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王の剣士3「剣士」  作者: 雅
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第二章 八

 入り口で迎え出た家令は、廊下に立つ被きの奥の顔を確認すると、黙って深く頭を下げた。


 先に立って部屋の奥へと進み、一つの扉の前で足を止める。


 家令が扉を押し開くと、薄い陽光の落ちた部屋の中で、女が一人振り返った。


 癖の無い黒髪を耳の下辺りで切り揃え、きつく釣り上がった切れ長の瞳は黒、女性特有の柔らかさは少ない。

 身に纏っているのは私服だが、傍らの卓上にはよく手入れを施された長剣が置かれていた。


 来訪者が外套を脱ぎ一礼すると、現れた整った顔を眺め、女は赤い口元に笑みを刷いた。


「久しいな、半年振り程か。と言ってもこれでまだ二度、いや、三度の面会でしかないが」

「先のミストラの一件ではご助力を戴きました。この度は急な申し出にも関わらず、面会をご了承戴きお礼を申し上げます」


 それには鷹揚に頷き、正規軍東方第七大隊大将レベッカ・シスファンはロットバルトに窓際の椅子を薦め、自分もその前に座った。


 薄い陽光以外に光源の無い部屋では、二人の姿もその間に置かれた円卓も墨絵のように映る。

 窓越しに覗く常緑樹の枝葉が、風にざわざわと身を揺すっていた。


 家令が茶器を二人の前に置き部屋を辞すと、シスファンは椅子の背に深く預けていた身体を起こした。


「卿がわざわざ訪ねて来るとは思わなかったな。使者を戴ければ館まで出向いたものを」


 シスファンは円卓に両肘を付き、組んだ手の中から黒い瞳を閃かせるようにロットバルトの瞳を覗き込んだ。


 探る瞳の色にも、ロットバルトはただ笑みを返す。


「近衛師団参謀官としての用件ですので、こちらから伺うのが筋でしょう」

「ふん、そっちか。つまらん事だな。二人きりで密会など、王都の女どもに恨まれるとヒヤヒヤしていたんだが」

「貴女にご迷惑が掛からないよう、顔を見られない配慮はしております。そのご心配はご無用ですよ。ここに貴女がいらっしゃることも、他に知られる懸念はありません」


 シスファンはじっとロットバルトを見てから、気持ちの良い響きを立てて笑った。


 ここはシスファンの官舎でも私邸でもない、王都の上層部にある宿の一室だ。

 閑静な街中に建つそこは、訪れるにも離れるにも、人の目に立たない造りになっている。


「甘い期待を掛けていたのに残念だ」


 それから今までの会話とは打って変わって、低く声を落とす。


「良く私が王都に来ていると判ったな。公式にはサランバードを離れてはいないのだがな」


 サランバードはシスファンの第七軍が駐屯する、東方最大の軍都だ。東の辺境、ミストラ山脈を擁するミスティリア地方一帯の治安を担っている。


 ミストラ山脈での一件の折り、ロットバルトはサランバードを訪れ、シスファンと面識を得ていた。


「少し聞き及んだもので。……この度のご用件は査問、ですか。内務の」


 シスファンの瞳に浮かんだ光が鋭さを増す。


「――侯爵から聞いたのか」


 ロットバルトはただ笑って、シスファンの想像するに任せた。


 軍が辺境からシスファンを召喚する場合、通常アスタロトの命で動くが、アスタロトは秘密裡を好むまい。

 この件に関しては尚更だ。


 となればシスファンを喚問出来る権限を持つのは、他に内政官房しかあり得ない。それもごく上層部に限られる。


 ヴェルナー侯爵がそうした情報を単なる血の繋がり程度で洩らすとは、ロットバルト自身が最も考えていないところだが、それを敢えて否定してみせる必要はなかった。


 手にしている札は多く見えるに越したことは無い。


「私も、全てを聞いている訳ではありません」


 口を閉ざし、促すように自分に視線を向けたロットバルトを眺め、シスファンは身体中の息を吐くようにして椅子の背凭れに身を投げた。


 ロットバルトがここを訪れた理由は察しが付いている。面会を受け入れた以上問いかけをはぐらかす気はシスファンにはないが、それにどこまでどう答えるべきか、そこを自問していた。


「それで? 私が何を知っていると考えているんだ?」


 ロットバルトは目礼だけを返し、その蒼い瞳をシスファンの上に留める。


「内務での喚問案件は、先のミストラの一件でしょう」


 シスファンは少し剣呑に片眉を上げたが、躊躇無く答えた。


「そうだな」

「師団第一大隊大将に関わる件ですね」

「……どこまで知っているのか……。私に聞く必要があるのかな」

「推測に過ぎませんよ。ただ」


 ロットバルトはシスファンの反応を子細洩らさぬような色を蒼い瞳に宿す。


 一見穏やかな瞳の中にある冷えた光に、シスファンは苦い笑みを微かに浮かべた。


 シスファンは持って回った言い方は好まない。

 目の前の男に全く取り繕う素振りが無いのは、自分に対しては単刀直入が一番有効だと見抜かれているからだろう。


「ご存知の通り、現在王城は侵入者の件で少々騒めいています。侵入者は剣士ですが、ただ剣士というだけには、周囲の口が重すぎる。なにがしかの裏があると言っているようなものだ。そこへ、貴女が非公式に王都に帰還されたとあれば、私としては結び付けて考えざるを得ない」


 シスファンは黒い瞳を細めた。


「結び付ける。何に」


 室内の空気が張り詰めるのが判る。


 窓の外では相変わらず、樹々の穏やかな葉擦れの音が続いていた。


「バインドと軍との関わりを、です」


 事も無く告げられた声に、シスファンは一呼吸置いてから、長椅子の上の脚を組み直した。


「――」

「査問の内容については詳しく伺う事はしません。大方の設問は予想が着きますし、私の管轄ではありません」


 ミストラに残した情報も多くはない。そこから得られる情報だけなら対処は可能な範囲だ。


「では何を聞きたい」

「バインドはあの日、我が大将に幾つかの言葉を残しています。その全てが真実かは判りませんが、十七年前という鍵がそこにある」

「聞いていないな。捜査上の重要な要素となるものを秘匿しているとは、軍法会議ものだぞ」


 シスファンの咎める響きにも、ロットバルトはただ笑った。


「第一回目の軍議でバインドに関する言及を断たれているのですから、単に機会を逸しただけですよ」

「……その程度で済むと……」

「済ませましょう」


 事もなく言い切ったその顔を呆れた瞳で眺め、シスファンは続けさせるために片手を振った。


「貴女は第七軍の大将として、既に十七年前にはサランバードにおられた。ご存知でしょう」

「女の歳を測ろうとは、意外に女の扱いを知らないのではないか?」

「興味があれば伺いもしますよ」


 小手先程度の会話は思案の間が欲しいからだが、苦もなくやんわりと返され、苦虫を噛み潰したように眉をしかめる。


「教えて戴けますか。十七年前に、何があったのか」

「知らないと言ったら?」


 ロットバルトは一度反らした瞳を、静かにシスファンに注ぐ。


 浮かんだ光に、逆に厳しい札を引かせてしまった事に気付き、シスファンは内心で額を打った。


 ロットバルトがシスファンの内心を見透かすように、口元に薄い笑みを刷く。


「貴女は以前、我が大将を前にして、こう仰った。――剣士と対峙するのはいつ以来か、と」


 シスファンは益々眉をしかめ、今度は実際に額を右手につくと視線を窓の外に逃がした。


「全く、迂闊な事を口にするものではないな」

「非常に有益な示唆でしたよ。だが、調べても貴女が剣士と対峙した公式な記録は出てきません。いつ、どこでか。……何という名の剣士か……」

「――」


 シスファンは身体をずらして深く腰掛け、上体を僅かに乗り出して正面からロットバルトの瞳を見つめた。


「聞いたところでどうする」

「現時点で必要なのは情報です。情報が無ければ対応のしようもない」

「例え事実が彼に不利なものであっても?」

「この状況下で、優位なものが出てくるとは思っておりませんよ」

「――」


 束の間の沈黙に重なるように、樹木の騒めきが届く。


 よく耳を傾ければ、丁寧に整えられた小ぶりの庭園に遊ぶ小鳥達の囀りも聞える。

 シスファンの瞳が囀りの主を探すように、窓から見える梢の揺らめきを追った。


 こんな穏やかな情景の中では、十七年前の出来事はまるで遠い夢の中の事のように感じられた。


 ただしそれは、悪夢だが。


 脳裏にあの男、バインドの冥い笑みが過る。


 いつだったかバインドと対面した時、あの男が纏う闇にぞっとした。


 全ての事が終わって思い返せば、あれは狂気だったのだろう。


(いや……終わったと思っていただけか)


 追憶を振り払うように、シスファンは一度息を吐いた。


「――十七年前まで、バインドは確かに、我々に関わりがあった。軍として、日常的にな」

「どのような関わりです」

「それ以上語る口を持たん。記録も出まい。……そういう事だ」


 そう言って口を閉ざしたシスファンの上には、語る意思の無いことが明確に読み取れる。


 だがそれは言葉よりも雄弁に、ロットバルトにある事を伝えている。


「――成程」


 シスファンの対応は、この状況に於いて非常に好意的と言えた。


 全く対応もせず、一言知らないと言って通せば、ロットバルトにはそれ以上の追及は職位上できないからだ。


 ロットバルトの問いかけを完全に否定しない上で言及を避けるのであれば、そこに明白な理由があるのだろう。

 シスファンが口にする事を避けなければならない理由が。


(ここまでか)


 得られた情報は乏しいが、示唆された背景は大きい。


 退意を告げようとした時、視線を窓の外に投げていたシスファンの、独り言のように呟いた言葉が耳を打った。


「……十七年を経て、バインドは過去の亡霊ではなくなった。もはや時間の問題だろうな」


 それ以上は何も言わず、手の付けられる事無く冷え切った茶器の上に視線を落としている。


「――有難うございました。お手を煩わせて恐縮です」


 ロットバルトは丁重に頭を下げ、それから立ち上がった。


「いいや。まあ有益な時間の使い方ではあるさ。卿との面会は面白いし、何より眼福だ」


 翳りの無い口調でそう言うと、ロットバルトの後を追ってシスファンも席を立つ。


 ロットバルトは今までと変わって、魅惑的な笑みをシスファンへ向けた。


「今度は、また別の折にお時間を戴きたいものですね」


 どこまで本気なものかと内心苦笑を覚えながらも、シスファン目の前の整った顔を見返した。


(迂闊に乗ったら痛い目を見そうだ)


「その時には仕事の話は無しにしてもらいたいものだ。卿とは厄介な件でしか会って無いからな」

「そうさせて戴きましょう」


 シスファン喉の奥で笑うと、扉の外に声を掛け、家令を呼んだ。すぐに応える声が返り、足音が近づく。


「最後にあと一つ、お聞かせ願いたい」


 ロットバルトは振り返り、すぐ隣に立つシスファンと向かい合った。


 誰もがこの件に関して示す反応がある。


 少しずつ異なりはしたが、その根底には同種の感情が流れているように思える。


「剣士という種……いえ、存在にと言うべきかも知れませんが……。あなた方が抱いている感情は、一体何です」


 シスファンは束の間ロットバルトの瞳を見返してから、自嘲を含んだ笑みを浮かべた。


「――恐怖さ」









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