリスに向かって歩き出す。
「さぁ、思う存分戦おうじゃないか」
バインドの剣が熱を増す。
たちまちの内に周囲の雪が溶け、乾き始めた。