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王の剣士3「剣士」  作者: 雅
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第三章 五(二)

 複数の金属音が何かを弾くように規則正しく流れている。レオアリスは咄嗟に入ったこの路地がどこに続いているのか、今更ながらに思い出した。


 立ち上がり、僅かに躊躇ってから、音の流れてくる方へと歩き出す。


 おそらく追い払われるだろうと思いながら、今はそれが無性に見てみたかった。


 金属音は次第に大きく、高くなっていく。


 緩やかに登る路地を抜けると、面前に小さな丘が開ける。丘の周囲にはまた王都の街並みが続いていて、家々の窓に灯る灯火が、光りだした天空の星々よりも明るく散りばめられていた。


 開けたその場には、煉瓦造りの黒ずんだ壁をした小屋が三棟立っていた。

 地面を覆う短い下草が小屋の周囲に行くほどに、小屋から後退するように黒い土を覗かせている。

 三つの小屋の一つから、止まる事を知らない金属音が流れていた。


 開け放たれた戸口に近づくにつれ、周囲の温度が上がっていくのが感じられる。レオアリスは戸口の前で足を止めた。


 覗き込むと、小屋の中には一層強い熱気が満ちていた。

 中央に鉄を溶かす炉が明々と燃え、その周囲では数名の鍛冶師達が黙々と、手にした鎚を赤く焼けて輝く鉄に振り下ろしている。


 打ち下ろす度に火花が散り、鉄が少しずつ形を変えていく。

 周囲を一瞬、強い輝きで照らし出す。


 それは生命の煌めきのように美しい、息の詰まる光景だ。

 鍛冶師達が一心不乱に剣に魂を注ぎ込んでいく。


 ふいに、戸口の傍で剣を打っていた鍛冶師の汗と熱で赤く染まった顔が上がり、入り口に立つレオアリスの姿を捉えた。


 老齢に近いその鍛冶師は、途端に苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ口を開きかけたが、ふと口を閉ざし、じっとその姿に視線を注いだ後、手元に視線を戻した。


 剣を傍らの水桶に浸ける。たちまち激しい音を立て、水蒸気が立ち昇る。

 鍛冶師は黒く沈んだ色を取り戻した鋼を、燃え盛る炉に差し込んだ。


 普段ならレオアリスが入り口に近づくのを眼にしただけで、怒鳴りつけて門前払いを食らわせるはずのこの鍛冶師が、今は一言も発さない事は、逆に僅かな居心地の悪さすら感じさせた。


「……見てていいのか」


 鋼を打ち延べる複数の音が重なり、さほど広くは無い鍛冶場の中に響いている。鍛冶師はちらりとその視線を投げただけで、片時も手を休めず鎚を振り下ろし続ける。


「そこから近寄ンじゃねぇぞ」


 ぼそりと告げられた渋みを含んだ声に、レオアリスは心外そうに苦笑を漏らした。


「いくら何でも、近寄っただけで折れる訳ないだろう」

「信用なんねェ。一体何本俺の打った剣を折りやがったと思ってんだ」


 にこりともしない鍛冶師を前に、レオアリスは戸口に手をかけたまま視線をさまよわせた。他の鍛冶師達は視線すら寄越さない。


 炉と剣が放出する熱に汗塗れになりながら、黙々と鎚を振るい続ける姿に、これほどまでに精神を傾けて打ち上げる剣を次々と折られるのでは、確かに腹に据えかねるどころではないのだろうと、そう思った。


「悪いと思ってる」

「悪ィで済むか。ひとが魂込めた剣をよォ」


 相変わらず手を休める気配も無いが、乱暴な物言い程には、その声に嫌悪の響きはない。


「大体何の用だ? お前が使える剣はここにゃねぇぞ」

「ただ、見ていたいだけだ」


 レオアリスがそう言うと、鍛冶師は荒っぽい動作で肩を竦めた。


「けッ、物好きなガキだ。剣士がこんなモン見て、何が面白いんだか」

「面白い。――まるで、剣が、命を得ていくみたいだ」


 鋼から飛び散る火花、振り下ろされる鎚の音。


 一振り一振りに込められる魂。


 その音を聞き、一瞬に燃え上がり散っては消える火花の輝きを見ていると、余計な思いが全て流れ落ちていく気がする。


 波打っていた心が深い湖のように凪ぎ、その底に沈んでいる想いを覗き込めそうな気すらした。


「……ふん、好きにしろ」


 再び鎚を振り上げ、打ち下ろす。水に浸し、炉に戻す。


 次第に形創られて行く剣。意思を持たないそれは、使い手に何をもたらすのだろうか。


 鍛冶師は打ちかけの剣を目の前に持ち上げ、暫くためつすがめつ検分していたが、やがて小さく舌打ちして手にしていた鎚を振り上げると、一息に叩き折った。


 思わず息を呑むレオアリスに構わず、折れた鋼を再び炉に投げ入れる。


「おい、せっかく……」

「納得いかねぇ」


 そう吐き捨てて、鍛冶師は厳しい表情のままレオアリスを見上げた。


「見せてくれ」


 唐突に請われて、レオアリスは思わず辺りを見回した。


「何を」

「何をだぁ? 寝呆けてンじゃねぇぞ。決まってンだろうが、テメェの剣だよ」


 鍛冶場で剣士が剣を抜く事に僅かに躊躇いを覚え、鍛冶師の浅黒い顔を見つめる。だがその上にある真剣な表情に、レオアリスは鳩尾に右手を当てた。


 ずぶり、と手首まで呑まれ、洩れ出した青白い光が鍛冶場に満ちる。


 呼び合うように響いていた鎚の音が止まり、鍛冶師達が顔を上げた。


 右手をゆっくりと引き抜く。


 宵闇を切り裂く光と共に現れた長剣に、鍛冶師達の口から溜息にも似た声が漏れた。


 目の前の青白い光を纏う剣に視線を吸い寄せられたまま、鍛冶師は感嘆を隠そうともせず、半ば独り言のように呟いた。


「簡素な剣だ。何の気負いもてらいもねぇ。……それがこれほど、見る者を惹き付ける」


 引き寄せられるように手を伸ばして刀身に触れ、剣を受け取る。


 だがレオアリスの手を離れた瞬間、剣は輝きを消した。


「ちッ、つれねぇ奴だ。主以外に興味がねェか」


 一度名残惜しそうに掲げて見上げた後、レオアリスに戻すと、剣は再び美しい輝きを纏った。


「いい剣だ。俺達が目指してるのは、こんな剣なのかも知れねぇ」


 レオアリスの顔に目を止め、太い眉を上げる。


「何、妙な面してやがる」

「……いや、誉められるとは思わなかった。嫌われてると思ってたからな」


 意外そうな響きに、鍛冶師はしかめ面を浮かべてレオアリスから視線を逸らした。


「ふん。こんな剣、嫌える刀打ちぁいねぇよ」


 そう言って背中を伸ばすように立ち上ると、鍛冶師は汗と熱で贅肉の削げ落ちた身体をレオアリスに向けた。


「変な野郎だな、テメェは。怒鳴られんのが判ってんのにしょっちゅう来やがる。バインドはこんなとこ、見向きもしなかったぜ」


 あまりにもあっさりとその名が語られた事に、驚くレオアリスの横を抜け、戸口で立ち止まる。


「テメェ等、手ェ休めんな。……おい、風に当たんねぇか」


 レオアリスの返事を聞きもせずさっさと小屋の外に出ると、戸口のすぐ脇の壁に寄り掛かり、懐から煙管を取り出して火を灯した。


 黙ったままのレオアリスに構わず、吸い込んだ煙を吐き出す。

 白く細い煙が踊るように立ち昇り、鍛冶師の視線がその煙を追って動いた。


「……どうやら生きてやがるらしいじゃねぇか」

「――知ってるのか」

「知ってるも何も、俺ぁ奴が掛け値無しに嫌いだった。野郎の剣は独善の剣だ。他の誰の為のものでもなく、ましてや王の為ですらねェ」


 吹き抜ける風が、煙管から立ち昇る煙を吹き散らす。


「俺達ぁ、王の為に剣を打つ。毎日毎日汗水垂らして肌ぁ焼いて、そりゃ全部王の為だ。その先にある国の為だ。テメェの隊がしじゅう剣をぶっ壊してくれてもよォ、そんなら次ぁもっといい剣を打ってやる」


 少しも和らぐ事のない目元に、だがどこか暖かさを感じさせる色を浮かべ、鍛冶師はレオアリスを見た。


「お前を嫌いじゃねぇのは、それが結局同じ事だからよ。――お前の剣が、王の為にあるからだ」


 弾かれたようにレオアリスが瞳を見開くのを、可笑しくもなさそうに眺め、ひょい、と煙管を裏返すと火種を足元に落とした。


 火の消えた煙管を銜え直し、レオアリスに背を向ける。


「ま、その内テメェでも折れねぇ剣を打って見せらぁ」


 鍛冶師が小屋の中に消えると、すぐ新たな鎚の音が響き始めた。


 その確かな力強い音を聞きながら、レオアリスは戸口の横に立ち止まったまま、自分の鳩尾に視線を落とした。


(王の、為の――)


 鍛冶師の言葉は、温かい血が全身に行き渡るように、身体の隅々に染み込んで行く。


 身の裡の剣が、ゆっくりと鼓動を刻む。


 思わず込み上げた笑いを抑えるように、レオアリスは瞳を閉じた。



 ひどく単純で、だが一番大事な事を、忘れていた。



 ――何の為に、自分は王都に来たのだったか。

 状況に囚われ過ぎて、見失っていた。


 自分が今ここにいるのは、王に仕える為ではなかったか?


 明確な理由などない。

 それでも、育て親の反対に耳を傾ける事も無く、頼る当てもない王都に一人こうしてやってきたのは、その漠然とした、けれども強い想い故だ。

 過去や立場など、始めから無い。


 閉じていた瞳を上げる。


 そこに、強い光を宿した。









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