表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
王の剣士3「剣士」  作者: 雅
45/58

第四章 四

 降り募る雪と灰色の雲の幕の向うで、太陽が次第に高く昇っていく。


 レオアリスは戸外に出て雪を踏みしめ、雪雲に覆われた薄い太陽を降り仰いだ。


「昼までには止みそうだな」


 一足先に戸外に出ていたロットバルトが振り返る。足元には膝下まで雪が積もっている。


「この足場では、少々動き辛いのでは?」


 一歩踏み出そうとするだけでも雪が纏いついて、足は重りを付けたように感じられる。この中で普段通りに動くのは困難だ。


 だがレオアリスは事もなさそうに首を振った。


「問題ない」


 ずっとここで育ったのだ。むしろ地の利はレオアリスにある。


 カタリと音をさせてカイルが戸口から姿を現し、レオアリスの前に立つと彼の顔をじっと見つめた。


「……無事に戻れ」


 祖父の顔を見つめ返し、レオアリスは口元に笑みを刻んだ。


「心配すんなって。すぐ戻るよ」


 飛竜へと歩き出しかけたレオアリスを、カイルが呼び止める。


「何だ?」


 カイルは暫らく黙ったままだったが、やがて首を振った。


「いや……」


 そして顔を上げ、訝しそうなレオアリスを見上げる。


「一つだけ、伝えておかなんだ事がある。本当は三年前に伝えるべきだった事じゃ」


 カイルはそれまでの思いを振り切るように、レオアリスの瞳を覗き込んだ。


「レオアリスよ。王がお前を、炎の中から救い上げた。――そして、名をくださった」


 レオアリスの張り詰めていた表情の上に、内側から光の透けるような感情が差す。


 驚きと、もう一つ、


「名を――」


 手足の先に暖かい血が行き渡るような感覚。


 それに何と名前を付ければいいのかは分からない。だが、自分の中にある感情を確かに肯定するものだ。


 この村で、王の御前試合があると聞いた時、ひどく急かされる気持ちを感じた事を思い出す。


 そして、王と相対する時に、常に抱く思い。


 尊敬、畏怖、憧憬――

 ただ一言では、言い表せない感情。


「……その誇りが、お前をこの先、前へと進ませるのじゃろう」


 いつか、青年が言った言葉が、カイルの心の中に浮かんだ。


『剣士にとって、剣を捧げるべき相手を得る事は、何にも勝る存在理由だ』


 レオアリスは自分の手でそれを見つけた。


 剣士としての、存在理由を。


 ならば、レオアリスがこの村を離れる事が、どれほどの喪失感を伴うものであっても、もうカイルにそれを妨げる理由はない。


「必ず戻れ」


 まるでそう言わなければ戻らないとでも考えているかのように、カイルが念を押す。


 レオアリスは祖父の様子に安心させるように笑い、背を向けて歩き出した。握った拳を高く掲げる。


「そんなに心配すんなよ。いい知らせを持ってきてやる」

「――」


 一瞬、レオアリスの姿に、あの夜の青年の姿が重なる。


 鼓動が跳ねた。


 カイルが再び差し出しかけた手を、ロットバルトが押さえた。


 カイルの眼の中に浮かんだ恐怖に似た感情を認め、それを打ち消すように穏やかな笑みをみせる。


「……あまり心配なさらなくとも大丈夫でしょう。これは王が彼に与えた任務ですから。王はそれが可能だとお考えです。だからこそ、それに応えられると、そう思いますよ」


 カイルにとっては、それは辛い響きにも聞こえただろう。


 だが、「剣士」としてのレオアリスにとって、その事は彼の力となるものだ。

 カイル自身が一番、その事を知っている。


「……そうかもしれん」


 カイルは皺ぶいた顔を伏せ、足元に積もった白い雪を見つめた。


 静かに降り募る雪は、全てを覆い隠しても尚満足する事を知らないように、ゆっくりと落ちてくる。


 ロットバルトがレオアリスを追ってその場を離れ、彼等の乗った飛竜の姿が雪の幕の向こうへ消えても、カイルはじっと足元の雪を見つめていた。


 ごく小さな、誰の耳にも届く事の無い呟きが、雪に紛れて散る。


「――後悔する事、それ自体を避けたい選択は、取り返しのつかない事実を目の前にして初めて、そこに選択が存在していたと気付く。

たった一つ、揺るぎなく、取るべきだった正しい選択が確かにあったと」


 カイルは静かに瞳を上げ、レオアリスの向かっただろう森の奥へと、視線を向けた。

 

 王が約束し、毎年村へ届けられた書物。


 王都との交流があった為か、いつしか周囲の者達から、忌み族という見方も薄れ消えていった。


 意識とは単純で愚かだ。


 容易く周囲の状況や言葉に流され、向く先を変える。

 だがそれを責める気にも、憤る気にもならなかった。



 あの場所へ、レオアリスを連れて行ったのは一度きりだ。


 幼いレオアリスは、ただじっと不思議そうに、崩れた家々と自分達を見つめていた。


 何も告げられない事が辛く、その姿を見る事は心に刃を差し込むように耐え難かった。



 そこには崩れ、草に覆われた廃墟以外何も無い。


 小さな手を握るはずの、力強く暖かい手も、優しく柔らかい手も。


 そこに満ちていたはずの、笑い声も。





 しんしんと、雪のように想いは降り続け、心の底に静かに積もり続ける。



 

 静かに、深く、凍り付き、


 溶ける事を知らない雪のように。








評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ