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王の剣士3「剣士」  作者: 雅
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第四章 三

 深い溜息を吐いて、カイルは口を閉ざした。


 長い昔語りの間に、囲炉裏の火は小さくなり、炭は中心を残して灰になっている。


 夢から覚めたような、そんな感覚がある。


 まるで、剣士の一族が、たった今までそこにいたような――


 ふいに火が消えたように、冷えた室内の空気が身体を包む。

 カイルは立ち上がると、扉を開け、屋外のすぐ脇の小屋に積んでいた炭をいくつか取って戻ってきた。


 新たにくべられた炭は、暫らくの間火を移すのを拒むように、黒い姿のまま囲炉裏の上に横たわっている。


「……それから、どうなったんだ」


 レオアリスが囲炉裏の方に顔を伏せたまま、ぽつりと問いかける。


「――王都で、聞いておろう。それ以上の事はない」

「俺の――っ」


 顔を上げ、押し詰まるように口を閉ざした。見られる事を拒むように再び顔を伏せる。


 カイルは疲れた表情の上に、強い悲しみと、それからおそらく、十八年前から全く変わる事のない、誇りにも似た想いを宿した。


「……お前の一族は強かった。特にお前の父は。バインドとも、さほどの違いはなかったであろう。ただ、彼らは戦いのみを求める剣士とは違って、優しさを持っていた。持ち過ぎていたのかもしれん」


 重い溜息が、再び熱を増し始めた炭のはぜる音に重なる。


 暫らくは、誰も、何も言おうとはしなかった。

 言うべき言葉を捜しあぐねて、ただ炭が熱を放つ音を聞いている。


 やがて、カイルは何かを否定するかのように、首を一つ振った。


「わしらは時折、ひどく後悔する。もしも、わしらがそのような存在でなかったなら。もし、わしらにもっと己を守れるだけの力があったなら。もし……彼等と出会わなかったなら――。

おそらく、お前が一族を、父母を失う事も無かったろう」

「――仮定なんてのは、無意味だろ」

「そうじゃ。それでもな」


「もし、なんて無いんだ。爺さん達に力があろうと無かろうと、そうする事を選んだのは、俺の一族なんだろう」


 レオアリスははっきりと、長老に顔を向けた。

 そこに先ほど見せた、引き絞られるような感情の乱れはない。


「それなら、爺さん達が後悔する必要なんて無い」


 カイルが再び何か言おうとする前に、レオアリスは立ち上がった。


「少し、外にいる」


 カイルもロットバルトも黙ったまま、雪の戸外に出て行くレオアリスの後姿を見送った。



 


 


 彼が死んだと聞かされた時、カイルには信じられなかった。

 それは村の他の者達も同様だ。


 この北の地で戦いが始まって以来、彼は少しも揺るぐ事なく、まるでどこか散歩にでも出かけるように戦場に出向いては、何も普段と変わらないまま戻ってきた。


 千余名からなる北方辺境軍は次第に後退し、やがては周辺を取り巻くのみになった時、残念そうな様子すら見せたものだ。


 バインドの件が片付いたら交渉の場に持ち込むかと、そう言っていたのは今朝の事だ。



 その、彼が、死んだ、と――



 一人の剣士が自分でも信じ難いだろうその事実を呆然と告げた時、カイルにはその事が理解できなかったのだ。


 実際に戦場を見た訳ではない。


 傷を癒す為の薬草の小瓶が手から滑り落ち、足元で砕けても、それにすら気付かなかった。


 もうすぐ、もう、今日か明日にでも、子供が生まれると――そう言っていたではないか。


 戻らない訳がない。


 あれほど嬉しそうに、自分に初めて子供が生まれるのだと言った。

 傍らに寄り添う妻に、かけがえのない者達に向ける瞳。


 戻らない訳がないのだ。


 剣士が身体を休める間もなく里へ向かった事にも、それが何を意味するのかも気付かずにいた。



 いつ、村を出たのだろう。気付けばカイルは、彼が戦った戦場にいた。


 切り裂かれた死体が点々と転がった、悪夢のような光景――その中央に。




 震える手が、生気の失せた身体を抱え起こす。


 あの快活さも、すでにそこにはない。


 何も、感じなかった。


 涙すら出ないのが不思議だった。


 視界の隅に、一瞬光を放つ何かを捉え顔を向ける。

 散乱した兵達の亡骸の間に隠れるように。



 あの青い石の飾りが落ちていた。





 



 剣士達の里が滅びたと知ったのは、まだ深い夜の中だっただろう。

 カイルはその言葉を、夢の中の出来事のように聞いた。


 告げに来たのは、背が高く威厳に満ちた壮年の男だった。


 その男が現れた時、村を取り巻いていた兵達が一斉にひれ伏し、男を呼ぶ名前から、それがこの王国の王、その人であると知っても、その驚きも畏れも、どこか心の表層で滑り落ちた。


 もはやどんな感情も、自分の裡には無いのだと、他人事のようにそう考えていた。


 ただ、青年が死んだ事に触れた一瞬だけ、王の金の瞳が苦痛を受けたように歪んだのを見て、ふいに抑えようの無い怒りが込み上げたのだ。


 王だというのなら、何故我々の言葉を聞かなかった。我々を処罰せよと、あれほど願ったではないか。何故それを聞き入れなかったのだ。


 掴みかかるカイルや村人を、警護の兵達が引き倒す。冷たい剣が首筋に当たっても、カイルは叫び続けた。


 だが本当は自分でも判っていたのだ。


 その怒りは王に向けられたものではない。それは自分達に向けられた怒りだ。



 今更どんな事も叶わない。


 自分達を受け入れてくれた友人達は、もはや永遠に失われた。



 ふいに扉が開いた。


 その兵がどう告げたのかは、はっきりとは覚えていない。


 炎を上げ続ける里の中で、赤子の泣き声がする、と――


 引き戻そうとする兵士達を振り切って駆け出した。




 どれほど森を駆けただろう。


 里はまだ、収まる気配を知らない炎の中に沈んでいた。


 確かに、泣き声が聞こえる。ともすれば炎と渦巻く風の音に掻き消されそうになりながら、けれども力強く、精一杯の声で泣いている。


 生まれていたのだ。


 そうはっきりと意識する間もなく炎の中に飛び込もうとしたカイルの肩を、背後から伸びた手が抑えた。


 王はカイル達の脇を抜け、燃え盛る炎の中に足を踏み入れる。


 全てを焼き尽くす筈の業火は、王の身体に僅かも触れ得る事なく、その姿は炎の奥に消えた。



 何度炎の中に飛び込もうとしたか判らない。その度に、兵士の手がカイル達を引き戻した。



 やがて炎の中から王が再びその姿を現した時、王の右腕には、生まれて間もない赤子が抱えられていた。




 

 

 


「――わしらにとって、あれは命にも代え難い宝となった」


 レオアリスが戸外に出て行った後、長い沈黙に沈んでいたカイルが、ゆっくりと口を開く。


 ロットバルトは瞳を上げ、囲炉裏の傍で背を丸め顔を伏せたままの彼を見つめた。老人は問わず語りのように言葉を綴る。


「ともすれば生への希望を失いかけた我らに、あの子は再び生きる事への執着を思い出させてくれた。

小さかった手があっという間に大きくなり、わしらを助けてくれるようになった。あの子が成長していく様は、絶え間なく浮かぶ後悔と罪の意識とを上回る喜びじゃった」


 答えを求めているのではない事は判っていた為、ロットバルトは黙ったまま、カイルの言葉に耳を傾ける。


「快活さや芯の強いところが、父母によく似ておる。誰が教えた訳でもないのに、物言いは時折、あれの父がそこにいるのかと思えるほどじゃ」


 その度に沸き起こる悲しみと追憶、刺すような喜び。


「わしらはあの子に過去も、剣士という事すら教えずに育てた。剣士とは何者かを教える者が無い以上、復讐の為にバインドのようになる事を恐れた」


 カイルは喜びと疲労の入り混じった声で、静かに語り続ける。


「王はあの子を、わしらにお預けになる形を取ってくださった。そしてまた、成長した時、望むのであれば、王都へ来させるようにとも。本来ならば処罰されてもおかしくない者に、多大すぎる程の温情じゃ」


「だが、畏れながらわしらは、王のその言葉すら、あれに伝えなんだ」



 王を恨んだ訳ではない。

 どこか彼の死を悼むような様子をみせた王に、一時の憤りを覚えはしたものの、その憤りが向かうべき場所は違うのだと分かっていた。


 ただ王に興味を持てば、いつかは過去を知るだろう。


 その時が永遠に訪れない事を、村の者全てが願っていた。


「王の御前試合に出ると言った時、わしらは反対した。だが何も知らぬはずであったのに、あれは自分自身の意思でこの村を出て、剣士として覚醒さえし、王に仕える事を選んだ。

剣士としての血――そうとしか言いようが無い。だとすれば、これもあの子の運命の一つなのじゃろう」


 ゆっくりと顔を上げ、ロットバルトを見つめる。そして、静かに頭を下げた。


 その先に、王都でレオアリスを取り巻く者達に。


「――あの子を、頼みます」



 


 

 気が付けばレオアリスが外に出てから、随分と長い時間が経過している。ロットバルトは僅かに思案した後、立ち上がって扉を押し開けた。


 途端に、凍るような寒さが身を包む。一度戻りレオアリスの外套を取り上げた。



 戸外に出ると、無音の世界が広がる。


 雪雲の晴れた夜空に細い月が一つ浮かび、僅かな光で世界を青く照らし出していた。


 雪は既に止んでいたが、昼から降り出したとは思えないほど積もり、青い闇の中に薄白く、大地や疎らな家々が浮かび上がっている。


 少し先の広場に立つ影を認め、ロットバルトは積もった雪に足を踏み入れた。


 近寄る足音にも振り向かず、レオアリスはじっと村の奥に広がる山並みを眺めている。


「……そろそろ、お戻りください。そんなに薄着では体を壊す」

「慣れてる」


 ロットバルトは苦笑を浮かべた。少し低い位置にある顔には明確な感情は見えないが、彼はいつもそうだ。

 悲しみや憤りといった負の感情を面に表そうとはしない。


 それはこの白く無音の世界で育った故なのかもしれなかったし、周囲に辛い思いをさせない為の、幼い頃からの癖なのかもしれなかった。


 腕を延ばし、外套を掛けると、肩に腕を回す。案の定、それはひどく冷えきっていた。


 温もりを覚える事で少しぐらい泣けばいいのだと、そう思う。泣くという行為は、何か一つくらいは、洗い流してくれるものだろう。


 だがレオアリスは僅かに身じろぎをしただけで、何も言わず、ロットバルトの肩越しに再び視線を山肌に投げた。


 その奥に広がる、森に――


 そこに何を見出そうとしているのか。


 失われた彼等の姿か、そこに今いるだろう、バインドの姿か。


「――もう、お戻りなさい。あの囲炉裏の傍が、貴方にとって一番暖かい場所の筈だ」


 彼等がレオアリスをどれほど大事に思っているか、慈しみながら育ててきたのかが、良く分かる。


 友人の忘れ形見。


 年々育っていく様は、悲しみや後悔よりも多くの喜びを、この村に与えた。


「上将」

「判ってる。もう戻る」


 漸く、彼方から視線を外し、それをロットバルトの上に向けた。


「……バインドは、俺が討つ。けど、一つだけ自信が無い」

「何です」


 これまで二度、バインドと剣を合わせた時。そして、おそらく明日、剣を交える時――


 それを考えると、怒りとは別の感情が浮かぶ。


 それは、悦びだ。


 戦う事への――


『バインドは、狂っていった』


「――俺は、狂う(・・)と思うか」


 自分の剣を止めた相手。剣士として覚醒をしてから、初めての。


 あれ以来ずっと、戸惑いや疑問、怒りや悲しみといった感情に寄り添うように、戦いへの悦びがあった。


 そして、それこそが、バインドを狂わせたものの正体だ。


「――さあ。絶対と言い切れるものなど無いでしょう」

「……そうだな」


 レオアリスは自嘲するように軽く笑うと、家に向かって歩き出した。


「ですが、貴方既に収まるべき鞘をお持ちのはずだ」


 足を止めてロットバルトを振り返る。


 ふと、祖父の――『彼』の言った言葉が、心に浮かんだ。


『剣に呑まれるな』


 レオアリスはもう一度だけ、夜の中に広がる深い森に視線を注いだ。







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