25 憑鬼式
テレビ局や警察のヘリが、何機も飛び回っている青空の下、青海地区には銃声が木霊している。市街戦でも行われているかの様な銃声の発生源は、東京湾に臨むエリアにある黒い箱……ブラックボックス付近。
正確には、ブラックボックスの北側にある広い駐車場と、隣接する大通りが、銃声の発生地点である。現在、グレアムとサスペンスの戦闘が行われている場所だ。
グレアムは二丁の自動小銃……ベレッタCx4を振り回し、駐車場や通りを忍者の様に跳ね回る閻を狙い、パラベラム弾を撒きまくる。銃弾の殆どを閻は回避する為、銃弾は流れ弾となるのだが、流れ弾が戦いに無関係な誰かを、傷つける事は無い。
何故なら、当たらないと判断した時点で、グレアムは銃弾を消滅させているからである。自分が作り出した武器を、自在に消せるが故に、グレアムが行う戦闘は派手さの割りに、周囲に齎す被害は少ない。
無論、そういった周囲への被害に気を配る戦いをすれば、グレアムの戦闘能力は二割程下がるのだが、それでもグレアムは閻を押していた。開けた空間での戦いは、遠距離攻撃を主体とするグレアムに、分があったのだ。
人間離れした運動能力で、殆どの銃撃を回避する閻であっても、全ての銃弾をかわせる訳では無い。避けられない間合いと射線で放たれた銃弾は、かわさずに春霞や鞘で、弾かなければならない。
しかし、本身の日本刀では無い春霞や鞘では、銃撃を弾き続けるのは難しい。強化プラスチック製の刀身や鞘は、既に至る所が虫歯の様に欠け、ボロボロになっていた。
「人類最強レベルの剣士と聞いていたが、評判ほどの腕では無いな、斬撃小町!」
銃撃の合間、ブラックボックスの黒い壁面を背にしたグレアムは、余裕の笑みを浮かべながら、大通りに停車したままのパトカーの陰に隠れている閻に、語りかける。貫通力の強い徹甲弾などを使い、パトカーを貫いて閻を攻撃する事もグレアムには可能なのだが、被害の拡大を抑えたいので、そういった戦法の使用を避けているのだ。
そこまでやらなくても、閻は勝てる相手だとグレアムは踏んでいる。その程度に、戦いはグレアム優勢で進んでいた。
憑鬼式による遠距離攻撃などが使えない状態で、強力な火力と防御能力を駆使し、砲台と化しているグレアムの懐に、閻は踏み込めずにいるのだ。運動能力や素早さは、閻が遥かに上回っているのだが、それでもグレアムの懐に踏み込み、攻撃を加えるのは難しい。
「好き放題に言ってくれるじゃないの、糞生意気なオカマのガキの分際で!」
パトカーの陰で春霞の状態を確認しつつ、閻は口惜しげに言葉を吐き捨てる。既に刃こぼれという段階を過ぎて、春霞の刀身にはひび割れが走っている。
「本身さえあれば、あんなガキなんぞに、遅れをとったりはしないのに!」
その愚痴は、戦闘中に幾度と無く、閻が口にしたのと同じだった。これまでと同様、独り言の愚痴であったのだが、閻にとって意外な事に、その愚痴に応える者がいた。
「――そろそろ限界か?」
突如、耳に挿したままのイヤホンから、聞き慣れた声が流れて来たのである。
「お、親父?」
無線通信で語りかけて来たのは、閻の父親……厳だった。ブラックボックスに入るまで、凰稀と閻を音声で誘導した後、二人をバックアップする為、ブラックボックスの北西、五百メートル程離れた東京湾上に浮かぶモーターボートの船上に、厳は待機していたのだ。
海上からブラックボックス北側で行われていた戦闘を見守り、そろそろ閻が手詰まりになったらしいと判断した厳は、切っていた回線を開いて、閻に語りかけたのだった。
ちなみに、ブラックボックスから閻が飛び出した時より、遠距離から注がれていた視線は、海上から望遠鏡で観戦していた、厳のものだったのだ。
「今まで回線切って、何やってたんだ? バックアップするのが親父の役割だろうが!」
戦場が屋外になった時点で、無線通信が可能となる為、閻は近くにいる筈の厳に、本身の日本刀を持って来る様に頼もうと、何度も無線で連絡を取ろうとしたのだ。しかし、厳の方が回線を切っていた為、連絡が取れなかったのである。
それ故、いきなり回線を自分から開いた厳に、閻は食って掛かっているのだ。ちなみに、イヤホンは無線機のマイクにもなっているので、閻の喋る言葉や聞いている音は、全て厳には聞こえている。
「技術開発部の方から、春霞がどの程度使い物になるか、戦闘の記録を残して欲しいという依頼があってな。危なくなるまでは、手を貸さない段取になっていたのだよ」
「聞いてないぞ、そんな話!」
「当たり前だ、お前には黙っていたからな」
しれっとした口調で、厳は続ける。
「それで、春霞はどうだ? 使い物になりそうか?」
「駄目駄目だよ! 組み上げるのに手間かかる上、たかが自動小銃の弾丸を、百発程度弾いたくらいで、刃こぼれするわ、ひびが入るわ!」
ここぞとばかりに、閻は春霞への不満を吐き出しまくる。
「だが、それより何より、憑鬼式が使えないのが腹立たしい! 今回の相手は、遠距離攻撃が殆ど使えない状態で、どうにか出来る相手じゃない!」
「――確かに、並では無いな……あのガーディアン・オブ・プロビデンスの小童。銃器の扱いに長けている上、際限無く武器を出し続けられるという、得体の知れない能力まで持っているのでは、憑鬼式無しには辛かろう」
「だから、さっさと本身を持って来い!」
「今、わしは海上にいるのでな、流石に持って行くのは難しい。だが、安心するが良い、その場に今から桜花を送ってやる!」
「海上から、どうやって?」
無線機越しに問いかける閻に、厳は答えない。返事の代わりに、いきなり凄まじい爆音が、イヤホンから閻の耳に飛び込んで来る。
「うわッ!」
鼓膜が破れそうな程の爆音に、閻は思わず声を上げてイヤホンを外す。
「親父の奴……まさか!」
耳を押さえながら、厳がいるだろう北西の方向に目をやった閻は、灰色の煙の尾を曳きながら、笛の音の様な音を立てて飛来する物体を目にする。飛来する物体の飛び方、イヤホン越しに聞いた爆音や、厳の言葉などの情報から、閻は飛来した物体の正体に気付く。
「み、ミサイルか!」
閻の言葉通り、飛来したのは歩兵携行式多目的ミサイル……ジャベリンである。アメリカ企業が開発したもので、世界各国の軍隊が正式採用する高性能ミサイルだ。
厳は気楽に撃ち放ったが、一基で一千万近い値段がする高価な代物である。通常は戦車や建物、ヘリコプター相手に使用する物で、狙いを定めて発射すれば、後は勝手に獲物に向かって飛んで行き、破壊してくれる。
だが、厳が放ったジャベリンは、破壊する為に放たれた物ではなかった。爆音を響かせ、アスファルトの欠片を撒き散らしながら、閻の背後の大通りに突き刺さった円筒形のジャベリン本体は、爆発しなかったのだから。
アスファルトに突き刺さった深緑色の円筒……ジャベリンは、空気が抜けるかの様な音を響かせながら、傘の様に開き始める。すると、ジャベリンの中から桜色の鞘に納まった日本刀が、姿を現したのだ。
つまり、厳はミサイルであるジャベリンを、破壊する為では無く、閻が愛用している日本刀の一つである桜花を送り届ける為の、カプセルとして利用したのである。
「助かったぜ、親父! これで憑鬼式が使える! でも……いいのか? これって、後で使う予定だった奴じゃあ?」
「案ずる事は無い! もしもの場合に備えて、輸送用のジャベリンは二セット、持って来ている!」
「成る程、余計な心配だったな」
閻は即座に、花開いたジャベリンに駆け寄ると、桜花を手に取り、その場に春霞を置く。そして、左手で鞘を持って身構えつつ、不敵な笑みを浮かべる。
「さーて、あの糞生意気なオカマのガキに、御仕置きしてやろうかねぇ!」
足を大きく開き、左手で持った鞘から、閻は右手で桜花を引き抜く。そのまま、刀を持つかの様に鞘の持ち方を変え、刀と鞘の先端を、頭上に掲げる。
「――何だ? あの妙な構えは?」
百メートル程の距離を取って、閻の様子を観察していたグレアムは、自問する。いきなり海の彼方からミサイルが飛んで来たり、その中から閻が日本刀を取り出したりと、常識外れの行動を、続け様にとられた上、見た事が無い異常な構えを閻が見せたのだから、グレアムが戸惑うのも無理は無い。
優勢だったとはいえ、サスペンス側の一連の異常な行動に、警戒すべき何かを感じ取ったグレアムは、パトカーの陰からはみ出している閻の刀と腕を狙撃する為、即座に自動小銃の狙いを定め、トリガーを引く。爆竹を焚き火に投げ込んだかの様な、激しいマズルファイアと銃声を発し、数発の銃弾が閻に向かって飛んで行く。
完全な狙いとタイミングで発射された弾丸は、確実に閻の腕を貫き刀を弾く……筈だった。少なくとも、そうなる筈だとグレアムは確信していた。何故なら、閻は回避する様子さえ、見せなかったのだから。
だが、グレアムの確信は打ち砕かれる。銃弾は全て、閻や刀に届く直前で破砕し、煌めく金属粉となって飛び散ってしまったのだ。
何が起こったのか分からず、狼狽したグレアムは、続け様に自動小銃を連射する。だが、矢張り銃弾は閻には届かず、煌めく粉末となって風に流れる。
「ど、どうなっているんだ?」
声を上擦らせながら、グレアムは閻を凝視する。そして、閻の前面に蜃気楼の様な、空気の揺らめきの存在を、グレアムは確認する。
「鬼の気の壁に、そんな豆鉄砲の弾が、通用する訳が無いだろうが」
嘲る様な口調で、閻はグレアムに語りかける。閻の姿は、周囲から揺らめいて見える。閻から放たれる過剰な生命エネルギー……気が、光の進路を歪めているのである。
凄まじい気を放っている閻の頭部には、二本の角の様な物が輝いている。本物の角では無い、頭部から強烈な気が二束、放出されている為、鬼の角の様に見えるだけだ。
閻は鬼を憑依させ、鬼の如き力を振るうと言われる、憑鬼式の技を発動したのである。先程閻がとった、鞘と刀を頭上に掲げて天を指す構えが、憑鬼式発動の構えだった。
だが、まだ憑鬼式を発動し、強烈な気を全身と刀に巡らせているだけで、憑鬼式の技を放った訳では無い。体内を巡っていた気が漏れる様に体外に放射され、グレアムの放った銃弾を全て破砕しただけなのである。
「それじゃ、御仕置きの時間だよ!」
煽り口調の閻は、左足を後ろに下げつつ、桜花を鞘に戻す。右手を桜花の柄に添え、抜刀術の構えを取る。
「憑鬼式抜刀術、桜花絢爛!」
鋭い声で閻が叫ぶと、身体を巡っていた気と、周囲を漂っていた気が、鮮やかな桃色の光の粒子群となり、一気に桜花の鞘に集まって行く。春の盛りの桜の花を思わせる、鮮やかな色の光を、鞘が放ち始める。
「ちょいとばかり花見の季節にゃ遅過ぎるが、せっかく日本に来たんだから、桜の花くらい見て行きなッ!」
叫びながら、閻は目にも留まらぬ早業で、桜花を抜刀する。すると、抜刀と同時に桃色の光が、鞘から噴出する。
噴出した光は瞬時に分裂……拡散し、桜の花弁程のサイズとなり、ブラックボックス前にいるグレアムに向かって、襲い掛かって行く。あたかも、無数の桜の花弁を巻き込み、吹き荒ぶ桜吹雪であるかの様に。
剣術というレベルを超えた、忍術や魔術……超能力に等しい、閻が放った攻撃を目にして、グレアムは慌てふためく。自動小銃を消滅させ、一瞬で周囲に二十枚程のジュラルミン製の盾を並べて、身を護ろうとする。
グレアムが同時に作り出せる武器の数は、最大で二十。携行可能な武器に限られるという制限があるので、出せる限りの防御用武器を作り出し、身を護ったのである。
ジュラルミンの盾が、鉄琴の様な金属音でメロディを奏でる。閻の放った花弁の様な発光体が、盾を直撃しているのだ。
桜の花弁の様な発光体は、本身の日本刀でも業物といえる桜花を媒介として、閻が己の気を変性し、一時的に物質化した物である。言わば、気を素材として作り出された、桜の花弁に似た手裏剣の様な存在である為、桜花手裏剣と呼ばれている。
桜花手裏剣自体は、本来なら相手を殺傷出来る程の威力でも放てるのだが、閻は相手を殺傷しない程度の威力に制御した上で、技を放っている。もっとも、威力が抑えられているとはいえ、桜花手裏剣を数発も身体に受ければ、受けた者は当分の間、行動不能に陥る程度のダメージは負うのだが。
だが、グレアムは周囲に盾を並べ立てて身を護った為、桜花手裏剣を殆ど食らわずに済んだ。ジュラルミンの盾の隙間から飛び込んできた桜花手裏剣を、一枚だけ食らい、激痛に顔を歪める羽目になったが、行動不能に陥る程のダメージは受けなかった。
「派手な遠距離攻撃技だが、威力自体は恐れるに足らない様だな」
額に冷や汗を浮かべながら、グレアムは安堵した様に呟く。だが、安心するには早過ぎた。桜花手裏剣を防ぎ切っても、桜花絢爛を凌ぎ切った事には、ならないのだから。
突如、苦しげな呻き声が発せられる。発したのはグレアムである。グレアムは左脇腹に強い衝撃と激痛を感じて、呻いたのだ。
「――な……に?」
自分の身に何が起こったのか分からず、グレアムは左脇腹に目をやり、事態を確認しようとする。すると、強い衝撃で意識が遠のき始めているのだろう、やや靄がかかった様な視界に、桜色の鞘の先端が、自分の左脇腹に深く埋まっている光景が映る。
その鞘は、閻が左手で持っていた鞘。鞘は並ぶ盾の隙間から、差し込まれていた。盾の向こう側から盾の隙間を狙われ、グレアムは左脇腹を突かれたのである。
盾の向こう……グレアムの左側には、閻がいた。桜吹雪の如き無数の桜花手裏剣に身を隠しつつ、閻はグレアムに駆け寄り、盾の隙間から鞘で突いたのだ。
閻の身体にも桜花手裏剣は当たっていたのだが、それらは閻が身にまとう気により、破砕されてしまうので、桜花手裏剣が舞う中を駆け抜けても、閻がダメージを負う事は無い。
「押し寄せる……桜の花弁は、遠距離攻撃に……見せかけた、目眩ましという訳……か」
桜花絢爛が、無数の桜花手裏剣による攻撃に見せかけた、相手の視覚を妨害する為の技だと気付いたグレアムは、苦しげに……口惜しげに呟きつつ、その場に崩れ落ちる。強烈なボディーブローを食らってリングに沈むボクサーの様に、グレアムは気を失ったのである。
サスペンスとガーディアン・オブ・プロビデンスの、この場における勝負は、決したのだ。サスペンス……閻の勝利という形で。
グレアムは二十枚の盾に囲まれたまま、うつ伏せでアスファルトの上に倒れている。出現させた武器はグレアムが気を失った場合、そのまま残されるのだ。
「さーて、邪魔者への御仕置きは終わったし、あたしもエンセファロンに向かうか」
桜花手裏剣が、桜の花弁の様に舞う中を走り抜け、北側の破壊されている部分から、閻はブラックボックスの中に戻る。そして、戦いの前に自分で開けた穴の中に、姿を消す。
閻もエンセファロンに通じる、エレベーターシャフトに向かったのだ。




