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王の剣士3「剣士」  作者: 雅
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第三章 四

 一気に吹き出した苛立ちは既に鳴りを潜めていたものの、完全に消えた訳ではなかった。


 情けない態度だと自分でも判ってはいた。本来なら、あの場で飲み込んでおくべき事だったのかもしれない。


 けれど、どうしても出来なかった。


(何でなんだ)


 誰も彼も、知っていながら隠す。そうしながら、意味ありげな視線を向けてくる。


 一体何を自分に望んでいるのか、それが判らなくてもどかしい。


 ふと、レオアリスは瞳を上げた。


 バインドが自分に告げた事は、おそらく偽りではないだろう。


 なら、自分がここにいる事は、果たして望まれているのだろうか。


 自分は?


 水気を失い始めた草を踏む微かな音を捉え、レオアリスは振り返った。レオアリスが寄りかかっている演習場の壁伝いに、歩いてくるアスタロトの姿が見えた。


 ゆっくり歩み寄りながら、アスタロトは鮮やかな紅の瞳でレオアリスの顔を見つめる。


 レオアリスの顔に昇ったいつもは見せる事のない戸惑った表情に、小さく笑った。


「情けない顔だな」


 アスタロトの指摘に、レオアリスが自嘲するように口元に笑みを浮かべる。その笑みをアスタロトはただ黙って眺めた。



 告げるつもりでここに来たのに、いざ本人を前にすると言葉が出てこない。


 喉も胸も、いまだに重い。先ほどの声は少し掠れたが、気付かれなくて良かったと思った。


(いつも通りに笑え)


 アスタロトはレオアリスに真っ直ぐ視線を向ける。


 レオアリスの過去がどうだろうと、何も関係ない。


 アスタロトはレオアリスに会ってから、結構楽しい。おもねる事も、距離を置く事もなく、身分もない。


 『アスタロト』を継承した時から、そんな相手はもう望めないと思っていた。だから余計、嬉しかったのだ。


 レオアリスは、自分がアスタロトだと知った後も何も変らなかった。


 当たり前の事だ。自分も変らない。


 二人は演習場に張り巡らされた壁に寄りかかるようにして座った。顔は中央の広場に向けたまま、アスタロトが懐かしむような響きで口を開く。


「……覚えてるか。初めて会ったときのこと」

「忘れる訳ないだろう。まだあれからそんなに経ってない」


 ひどく長い時が過ぎた気がするが、レオアリスが王都へ来てからまだ三年も経っていないのだ。


 初めて出会ったのは、西方の深い森の中だ。まだレオアリスが剣士として覚醒する前の事で、初めは術士として王都に上がるつもりでいた。


 王の御前試合には参加資格が必要で、レオアリスはその資格を得るための途上だった。


「最初、食おうと思ったんだよなー」


 レオアリスは前を向いたまま眉根を寄せ、何の話なのだろうかと一瞬考え込んだ。


「――誰を」

「お前」


「……はあ?!」


 慌ててアスタロトを振り返ると、アスタロトは何故かうっとり瞳を細めている。


「だって、森ん中をずっと歩き回ってて、すっごい腹減ってたんだもん」


(――こいつ、マジっぽい……)


「……うぁ〜……」


 とんでもない事をさらりと口にされ、レオアリスは頭を抱えて胡坐を組んだ膝の上に屈み込んだ。


「信じらんねぇ」


 レオアリスとしては、村を出て、ほぼ初めて巡り合った相手が目を疑うほど可愛い少女で、少しばかり、正直に言えば当時はかなりどぎまぎとしていたのだ。


 それがよもや、食われかかっていたとは。


(丸呑み? やっぱ丸呑みか?)


「食わなくて良かった」


 レオアリスの苦悩は知らず、呆れて上げられた顔を見つめ、アスタロトはに、と悪戯っぽく笑った。


 ほっそりとした腕で両膝を抱え込んだまま首を傾げ、からかうようにレオアリスの顔を覗き込む。


「面白かった。へっぼい術でさー、御前試合に出ようなんて、いい根性だと思って」

「……うるせぇな」

「自分が剣士だって事も知らなくてさ」


 アスタロトは膝の上に顎を載せ、目の前の広い演習場に視線を戻した。


「お前が、王都に来て良かった」


 レオアリスは浮かべていた呆れと抗議の入り混じった表情を消し、漆黒の瞳でアスタロトの横顔を眺めた。


 二人の他に誰の姿も無い演習場内は静かで、遠くの街のざわめきがここまで微かに届いていた。


 アスタロトの言葉が、黄昏時の冷えた風に力強く刻まれる。


「何があっても、私はお前の友人だからな。忘れるなよ」


 真っ直ぐに自分に向けられた深紅の瞳。その瞳を見返す。


「――話せよ。聞いたんだろう」

「聞いた」


 『全てを話すか、それとも伏すか。二つに一つだ。だが、全てを知れば、レオアリスはここを離れるかもしれんな』


 ベールの言葉がちらりと頭に浮かぶ。


 それでも目の前のレオアリスの瞳には、過去を受け止めようとする色がある。


「なら、頼む。知りたいんだ」


(大丈夫)


 アスタロトはもう一度その顔を見つめ、息を吸い込むように唇を開いた。


「――十七年前、北方で反乱があった」


 アスタロトは言葉を紡ぐ。それはまるで刃物のように、喉を切り裂く感じがした。


「反乱を起こしたのは、レオアリス、お前の一族だ」




 束の間の沈黙の後、レオアリスの瞳が大きく見開らかれる。


 色を失ったその瞳に、アスタロトの裡に一瞬強い後悔が生まれた。


 だが、伝えると決めたのだ。既に口火は切った。今さら消し去ることなどできはしない。


 迷いを振り切るように、アスタロトは声の響きを強めた。


「詳しい経緯は知らない。ただ切っ掛けは、剣士の一人が辺境軍の小隊を切り捨てた事だって話だ。――多分、お前の育った村の者が詳しいだろう」




 『反乱』――



 その言葉は、初めまるで意味のある言葉として頭に入ってはこなかった。


 自分の、一族が、


 誰に対して……?


 軍に。




 ――いや。




 それは雷光のようにレオアリスの脳裏に閃いた。




 王に。




「――は」


 笑おうとしたのに、声は出ない。喉が引きつるように震えただけだ。


 強い眩暈を覚えて、レオアリスは乾いた草の上に片手を付き、上体を支えた。もう一方の手が無意識に胸元の青い石の飾りを握り込む。


 漸く、判った。

 誰もが口を閉ざし、触れないように秘していた訳。


 バインドのあの言葉。


 眩暈がする。


 まず浮かんだのは、当然の疑問だ。


(――何で、俺はここにいるんだ?)


 王の敵を排撃すべき近衛師団に、何故。


 アスタロトは口を閉ざし、俯いたレオアリスの顔を覗き込む。


「……大丈夫か?」

「――ああ」


 足元が、柔らかい綿にでもなったように頼りなく感じられる。


 地面がそこにある事を確認するかのように、レオアリスの指が枯れかけた草を握り込んだ。

 草は容易く千切れ、吹き抜ける風に舞う。



 だが、最初の衝撃が過ぎれば――、その二文字はやけに空虚に感じられた。


 実感などない。


 そんな立場の自分が今ここに居る事を疑問に思いはしても、反乱を起こした自分の一族に対する、同調も反発もない。


 それは彼等が顔も知らない、遠い存在だからなのかもしれなかった。


「……まだ先は長い。続けるぞ」


 レオアリスが黙ったまま頷くのを視界の端に収めながら、アスタロトはベールから聞いた話を感情を交えない声で淡々と反復していく。

 そうしないと、何も言えなくなる気がする。


「――戦いは長引いた。配備されていた北方軍には、鎮圧する力はなかった。まぁ、相手が剣士の一族じゃ仕方ない。

けど、圧倒的優位に立ちながら、不思議と反乱は辺境から広がる事は無かった。だから、反乱の理由は不明確なんだ」


 片膝を抱え込み、その上に顎を載せるようにして演習場の広場に顔を向けたまま、レオアリスは黙ってアスタロトの言葉を聞いている。


「暫らく戦局が動かないのを見ると王は師団を送った。バインドがいたからだ。バインドは当時、並ぶ者のない剣士だったらしい。……最初は、バインドが上手く反乱を抑えかけたかに見えた。――でも」


 同じ剣士との戦い。


 剣を交え、相手を切り裂く内に、バインドは狂っていった(・・・・・・)


「……狂った?」


 レオアリスの瞳が形容しがたい色を浮かべ、アスタロトに向けられる。


身の裡で、剣が微かに脈打つ。


「そうとしか言い様が無かったみたいだ。敵も味方も、構わず斬りはじめたんだから」

「―――」


 当時の戦場からの急使、事後の調査、それらから次第に形を帯びた戦場の様子は、誰をも絶句させるに足るものだった。


 バインドは徹底的に切り刻んだ。


 手当たり次第、敵味方関係なく。


 少しでも、目の前に動くものは全て。


 北方軍、師団ともに、死者の半数以上は、敵ではなく味方であるバインドによって命を断たれたのだ。


 バインドはあらゆるものを切り裂きながら、やがて剣士の里に辿り着いた。


 その頃には、既に反乱軍と鎮圧軍という図式は崩れ去り、バインドを抑える事こそが、戦いの目的に刷り変わっていた。


 それが


「唐突に――」


 バインドが消えた。

 そして、


「そこに、お前がいたんだ、レオアリス。赤子だったお前は、バインドが消え、お前の一族が滅びた後の村に、ただ一人残されていた」


 炎の中に泣き声を上げていた赤子。


 遠からず焼かれて命を落としていたであろうその赤子を、炎の中から救い上げたのは、王自身だった。


 王が何故そうしたのかは判らない。反乱を起こした一族が既に滅びた今、もはや咎を負う必要もないと、そう考えたのか。



 赤子は、剣士の里のすぐ近くにあった村に預けられた。






 口を閉ざしたアスタロトの横で、レオアリスは黙ったまま、自分の手の上に視線を落とした。


 交わす言葉もなくただ座っている二人の足元では、枯れかけた芝が、落ちかかった長い陽に細かな陰影を作っている。


 やがて深い溜息をついて、アスタロトは静かに立ち上がった。まだ座り込んだままのレオアリスに視線を落とす。


「――私は行くよ」


 見上げたレオアリスの上には、アスタロトが恐れていたような感情の色は見つけられ無い。


 だがもっと感情を露にされた方が、不安を感じずに済んだかもしれないと、そう思った。


「……私が言ったこと、忘れんなよ」


 アスタロトの表情に、レオアリスが苦笑を浮かべる。


「なんて顔してんだ」


 不安が、おそらく顔に出ていたのだろう。


「ふん。お前のせいじゃないか」


 むっとして顎を逸らしながらも、いつもと変わりの無いレオアリスの口調に、漸くアスタロトの胸の裡が少し軽くなった。

 レオアリスが肩を竦める。


「悪かったな。……少し、混乱してるだけだ」


 アスタロトはその顔を暫らく眺めていたが、一つ溜息をつくと、腕を伸ばしてレオアリスの頭をばしっと叩いた。


「さっさと帰れよ。お前の隊、お前の事心配する奴らばっかじゃん。ガキじゃないんだから、あんまり心配させんな」








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