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王の剣士3「剣士」  作者: 雅
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第二章 七(二)

 半刻後、レオアリスは士官棟を出ると、今度は王城へと向かった。


 ハヤテを厩舎に預け、正門を潜る。見上げれば、王城の尖塔は首が痛くなるほどに高く聳えている。


 王がそこに座す事を考えると、こんな状況でさえ、確実に心が浮き立つのが判る。


『仇の』


 浮かんで来ようとするざわめきを押さえ、唇を引き結ぶと、レオアリスは高い扉を通り抜けた。


 正面の広く長い階段の横を抜け、長い廊下を何度か曲ると、王城の中庭に造られた回廊に出る。


 その先に、王立文書宮があった。


 白い花崗岩を格子状に組み合わせた回廊の壁面からは、左右に美しく整えられた中庭が広がっているのが見える。紅葉した樹々と秋の草花、常緑の植え込みが均整を取って配置されていた。


 この辺りで行き交うのは、多くは文官達と王立学術院の学士や学生達だ。時折いかにも意外そうな視線が、士官服姿のレオアリスの上を過ぎていく。


 回廊は途中で十字に交差して分かれている。レオアリスはそのまま正面の道を進み、行き止まりにある両開きの扉の前に立った。


 扉には知の象徴を表わす意匠である、葉を茂らせた年経た樹木が一面に彫られている。


 外側に取っ手は無く、レオアリスは扉に両手を置いて、重く大きな扉を押し開けた。




 軋んだ音を立てて開いた扉の奥には、天井の高く取られた広間が左右に広がり、天窓から差し込む幾筋もの光と舞い散る埃の中に、壁にずらりと並べられた書物を浮かび上がらせている。


 両奥の壁には、それぞれ次の間へ続く、上部を弓状に作られた通路が設けられていた。


 ここの蔵書量は師団文書保管庫の比ではない。この国の開闢当初からの膨大な量の書物や記録が、文書宮の幾つあるのかすら分からない部屋の一つ一つに整然と収められていると言われてている。


 そしてその長スランザールもまた、王城の諸官達の間では、開闢と同時にここにいるのだと冗談混じりに噂されていた。


 それほど彼の知識は深い。うっかり何かを尋ねようものなら、朝に来たはずが気付けば深夜を迎えていたという事もしばしばあった。


 スランザールは王立文書宮長と王立学術院長を兼任するこの国随一の賢者であり、その知識故に古くから王の相談役を務めている。


 レオアリスが扉の正面に置かれた机に近づくと、スランザールは分厚い書物に突っ込むようにしていた顔を上げ、首を突き出すようにして小さい目を更に眇めて、皺に埋もれた真っ白な眉を動かした。


 長く豊富な髭が口元を覆い隠しているため、その声はいつもくぐもって聞こえる。


「ずいぶんと久しいの。お前のような小僧っ子はもっと進んで知識を身に付けねばならん。それを怠るとは何事か。たるんどる」

「いきなり説教かよ。忙しかったんだって」

「それがたるんどる証拠じゃ。寝食を惜しんで勉学に勤しまんか」

「相変わらず口うるせえなぁ」


 レオアリスは眉をしかめたが、本気で煩わしいと思った事はなかった。

 威厳と愛敬が同居しているせいか、相対するとつい笑いが込み上げてくる。


 こんな時に自分でも驚くほど気持ちが軽くなっている。

 一歩か半歩か、前進している気がしている事もあるが、目の前の存在が持つ空気のせいもあっただろう。


 この老公はどこか、故郷の育て親に似て懐かしい。


「なあ、爺さん」

「スランザール様と呼ばんか、無礼もん。第一お前のような不勉強者の孫を持った覚えはないわ」


 スランザールはレオアリスよりふた回りも小さい姿で、胸を反り返らせた。だが幾重にも重ねた長衣から突き出た腕は枯れ木のように細く、皺と長く白い髭に覆われた顔は、あまり威厳があるとは言い難い。


「様って玉かよ。それより聞きたい事があって来たんだ」

「自分で調べてから来んか。普通は下調べをした上で、尚且つ分からないところに関してのみ、目上の者に聞くものじゃ。丸投げで聞こうとする時点でなっとらんわ」

「調べたよ。全然出てこねぇ。だから、ちょっと頼る事にした。だったら爺さんに聞くのが一番だろ? 何だって知ってるじゃないか」


 スランザールはその言葉を聞いた途端、にんまりと満足そうな表情を浮かべた。


「ふん。して、何が聞きたい」


 ほっと息をつき、身体を乗り出す。


「バインド。俺と同じ剣士で――」

「ほああ!」


 突然奇声を上げたスランザールに、レオアリスは思わず後退った。

 ぽかんと口を開けたまま、まじまじとスランザールを見つめる。


 周囲で書物を閲覧していた幾人かも、何事かと驚いた視線を向けている。


「……な、何だ?」

「わしゃ忙しいんじゃ。もう行け、あっちへ行け。こんな所で油を売っとる暇があったら仕事をせえ」


 せかせかとそう言うと椅子から飛び降り、広げていた本を掻き集めるようにして小さい身体に抱え込み、さっさと机の奥の扉に消えようとする。


「ああ? ……ちょっと……おい、待てって! ――じじいっ!」


 あっけにとられて見送りかけていたレオアリスは、慌てて机を飛び越え、スランザールの服の裾を掴んだ。


「こりゃ、離さんかい! このスランザール様の服を掴むなんぞ、数百億年早いわ!」

「あんた生まれてねェだろうっ! って、そうじゃなく!」


 じたばたと細い手足を振り回して暴れる老人を、何とか机まで引き戻す。


「無礼もん! か弱い老人を何だと思っとるんじゃっ」


 やっとの事で椅子に座らせると、スランザールは膨れっ面でレオアリスを睨み付けた。


「あのなぁ……。信じらんねぇな、もう」


 思わずレオアリスは肺の空気を全て吐き出すような溜息を漏らした。


 これがこの国の頂点に立つ大賢者の取る態度だろうか。


「……いいから、教えてくれよ。知ってんだろ」

「知らん」


 スランザールはまるっきり駄々をこねる子供のように、レオアリスから顔を背ける。


(――俺、ここに何しに来たんだっけ)


 夜明けを眺めた時の気分と今の状況では、数刻しか経っていないとは思えない程だ。


 机の上に両手をつき、そっぽを向くスランザールに頭を下げる。


「頼むよ。スランザール様」

「知らんっ」


 レオアリスは大きく息を吐き、身体を起こすと、スランザールの皺ぶいた顔を見下ろした。


「ふぅん。あ、そ。知らねぇんだ。情けねェなぁ、知のスランザールともあろう者が、知らない事があるなんてな」

「何を言うか、このわしに知らぬ事などない!」


 レオアリスの挑発に心底憤ったと言わんばかりに、スランザールの枯れ木のような手が古びた机をばんばんと叩く。

 レオアリスは、に、と笑みを刷いた。


「じゃ、教えてくれ」


 スランザールは釣られたように口を開きかけたが――不意に厳しい表情を浮かべて再び閉ざしてしまった。


「爺さん」


 促すようにレオアリスが呼んでも、じっと落ち窪んだ瞳を向けたまま、動こうとしない。


「……何だよ」


 黙ったままの老人にレオアリスは眉根を歪めた。


 また、同じ反応だ。誰もが同じように口を閉ざす。


「一体皆、何を隠してるんだ。バインドって名前に何がある?」

「知らなくて良い事もある。」

「知らなくていい? 奴は剣士で、俺を知っていた。知らなくていい事なんて無い」


 睨み付けるレオアリスの視線を、スランザールは無言で受け止める。


 レオアリスは纏い付く何かを振り払おうとするかのように、握り込んだ拳を鋭く振った。


「いい、自分で調べるさ」

「記録など無いよ」


 足音も荒く書庫へ向おうとしていたレオアリスは、その言葉に老公を振り返った。


 スランザールの真っ白い眉の下の小さな眼には、どこか思わしげな光がある。


「過去など、逐一掘り返さずとも良いものじゃ。掘り返したところで、後悔しか生まぬものもある」

「――そうやって誰も彼も上っ面ばかり言うな。それで気にならない訳がないだろう。」

「お前自身の為じゃ」


「――俺の為、か」


 レオアリスは一度だけスランザールに視線を向け、踵を返した。


「だったら皆、やり方を間違えてんだ」








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