16 アノマリー
「これだけ厳重に出入りする連中を調べれば、幾らスリル&サスペンスの連中だろうが、ブラックボックスへの侵入は不可能だろうな」
イージス艦の戦闘指揮室の様に、多数のモニターやコンピューターが並ぶ、薄暗い部屋の中で、京は呟く。京の目線の先には、ブラックボックスのエントランスなどの、様々な出入り口に設置された、監視カメラの映像が映し出されているモニターがある。
京がいるのは、ブラックボックスの三階にあるホール。普段はイベントや記者会見の会場などに利用される、ミニシアター程の広さがあるホールは、魁や薊が警備の指揮を執る、臨時の警備指揮室として改装され、様々な機器が持ち込まれている。
ブラックボックス中に仕掛けられているカメラやセンサーから、この警備指揮室に全ての情報が集まる体制が、整えられている。情報を映し出すモニターが積まれた、テーブルの前の椅子には、薊の部下である五十人程の警官達や、魁が世界探偵協会から率いて来た探偵達が、列を作って並び、モニターに映し出される映像のチェックを続けている。
京や薊……そしてプロビデンス達は、ホールの中ではステージに相当する場所に設置された、椅子に座って会話しているのだ。警官達や探偵達と、彼らがチェックしているモニターを見渡せる様になっている椅子の前には、テーブルがあり、テーブルの上には数台のノートパソコンが置かれている。
「侵入は可能ですよ。この手のベタな警備システム程度も突破出来ない連中が、怪盗などと呼ばれる訳が無いでしょう」
しれっとした顔で魁が言い切ったので、京と薊は驚きの表情を浮かべる。
「だったら何故、ここまで厳重な警備システムを?」
京の問いには答えず、魁は逆に聞き返す。
「日本の警察は、義賊団を名乗るスリル&サスペンスを、どの様な存在だと認識してるんですかね?」
「――世間的には二人組の、女の義賊団という事で知られているが、実態は相当に大きな組織だと踏んでいる。これまでの事件を分析する限り、そう考えるのが妥当だろう」
魁の問いに対する答えを、薊は続ける。
「これはあくまで警察庁というより、規格外犯罪殲滅局としての分析と認識ではあるがな。マスメディアの認識や警察庁の公式見解とは、かなりズレているが、そう確信している」
薊の答えを聞き、魁は正解を答えた生徒を褒める教師の様に、軽く拍手する。
「その通り。スリル&サスペンスは、相当に大規模な組織です。犯罪で得られる金銭的な利益を上回るコストを、平然と犯罪の実行に投入したケースすら少なくない、金銭的な損得勘定で動いてない大規模犯罪組織、それがスリル&サスペンス」
魁は悪戯っ子の様な笑みを浮かべ、京に話しかける。
「虹彩と網膜のスキャンを組み合わせた、現在最高と考えられる個人認証システムを突破する方法は、現在の所開発されていません。その事を念頭に置いた上で、莫大な資金力と組織力を持つ連中が、ブラックボックスへの不法侵入を果たそうとすれば、どの様な方法が有効だと思いますか?」
「それは……」
十秒程考えてから、京は返答する。
「技術的に突破出来ないなら、崩せるのは人間の方……つまり、買収だな」
魁は、京の答えに頷く。
「だが、アルカナの社員や出入りする会社の社員を買収した所で、同僚や家族などに本人確認された上で、指紋や網膜パターンを登録するレベルの、徹底的な本人確認と個人認証が行われているんだ。幾らなんでも、スリル&サスペンスのメンバーが社員と入れ替わって、ブラックボックスに侵入するのは無理だろう」
京に続いて、薊が口を開く。
「それに、ブラックボックス中が厳重な監視体制下にあるのだから、社員が中からバックドア(不法侵入用の裏口)を作って、ブラックボックス内に引き込むのも、まず不可能だ」
薊の言葉に、京は頷く。
「買収という手段でも、今のブラックボックスに不法侵入するのは、無理だよ。そもそも、ここまで厳しい警備体制下で、スリル&サスペンスの買収に応じる事の、法的リスクの高さくらい、子供でも分かる。買収に応じる社員など、いる訳が無い」
京の出した答えを聞き、魁は肩を竦めながら、口を開く。
「お二人は、スリル&サスペンスが買収する相手を、勘違いしているんです」
隣の椅子に座り、モニターをチェックしているグレアムを一瞥し、魁は続ける。
「買収の対象は、アルカナ・グループや出入りする会社の、社員では有りません」
断言する魁に、京は強い口調で問いかける。
「――だったら、誰を買収したんだ?」
「企業ですよ。アルカナ・グループに出入り出来る企業自体を、買収したんです」
「き、企業を買収?」
口を揃えて、京と薊は驚きの声を上げる。流石に企業自体が買収対象だというアイディアは、京や薊には考え付かなかったのだ。
「アルカナ・グループに出入りしている企業を買収し、経営権を握ります。その上でスリル&サスペンスのメンバーを、偽名で社員として雇い、アルカナ・グループの担当者にすれば……」
「ブラックボックスに出入りする資格を、得られる訳か」
感心した様に頷きながら、薊は呟く。
「技術的な突破が不可能なレベルの、厳重な警備体制を敷いてしまえば、損得勘定無しに盗みを働き、有り余る資金力を誇るスリル&サスペンスは、高い確率で出入り業者の買収に走るだろう……と考えましてね」
目の前にあるノートパソコンを弄り、魁はモニターに様々なデータを表示させる。
「出入り業者の中で、オーナーが会社を売りたがっていそうな奴をリストアップし、世界探偵協会に所属する日本の探偵達に、動きをマークさせておきました」
十数社の社名が、モニターに表示される。
「そして二日前、調査対象になっていた、スマートフォン向けのコンテンツ企業……マクガフィン・エンターティメントが、香港企業に買収されたという情報が入ったんですよね」
「その香港企業……スリル&サスペンスが設立した、ペーパーカンパニーなのか?」
薊の問いに、魁は頷く。
「元々、そう遠くない内に倒産しそうなレベルまで、経営が傾いていた会社なもので、経営者でもあったオーナーは、快く会社の全権利を売却しましたし……」
魁はノートパソコンのキーボードを弄り、モニターにマクガフィン・エンターティメントに関する様々な情報を、表示させる。
「五十人程いた元々の社員達も、大幅に水増しされた退職金を貰い、引継ぎ業務が終わっていない社員を除いて、殆どが退職しました。いきなりの買収や大規模リストラなんてのは、当たり前の業界ですんで……世間的には大した話題にもなりませんでしたが」
「つまり、マクガフィン・エンターティメントの人間は、殆どがスリル&サスペンスの連中に、入れ替わっているのか?」
驚きのあまり、声を上擦らせながら、京は魁に問いかける。
「まぁ、そんな所でしょうね」
「だったら、今すぐにでもマクガフィン・エンターティメントを家宅捜索し、スリル&サスペンスの連中を逮捕すべきでは?」
薊の言葉に、魁は残念そうに首を横に振る。
「それは無理です。現時点では経営者や社員の殆どが、謎の人物達に、合法的に入れ替わったという事実しか有りません。あくまで、その可能性が高いと推測されるだけで、家宅捜索が許される国じゃないでしょう、日本は」
「それは、そうだが……」
口惜しげに呟きながら、京は足先でテーブルの足を軽く蹴る。
「入れ替わった連中は、闇で売買されている戸籍などを使い、身元を偽装している可能性は高いんですが、これも家宅捜索に移れるレベルの証拠固めは、難しいのが現実です」
「だったら、どうすればいいんだ? ただ指をくわえて、スリル&サスペンスのやる事を、眺めていろとでもいうのか?」
気色ばんだ顔で、京は魁に問いかける。
「まさか! マクガフィン・エンターティメントの社員として、ブラックボックスに乗り込んでくる連中は、スリル&サスペンスの中心人物……スリルとサスペンスである可能性が高いんです」
魁はノートパソコンを操作し、モニターに中年男と青年の画像を映し出す。スーツ姿の二人の画像には、「アルカナ・グループ担当者」という解説文が付いている。
この二人の画像は、マクガフィン・エンターティメントをマークさせていた探偵から魁が得た資料に、含まれていたものだ。
「スリル&サスペンスが起こした事件では、スリルとサスペンスの二人が自ら、盗みを実行するケースが殆どですからね。自己顕示欲が強い連中なんでしょう」
「つまり、この二人がスリルとサスペンスという訳か。男にしか見えない……連中の変装技術は、フォルトゥナに勝るとも劣らないな」
二人の画像を見詰めながら、薊は呟く。薊の言葉通り、画像の二人は女性には見えず、見事に男性のサラリーマンに変装していた。
「この二人をブラックボックスに侵入させた上で、徹底的にマークし、違法行為を行った時点で現行犯逮捕するのが、ベストでしょう」
部屋中に並んでいる、監視カメラが撮影した映像や、様々なセンサーや警備用のシステムのステータスを表示している、多数のモニターを眺めながら、魁は続ける。
「現在のブラックボックスは、侵入も困難ですが、逃げ出すのも困難な檻ですからね」
「しかし、スリル&サスペンスの……特にサスペンスの戦闘能力は絶大だ。逮捕するのは、至難の業だぞ」
過去に何度かスリル&サスペンスを追い込みながら、サスペンスの絶大な戦闘能力の前に、苦汁を飲まされた経験から、薊は魁に私見を述べる。「この世に斬れぬ物無し」と噂され、斬撃小町という通り名を持つ、剣術の達人であるサスペンスは、警察車輌を真っ二つにして追跡を不可能にしたり、隘路に追い詰められた際、壁や建物を斬って活路を開いたりと、過去に何度もスリル&サスペンスの危機を救っているのだ。
銃器を手にした多数の警官相手の勝負においても、サスペンスは完勝している。もっとも、罪を犯さぬ者を殺傷しないという、義賊団としてのスリル&サスペンスの掟がある為、警官達を殺傷した事は無く、銃器を破壊し、峰打ちで気絶させたりするだけなのだが。
「サスペンスの戦闘能力は脅威的ですが、それは彼女が日本刀を使用した場合のみ。日本刀をブラックボックスに持ち込ませなければ、彼女の驚異的な戦闘能力は発揮されません」
「――だが、警備体制の裏をかかれて、日本刀を持ち込まれたら、どうするんだ?」
薊に問われた魁は、隣に座っているグレアムに目線を送りつつ、答えを返す。
「その場合は、私の可愛い助手に、サスペンスを倒して貰うだけの話です。荒事は、この子の担当なんでね」
「この子って……こんな子供に、日本刀を手にしたサスペンスの相手をさせるだと? 冗談は止めろ! 人類最強レベルの剣士の相手が、子供に務まる訳が無いだろう!」
呆れた様な口調で、京は言い放つ。
「冗談じゃ無いですよ。私も色々な人間を見知っていますが、この子は私が知る限り、最強と言える戦闘力の持ち主ですから」
グレアムの肩に、馴れ馴れしく手を置きながら、魁は続ける。
「しかも、人類最強のサスペンスどころか、人類を超えた存在な訳で……この子は」
「――人類を越えた存在?」
声を揃えた薊と京の問いかけに、魁は頷く。
「まぁ、人類を越えた存在であるグレアムも、私のベッドの上では、艶っぽい声で鳴く、只の可愛い子猫ちゃんになるんですけど」
「貴様のベッドの上で、艶っぽく鳴いたり、可愛い子猫ちゃんになった経験など、僕の人生の何処にも存在せんわッ!」
凛とした甲高い声で、魁を叱責するグレアムの手には、何時の間にか一メートル程の黒い金属棒の様なアサルトライフル……ベレッタAR70/90が握られている。既に銃口は、魁の首筋に突き付けられている。
「心理学者の説によれば、銃器というのは男性器の象徴なんだそうだよ、グレアム。子供の頃から、君が大好きな銃器を玩具の様に弄んでいたのは、実は君が心の中で抑圧している欲望が……」
「それ以上、下らない戯言を口にするつもりなら、二度と口が閉じられない様に、顔に大穴を開けてやる!」
こめかみを震わせながらの、グレアムの脅し文句を聞いて、冷や汗を額に浮かべている魁に、京が問いかける。
「CEOの部屋では、銃刀法の話に摩り替えられ、答えを聞きそびれたんだが、その……グレアム君は、何処から銃器を出し入れしているんだ? いや、実は……前から気になっていた事なんだが」
ここ数日間、プロビデンスの二人と、京や薊は行動を共にしている。その間、ずっと気になっていながら、答えを聞きそびれていた謎について、改めて京は尋ねてみたのだ。
「出し入れしてるんじゃなくて、作り出したり消したりしてるんですよ、グレアムは」
「作り出したり、消したりしてるって……どういう事だ?」
「京屋さんは、アノマリーをご存知ですか?」
「変則や例外、異例……などといった意味の言葉だろう」
京の言葉を受け継ぎ、薊が口を開く。
「株式用語としても、使われてたりするな」
「アノマリーの意味を訊かれて、お二人の口から辞書的な意味と、株式用語しか出て来ないという事は、特殊能力のアノマリーの存在を、まだ日本警察は認識していない様ですね」
「特殊能力のアノマリー?」
声を揃えて、聞き返す京と薊に、魁は頷く。
「科学的な原理の証明は不可能だが、特定の現象を引き起こせる一連の能力を、その手の能力を研究している学者達は、アノマリーだと定義したんですよ。まぁ、ベタな言い方をすれば、超能力ってとこですかね」
「超能力って……あの、スプーン曲げやノストラダムスの大予言、念写みたいなの?」
「例えが古いですよ、京屋さん。でも、念力や予知能力なども、今は超能力ではなく、学術的にはアノマリーと……そして、アノマリーの持ち主は、アノマリストだと定義され始めてるんです」
「何で超能力ではなく、アノマリーに?」
訝しげな顔で、薊は問いかける。
「超能力という言葉に、インチキ臭いイメージが付き過ぎた事と、ここ暫くの研究で明らかになった、様々な特殊能力の中には、旧来の超能力のイメージと懸け離れたものも多かった事から、アノマリーとしての再定義が進んでいるそうですよ」
魁の解説を聞いた京は、グレアムに目線を移す。
「つまり、グレアム君は、自由自在に銃器を作り出したり消したり出来る、アノマリーの持ち主……アノマリストなのか?」
京の問いに、魁とグレアムは頷く。
「ソリッド・ヒストリー傘下の児童福祉施設で、アノマリーの才能を見出され、能力開発プログラムを幼少時より受けて来たんですよ、グレアムは」
グレアムに目を遣りながら、魁は続ける。
「最初の頃は、拳銃を作るのがせいぜいだったそうですが、今では歴史上実在した武器であり、その形状を知っていれば、グレアムは瞬時に作り出したり、消滅させたりする事が出来るんです」
「――消せるのは、僕が作り出した武器だけだけどね」
子供らしい、少し得意げな顔付きで、グレアムは手にしていたアサルトライフルを、凄腕の手品師の様に、一瞬で消滅させてしまう。
「自在に武器を作り出す能力を持つ上、軍事教練によって、あらゆる武器のエキスパートとしての能力を得たグレアムは、無敵です」
魁に能力を高く評価されたグレアムは、はにかんだ様な笑みを一瞬だけ見せる。
「――ん? ベルディのレクイエムが流れたという事は……」
突如、ノートパソコンが警告音代わりの、クラシックの荘厳なメロディを奏で始めたので、魁はモニターを覗き込む。モニターには、「ターゲット出現」という赤いメッセージが明滅している。
「どうやら、連中が来たみたいですね」
「連中というと、マクガフィン・エンターティメントの社員になってる、スリル&サスペンスの事か?」
薊の問いに、魁は頷く。
「エントランスに配備してる警備員に、マクガフィン・エンターティメントの社員になってる、あの二人が現れたら、連絡を寄越す様に手配しておいたんでね」
そう言いながら、魁はテーブルの上に積まれたモニターの中で、一際大きい四十インチ程のモニターを指差す。エントランスのセキュリティゲートに設置された、監視カメラの映像が映し出されているモニターを。
「部下を動かして、エントランス付近を取り囲んでおくか?」
京の問いに、魁は首を横に振る。
「変な動きを見せたら、不審に思われます。あくまで、こちらを連中が出し抜いていると思わせた状態で、ブラックボックス内に引き入れるのが得策」
そう魁が指示したので、警察や他の警備スタッフも、特別な動きを見せる事無く、先程、魁がノートパソコンに画像を表示させた、セキュリティゲートに近付いて行く中年男と青年……に見える二人組の様子を、息を呑んで見守り始める。
 




