13 アズルランドにて 01
「すいませーん! ジェシカさん、あくしゅしてくれませんか?」
あどけない顔をした黒髪の少女が、洒落たキャラメル色のスーツに身を包んだ、セミロングのブロンドが印象的な若い白人女性に、握手を求める。場所はアズルランドの公共放送局……ATV前、正午を少しだけ過ぎた頃の事である。
女性はATVの若手女性アナウンサー、ジェシカ・リチャーズ。テレビ局の前に停車している中継車輌の前で、担当する報道番組のスタッフ達と打ち合わせをしていた時、通りがかったジーンズにTシャツという出で立ちの少女に、握手を求められたのだ。
「ええ、いいわよ」
ジェシカは快く少女の求めに応じ、右手を差し出す。落ち着いた色合いのマニキュアで飾られた指先で、少女の手を握る。
「ありがとう! おしごと、がんばってね!」
礼の言葉を口にすると、少女は可愛らしい仕草で手を振りながら、走り去って行く。そして程無く、ビルの谷間に姿を消してしまう。
人気女性アナウンサーであるジェシカにとって、フアンから握手を求められ、それに応じる事は珍しくは無い。ジェシカは何事も無かったかの様に、スタッフ達との打ち合わせを再開する……握手したばかりの相手が、本当は少年だったとは気付かずに。
それ程に、人気女性アナウンサーであるジェシカに変身する力を得る為、ジェシカに触れに来た怪盗フォルトゥナ……花果王の、変身能力と英語能力は、完璧だったのである。
花果王は自分の姿をベースとして、性別や年齢だけを変える程度の変身なら、自分の力だけで可能だ。しかし、それ以外の姿に変身する場合、外見のベースとする誰かの肌に、直接触れなければならない。
自分が触れた相手に限り、花果王は誰であっても、指紋や声紋……網膜のパターンに至るまで、同じ姿に変身する事が出来る。ただし、触れた相手に変身出来るのは、触れてから二十四時間以内である。つまり、アズルランド時間で五月二十六日の正午過ぎにジェシカに触れた花果王は、五月二十七日の正午過ぎまで、ジェシカに変身可能なのだ。
アズルランドを訪れた花果王は、アズルランドにおいて、誰かを取材するのに怪しまれない有名人を、数名リストアップしていた。その上で触れる機会が有りそうな人物として、ジェシカを選んだのである。
テレビ局に向かう途中、さり気無く触れた少女の姿に変身し、花果王はジェシカに近付いて、肌に触れる事に成功した。ジェシカに変身する力を得て、ジェシカに変身した花果王は、女性アナウンサーらしいファッションを買い揃えた上で、アズルランドに来た、本来の目的を果たす為の行動を開始した。
花果王はATVのアナウンサー……ジェシカとして、アズルランド大学を訪れ、教授であるテリー博士に、取材のアポイントを取ったのだ。日本の泥棒がアニヒレイターを盗み出す予告状を出した事は、アズルランドでも大きなニュースとなっていた上、有名人であるジェシカの姿での取材申し込みだった為、大学側もテリー博士も疑う様子は無く、取材の申し込みを受け入れた。
それ故、二十六日の午後三時には、ジェシカの姿をした花果王は、アズルランド大学にある、テリー博士の研究室にいたのである。ジェシカの名と姿を借り、取材という名目で、アニヒレイターに関しての、得られるだけの情報を得る為に。
「――その辺りの話については、報道で情報を得ているので、承知しております。今日は、アニヒレイターに関する怪しげな噂について、お話を伺いたいのですが……」
神話などに出て来るアニヒレイターの話に絡めた、発見された本物のアニヒレイターに関する、一般的な情報をテリー博士から聞いた花果王は、そう話を切り出す。
「噂というと、圷がアニヒレイターにアルカナ・グループの業績改善を願って、叶えて貰ったとかいう話かい?」
簡素な応接用のテーブルの対面で、白髪頭を掻きながら問いかけてくるテリー博士に、花果王は頷く。
「他にも色々な噂がありますが、その噂が一番、人々に関心を持たれていますね」
「――それに関しては、個人的には有り得ないだろうと思う」
「何故です? アニヒレイターは、神話に伝えられる様な力など持たない、只の古い剣でしかないのですか?」
「逆だよ。様々な文献から、あの魔剣に願いを叶える力があるというのは、ほぼ確実だと言い切ってもいいくらいさ」
「でしたら、何故?」
「コストとリスクだよ。願いを叶えて貰うには、最低でも一人の人間を生贄として、アニヒレイターに捧げる必要があるんだ」
「生贄ですか……」
テリー博士の話に、花果王は耳を傾ける。
「神話の時代ならともかく、現代社会において、生贄など入手するのは難しいだろう。そういう意味合いで、コストがかかり過ぎるのさ、願いを叶えて貰うのは」
「それで、リスクというのは?」
「アニヒレイターに願いを叶えて貰った人間は、その先の人生を、アニヒレイターを誰からも奪われぬ様に、気を付けて生きなければならないんだ」
「その話は、私も聞いた事が有ります」
「願いを叶えて貰った人間は、アニヒレイターを奪われてしまうと、アニヒレイターに宿る魔女に、呪い殺されてしまうからね」
「――つまり、魔剣を盗まれただけで、命を失うリスクを背負うから、企業の業績を立て直す程度の願いを叶えるのでは、リスクとメリットが吊り合わない……という訳ですか」
「その通り。たかが会社の業績アップの為に、死のリスクを背負おうとするバカは、いないだろう?」
(いや、そのバカかもしれないぞ、アルカナ・グループの圷って奴は)
花果王はテリー博士の問いに頷きつつも、アルカナ・グループが手に入れたアニヒレイターを公開せず、本社ビルに所蔵しているだけだという報道を思い出し、心の中で呟く。公開すれば盗まれる可能性が高まると考えた為、圷は公開していないのではないかと、花果王は考えたのだ。
「まぁ、さっき電話で話した世界最高の名探偵さんは、私とは違う考えのようだったが」
テリー博士の呟きを聞いて、花果王は驚き、問いかける。
「世界最高の名探偵って、まさかアイ・オブ・プロビデンス?」
魁がアニヒレイターをスリル&サスペンスから護る仕事を請け負った事は、世界中に報道されていた。花果王も報道により、魁が今回の一件に絡んで来たのを知ったので、魁の探偵としての通り名を出したのである。
「その通り。彼から先程、電話での取材を受けて、君と同じ事を訊かれたんだ。マスメディアの連中が、信じもしないで面白おかしく語る、アニヒレイターに関する非現実的な話を、真面目に信じてくれる、変わった奴だったよ」
(成る程、これで何仙姫の夢に出て来たという、スリル&サスペンスを追い詰める探偵の正体は、魁……いや、プロビデンスの二人組だと確定した様なもんだな)
明確な形でプロビデンスが、今回の一件に絡んで来たのを知り、花果王は確信する。
「彼は、学術的にも美術的にも貴重な宝であるアニヒレイターを、公開もせずに本社ビルの奥深くに隠している事から、圷は願いを叶えた可能性が高いと、判断した様だった」
(俺と同じ判断をしてる訳か、神の目の持ち主は……。それにしても、厄介な奴が絡んで来たもんだぜ)
世界最高の探偵を、相手にしなければならなくなった花果王は、心の中で嘆息する。
 




