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王の剣士3「剣士」  作者: 雅
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第三章 二(一)

 アス・ウィアンから戻ったその足で、アスタロトは王宮内の一角、内政官房へと向かった。


 内政官房は王城の北面三階層までを占め、三階層の最奥に長官室がある。


「これは、アスタロト公」


 長官室の扉をくぐると、すぐ脇に据えられていた机の奥で内務秘書官が顔を上げ、アスタロトを認めて素早く立ち上がる。


「本日はいかがされました」

「うん。ベールはいる?」

「執務室においでです」

「ありがとう」


 アスタロトがいきなりやって来る事などいつもの事で、内務秘書官は特に用向きを確認する事もなくそのまま見送った。


 長官の執務室は広い室内の奥に位置する。秘書官達の机や個室が並ぶ室内を通り抜けながら、アスタロトは長官室の手前のひと部屋が空室表示なのを認めた。


(――ロットバルトの親父がいないな)


 ロットバルトの父、ヴェルナー卿は内務――内政官房の次官、つまりは官房長官たるベールの補佐を努める。


 その事が何となく気にかかったものの、特に足を止める事無くベールの執務室前まで来ると、アスタロトはおとないも告げずに扉を開けた。


「入るぞ」

「入った後に言う言葉じゃあないな」


 広い黒檀の机の向うで、内政官房長官ベールは知性を湛えた静かな瞳を上げた。


 目を通していた書類を脇に押し遣り、ずかずかと執務机の前まで歩み寄るアスタロトに身体を向ける。どこか怒ったようなアスタロトの表情に、ベールは僅かに眉を上げた。


「今日は何の用だ?」


 机の前まで来て立ち止まるかと思えば、アスタロトは部屋の中をぐるぐると歩き出した。


 ベールが扉の脇に机を置いている長官随行官へ顔を向けると、随行官は黙礼して扉を出た。


 扉が閉まるのを視界の隅に移しながら、アスタロトは腕組みをして尚も歩く。


 アス・ウィアンのあの光景が今もまざまざと思い浮かぶ。


 今回の件では、相手が剣士ということそのものに囚われ過ぎていた。


 レオアリスの疑問、バインドについて何かを伏せるような軍内の様子、それも重要だったが、実際にアスタロトが目を向けなければいけなかったのは、この件に関して自分がどうするかだ。


『北方辺境軍の全滅』


(知らなかったって?)


「バインドについて、知ってるの」


 アスタロトの単刀直入な質問以上に、ベールの回答は簡潔だった。


「知っている」


 最初は何だかんだと躱されるだろうと予測していたため、アスタロトは思わず立ち止まってベールを見つめた。力づくでも聞き出してやろうと気合いを入れてきたのが馬鹿らしい程だ。


「……今回の件じゃないぞ」

「驚く事か。北方は私の管轄だ。それでお前も来たんだろう」

「だって、……秘密なんだろ」


 アスタロトが睨むとベールは再びあっさりと頷いた。


「そうだ。だがお前のは不勉強というやつだな。正規軍を統帥する将として当然知っているべき話だろう」


 一つ笑うとベールは立ち上がり、アスタロトに長椅子を勧めて、自分も向いに腰を降ろす。


「解ってるよっ」


 乱暴に腰掛けると、弾力性のある厚い綿のせいで長い黒髪が跳ねた。


 ベールの言うとおり、本来自分の立場なら知っていなければおかしい位の話だ。誰も教えなかったからと言うのは甘えだろう。『アスタロト』として正規軍の将の座に着いた時、過去を紐解くのはアスタロトの義務だったのだ。


 縛られたくないという思いから、自分は未だに色々なものに眼を瞑っているのかもしれない。


 ベールは怒ったようなアスタロトの顔を眺め、意外そうな表情を見せる。


「なにやら反省をしているようだな。まあそう腐るな、これについては何もお前の所為だけでもない。誰もが口に出すのを憚る事だったのだから」

「憚る、か。憚ってばかりいちゃ、物事ずっと事態が悪くなる事だってある。知らせないことにそんなに価値があるのか?」


 レオアリスのあの表情。苛立ちと、おそらくは不安。周囲があれでは、誰だってそれを感じるだろう。


(……私だって変わんないじゃないか)


 アスタロトは苛立ちをぶつけるようにベールの顔を睨んだ。


「お前が知ってること、みんな話せ」


 ベールは目の前の紅い瞳を覗き込んだ。


 アスタロトが自分から聞いた話を、レオアリスに伝えるつもりなのはその瞳の色から分かる。


 ベールはどことなく複雑な色の交じった笑みを浮かべた。


「聞けば、お前は迷うだろう。それでも聞くか?」


 聞いたところでお前はそれを飲み込めるのかと、そんな問い掛けに聞こえる。だがアスタロトは少しの逡巡も見せずに、挑むようにベールを見上げる。


「迷うかどうかなんて聞かないと判んないだろ。教えろ」


 自分を睨み据えるアスタロトの顔を見つめながら、ベールは束の間思考を巡らせた。


 王は既に、半ばその命を解いている。ベールは一つ頷いた。


「よろしい。それもお前の責務の一つでもあるだろう。――では、何から聞きたい?」


 長椅子の上で足を組み、正面から瞳を覗き込んでくるベールの前で、その声の響きにアスタロトはこの時になって僅かに躊躇った。


 自らに決意を促すように小さく息を吸い込む。


「……十七年前、何があったのか。それと、バインドが何者なのかだ」







 

 

 


 ロットバルトは明るい日差しが降り注ぐ、幾重にも折れ曲がった硝子張りの回廊を歩き、その最奥にある豪奢な扉の前で足を止めた。


 広大な敷地内に設けられたこの離れは、邸内の者も用がない限り訪れる事はない。回廊と離れを包む庭園も、午後の白い光の中にひっそりと静まり返っている。


 名乗ると、中から低い声が応えた。


 溜息を一つ吐き出し、精緻な彫刻の施された取っ手を回して扉を押し開けた。広い室内にも、回廊と同じく白い陽光が満ちている。その中を、正面の机の奥に座る男の方へ足を進める。


 厳めしい壮年の男だ。十ある侯爵家の筆頭に位置し、四大公に継ぐ地位を誇る大貴族。がっしりとした身体を幾重もの長衣に包み、泰然として椅子に腰かけたまま、男は机越しにその少し前で立ち止まったロットバルトを眺めた。


 ロットバルトは男に一礼すると、その顔を見返した。


 この場に全く見知らぬ第三者がいたとして、彼等が血の繋がりのある親子だと言っても、俄かには信じがたいだろう。姿形ではなくその上辺からは、家族の中にあるはずの暖かさはまるで感じられない。


「珍しいですね、貴方がわざわざ私をお呼びになるなど」

「……元気そうだな。兵舎などに入らず、この館から通えばよいものを。ヴェルナー家の子息が何を好き好んでそのような場所におるのか」


 会う度に聞かされる言葉に、ロットバルトは僅かに笑みを浮かべただけで取り合う様子はない。

 もう既にそれを言う事を信条にしているのではないかとさえ思えるほど、それは決まりきった会話だ。ロットバルトの答えもまた、常に変わらない。


「何のご用です。私も既に役を頂いている身なのでね。いつものように軍を辞めろというお話であれば、これで退出させて頂きますが。既にご存じでしょうが、今はこうしている時間も惜しい」


 それだけ言うとあっさりと踵を返しかけた息子に、侯爵は苦い声を向けた。


「だからこそ呼んだのだ。事態が好ましくない方向へ向えば、第一大隊の立場は微妙なものになろう。わしとしてはその時、そこにお前を置きたくないというのが本音だ」


 そこには普段の挨拶のような会話とは違う響きがある。


 ロットバルトは再び身体を戻し、侯爵の表情の奥にあるものを見透かそうとするように、向けた眼を細めた。


「……あなた方は、一体、何をご存知なのです? バインドと彼について、何を隠そうとしているんです。それが判らない以上、何を仰られても無意味でしょう」

「――お前達は若く年も近い。同調するのも判るが、全体を眺めた時、何が一番良い選択かを見極める事が必要だ」


 問題にならないというように、ロットバルトは一度顔を背けた。


「その全体を眺める事が、現在出来る状態に無い、と申し上げているのですよ。中途半端に隠すのはお止めなさい。判断をしろと仰るのであれば、それ相応の材料を提示していただきたい」

「提示すれば、わしの言葉を呑むか?」

「伺った後で判断します」


 侯爵は暫らく無言のまま、指先でコツコツと机を鳴らしながらロットバルトに視線を注いでいたが、まるで変わらない表情に、苛立ちの交じった息を吐いた。


「――お前は、今回の件について、どこまで知っている?」

「全く。ほとんどと言っていい程、情報が伏せられている。そもそも、バインドとは何者なのです」


 侯爵はその名を疎むように、灰色の眉をしかめた。


「――あれは、十七年前まで、近衛師団第二大隊の中将だった男だ」






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