02 怪盗フォルトゥナ参上 02
ラスベガスのホテルを思わせる、懲り過ぎたデザインのターミナルビルから、黒塗りの車が数台、姿を現す。その中の一台が、徹底的に改造を施し、防御性能を引き上げてある、キャディラックのリムジン……大統領専用車である。
白バイに誘導され、パトカーやアメリカから引き連れて来たシークレットサービスの車などに護衛されながら、大統領専用車を中心とする車や白バイの行列は、ターミナルビルから離れ、第二東京国際空港の西端に向かう。第二東京国際空港があるメガフロートと、東京国際空港を繋ぐカントレア大橋は、第二東京国際空港の西端にあるのだ。
広大な蒼海を割るかの様に、白いカントレア大橋は、真直ぐに陸地に伸びている。吊り橋の主塔同士を繋ぐケーブルの描くラインは、波打つ山脈の稜線の様である。
このカントレア大橋に入った直後、大統領専用車が徐々にスピードを落とし、停止する。エンジントラブルでも、起こしたかの様に。
「――何があった、ジョン?」
大統領専用車に乗車しているシークレットサービスの一人が、顔見知りである運転手に、問いかける。リムジンである大統領専用車は、部屋の様に設えてある後部と運転席が、壁で隔てられているので、壁に小窓があるとはいえ、大統領の家族と共に後部の室内に乗っているシークレットサービスからは、運転席の様子は窺い難い。
「駆動系のトラブルらしい。後部座席の下を調べたいんで、今からそちらに行く」
運転席の方から運転手の声がしたかと思うと、ドアの開閉音が響き、五十前後に見える、小太りの白人が後ろのドアの前に現れる。先程まで大統領専用車を運転していた男は、白いハンカチで噴き出る汗を拭きながら、ドアを開けて後部の室内に入って来る。
見慣れた運転手の顔をした男なので、大統領の一家は当然、シークレットサービスの三人も、特に不審にも思わず、男が室内に入るのを許してしまう。一応、ドアが開かれた際、外部からの狙撃に警戒しつつ。
「エンジントラブルとはな。整備の人間に……うわあああッ!」
シークレットサービスの一人の声が、悲鳴へと変わる。話していたシークレットサービスは、身体をエビの様に反らせて失神し、床に崩れ落ちてしまう。
失神した理由は、運転手の男が手にしているスタンガンである。運転手の男がスーツの懐から取り出したスタンガンを使い、目にも留まらぬ早業で、シークレットサービスの一人を気絶させてしまったのだ。
残り二人のシークレットサービスは、突然の襲撃に対処する為、運転手に掴みかかろうとする。しかし、運転手の電光石火の如きスタンガン捌きの前に、二人共呆気無く気絶させられ、崩れ落ちてシートの上に転がる。
悲鳴を上げるハルとジェシカを護るかの様に、レニーは運転手の前に身を乗り出す。
「何をするんだジョン? 気が触れたのか?」
焦りと恐れの混ざり合った様な表情を浮かべながらも、毅然とした口調で、レニーは運転手を詰問する。
「運転手のジョンだったら、ターミナルビルのトイレで眠ってるよ。こいつらみたいにね」
そう言いながら、気を失っているシークレットサービスの面々を、運転手の格好をしている男は、右手で持っている拳銃で指し示す。一瞬で、男はスタンガンを懐にしまい、代わり拳銃を取り出したのだ。
「――ジョンでは……ないのか?」
見慣れた運転手であるジョンと、全く同じ外見をしている男を睨みながら、レニーは訝しげに問いかける。ジョン本人では無いのなら、変装している事になると考えたのだが、レニーには目の前の男が、変装している様には見えなかったのだ。
すると、ジョンに瓜二つの外見をしている男は、スタンガンを手にしていない左掌で、自分の顔を隠す。そして顔を撫でる様に左掌を顔から除けると、男の顔は完全な別人のもの……二十歳前後に見える、整った東洋人の顔に変わっていた。
変わったのは、顔だけでは無い。小太りであった男の身体は、魅惑的なスタイルの若々しい女性の身体に、変わっていたのだ。
悪戯っぽい目付きで、呆気に取られている大統領一家にウインクしながら、先程までジョンと同じ外見をしていた男……今は東洋人の若い女性と化している何者かは、左手を懐に入れる。そして、黒いドミノマスク(顔の上半分を隠すタイプのマスク)を取り出して被り、顔を隠す。
この一連の動作の間、この正体不明の者は銃口を大統領に向けているので、大統領とその家族は、反撃も逃亡も出来ない。ただ、見慣れた運転手と同じ外見をしていた男が、魅力的な東洋人の女性に姿を変えた光景を見て、目を丸くして驚くばかりである。
「調べたんだけど、この車にもカントレア大橋にも、爆発物が仕掛けられた様子は見当たらないの」
東洋人の女性は、スシニャンのぬいぐるみを抱き締めたまま、身を震わせているジェシカに目を遣る。
「――だから、カントレア大橋の真上で爆発するとしたら、あんたらが車の中に持ち込んだ物の中に、爆発物が仕掛けられている可能性が高いのよね」
そう言いながら、女性はジェシカが抱いているスシニャンのぬいぐるみに、手を伸ばす。
「例えば、このスシニャンのぬいぐるみとか……」
ジェシカから少し強引に、女性はスシニャンのぬいぐるみを奪い取る。そして、一瞬で拳銃を懐にしまい、代わりにサバイバルナイフを取り出すと、女性はスシニャンのぬいぐるみの腹を裂く。
悲しげな悲鳴を上げるジェシカの目を、ハルが自分の手で塞ぎ、慰める様に抱き締める。
「いい判断だ。コイツは子供には、見せない方が良い物だからね」
ナイフで裂いたスシニャンの腹の中を、女性はレニーに見せる。
「そ、それは!」
レニーは目を見開き、驚きの声を上げる。驚きの程度が半端では無いのだろう、レニーの声は上擦り気味である。
アメリカ大統領を務める程のレニーが、声を上擦らせる程に驚いた、スシニャンの腹の中にあった物、それは白い綿に包まれた、デジタル時計と金色のシリンダーが、繋がれている様に見える物だった。
「時限爆弾だよ、あんたらをカントレア大橋の羽田直前で、この戦車みたいに頑強なリムジンごと、内側から吹っ飛ばす為の」
スシニャンの中にある時限爆弾を、素早くチェックしながら、女性は続ける。
「コンポジション4(プラスチック爆薬)に、電気制御式の起爆装置を組み合わせた、ベタな時限爆弾みたいだが、起爆までの予定時間は二分強……解体する暇は無いねぇ」
起爆装置であろうデジタル時計には、午後一時五十七分十二秒という現在時刻と、午後二時という時刻が表示されている。午後二時の方は動かない事から、午後二時の方が起爆予定時間である事が分かる。
時限爆弾が入ったままの、スシニャンのぬいぐるみを右脇に挟むと、女性は拳銃を手にしていない左手を、ハルの胸元に伸ばし、クローズアップ・マジシャンの様な素早い手さばきで、シルバーのネックレスを奪い取る。
「こいつは、この時限爆弾の処理代として、頂いておく。命が助かった御代にしちゃ、安いもんだろ!」
そう言い残し、ドアを開けて車外に出ようとする女性に、レニーは問いかける。
「待て! な……何者だ、貴様は?」
「泥棒に名前を訊くなんて、野暮な真似をするじゃないか、大統領」
問われた女性はレニーを嘲笑しつつ、続ける。
「ま、野暮を承知で名乗るなら、怪盗フォルトゥナってとこかな。巷じゃ最近、あたしの事を、そう呼ぶ連中が多いもんでね」
「フォルトゥナ……ローマ神話で語られる、運命の女神か」
自分と家族を、爆死の運命から救ってくれたらしい、泥棒の女性の後姿を見送りながら、レニーは感嘆したかの様に呟く。
「この泥棒、まさにフォルトゥナと呼ぶ他は無い……」
そのフォルトゥナと呼ばれる女性は、ドアを開けて大統領専用車の車外に出た直後、警護の為、大統領や総理大臣の一行に同行していた者達……シークレットサービス達やスペシャルポリス達に、取り囲まれる。カントレア大橋の上で停車した、大統領専用車の様子を確かめる為に、彼らは大統領専用車に近寄って来ていた。
すると、後部ドアから入って行った運転手の代わりに、運転手と同じ服装ではあるが、胡散臭いドミノマスクをかぶり、スシニャンのぬいぐるみとサバイバルナイフを手にした、ショートヘアーの艶っぽい女性が出て来たのだ。当然、不審に思った警備の者達は、拳銃の銃口を女性に向けて、取り囲んだのである。
「貴様は、何者だ?」
「武器を捨て、両手を後ろに回し、そこに伏せろ!」
見るからに胡散臭い存在である女性に、シークレットサービス達やスペシャルポリス達は、日本語と英語で次々と警告するが、発砲は出来ない。何故なら、女性はドアを開いたままなので、流れ弾が車内にいる大統領達に当たる可能性があるからだ。
「おい、あの黒いドミノマスクの女って、怪盗フォルトゥナじゃないの?」
スペシャルポリス達が、声を上げる。日本人であるスペシャルポリスの中には、フォルトゥナと呼ばれる怪盗が人前に姿を現す際の、黒いドミノマスクで隠された顔に、見覚えがある者達がいたのである。
「――怪盗フォルトゥナが現れたのなら、この場で誰かが、死ぬかもしれなかったんじゃないのか?」
「レニー大統領達だろ、この状況なら」
意味不明な会話を続けるスペシャルポリス達に、日本語が堪能なシークレットサービスの一人が、問いかける。
「お前達は、何を言ってるんだ? 訳が分からない!」
「あの女……怪盗フォルトゥナが事件を起こすと、後から不思議な事が分かるんだよ」
スペシャルポリスの一人が、シークレットサービスの問いに答える。
「不思議な事とは?」
「事件が起こっていなければ、死亡事故や殺人事件が発生していた可能性が、高かったって事さ。怪盗フォルトゥナが何かを盗んだお陰で、起こる筈だった死亡事故や殺人事件が、偶然に防がれていたと、後で分かるんだ」
「人の死が偶然、盗みによって防がれる?」
シークレットサービスの問いに、スペシャルポリスは頷く。
「だから、奴は正体不明の大泥棒ではあるが、人々に幸運をもたらす女神の様な存在でもあると噂され始め、ローマ神話における運命の……幸運の女神である、フォルトゥナというニックネームがつけられたんだ」
「だから、怪盗フォルトゥナが現れたので、誰かが……大統領達が死ぬかもしれなかったんじゃないかと、言っていたのか」
先程、スペシャルポリス達が交わしていた会話の内容を、シークレットサービスの男が理解した直後、ドミノマスクの女性……怪盗フォルトゥナ本人が、アルト気味の声で、話し始める。
大統領達相手には、流暢な英語で喋っていたのだが、今度は日本語で。