第二章 二(一)
協議はその時点で中断された。北方軍大将ランドリーがその幕下を伴い、慌ただしく議場を後にする。アスタロトもまた、王への報告の為に席を立つ。
俄かに慌ただしい空気に包まれた議場内で、レオアリスはまだ自席に腰を降ろしたまま、その動きを見送った。
「どう思う」
傍らのアヴァロンがレオアリスに視線を向ける。
「――バインドかと。奴の左腕の剣は、炎を纏っていました」
エザムの街を焼いたのはその炎だろう。
レオアリスにはあの男が嬉々として街を焼き尽くす様が見えるような気がした。
いや、その光景を、自分は見た事がある。
かつて……。
赤い炎が記憶の片隅で揺れる。
いつだ?
嬉々として剣を振るう。
木々が炎の中で捩れ、家が崩れる。
裂け目から紅い炎が傾れ込み、
誰か、が……
「!っ」
不意に目の前が紅煉に染まった。
「上将?」
突然椅子を蹴立てるように立ち上がったレオアリスに、グランスレイは咄嗟にその背に手を充てた。一瞬だけ、手によろめきかけた身体の重みが加わる。
虚ろに開かれていた瞳に、光が戻った。
「……上将?」
「何だ」
グランスレイの声に含まれた懸念の響きに対して、レオアリスは事も無さそうに問い返す。
まるっきり、自分の変化に気付いていない声だ。
「……いえ」
レオアリスの背後で、グランスレイとアヴァロンの瞳がちらりと交わされる。
「ぼうっとしてるな。座れよ、レオアリス」
トゥレスが呆れたように笑ってレオアリスに席を指し示すと、漸く自分が立ち上がっている事に気付き、レオアリスは机の上に視線を落とした。
何を考えていたのだったか。
少し疲れているのか、頭が重い。
グランスレイに声をかけられる前、確か
「左……」
アヴァロンの呟きにレオアリスは視線を上げた。
「――何か、気になる事が?」
「いや。それより、今後の動きについてだが」
レオアリスはアヴァロンに正面を向けると姿勢を正す。他の大将もまたその前に立った。
「エザムの調査は北方に任せ、各隊は王城の警護を固めよ」
「バインドであった場合は、どのように」
「残念ながら今の議論が中断してしまった以上、北の管轄に手を出す訳にもいくまい」
レオアリスが悔しそうな表情を浮かべるのに気付き、アヴァロンの厳しい顔に苦笑が過ぎる。
「そう焦るな。我等としても外門を破られた責は果たさねばならん。公と直接話をしよう」
アヴァロンは席を立ち、大将達が一斉に敬礼する中、長布を翻して扉へと向かった。一歩遅れて、二、三隊の大将達も退出する。
第二大隊大将トゥレスは扉の外でアヴァロンに並び、厳しさを浮かべているその顔を眺めた。
「俺は嫌ですよ、剣士とやり合うのは。俺は見た訳じゃありませんがね、またうちの隊を全滅させるのは遠慮したい」
「案ずる必要はない。ただ、決断を間違えれば、あの時よりも被害が甚大になる可能性は否めんな」
「……したくない決断にならなければいいんですが」
トゥレスは一度議場内を振り返った後、左腕を胸に当てて敬礼し、踵を返した。
アヴァロンや他の大将らの退室を見送り、レオアリスは再び席に深く腰掛け、椅子の背に身体を預けた。傍らに立つグランスレイが首を傾けてその顔を見下ろす。
陽はすっかり上空へ上がり、窓から差し込む光は細く議場内は翳りを漂わせている。
「上将。お疲れであれば一度屋敷に戻られては。昨夜からずっと不休で動いておいでだ」
「大丈夫だ。それにお前達だって同じだろう」
そう言ったものの、レオアリスは思い直したようにグランスレイの顔を見上げた。
「――いや。悪いが、やっぱり少し一人にさせてもらえるか」
グランスレイが覗き込んだ漆黒の瞳には、いつもと違った色はない。
「では、何か変化があればお呼びいたします」
「一隊の警備は、朝ロットバルトが作った案でいいよな」
グランスレイは胸に左腕を充てたまま、束の間上官の表情に視線を落としたが、もう一度軽く頭を下げて議場の扉へ足を向けた。
レオアリスは背もたれに寄り掛かったまま目を閉じ、思考を巡らせる。
どうしても違和感が拭えない。確実とは言えないものの、一部の者達はおそらく何かを隠している。
そしてそれを口にする事を、どこか恐れているようにも見えた。
自分に対してなのか、それとも自分を含めた他の者達全体に対してなのか。
考え過ぎだと否定されればそうなのかもしれないが。
過去。
(どこか……書庫へでも行って調べる方が早いか)
閉ざしていた瞳を上げる。その途端、離れていた所から遠慮がちにレオアリスに視線を向けていた女官と目が合った。どうやら議場の片付けの邪魔になっていたようだ。
「悪い、もう行く」
長い間考え込んでいた事に苦笑を浮かべて立ち上がり、申し訳なさそうに頭を下げる女官の傍を横を通り抜ける。
(何を調べればいい?)
分かっているのは、三点だ。バインドという名と、剣士である事。
そして、自分の生まれた頃と一族に、何らかの関係があるという事。
調べない方がいいんじゃないのか。
ちらりと浮かんだ警告にも似た考えを、レオアリスは敢えて打ち消した。
調べて、あの男の言葉を否定する。
侵入者が混乱させるために言った偽りに過ぎないのだと、それを確信する為にも、調べてはっきりさせなくてはいけない。