19 名探偵は楽しげな笑みを浮かべる
「何をしているんだ、あの二人は?」
ブラックボックス内に入った直後、コンタクトレンズを外す様な動きを見せた、凰稀と閻の姿が映し出されているモニターを眺めながら、京が疑問を口にする。場所は警備指揮室となっている、ブラックボックスの三階ホール。
「おそらく、虹彩認識や網膜スキャンの際、偽のパターンを認識させるツールを、眼から外してるんでしょう」
モニターに見入りながら、魁は興味深げに続ける。既に魁は、凰稀と閻が何をやったのか、モニター越しですら見抜いているのだ。
「参ったなぁ。虹彩認識や網膜スキャンを誤魔化せるツールが、既に実在していたとはねぇ」
そう言いながらも、魁の表情は困った様な感じでは無く、むしろ楽しげである。
「相当に大規模な研究機関とかが、バックについてますよ、スリル&サスペンスには」
眼鏡の奥で目を光らせながら、笑みを浮かべる魁に、グレアムは問いかける。
「僕は下りていた方が、いいんじゃないか? 連中の動きに、即座に対応出来る様に」
「そうしてくれ。ただし、連中に見付からない様に、気を付けるんだよ」
「――僕を誰だと思っている? ターゲットに自分の姿を先に晒す程、僕は甘くは無い」
「君が思っている以上に、君は華があって目立つんですよ、グレアム」
魁の言葉に、少しだけ照れた様に目線を泳がせつつ、グレアムは立ち上がり、ホールのドアに向かって歩き出す。
「私服で張り込んでる連中は、どうする? 何か指示を出すか?」
今度は、薊が魁に尋ねる。ブラックボックスの内外には、制服の警官や警備員だけでなく、アルカナ・グループの社員や関係者に扮した、私服の警官や警備員が多数配備され、ブラックボックスの警備を固めているのだ。
「彼等は、現状のままで。もし、スリル&サスペンスが法に触れる行動を起こした場合、彼等には即座に、スリルの身柄を押さえて貰います」
サスペンスの方は、グレアムが相手をするので、多数の警官や警備員は、全てスリルの身柄を押さえる方に回せるのだ。
「スリル&サスペンスだと思われる二人組、ブラックボックス一階……北側に向かって移動を始めました」
モニターで凰稀と閻の動きを追っている、警官の一人が、声を上げる。
「アニヒレイターがブラックボックスで最も侵入し難い、エンセファロンで保管されている程度の情報は、連中も得ている筈」
薊はモニターを見詰めつつ、言葉を続ける。
「エンセファロンに向かうなら、地下に下りなければならないのに、何故……地下に下りるルートが無い北側に、連中は向かっているんだ?」
「そうですねぇ……」
魁はノートパソコンのモニターに、ブラックボックスの詳細な構造図を表示させ、考え込む。そして、四基あるエレベーターの内の一基に目を留め、魁は呟く。
「この第四エレベーターが、位置的には北側ですが……」
「そいつはエンセファロンには通じていないし、ゲートも北側には無いぞ」
京の言葉通り、魁が目を留めたエレベーターは、一階から最上階までを行き来する為の物である上、乗り降りする為のゲートは、ブラックボックスの中央から向かう通路の先にしか無い。つまり、地下のエンセファロンに下りない上、北側通路からは乗り込むのが不可能なエレベーターなのだ。
「確かに、エンセファロンには下りないエレベーターなんですが、ブラックボックスの四基のエレベーターは、基本的に全て同タイプ」
構造図を見詰めながら、魁は続ける。
「エレベーターシャフト(カゴが上下するエレベーターの昇降路)は、どれも地下七階まで通じています。つまり……」
「エレベーターのカゴに乗って下りるのではなく、地下に下りる為の通路としてなら、使える訳か?」
薊の言葉に、魁は頷く。
「だが、北側にはエレベーターシャフトに入る入り口など、無い筈だが?」
「入り口なんかは、無ければ作ればいいだけの話でしょう。しかし、作ろうとすれば、ブラックボックスの内壁に、何らかの破壊工作をせざるを得なくなります」
魁はノートパソコンの傍らに置いてある、マイク付きのヘッドセットを掴み、装着しながら話を続ける。
「そして、破壊工作を少しでも……いや、その準備といえる行動を起こした時点で、彼らを現行犯逮捕する事が可能」
「――成る程」
そう呟いた薊や、薊の傍らにいる京が、マイクが付いたヘッドセットを装着した直後、モニターを監視していた警官達の一部が、ざわつき始める。
「どうした?」
京に声をかけられ、警官の一人が口を開く。
「それが、北側通路の監視カメラの映像が、まとめて一瞬だけ乱れたんです。すぐに元に戻ったんですが……」
「スリル&サスペンスと思われる二人は……」
該当するモニターを眺め、京は凰稀と閻が通路で談笑している光景を、確認する。
「立ち話中か」
安堵の表情を浮かべながらの、京の呟きに、魁は首を横に振る。
「いや、何らかの手段で監視カメラに、誤情報を送り込んでいる可能性がある。一階の北側通路にいる、警官及び警備員! 北側通路の様子は、どうなっている?」
魁はヘッドセットのマイクを使い、一階北側通路にいる警備の者達に、問いかける。
「――第三班の村田です。ターゲットの二人は床に荷物を置き、談笑している最中です」
「それだけか? 何か他に妙な動きはしなかったか?」
魁に問われた村田という警備員は、少しだけ考えてから、答えを返す。
「ああ、ディスクを……光学ディスクらしい物を、何枚も落としたまま、拾わないで談笑し続けているのが、変といえば変ですが」
「ディスクを落としたまま、拾わない?」
その一連のシーンを、ブラックボックスの構造図を眺めつつ会話していた為、魁達は見逃していた。魁はモニターを凝視し、スリル&サスペンスの周囲に、キラキラと輝く光学ディスクがばらまかれているのを、確認する。
「映像が乱れたのは、ディスクを落とした前か? それとも後か?」
魁はモニターを監視していた警官に、返事を急く様な強い口調で、問いかける。
「確か……後です!」
警官の即答を耳にして、魁は嫌な予感に襲われる。ディスクが落とされた後、映像が乱れ、その後……スリル&サスペンスの二人が、ずっと談笑を続けているという一連の流れに、危険な何かを感じ取ったのだ。
魁は即座に、指示を出し始める。
「既に連中は、エレベーター背面の破壊工作に入っている! グレアムは即座に北側通路に直行し、サスペンスの相手をしろ! 各ゲートの担当者以外は、全て北側通路に向かい、スリルの身柄を拘束!」
「――どういう事だ? 連中はまだ、何もしていないじゃないか!」
京の問いに、魁は即答する。
「虹彩認識や網膜スキャンを突破する、常識以上の光学技術を持ってる連中だ。監視カメラどころか、監視している警備スタッフの目を欺く、ハイレベルの光学技術を持っている可能性がある!」
「ハイレベルの光学技術というと、具体的には、どの様な物だ?」
今度は、薊が魁に尋ねる。
「3Dプロジェクター的なもの……要するに、空間に立体映像を投影する装置とか」
「立体映像で監視カメラを欺くって、そんなSF映画みたいな事が……」
驚きの声を上げる薊に、魁は言い放つ。
「先月、サンフランシスコで開催されたハイテク見本市で、実用化直前レベルの3Dプロジェクターを、見た事がある。立体映像は既にSFの技術ではなく、犯罪にも利用出来る現実の技術だ!」
「あと少しで、一階北側通路に辿り着く! 僕はどうすればいい?」
ヘッドセットのヘッドフォンに、グレアムの甲高い声が響く。
「床にばらかまれてるディスクは、立体映像投影用の3Dプロジェクター的な装置である可能性が高い! 残らず破壊しろ! そうすれば立体映像が消え、本物のスリル&サスペンスが姿を現す!」
「了解! うわッ!」
「どうした? 何かあったのか?」
会話の途中、グレアムが大きな声を上げたので、魁は驚き、問いかける。
「いや、コーナーを曲がろうとしたら、男の人にぶつかりそうになったんだ。掠っただけだから、問題は無い」
「そうか、いきなり大きな声を出すから、焦ったよ。いきなり大きな声を出すのは、ベッドの上だけにして欲しいものだね、グレアム」
「――後でぶっ殺す!」
吐き捨てる様にグレアムが言い放った言葉を聞きながら、魁はモニターに映し出されている、談笑しているスリル&サスペンスの二人に目を遣る。
「3Dプロジェクターまで出て来るとは、楽しませてくれるじゃないですか、スリル&サスペンスのお嬢さん方は」
そう呟く魁は、不敵で……楽しげな笑みを浮かべていた。




