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王の剣士3「剣士」  作者: 雅
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第三章 五(一)

 アスタロトと別れても暫くの間、レオアリスは演習場に張り巡らされた壁に背中を預けたまま、次第に暮れて行く空を眺めていた。


 探していた過去は、自分の想像以上のものを秘めていた。


 だが、それをどう受け止めるべきなのか、全く見えてこない。


 指先が胸元にかけた青い石の飾りを弄ぶ。


『お前自身の為じゃ』


 スランザールの言葉が、脳裏を過り、ふと瞳を上げる。


 レオアリスがここで今までやってこれた理由、それは一重に彼等の態度の故ではなかったか。


 敵愾心や自分を疎む気持ちの見える者もいたが、グランスレイやアヴァロン、スランザール、そして、王。


 過去を知っているはずの彼等の中に、自分に対する負の感情を感じた事はなかったように思う。


 王は何を思って、自分をその懐に受け入れたのだろうか。


 自分に何を望んでいるのだろう。


 レオアリスがその剣を向けるとは考えていないのか。


(……剣を、向ける?)


 何故だろう。いくら自分の心の中をさらってみても、その考えはまるで見つからない。


 もっと時を置き、その事実を自分の中で現実として捉えたならその思いが生まれるのかもしれなかったが、今はそうは思えなかった。


 赤い落日が長い影を差す。斜陽に染められた演習場は、まるで炎の中にあるように感じられた。


 この色は好きではない。眩暈がする。


 ぐらりと深淵に踏み込みかけた意識が、それを切り裂いた焔に引き戻される。


 その焔を知っている。


(――バインド)


 近衛師団第二大隊と北方辺境軍、そして、自分の一族を滅ぼした男だ。


 周囲を焼く赤い炎。


 自分はそれを見ていたのだろうか。



 レオアリスの中の剣が、どくんと鼓動を刻む。


 バインドを斬る。それが今レオアリスのすべき事だろう。


 だが、何の為に?


 王城に侵入した者としてか。エザムとアス・ウィアンを焼いた者としてか。


 それとも、自分の一族を滅ぼした者としてか――


 どれも、今のこの曖昧な迷いを打ち消す程の相応しい理由には思えなかった。


 レオアリスは立ち上がると服に付いた草を払い、演習場の門へと歩き出した。

 そうしたものの、その足をどこへ向けるべきか決めかねている。


 このまま師団に戻って、それでどうすればいい?


 いつも通り、何も無かったように振る舞えるとは思えない。


「――」


 厩舎にはハヤテが待っている。ハヤテの翼なら、一晩も飛ばせば故郷の村に着けるだろう。


(爺さん、元気でやってんのかな……)


 口の中で呟くと、堪らなく祖父の顔が見たくなった。それはただひたすら、その想いだけだ。


 全て放り出してあの家に帰ったら、祖父は何と言うだろう。怒るだろうか。


(だって、何でもないじゃないか)


 ここで。


 この場での、自分の立場は、何だと言うのだろう?


 反逆者か、王国の兵か。


 周囲は、どちらである事を求めているのだろう。


 厩舎の木戸を押し開けると、銀翼の飛竜が待ちかねたように長い首をもたげた。

 レオアリスへ首を伸ばして背に乗れと促す。


 首筋に手を置くと銀の鱗はひやりと心地よい手触りを伝える。


「――お前、北に行くか? それともどこか行きたい所はあるか?」


 ハヤテは丸く青い瞳を不思議そうに瞬かせ、再び帰ろうと云うように首に置かれたレオアリスの手を押した。


 この飛竜は、大将に任じられた時、王から賜った。


 疲れを知らない疾い翼が気に入っている。北の辺境にも半日程で辿り着く。


 だが、王から賜ったものだ。


 レオアリスは首を傾げるハヤテを見つめた。


「……悪いな。今日はここで休め」


 レオアリスは一度その首を軽く叩き、置いていた手を下ろした。


 ハヤテが呼び止めるかのように高い声を上げるのを、背中で断ち切るようにして厩舎の扉を出る。


 演習場は王都の周辺部にあり、正面の道は王城に向かい、左右へ延びる道は王都の外周を巡りながら各方面の街道と繋がっている。

 ここから北方に行くには、北の街道は正反対の位置にあった。


 外周をぐるりと回るよりも正面の道を城下に向った方が近道になるが、当然のごとくそれには王城の傍を通る事になる。


 行く先を未だ決めかねたまま、レオアリスはいつもの習慣で正面の道を歩き出した。




 左右を木立に囲まれた石畳の道を辿ると、すぐに巨大な門が聳える。門は常に万人に開かれており、それを過ぎると城下の街に入る。


 門の向こう、夕闇が迫る街には、至る所に明かりが灯り、旅人に長い道行きの終わりを知らせていた。



 門を潜った瞬間、それまでの牧歌的な風景は一変し、雑多とした色彩が互いに争うような、賑やかな街並が広がった。

 そこかしこに燭蝋の灯りが溢れ、昼とは違った喧騒に満ちている。


 王都は各地から様々な種が集まる坩堝であり、特にこの辺り、下層と呼ばれる地区は雑多な感が強い。酒、賭博、喧嘩、流血沙汰も珍しいものではない。


 陽が落ちると袖を引く街娼達の姿が街角に立ち、半ば公然とそこにある遊廓。地下では禁制品が売買され、表に出ることのないの商業網が確立されている。


 以前行ったミストラ山脈の街の闇など、ここは比較にならない。


 世界の中心に開く巨大な花が、その広げた花弁の一枚一枚に抱え込む複雑な影。


 自分も、その影の中の一つにいるのだろうか。


 レオアリスは王城の外門へと続いている広い道を選んで歩く。

 陽が落ちてきたこの時分の方が、この辺りは賑やかだ。通り沿いに犇めき合う屋台、立ち並ぶ店は建物の二階や地下にまで軒を競っている。


 ただ慣れない者が一人で歩くには少し危険を伴う場所でもある。道端や屋台の奥に屯しているのは、一癖もありそうな顔ばかりだ。


 左右には細い路地が幾筋も伸びていて、その奥は迷路のように複雑に入り組んでいる。


 吹き抜ける風に肌寒さを覚え、レオアリスは今更ながらに上衣を着てこなかった事に気が付いた。陽が落ちた後では、薄い半袖の服一枚だけでは不十分だ。


 周囲の建物の窓に灯る明かりが、温度を持って感じられる。


(……そう云えば、クライフはこの辺に住んでたな)


 込み合った街並みに目を向けて歩いている内、ふとクライフが王城から遠い下町に好んで住んでいる事を思い出した。


 中将ともなれば王城内の士官区に官舎が支給されるのだが、この辺りは種々様々な住人達がいて面白いのだと言っていた。


 あの後どうなっただろう。


 彼等の戸惑った顔が脳裏に浮かぶ。引っ掻き回すだけ引っ掻き回して、何も言わずに出てきてしまった。


 彼等が、事実を知ったら、どう思うのだろう。


 レオアリスはピタリと足を止めた。


 それでいて、止まった足に不思議そうに瞳を落としている。


(……行こう)


 促すように思ってみても、止まった足は動く気配を見せない。


 第一、どこに行くと言うのだろう。


 地面に貼りついたように動かない足は、問いかけてくるようだ。



 どこに?



(知らない。でも、ここで立ち止まったって仕方ないじゃないか)


 もう一度歩き出そうとした時、不意に肩に何かが勢い良くぶつかり、レオアリスは体制を崩して石畳に片手を付いた。


 荒れた怒鳴り声といくつもの軽い塊が降りかかる。


「道の真ん中でボケッとしてんじゃねえ!」


 片手を付いたまま振り返りかけた肩を、再び靴底が蹴り付ける。


 石畳に打ち付けそうになった肩を押し留め、身体を起こした。


「なん……」


 訳の判らないまま、レオアリスは漸く振り返り、自分の前に立ちはだかっている男を見上げた。


「てめえのせいで大事な商品を落としちまったじゃねぇか。どうしてくれんだ」


 見回すと、石畳の上に藤で編んだ籠が散らばっている。どうやらぼうっと道の真ん中に立っていて、ぶつかったらしい。


 レオアリスは足元の籠を手に取ってひっくり返してみたが、どこも壊れた様子もない。


「……拾うのは手伝うよ」


 差し出しかけた籠を、男は乱暴に払った。


「バカか、てめえは。弁償しろって言ってんだよ!」


 気の弱い者であれば竦み上がりそうな声音だったが、レオアリスは石畳に座ったまま、ただ空になった手を振った。


「壊れてないだろう」


 レオアリスの様子に男は僅かに面食らったように顎を引いたものの、すぐ殊更に口元を歪めて見せた。

 こんな場所でぼうっとしているのは、いい鴨以外の何者でもない。


「おいおいおい、正気で言ってんじゃねぇだろうなぁ?」


 男はレオアリスの胸ぐらを掴み、引きずり上げると、威嚇するように顔を寄せた。


 レオアリスは眉をしかめ、視線だけで周囲を見回したが、通りにいる者達は見て見ぬ振りで足を早めるか、面白い見ものでも眺めるように笑いを浮かべているだけだ。


 要は難癖を付けるたかりのようなものかと、レオアリスは溜息を吐いた。


(めんどくせぇ……)


「汚れちまっただろうが。これじゃ商品になんねぇだろ、なあ。てめェがボケッと突っ立ってやがるからよぉ」

「避けりゃいいじゃないか」

「てめえ、誰に向かって口利いてんだ?!俺は」


 レオアリスは溜息を吐き、胸元を掴んだ腕を手の甲で跳ね上げると、素早く掴んで背中に捻上げた。


 関節が反対方向に捻られて軋み、男は途端に悲鳴を上げた。


「いい加減にしろよ。不当な商売は……」


 そう言い掛けて、レオアリスはふと口をつぐんだ。


(何やってんだ、俺)


 こんな場所で乱闘でもするつもりなのか。それとも、近衛師団の権限で取り押さえるか。


 そうするのは簡単だが、全身に貼りつくような億劫さを感じた。


 そもそも、今の自分にどこまでその資格があるのか。


「おい、若いの。いい加減手を放しな。ここで調子に乗って、後でどうなるか判ってんだろうな?」


 横合いから声がかかり視線を向けると、今までただ道端で眺めていた男達の一人が立ち上がっていた。周囲に屯していた男達の目付きも変わっている。


「……こいつが難癖を付けて来たんだろう」

「調子に乗るなって……」

「待て、そいつは師団だ」


 別の一人が詰め寄ろうとした男を制し、レオアリスを指差す。


「師団!?」


 驚いたように周りの男達も改めてレオアリスを眺めた。


 確かに、軍服の上衣が無いために判りにくいが、両脚の脇に入った独特の銀線を認め、男達は躊躇うように顔を見合せる。


 それは全く違う躊躇いの表情だったが、レオアリスは無性に苛立ちを覚えた。


「……師団だったら、どうだって言うんだ」


 苛々と男達を睨み付ける。こんな時に騒ぎを起こせば、ただ問題があったというだけでは済まないかもしれない。


 ちらりと過ったその考えに、更に苛立ちが増した。


 どうでもいいとさえ思う。

 過去だの、近衛師団だからだの、自分にあるのはそんなものばかりだ。


 様子ばかり伺っていないで、決めてくれればいい。


「中途半端じゃ、気分が悪いだろ」


 だが男達は既に関わる気が失せたようだ。気勢を削がれた顔で、道の端に座りなおす。


「意気がるんじゃねぇぜ、若いの。そいつを着てるから無事で帰れるんだ」


 勝手に自分の立場を判断されているのが、気持ち悪い。


 近衛師団とは関係なくなるかもしれないんだと、そう言ってやったらどうなるだろう。


「師団兵さんよ、さっさとそいつを放して消えちまいな」


 レオアリスは何か言おうかと口を開きかけたが、結局何も言わずに唇を引き結んだ。


 苛立ちは、気持ち悪さに取って変わっている。どうでもいいから、早くこの場を離れたかった。


 捻り上げていた男の腕を放るように放し、踵を返す。


 暫くの間、周囲の視線はレオアリスに注がれていたが、やがて興味を失って逸らされた。


 早足で歩く内に、気持ちの悪さも影を潜めていく。一つ息を吐き、レオアリスは歩調を緩めた。


 大通りの少し先の右手に、中層区へ抜ける為の『門』が見えてくる。通りはまだ先へ続いているが、通りの流れに乗るように、『門』へ足を向けた。


 『門』には扉の変わりに、薄く光を放つ幕のようなものが張られている。

 通り抜ける瞬間に一瞬だけ浮遊感を感じたものの、すぐにそれは消えた。




 『門』抜けたそこは既に中層区との境で、水路が道を横切るように流れていた。いつ通っても、良く出来た仕組みだと思う。


 王都の術士達の技術には感心させられる事ばかりだ。先程の場所から歩けば、ここまで一刻以上はかかる。


 ただ、それだけの距離を一瞬にして移動した事によって、正面に聳える王城の影もまた、急速に濃さを増した。


 結局のところ、何の答えもないままに、次第に距離は近づいて来ている。


 レオアリスは一度だけ背後の『門』を振り返り、僅かに躊躇う素振りを見せたものの、再び歩き出した。


 水路に架かるゆるやかな半円を描く橋を渡る。

 その橋を越えると、街の様相が僅かに変わり、商人や職人達の多く住む地域に入る。


 この辺りには、商店や職人達の工房が区域内に数多く存在している。通り添いの店はまだ軒を開け活気に満ちていたが、先程の下層区とは水路一本隔てただけで、落ち着いた佇まいを見せていた。


 とりとめも無く、石畳の道を歩く。

 歩く事で考えが纏るかと思ったが、思考はあちこちに飛ぶばかりで一向に向かう道を見い出しそうには無かった。


 ふと眼を上げると、前方から数名の近衛師団兵が近づいてくるのが見え、レオアリスは咄嗟に横道に逸れた。


 路地の壁に背を預け、王城からの帰途なのだろう、彼らが通り過ぎるのを見送る。


 第一大隊の兵では無い事にほっと息を吐き、それから自分の行動に情けなさを覚えた。


 黒い生地の服は、あちこち砂埃に塗れていたが、払う気にもなれなかった。


(さっきっから何やってんだ、俺は)


 今も別に隠れる必要はない。

 自分の過去がどうであろうと、今立場が変わった訳でもないのだ。


 レオアリスは自嘲の息を吐き、路地の壁に寄り掛かったままその場に座り込んだ。


 細い路地には誰の姿もない。そのまま壁に頭を預けるように頭上の狭い空を見上げる。

 暮れていく空に、星が輝き始めている。


(何をするつもりなんだ)


 曖昧なのだ。全部。


 怒りがあれば、畏れがあれば、悲嘆や喪失、憎しみ、その一つでも自分の中に明確にあれば、足を向けるべき先もまた明確だっただろう。


 それら全てが曖昧な故に、どこに進むべきか、それが判らなかった。


(――何を、したいんだ)


 もう一度自分に問い掛けた時、緩く傾斜のついた路地の奥から微かな金属音が響いてくるのに気付き、レオアリスは視線を向けた。







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