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森と光と湖と。

作者: 香織

 手を伸ばせば吸い込まれそうなほど深い青の中に、少女はいた。

太陽の残り香の散らかるそこはしかし闇に包まれていて、慣れ親しんだ枝葉の感触だけが頼りだ。だが、どうせ視界はぼやけていて役に立たないのだ。これでいい。

 湿った土を踏み、生い茂る木々の間を抜ける。少女は頬の湿り気を手で拭い、裾で拭いながら、長袖のカーディガンを羽織ってこなかったことを後悔した。膝下まであるワークブーツを履いて着たところまでは良かったものの、パフスリーブの半袖、膝上のワンピースは完全に失敗だった。肌寒い。家の中が暖かかったからと油断した。火は偉大である。

 少女はそこでまた嗚咽を漏らした。ついさっき暖炉の前でした会話を思い出してしまったのだ――。


「まったくおまえは、こんなことも出来ないのかい」

 三日前に教わった薬草の煎じ方。魔女になるための第一歩。その一歩すら踏めず、少女は青褪めていた。

「ごめんなさい……」

「いつになったらきちんと出来るようになるんだろうねえ、まったく」

 ノートはしっかりととったはずだった。自分の部屋で復習もしていた。呪文も暗誦出来ていた。それなのに、「さあ、やってごらん」といざ言われると、何もわからなくなってしまう。

「ごめんなさい……」

「ああ、今日はもういいから。自分の部屋にお戻り」

 その言葉で、見捨てられたような気がして。魔女見習いたる少女は、泣きながら家を飛び出してしまっていたのである。


「お師匠様だって、ずるい」

 少女がぽつりとこぼしたのは、小さな不満。見た目の似た薬草をずらりと並べられて、「この中から正しいものを選んで煎じなさい」と言われたら、誰だって混乱してしまうに決まっている! だが、同時に理解もしていた。見分ける能力すらない自分には、薬草を煎じる資格などないのだ。そしてそれは同時に、魔女になりえたる能力がないということでもある。

 じわりと涙が浮かんできたその時、淡い光がぼんやりと目の奥を射た。もうすぐだ。もうすぐ――。

 はたして少女が森を抜けると、もうひとつの世界が眼前に広がっていた。

 ――いつ見ても、本当にきれい。

 背の高い木々に囲まれ、森に棲む者以外は二度と辿りつけないような秘境が、そこにはある。

森の中にぽっかりと穴をあけたような湖。鏡のような水面は、風もなく静かに景色を映し出していた。暗闇の中で反射を支えるのは、中空に浮かぶ光のかけら。光のかけらは湖上をゆらゆらと飛び回り、ちかちかと明滅している。魔女の棲む森だからなのか、この湖の周りには、不思議で暖かな光が舞っているのだ。

 その場を動かず方向を指し示す星々と、動き回って少女を楽しませてくれる光の欠片、それらを映してきらめく美しい湖。視界のすべてが光の渦に包まれる。

 少女は何かあるたびにここに来て、この輝きに元気をもらっていた。

 自然と微笑みが漏れるこの光景にしばし見入っていると、何か柔らかなものが腕にかかった。少女が振り返ると、そこには人影。

「お師匠様! どうして、ここが」

「馬鹿だねえ。おまえが何かあるとここに来るのはいつものことだろう」

 ぬくもりを与えてくれたのは、お気に入りのカーディガン。

「寒いだろう、家に帰るよ。もう一度、薬草の煎じ方を教えてあげなくちゃね」

 魔女になる第一歩。この、優しい優しい森の魔女に。

「はいっ!」

 少女は笑顔で返事をし、それから、文句を言ったことを心の中で小さく謝った。


「いつもありがとさん」

 魔女はこそりと、光の芸術を魅せる虫たちにお礼を言った。


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