第二章 一
翌早朝に、正規軍、近衛師団にかかる軍議が召集された。
王城の議場の一つに長い円卓が据えられ、正規軍総将アスタロトを始めとして、各軍正副将等が顔を揃える。
正規軍は副将タウゼン、参謀長ハイマンス、東方軍大将ミラー、西方軍大将ヴァン・ヴレック、南方軍大将ケストナー、北方軍大将ランドリー、そしてその副将と、王都に駐屯する各第一大隊の大将。
卓を挟むようにして、近衛師団総将アヴァロン、副将ハリス、参謀長ウェイエル、そしてレオアリス、トゥレス、セルファン、各大隊大将と、その副将が座る。
高く取られた壁面に設けられた窓からは、朝の明るい日差しが差し込んでいたが、議場内はしんと冷え込んだままだ。
「めんどくさい挨拶は抜きだ。始めろ」
議長席に着くと、アスタロトは呼吸を置く間もなくそう告げ、片手を上げた。概略については昨晩の内に報告を受け、またその記述もそれぞれの手元に紙が置かれている。
昨晩王城の警備を担当していた、近衛師団第二大隊大将トゥレスがまず立ち上がり、改めて経緯の報告をする中、報告書を手にした列席者達が互いに顔を見合せ、厳しい表情で囁きを交わす。
トゥレスが着席すると、アスタロトはレオアリスに視線を向けた。
「お前は出くわしたんだろ。どんなヤツだ」
レオアリスは傍らのグランスレイが僅かに身を堅くするのを、視界の隅に捉えながら立ち上がる。昨夜のレオアリスの問いに答えた時の様子。おそらくグランスレイは何かを知っている。
それが何か、これで分かるだろう。
「夜陰に紛れての事だから確証は無い。だが、おそらく、剣士だ」
「剣士……」
改めて、議場内が潮騒のようにざわめく。
「――バインドと名乗った」
バインドの名が出た瞬間、議場内の空気が変わった。戦慄にも似た、肌が粟だつような感覚が、確かに生まれる。
ここまでの反応を予測していた訳ではない。
(何だ?)
レオアリスは自分がもたらした空気の原因を突き止めようと、広い楕円の卓に視線を巡らせた。だがそれを捉える前に、空気は何事も無かったかのように平常を取り戻していく。
それを掴みきれなかった事に、レオアリスは軽い苛立ちを覚えた。
「……あなた方の中に、この名に心当たりがあるのなら、教えていただきたい」
重苦しい沈黙がその場に落ちる。幾人かが息苦しそうに身じろぎした時、アヴァロンの低い声が流れた。
「レオアリス。今は報告だけに留めよ」
「しかし――」
だが既に、誰もレオアリスに答える気配はない。
レオアリスは喉まで出かかった抗議を漸く飲み込み、椅子に身を戻した。
釈然としない、居心地の悪さが身に纏い付いている気がする。
張り詰めた空気と、沈黙。
今ここで、あのバインドの言葉をそのままぶつけたら、彼らはどんな反応を見せるのか。
「相手が剣士ともなれば、ただ囲んで討ち取れるものではない。発見したとしても、各隊とも、すぐに仕掛けるのは避け」
『仇のもとに仕えるか』
哂いさえ含んだ声だった。
仇?
仇とは誰だ。
(でたらめを)
「師団に、と言うよりは、このレオアリスに任せてもらおう」
『お前の一族はどうなった?』
一族の事など、知らない。
「信頼できるのですかな」
レオアリスは思考から引き戻され、顔を上げた。自分の考えに沈んでいたため、それが誰の発言かは分からない。
「……どういう意味です」
苦々しい空気が、その場に流れている。
「信頼、とは」
「――いや、そのバインドという輩が、事実剣士なのか、と、そういう意味でしょう。剣士かそうでないかで、対応に大きな違いがある」
そう言ったのは東方軍大将ミラーだ。他の将校達は黙ったまま、レオアリスに顔を向けている。
無表情を貼り付けたような顔。
(違う。……いや)
レオアリスは居並ぶ顔をぐるりと見回す。その奥の考えは読み取れない。
(俺が、捉われ過ぎなのか)
あの男の言葉に。
「……確証が持てないという意味で仰ったのであれば、確かに、俺の感覚で、としか申し上げられない。それこそ、信頼して頂くしかない」
信頼?
言葉が上滑りを起こしているような感覚がある。自分の立っている位置は、これほど胡乱なものだっただろうか。
今度は特に返す言葉は無く、再び議論は事後の対応へと移った。侵入者の追跡と討伐について盛んに意見が交わされ始める。
近衛師団、そしてレオアリスの昨晩の対応についても、時折針のように批判が混じる。
「今回の件は明らかな失態だ」
「王城の警護と言いながら、こうも容易く侵入を許すとは、根本的に近衛師団の体制を見直すべきかも知れませんな」
トゥレスは苦虫を噛み潰したように顔をしかめ口の中で悪態をついたが、さすがにこらえて何も言わない。レオアリスもただ彼等を眺めた。昨夜の情景が、脳裏にまざまざと甦る。
(失態か。確かにそう言われたって仕方がない)
侵入者を許した上に、捕らえる事も倒す事も出来なかったのだ。それはレオアリス自身が最も憤りを感じている。
ただ、あの時、レオアリスは斃すつもりで剣を抜いたのだ。王城内という考慮はあったにせよ、これまであの剣を止めた者などいない。
ゆっくりと、鼓動が高鳴る。
もし。
本気で剣を合わせたら……?
体内で、剣が鼓動を刻む。
近衛師団の将校が誰も反論しないまま、議論は歯車を違えたように、次第に批判は近衛師団から、レオアリス個人の責任問題へと焦点を逸らし始めた。
「最高位を謳われながら、侵入者を討つ事が出来ないとは、非常に残念だ」
「剣士の名が泣きますな。有名無実では困る」
「まあ、元々剣士など、軍にいる事自体が」
アヴァロンが鋭く卓を打った。
王の守護者の眼光に、議場がしんと静まりかえる。レオアリス自身が驚いてアヴァロンの顔を見つめた。
「今議論すべきは、侵入者に対してどう対処するか、その手法であろう。こうした議論を、王が好まれるか」
アヴァロンの厳しい表情の前で、将校達は青ざめ、打たれたように視線を落とした。
北方軍大将ランドリーが立ち上がり、場の空気を変えるように咳払いをして卓上を見回す。
「――追跡を行うにしても、現時点で足跡を残していない状況だ。まずは徹底的に現場を洗う事から……」
俄かに、廊下が慌ただしさを帯びた。重い両開きの扉が勢い良く開く。
飛び込んで来たのは、正規軍の下級将校の一人だ。ランドリーが鋭い叱責の声を浴びせる。
「何事だ! 騒々しい」
顔からは血の気が失せ、ひどく慌てて息を乱したまま、将校はアスタロトの前で姿勢を正した。
「も、申し上げます。たった今、北方第二軍より、急使が入りました。――街道添いの、エザムが、か、壊滅、と……」
ざわり、と議場が波立つ。エザムは北の街道上の、王都に最も近い街だ。数名が、弾かれたように席を立った。
「エザム? あそこには二個小隊が駐屯していたはずだ!」
声を荒げたランドリーへ、伝令兵は青ざめた顔を向けた。
「そ、それが……おそらく昨夕の事かと思われます」
「――馬鹿な。全滅だと……?」
ランドリーはその場に立ち尽くしたまま、呆然と呻いた。
二個小隊、約百名もの兵が、一晩の内に?
「隊士も、住民も、家畜に至るまで切り刻まれ……街は焼き払われていると……」