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王の剣士3「剣士」  作者: 雅
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第一章 一

 飛竜の羽ばたきが、厚い雲の垂れ込めた上空を埋め尽くす。


 黒地に暗紅色の双頭の蛇の紋をあしらった軍旗が、吹き抜ける強い風に幾重にも棚引いている。

 王の直轄軍、近衛師団の軍旗だ。


 その第一大隊の一軍が空と地上とに展開していた。岩だらけの大地と雲との狭間に重く打ち付け合う剣撃の音が満ち、時折、剣や槍、鎧が雲間から洩れる薄い陽光を鈍く弾く。


 空を覆うように布陣した漆黒の鱗を持つ飛竜達の中で、一頭だけ銀の鱗を纏った飛竜の背から、近衛師団第一大隊大将レオアリスは膝に片腕をつくようにして眼下を覗き込んだ。そこから地上の布陣全体が漆黒の瞳に見て取れる。


「頭が、そろそろ出るな」


 誰に確認するでもなくそう口にすると、レオアリスは屈めていた上体を起こした。背中から流した黒い長布が身体に纏いつくようにはためく。短い黒髪に、後ろに一筋だけ伸ばした髪を風が煽った。


 喉元まで襟の詰まった黒の軍服は周囲の者達とさほど変わらないが、周囲を取り巻く兵達の中で、彼だけは鎧も纏わず、剣も帯びていなかった。

 年の頃は十七、八。近衛師団の中で最も若い。傍らに乗騎を寄せる副将、グランスレイとは、まるで親と子との間ほども年齢が離れて見える。


 地上に展開させたのは中隊一隊、敵軍千に対して左軍五百騎の内、八小隊四百騎のみだったが、夜明けとともに始まった戦いは陽が中天に昇りきるのを待たず、既に終幕に差し掛かっていた。


 地上では中将フレイザーの率いる左軍が敵の陣形をほぼ崩し終えている。左軍の残り二小隊、約百騎が上空に待機していたが、どうやら投入の必要はなさそうだった。


「想定していたより早く終りますな。さすがはフレイザーだ」


 地上の戦況を注視していた副将グランスレイが、満足の色をその頬に浮かべる。

 近衛師団第一大隊中隊左中右軍の内、フレイザーは左軍を預かる中将だ。草原や荒野など、広範囲での布陣、采配を得意としている。


 ただ有利に運んではいるものの、この戦いを終わらせるための重要な要素が、眼下の戦場には欠けていた。


 それを探してグランスレイが銀髪の頭を僅かに巡らせた丁度その時、敵陣の奥の一角が俄かに騒がしさを増した。レオアリスが口元に笑みを浮かべる。


 その場に、何か巨大な影が立ち上がろうとしていた。

 腐った水のような臭いが周囲に立ち込める。

 その臭気の主が、土の中から次第に姿を現していく。


 小山のような背、鋭い鉤爪を持った節くれだった腕。

 捻れた三本の角と、蹄を持った脚。一つだけの瞳が、赤く爛々と光を湛えて辺りをぐるりと見回した。

 フレイザーの軍馬がたたらを踏むようにして激しくいななく。手綱を引き愛馬を落ち着かせながら、吹き付ける風に緋色の髪を煽られるまま、フレイザーは前方に立ちはだかる異容を見上げた。


「牛蹄種か。初めて見たけど、とんでもない大きさね」


 この世界の中でも、これほどの異容と巨体を持つ種は滅多にない。

 獰猛で戦乱と血を好む種、戦闘種と呼ばれる種族だ。

 手にした斧もまた、刃渡りだけでも軍馬の大きさを軽く凌ぎ、振り回されれば通常の剣や盾など、まるで意味をなさないだろう。


 だがフレイザー達が待っていたのはこの相手、敵軍の将、ゴートだ。将を討たなければ戦いは終わらない。


 敵将ゴートは大地から巨大な身体を持ち上げ、大気を押し潰すような咆哮を上げた。押されるように地上の兵士達の陣列が揺れる。

 精鋭と呼ばれる近衛兵達の間にさえ恐怖の色が広がっていくのを目に取り、フレイザーは叱咤の声を上げた。


「気圧されるな! 陣形を保て! ……すぐに上将が降りられる!」


 その声を耳にした途端、兵士達の青ざめた顔に安堵の色が点る。



 上空からゴートの姿を視界に捉えたまま、レオアリスは待ちくたびれたように軽く息を吐いた。


「漸く出たか。暢気な奴だ」


 立ち上がった状態からは、上空の飛竜にまで長い腕が届きそうだ。手にした戦斧が風を砕くように振り回され、敵味方問わず叩きつけられる。

 敵陣の中に更なる混乱が満ちた。


「退くぞッ! 遅れるな!」


 フレイザーが予め想定していたかのように、素早く陣形を整えながら兵を退いていく。錐のように敵陣に食い込んでいた部隊が、中央が退くと共に両翼が左右に展開し、敵軍を包囲し始めた。


「あれが大将では、出したくなかったのも無理はないでしょう」


 叩きつける風に金の髪を巻き上げられながら、グランスレイの反対側に乗騎を寄せていた参謀官ロットバルトは、その整った顔に皮肉の篭った薄い笑みを刷き巨大な姿を眺めた。


 ロットバルトの言葉通り、大将が姿を現したというのに敵軍内には却って混乱が満ちるばかりで、士気が上がる様子は全く見て取れない。逆に自分達を包囲する近衛師団の戦列へ、逃げるように打ちかかっていく。


「元々が不満分子の集合体で組織力も政治力もありませんからね。一つの力だけが抜きん出ていたところで、結局は脆い」


 だがあの種は、非常に高い戦闘能力を有している。小隊一つ投入して切り離すべきかと、ロットバルトは右隣に視線を投げたが、レオアリスの口元に浮かんだ笑みを眺め、何も言わずにそれを戻した。


「行ってくる」


 一言だけ告げ、レオアリスが飛竜の背を蹴った。そのまま地上に向って飛び降りる。


 背中に纏う黒い長布が風を孕んで大きく広がる。


 全身を取り巻く風を感じながら、レオアリスは右手を自らの鳩尾に充てた。


 そのまま、ずぶりと(・・・・)手首まで(・・・・)呑まれる(・・・・)


 そこから、青白い光が零れた。


 手を引き抜くにつれて光は灰色の大気を青く染め、地上に落ちかかった。


 ゴートの巨大な頭が光に気付いて上空へ向けられる。

 一つ眼が、驚愕と敵意に見開かれた。

 敵陣の中に、波のようにざわめきが広がる。


 ゴートが引き絞るように吼えた。


「レオ……アリス!」


 青白い一筋の尾を引いて敵陣の只中に降り立つと、レオアリスは手にした剣を一閃させた。


 青白い光を纏う、美しい長剣。


「け――、剣士……!」


 再び、敵陣が揺れた。ゴートが現われた時よりも更に強い恐怖が、鎧も纏わず、ただ一振りの剣を提げただけの少年を中心に広がっていく。


『剣士』


 自らの体の一部を剣として戦う種をそう呼ぶ。

 種としての数は多くは無いが、一人が百の兵を抑えると言われる程高い戦闘能力を有し、戦闘種の中でも頂点に立つと言われる。


 通常、剣士の剣は主に腕などを変化させたものだが、レオアリスはその十三対目の肋骨を剣とする。二対の剣、それを持つものはただ一人、レオアリスのみだった。



 後退る敵兵の中を悠然と歩きゴートの前方に立つと、自分より数倍もの身の丈を持つ敵将を見上げ、レオアリスは楽しげな笑みをその頬に乗せた。


 巨大な戦斧が風を裂く音を立てて振り上がり、レオアリスめがけて叩きつけられる。大地を砕いて轟音が響く。


 グランスレイは眼下の戦場を眺め、諦観とも苦笑ともつかない形に眉をしかめた。


「たまにはおとなしく戦況を見届けて戴きたいものだ」


 大将自らが戦場に立ち、自軍はその剣威を畏れて陣を引く。通常の戦略にも戦術にも無いものだ。

 だがそれだけ、剣士の剣とは、破壊的な力を持っている。


「まあ、剣士とはそういうものなのでしょう。全体の動きをただ見ていろと言ったところで無駄ですよ」


 ロットバルトは既に、レオアリスが降りる事を想定した上で陣を引いている。フレイザーもその布陣に従って、深すぎず、浅すぎず、自軍に影響を受けずに敵陣を囲むための距離を保っていた。


 本来、大将ともなれば軍を采配する事が主たる役割であり、通常戦場で直接剣を握る事は少ない。


 大将が討たれればその軍は脆い。だからこそ、基本的にはどの軍も、戦場においては大将の周りを固める事が重要になる。


 だがレオアリスにとってはそれは煩わしいものでしかないようだった。『剣士』にとって、戦う事は存在の意味と同義だ。


 剣士は畏怖される。敵のみならず、自軍にも。


 『殺戮者』 『切り裂く者』


 それが剣士のもう一つの呼び名でもあった。


「戦闘種同士の戦いか……。見物というには危険極まるな」


 ロットバルトはもう一度、眼下の布陣を見渡した。レオアリスの剣威の想定範囲を僅かに上回るように、予定通り陣は展開している。


 レオアリスの剣から発する強力な圧力が、上空の飛竜にまで届く。怯えて興奮する飛竜の手綱を引いて宥めながら、ロットバルトは頬を叩くその圧力に目を細めた。

 その姿はまるで、見る者の目に一振りの剣のように映る。


 右手に提げた剣、何の飾り気もない、戦うためのみに形造られたもの、それ故に息を呑む美しさと危うさとを併せ持つ。剣士とは、どちらがどちらを映したのだろう?


 ロットバルトはふと疑問を覚えて地上に注いでいた瞳を上げた。


「考えてみれば、上将が二刀をお持ちになるところを見た事がありませんね。副将はご覧になった事が?」


 レオアリスは二対の剣を有する。だが今まで彼が二本の剣を抜いたところを見た事が無かった。


 ロットバルトは近衛師団に配属されて比較的日が浅く、それ故に眼にした事がないのかとも考えたが、グランスレイは首を振って否定した。


「私も無い。おそらく、師団にお入りになってからはまだ一度も無いだろう。剣士として覚醒されたときに一度だけあったとお聞きしているが。一度見せて頂きたいものだが、恐ろしい気もするな」


 グランスレイの言葉が吹き上がったゴートの咆哮に紛れる。


 ゴートの戦斧が、巨体からは想像できない速度で雨のように振り下ろされる。砂塵が吹き上がり、大地が割れ、岩となって隆起する。

 レオアリスの身体を切り裂く紙一重の位置を刃が過ぎ、再び地面を砕いた。


 ゴートの位置は、レオアリスの長剣から考えられる間合いにはまだ遠い。未だ剣を振ってすらいないレオアリスに対し、己の優位を確信してゴートは嘲りの笑いを浮かべた。


「どうした、ちょこまかと逃げ回るだけが剣士か?ただ提げているだけなら、その剣は飾りと変わらんな」


 レオアリスは、自分の背丈よりも更に広い刃渡りを持つ戦斧をちらりと眺め、返すように笑った。


「そう言うなら当てろよ。お前の斧はでかくて見えやすくてな。でも、避けるのももう飽きた」

「――この小童が!」


 ゴートが吼え、戦斧を引いて再び振り下ろす。レオアリスは避けようともせず、頭上に降り掛かる戦斧に向けて、右腕に提げた剣をすいと上げた。

 青白い光が弧を描くように流れる。


 ゴートの戦斧に対し、レオアリスの長剣は余りに頼りなく映る。周囲の兵達が剣が砕けるのを予期して思わず顔を背けた。

 金属同士のぶつかり合う激しい衝撃音が響く。


「――馬鹿な」


 呻いたのはゴートの方だった。一つ目が驚愕に見開かれ、周囲からどよめきにも似た声が上がった。


 ただ頭上に掲げられただけのように映るレオアリスの剣が、巨大な戦斧を受け止めている。

 力任せに押し切ろうとして、高い亀裂音が走る。


 ゴートの視線の先で、戦斧は音を立てて砕けた。


「馬鹿なッ!」


 慌て斧を退こうとした腕を追って、レオアリスは一歩踏み込むと、下から斬り上げるように剣を振り抜いた。


「そんな距離で届く訳が……」


 生じた剣風が衝撃波のように大地を砕いて走り、ゴートの右肩を突き抜けた。

 鋭い衝撃を感じたものの、視線の先の肩口には何の異常もない。ゴートは歯を剥き出すように口元を歪め、レオアリスに顔を戻した。


「何のつもりか知らんが」


 一歩踏み出した瞬間、ずるり、と湿った音を立て、ゴートの右腕がずれた。一抱えもある腕は、まるで始めから外れるものだったかのように、地面の上に落ちた。


 自軍を退かせる理由、それはここに起因する。剣が生み出す衝撃波が、容赦なく周囲を切り裂くからだ。


 一瞬の後、苦痛に満ちた咆哮が辺りを震わせた。

 残った腕が苦痛を掻き消そうとするかのように、闇雲に振り回される。


 掠めれば吹き飛ばされるだろうその腕を少しも気にした様子もなく、レオアリスは平然と歩を進める。


「剣士ぃぃぃい!」


 獣の如く吼え、ゴートが残った左腕を振り上げた。その腕が、どす黒く瘴気を纏っていく。

 ゴートはその拳を、レオアリスへではなく自らの足元に突き立てた。


 衝撃に大地が小刻みに揺れ、砕けて隆起し散乱していた岩が、ゴートへ向ってゆっくりと動き始める。


 その動きが次第に速度を増していく。

 固い岩盤が、ぐずぐずと音を立て、泥のように溶けていく。


 大地は巨大な沼と化し、岩も自軍の兵も関係なく、辺りのものを飲み込み始めた。レオアリスの足元も、ズブリと音を立てて沈んでいく。


「引きずり込んでくれる!」


 自らも沼の中に沈みながら勝ち誇るゴートの姿を眼下に捉えたまま、参謀官ロットバルトは片手を上げた。隊の術士がすぐに乗騎を寄せる。


 だが指示を出す前に、ロットバルトは開きかけた口を再び閉ざした。


 レオアリスの身体はすでに膝の下まで泥に沈んでいる。それに構わず、レオアリスはゴートとの距離を測るように前方に視線を投げた。


 無造作に剣を掲げると、一息に振り下ろす。

 剣風が生じ、大地を激しく打った。


 反動を利用して、レオアリスの身体がふわりと宙に浮き上がる。


 宙空で身体を捻り、一度沈みかけた岩を蹴ると、大地に突き刺さったままの戦斧の柄の上へ降り立った。


 上体を起こした正面に、ゴートの顔がある。


 レオアリスの口元に凄惨なまでの笑みが浮かぶ。剣が一層の光を纏った。


「ま……、待て、降伏する、だから……」


 ゴートは残った一本の腕を押し止めるように突き出し、恐怖と苦痛に顔を歪ませて泥の海を数歩後退った。


「お前は王に刄を向けた。今更、無理な話だ」


 言葉と同時に青白い閃光が幾筋も走る。

 次の瞬間、弾けるように、ゴートの体が幾つもの断片となって崩れた。


 まるで巨大な刃に穿たれたかのように液状化した大地が深く削られ、中空に巻き上がる。ばらばらになった肉片を巻き込み、再び地面に降り注いだ。


 光が消え、揺らいでいた地面は、中途半端に岩を飲み込んだ形のまま、元の姿を取り戻す。

 僅かの静寂の後、敵陣が恐慌に包まれた。


 戦意を失った敵兵達は武器を取り落とし、我先に背を向けて駆け出していく。フレイザーはその様を見ると、円形に展開させていた陣を収縮させた。


 敵兵が取り押さえられる中、師団軍旗が荒地を吹き抜ける風に煽られ、地上に次々と棚引き始めた。


 太陽は今だ、中天には達していない。





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