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王の剣士3「剣士」  作者: 雅
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第一章 二(二)

「れっおあっりす~!」


 謁見の間を出た途端、澄んだ楽器の音色にも似た明るい声と共に勢い良く背中にぶつかられ、レオアリスは軽くむせた。

 背後から肩にするりと細い腕が回される。


「……アスタロト」


 肩に乗せられた顔を横目で睨む。


 黒い艶やかな髪を高く結い上げて背中に垂らし、透き通るような白皙の面に、紅い瞳と唇が映える。

 非常に華やかな、美しい少女だった。


 年の頃はレオアリスと変わらない。外見からでは実際の年齢を計り難い種はこの世界に少なくはない。アスタロトもレオアリスもまた同様だったが、この時点ではまだ彼等は見かけどおりの若い存在だ。


 アスタロトは襟の詰まった青い長衣を纏い、下には細い銀糸で繊細な刺繍の施された丈の短い黒の上下を身につけ、二の腕の半ばまである黒い手袋と、すらりと伸びた白い足にふくらはぎまでの黒い革靴を履いている。


 手や首、耳に惜しみなく飾られた銀の装身具が、その容姿を一層引き立てていた。


「嬉しそうな顔してんなぁ。誉められたろ」


 アスタロトはひょい、とレオアリスの肩から掛かる長布を持ち上げ、ひらひらと振ってみせた。


「お前ホンッとガキみたい~。すぐ分かるンだもん」

「うるせぇな」


 長布の裾を奪い返し、レオアリスは不満の色も濃く眉をしかめた。だがそうしてみても、口元にはまだ微かな喜色がある。

 言葉にして確認した事も無く、またレオアリス自身がそう言っている訳でもないが、レオアリスが王に仕える様は、まるで子が父を慕うのにも似ていた。


 アスタロトにはそれが面白いらしく、折に触れてその事をつついてはレオアリスをからかっている。


 レオアリスの表情を捉え、グランスレイは苦笑を浮かべた。そんな姿は例え他者から畏怖される剣士ではあっても、彼がまだようやく少年の域を抜け出しかけた程なのだと改めて思い出させた。

 そしてグランスレイはそこに、言葉には出せない安堵を覚える。


 ふとアスタロトの背後に控えている男に気付き、グランスレイは密かに眉を顰め、正規軍の上級士官服を纏ったその男を眺めた。

 背が低く横にどっしりと肥え、あまり軍人らしからぬ容貌ではあるが、正規軍二等参謀官の一人で、確か名をダルベックと言ったはずだ。


 ダルベックは、二人の会話をどこか疎むような表情を浮かべて眺めていたが、グランスレイの視線と合って決まり悪そうに顔を逸らした。


 グランスレイは改めて向き直り姿勢を正すと、アスタロトに対して深々と頭を下げた。


「お久しぶりです、炎帝公」

「よう。一隊は頑張ってんな」


 アスタロトはにっこり笑ってグランスレイに手を振ってみせる。形式というものを気にしない点で、この二人は良く似ている。そういうところも気が合う理由なのだろう。

 まだ背中に張り付いたままのアスタロトを、レオアリスは首を捻って睨み付けた。


「いい加減離れろ。鬱陶しい」

「気にすんな」


 炎帝公アスタロト。


 四大公の一人であり、正規軍将軍を務める。立場上レオアリスより上位にあるが、レオアリスが王都に来る前に二人が出会ったという事と、年が同じである事からか、正規軍の総将と近衛師団大将というよりは、ごく親しい友人同士だ。


 近衛師団のレオアリスの執務室にも頻繁に顔を出し、よく二人で他愛もない話をしたり、レオアリスを引っ張り出してはあちこちに出かけていく。

 正規軍の執務はどうしたのかと、グランスレイがいらぬ気を回す程だ。


「なぁ、遊ぼうよ、遊ぼう。街いこ、街」


 今もアスタロトはうきうきと声を弾ませ、背中からレオアリスの横顔を覗き込んだ。


「あぁ? 何言ってんだ。そんな暇ねぇよ。俺はこれから戻って演習」


 レオアリスがあっさりと却下すると、アスタロトは美しい頬に呆れた色を浮かべた。

「ばっかお前、何そんなに働いてんだ。朝、陣張ったばかりだろ。たまには息抜きしろよー」

「お前はたまにも何もないだろ。働け」


 レオアリスは構わず、ずるずるとアスタロトを引きずるようにして廊下を歩き出した。レオアリスの方が少し身長が高いために、アスタロトは爪先を引きずられるような状態になる。


 だがアスタロトも肩に回した腕を緩めるつもりは無いようで、形の良い眉を切なそうに寄せ、深々と溜息をついた。


「冷たい……アリスちゃん」

「その呼び方はよせっ」

「いいじゃん」

「いい加減離れろっ」

「いいじゃん」


 長い廊下を擦れ違う官吏や諸侯が笑いを堪え、あるいは眉を顰めてその様子を振り返っていく。

 グランスレイは二人の後ろを歩きながら、彼らの顔に浮かぶその二つの感情に、レオアリスの立場の微妙さを思った。


 レオアリスは貴族の出でもなく、王都に縁故もなく、強力な後ろ盾を持つ訳でもない。剣士としての力が彼を現在の地位に置いているが、それについても若すぎるという批判が常に付いて回る。

 そうした背景は年若い者達には好まれるが、年季の入った者ほど、剣士であるという事そのものを疎む声も多かった。


 レオアリスが近衛師団に配属されて既に三年近くが経過し、その間に上げた実績は多くの者の見方を変化させたが、それでも未だに一部には根深い感情がある。


 ただ、グランスレイは苛立ちを覚えながらも、その感情が消える迄には尚長い歳月を要するだろうと考えてもいた。

 どれほどレオアリスが実績を重ねようと、例え貴族の出身であったとしても、剣士という事実が消える訳ではないからだ。


 剣士であることそのものが、最大の問題であると言える。


(ゆっくりと、歳月を掛けて払拭していくしかない)


 何事も起こさず、ゆっくりと。


 様々な記憶を流す程の歳月を、静かに。


 レオアリスは若い。全てはこれからでしかないのだ。


 いくら誘ってもレオアリスが付き合いそうにないのを見て取ると、アスタロトはようやく回していた腕を解いた。もう既に謁見の間の前の廊下を通り抜け、幾つもの階段を下り、正門へと通じる大広間まで来ている。


 二人が近づくのに併せて、扉を警護する近衛兵が、両側から重く巨大な扉を押し開ける。それほど力を加えているとも見えず、しかし扉は音も立てずにゆっくりと開いた。

 第一大隊の兵ではないが、近衛兵達はレオアリスに対し、誇らしそうに敬礼した。今朝方の陣については、兵達も既に聞き及んでいる。


 牛蹄種は戦場に於いて最も恐れられる種族の一つだ。それをいとも容易く倒したのが自分達の大将と聞けば、当然のように誇りと信頼が深まるものだ。


 王城内でのレオアリスへの批判などは、直接命を預ける彼等にとっては、全く見当違いの意見でしかないだろう。


 扉を抜けると、広大な庭園が目の前に広がる。扉の前から数段下って広い踊り場が設けられ、正面と、左右に緩やかに弧を描く階段が十数段続いていた。


 階下には馬車寄せと、黒い玉石を敷いた広い道が正門まで長く伸びている。両脇に広がる庭園は常に美しく整えられているが、今は雲間に翳った陽射しと冬へと移ろう季節の中で、密やかな気配を漂わせていた。


「しょうがない、いいよ、アーシアと二人で行くから」


 ようやく諦めて腕を解くと、アスタロトは迎えの馬車を待つために、階段の手摺りに凭れかかった。鈍色に光を弾く黒い大理石は優美な彫刻に縁取られ、アスタロトの姿を微かに映す。


 アーシアというのは、アスタロトが常に傍に置いている従者だ。自由気儘、奔放なアスタロトを常に補佐していて苦労も多いだろうが、いつも穏やかな微笑を絶やさない少年だ。


「土産持ってきてやらないからな」

「お前の土産はろくなモンが無いからいらねェ」

「っ……ばぁ――かっ!」


 悔しそうに足踏みをするアスタロトに顔を向けて、にや、と笑うと、片手を振ってレオアリスはそのまま正門へ向かった。グランスレイもアスタロトに敬礼し、レオアリスの後を追って階段を下る。


 アスタロトに付き従っていたダルベックは、レオアリスの後ろ姿を見送ってあからさまに不快の色を浮かべた。


「公に対してあのような態度は、例え近衛の大将とはいえ、いかがなものですかな」


 棘を含んだ響きに背を向け、アスタロトは振り向かず、黙って正門の方を眺めている。

 ダルベックはアスタロトが何も言わない事を同意と受け取ったのか、重ねて口を開いた。


「大体、公とは身分が違いすぎます。周囲との兼ね合いもありましょう、あまり親しげなご様子をお見せになるのは賛成致しかねますよ。第一剣士など」

「お前、何だ?」


 乾いてひやりと低い声に、ダルベックは口を閉ざした。

 アスタロトは振り向かないまま、ちらりと視線だけを投げる。


「あれは私の友人。お前は何なんだ?」

「こ……」

「身分?」


 美しい唇に薄く笑みを刷く。声は魂を凍り付かせるように響いた。


「軍は実力主義だ。それともお前は、私が身分だけでこの地位にいるとでも言うか」


 全身に冷水を掛けられたかのように震え、ダルベックはその場に叩頭した。


「め、めっそうも……!」


 言葉を詰まらせて数度叩頭し、おろおろと立ち上がると、幾度も腰を折りながら慌てて立ち去る。


 その後ろ姿につまらなそうな一瞥をくれ、アスタロトは改めてレオアリスの姿を探した。既にグランスレイと共に、正門の前辺りにいる。


「あいつも、色々やっかいなとこにいるよな」


 丁度そう独りごちたとき、目の前に音も立てず四頭立ての黒い馬車が滑り込んだ。

 階下に停まると開いた扉からガチャリと小さな段が降ろされ、飛び降りた紺色の髪の少年がにこっと笑ってアスタロトに声をかける。


「アスタロト様」


 頷いて馬車に乗り込むと、アスタロトは深く艶やかな緑をした天鵞の座席の上に、ゆったりと腰をかけた。


 少年――アーシアが差し出した琥珀色の液体が入った摺り硝子の杯を受け取り、一口舐める。


「剣士かぁ」


 窓から正門に眼を向けたが、既にレオアリスの姿は門の向こうに消えていた。

 再び背凭れに身体を預け、アスタロトは見るともなしに、動きだした馬車の窓を流れる正門を眺めた。


 浮かんだのは他愛もない疑問だ。

 

 剣士を軍に配さなくなったのは、いつからだったっけ……?






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