第四章 二(三)
囲炉裏の前に座り、炭の上に視線を落としたまま動かないレオアリスに、長老は痛みを宿した声でとつとつと語る。
「辺境の一小隊とはいえ、軍に剣を向ける事、それはすべからく、彼等を王に対する反逆者とする事であった。
例え王が事実を知り、軍を咎め罰したとしても、それは王の領分。他の者が手を出せば、反逆者となるのは当然じゃった。
それは瞬く間に、反乱という名に形を変えた」
暗い夜が高波のように押し寄せる。
それはカイル達には成す術もなかった。
「この辺境に向けて、軍が差し向けられた。わしらは自分達の命に代えたとしても、それを止めたいと願った。
――だが、既に事態は取り返しの付かないところまで進んでいた。もはやわしらの問題ではなくなり、わしらの陳情など、辺境軍を統括する司令官は一切省みる事は無かった」
「済まない。わしらがこんな所に移り住んだばっかりに、こんな事になってしもうた」
だが、詫びるばかりのカイル達に、青年はいつも見せるのと変わらない笑みを浮かべた。
「気にするな。いいんだよ、俺達は。元々闘う為に存在するんだ。それが友人の為なら、最高だろう」
「しかし、お前達が反逆者など……!」
青年はカイルの肩を一度叩くと、漆黒の瞳に深い光を刷く。
「……前にも言った事があったよな。剣士にとって、剣を捧げるべき相手を得る事は、他の何にも勝る存在理由だと」
「わしらは剣を捧げる相手とか、そんな大したものではなかったが、確かに友人同士じゃった」
彼等を懐かしみ、誇る、その祖父の顔を、レオアリスは瞬きもせず見つめている。
「剣士の一族は強く、差し向けられた軍を悉く打ち破った。雪解けの季節になっても、北方軍は未だに彼らの一人も討ち取る事が出来ずにいた」
ただそれ故に、事態は膠着化し、問題はすり替わったまま、引き返しようの無いものになって行ったとも言えるだろう。
「――やがて、王は近衛師団を差し向けた。近衛師団第二大隊には、当時最強の剣士として恐れられていた、バインドがいたのだ」
近衛師団第二大隊が派兵されたと聞いた時、初めて剣士達の間に緊張が走った。
「第二大隊――という事は、バインドか」
全員がその意向を伺うように、壁際に寄りかかっていた青年を見る。バインドの名はカイル達の耳にも届いていた。最強と謳われる剣士。
その男が、この地に来る。
青年は少しだけ面倒そうに口元に笑みを刷いた。
「バインドね、やっかいだな。もう少し早い段階で交渉に持ち込んでおくべきだったか」
「どうする?」
「どうするも何も、仕方ない。俺がやるよ」
そう告げた顔は、どこか面白がっているようでもあった。
その夜は、いつにも増して空気が冴えていて、上空に昇った臥し待ちの月が、遠く彼方まで光を投げかけていた。
青い光に浮かび上がった夜の中に青年が立っている。
森の奥に視線を注いでいる青年に近寄ると、彼は振り返りカイルを認めて笑みを浮かべた。
「多分、今日か明日にでも生まれるぜ。なんて名前にしよう。ま、もうあいつが決めちまってるかも知れないけどな」
ふいに俯いたカイルを見て、不思議そうな表情を浮かべる。
「どうした」
済まないと詫びたかった。
本当ならどれほど、身重の妻の傍にいてやりたい事だろう。
詫びる言葉を飲み込んで、カイルは青年を見上げた。
「男の子じゃったかの」
「あいつはそう言ってるけどなあ。生まれてみないと判らないさ。けど、これだけは判る」
可笑しそうに笑う。
「絶対、俺より強くなるぜ」
「お前よりもか。まだ生まれてもおらぬのに、親馬鹿というやつじゃの」
「俺達の子だからな。実際、あいつは俺より怖ぇんだ」
そう言って、青年はまた陽気な笑い声を立てる。
こんな時でさえ陽気さを失わない青年を、カイルは救われる気持ちで眺めた。
「教えたい事が、山ほどあるじゃろう」
「そうだな……」
そしてふと表情を改める。再び里の方角に引き締まった顔を向けた。
「一番伝えたいのは、剣に呑まれるなって事か」
それがどういう意味か判らず、カイルは青年の横顔を見つめた。
「剣士はともすれば、自らの剣を抑えきれずにそれに食われる。俺はそういう奴を、何人も見てきた」
青年の上に、どこか翳りの色が浮かんだ。
出会ってから初めてのその表情に、カイルはふと不安を覚えて青年を見上げる。
「その可能性があると?」
「剣士なら誰でも、その可能性は無くはないのさ。
だから、俺達は生まれてすぐ、一旦剣を封じられる。剣の力に、身体と心が耐えられるようになるまでな。赤子の内に下手に暴走でもしたら、剣に内から裂かれちまう」
口調はいつもと変わらないままだが、その声にはどこか思案する響きがある。
青年の瞳が里へと引き寄せられるのを見て、カイルは自分の裡の不安が更に頭をもたげるのを感じた。
「ジン」
不安の正体を測れないまま青年の名を呼ぶと、細められた瞳にいつにない懸念の色を浮かべ、呟いた。
「――剣が、二本だ」
「二本? それは、珍しい事なのか」
「珍しいな。聞いた事が無い。――生まれる時に、あるいは」
それはカイルに向けられたというよりは、自分自身に確認するように呟かれた。
だがすぐに、青年はいつもの笑みを戻した。
「まあ、それも言ってみりゃ、明日以降の楽しみってとこだ。取り敢えずは、バインドを倒さないとな」
「出来るのか?」
「さぁな。あれと戦うのは初めてだ。剣を合わせてみない事には何とも言えない」
そうは言うものの、青年の上には揺るぎない自信が垣間見える。
「まぁ、そんなに心配すんな」
こうして彼が笑っている以上、大丈夫なのだと、何も問題はないのだと、カイルはほんの少しだけわだかまる不安を、心の奥に押しやった。
その翌朝、近衛師団第二大隊が、黒森に到着した。




