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王の剣士3「剣士」  作者: 雅
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第三章 二(二)

「十七年前にあったのは、反乱だ」


 ベールがアスタロトの反応を見るように、ゆっくりと言葉を紡ぐ。黒く深い瞳の奥に、捉えどころのない微細な光が浮かんでいる。


「北方の――、剣士の一族のな」


 一瞬、周囲の音が途切れたように感じられた。


 アスタロトはベールの言葉の意味を図りかねたように、深紅の瞳で目の前の顔を見つめた。


 長い睫に縁取られた瞳が、大きく見開かれる。


 ベールは皮肉な笑みを口元に刷き、頷いた。


「そうだ。反乱を起こしたのは、レオアリスの一族だった」


 アスタロトの唇が喘ぐように数度動く。


「――そ……え、だって、あいつは」


 思わず立ち上がりかけ、アスタロトは再び腰を落とした。


 言うべき言葉を見失って口を閉ざし、ほっそりとした手を額に当てる。


 喉の奥が詰まる。肺が酸素を取り込むのを止めてしまったように思える。


「それはもう少し後で触れよう。――その反乱を収める為に向けられた軍の中に、バインドがいた。近衛師団第二大隊左軍中将。

戦場にあった北方辺境軍及び師団第二大隊、合わせて二千余名、その半数以上を切り裂いたのもまた、バインドだ」








 

 

 広い室内は午後の白い陽射しの中に沈んでいる。降り注ぐ陽射しは、それを受ける者の影をくっきりと浮かび上がらせる。


 そこに作り出される光と影。


 この場で侯爵の口から語られる言葉は、その影をより一層際立たせようとするかのようだ。


「剣士は稀な存在だが、戦闘能力は群を抜いている。それが、何故軍にレオアリスの他に存在しないか、お前は解るか?」


 それは先日、ロットバルトやクライフが感じた疑問でもあった。


 ロットバルトが黙ったまま否定の意を表すのを見て、侯爵は言葉を継いだ。


「そぐわないのだ。剣士は戦う事そのものが存在理由、本能だ。軍規や隊内での協調を守る事に向かない。時に生よりも、戦う事を好む。――そしてバインドは、その本能が最も顕著な男だった」


 侯爵はロットバルトの顔から、白い光に溶ける窓へと視線を移した。


 バインドが師団に所属していた折、数度見かけるだけだったにも拘らず、バインドは周囲に不快な感情を抱かせるように思えた。

 特に言動が荒い訳ではない。


 だが――そう、まるで周囲の者を、物として捉えているような眼。


 単なる切り裂く対象として。


 しかし、それでもあの頃のバインドは、かろうじてその本能を抑え込み、軍の中に自分を抑え込んでいた。


 あの時までは。








 

 

 ベールはアスタロトの顔に視線を注いだまま、一つ一つの言葉を繋ぎ合わせるように紡いでいく。


「同じ剣士と戦う事は、確実にバインドの中の何かを呼び覚ましたのだろう。反乱を抑える為の軍は、途中からバインドを抑える為のものに変わった。

だが、結果は先程も言ったとおり。二千余名の内、誰一人、北方の辺境から生きて戻る者はいなかった」


 黙り込み、俯いたままのアスタロトを前に、ベールは非情とも取れる響きで淡々と言葉を紡ぐ。


「その名は禁忌だ。誰もが口を噤む、忌むべき名なのさ。そして以来、軍において剣士もまた禁忌となった」









 

 

「――戦いは、唐突に終わった」


 それは近衛師団が北方の辺境に到達して、一日も経たない内の事だった。


「バインドは忽然と消え、炎の上がる剣士の一族の里、そこに一人の赤子がいたのだ。剣士の一族の、最後の一人だ」


 侯爵は蒼い眼に苦い色を灯して、目の前に立つロットバルトに向ける。

 降り注ぐ陽射しが、まるで温度のないものに感じられる。


「もう一度言おう。バインドが再び現れた今、わしはこれまで以上に、お前が師団にある事を望まない。今は何も知らずとも、いずれ過去を知れば、その剣は王に向けられるやもしれんのだ」


 侯爵は言葉を切ると、ロットバルトが頷くのを待った。途中から一言も口を挟まずに話を聞いていた。


 おそらく、自分の意思を理解するだろうと。


 だが、意に反してロットバルトは苦笑を浮かべた。


「あなた方は、少し観察が足りないようだ」

「何を」

「王に剣を向ける? 間違っても、それは起こり得ない」


 レオアリスの中に見える王への忠誠の念は、自分達のそれとは少なからず次元を異にする。それが何の故であるのか、ロットバルトが明確に把握している訳ではない。


 だがレオアリスの持つ感情は地位や立場から出たものではなく、それを知っているからこそロットバルトには、また周囲の者達には誰しも、レオアリスが王に離反する事は有り得ないと言うだけの根拠になる。


 ロットバルトは侯爵の顔を眺め、全く別の事を口にした。


「午前中に、ヴィルトール中将を喚問されましたね」


 侯爵は黙ったまま、不機嫌そうな眼をロットバルトに向けた。


「それで、ミストラの一件に関する中将の証言に、貴方が確信を得られるような内容はありましたか」

「……私が直接聞いた訳ではないが、疑念が深まるものではあった」

「王に対しての翻意があると?」


 問題はそこだ。


 もし今、僅かなりとも周囲がそれを認めれば、レオアリスは王都を追われる事になるだろう。


 だが、自分をこうして呼ぶ事しかしていない以上、可能性の範囲を出ていないのだ。


 疑念をどう解消すべきか――ロットバルトは思考を巡らせる。


「今の時点では無いだろう。だが、知った後ではどうなるかは判らん」


 だからこそ、事実を伏せ、十七年を経た今でさえ疑念を棄て切れないでいるのだ。

 だがロットバルトはあくまで穏やかな口調を崩さないままだ。


「では現時点では、まだ懸念の範囲を出ていないと言う事ですね。」


 敢えて念を押すように、侯爵の瞳を覗き込んだ。


「確信に変わってからでは遅いのだ。可能性が無いとお前に言えるのか?」

「勿論可能性は無ではないでしょう。ただ、今お聞きした限りでは、まだ反乱に至った経緯が明確になっていません。そこに関しては調査はついているのですか」

「詳細は不明だ。何の前触れもなく、不意に始まったものだったからな。レオアリスの育った村の者が何かしら知っている可能性は高いが、調査上は取り立てた結果は出ていない」

「……成る程」


 微かに笑みを零したロットバルトの顔を、侯爵は不審そうに眺めた。


「尚更、あなた方は調査不足ですよ」


 あの村で育った事それこそが、レオアリスの中に生まれるべき負の感情を消しているとも言える。


 ただ、内務の調査官にそこまで感覚的な調査を行えというのも無理な話だ。


 しかしその余地がある分、ロットバルトは彼等と別の角度から捉える事ができる。


「もう一度、私からは、彼が王に離反する事はないと、そう進言させて戴きましょう」


 揺るぎなく言い切ってみせる。


「御前失礼。これ以上軍を空けると職務怠慢で副将に叱責されますので」


 優雅に一礼し、ロットバルトは踵を返した。


「ロットバルト。今の師団はお前がいる場所ではない。……ヴェルナー家は、お前が」


 今度はロットバルトは立ち止まりもせず、振り向く事もしなかった。


「貴方とその議論をしても仕方のない事だ」


 従うつもりはない、と言外に言い置いたまま、ロットバルトは扉を閉ざした。




 回廊を玄関へと向いながら、先程の話を反芻する。


 その内容にまるで衝撃を受けなかった訳ではない。


 だが、レオアリスの一族が反逆者であった事にではない。それはロットバルトにとって、さほどの意味を持たない、過去の事だ。


 その事よりも、これほどの事実が今まで隠されていた事に驚きを覚えたのだ。


 隠そうと思ってそう簡単に出来るものではない。

 そしてまた、その経緯がありながら現在レオアリスが軍にある事も。


 それを成し得る者は、王しか有り得ない。


(やはり王か。しかし、どう取るべきなんだ?)


 その真意がどこにあるのか、そればかりはロットバルトなどの計り知れない事だ。そこを詮索するには、まだ情報が少なすぎる。


 父である侯爵が懸念しているのは、レオアリスがバインドと同じ事態を引き起こし、更に言えば万が一王に剣を向けた時、ロットバルトが第一大隊に在籍していることは、ヴェルナー家にとって都合が悪いものだからだ。


 けれどもいかにそうした懸念があるとはいえ、それほどに伏した事実を公爵が自分に向けたからには、事態の方向は――王の意向は、変わったと見ていいのだろう。


(……だからと言って、事態が好転している訳でもないな。情報も一面的すぎる)


 そう思ったところで裏側を覗き込む術はない。

 ロットバルトはそれを切り上げて、もう一つの懸念に思考を移した。


 バインドが師団に在籍していたのであれば、当時既に第一大隊の中将であったグランスレイが知らない訳はない。

 クライフとフレイザーはそれ以降に師団へ配属されている。もう一人、ヴィルトール。


 先日の演習場でのヴィルトールの反応を思い出し、ロットバルトは溜息を吐いた。


 軍に剣士が存在しない事に対するクライフの疑問を、いつになく曖昧に躱していた。


(――だが、もうそろそろ、限界だろう)


 無理に抑え込めば、その反動は大きい。


 侯爵へ告げた言葉はロットバルトの真意ではあるが、最善のやり方で事実を告げた場合の話でもある。

 その為には、レオアリスが戻る前に、グランスレイと話をする必要があった。


 知らず、ロットバルトは師団士官棟へ向かう足を早めた。








 

 

 ベールは言葉を切り、暫らくの間黙って、俯いたアスタロトの上に視線を注いでいたが、やがてゆっくりと口を開いた。


「……あの時の赤子が成長し、剣士として王都に現れた時、当時の戦場を見た者は誰もが危惧を抱いた。

バインド以来、軍に剣士はいない。再び同じ轍を踏む事を恐れたからだ。そして、レオアリスがその裡に復讐を抱えていないとは、誰にも言えまい。

――だが、多くの危惧を余所に王はレオアリスを迎え、近衛師団に配した」

「――あいつは、何も知らない」


 アスタロトの声はどこか怒ったように響く。それに対して、優しささえ感じられる声でベールは頷いた。


「そうだな。あれを育てた村の者達は、レオアリスに何も告げなかったのだろう。――その後はお前もよく知っているとおり。周囲の危惧はただの懸念に終わった。当時を知る者が見ても、あれの中に復讐の心を見る事はできん」

「当然だ。レオアリスは王が好きだもん。見てて笑えるぐらい。まるで、親を慕うみたいにさ」


 アスタロトらしい言い方にベールは微かに苦笑を滲ませたが、頷いた。


「私も知っている」


 アスタロトはどうしていいか良くわからずに、長椅子の背凭れに頭を預け、肺に溜め込んだ凝った息を吐き出した。


 そうしてみても、喉や胸に圧し掛かった重いつかえは取れない。


「――どう言えばいいんだ。私は判ったら教えてやるって、あいつに約束したのに」


 ベールにこの喉に被さった重しを除いてくれと、そう望んだつもりではない。


 けれどやはり、ベールはそれを取り除こうとはしなかった。


「全てを話すか、それとも伏すか。二つに一つだ。――だが、全てを知れば、レオアリスはここを離れるかもしれんな」






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