11 饒舌家と男の娘(Eye of Providence)
「――という訳です。つまり、あの殺人ウイルスを盗み出した犯人は、貴方以外には有り得ないんですよ、ミスター・チャップマン!」
オーバル型(楕円形)レンズの、洒落た縁無し眼鏡の奥に、切れ長の目を輝かせながら、端正な顔立ちの東洋人の青年は、ホテルのロビーの隅を指差す。歴史を感じさせる、瀟洒なホテルのロビーには、事件の関係者が五十人程集められているのだが、その中の一人を青年は指差したのだ。
「どれくらい有り得ないかと言うと、ホラー映画の冒頭部分でいちゃついてたカップルが、最後まで死なないくらいの有り得なさ……」
白いスーツに身を包んだ青年は、おどけた様な口調で語りながら、手にした白いボルサリーノのソフト帽を、指先で玩具にしている。
「な、何を言っている! 貴様の言っている事は、全て想像に過ぎないじゃないか! ばかばかしい、証拠も何も無いというのに!」
青年に指差された当人である、三十歳前後に見える、こげ茶色のスーツに身を包んだ白人の優男……ビル・チャップマンは、狼狽しつつも、強気で青年の言葉を否定する。
「証拠も出さずに、この私を犯人扱いする様な貴様程度の探偵を、世界最高クラスの名探偵だなどと言って、この殺人ウイルス盗難事件の解決にあたらせるとは、世界探偵協会も堕ちたものだな!」
ビルは懐から携帯電話を取り出しながら、青年を罵倒し続ける。
「今すぐ、顧問弁護士を呼んでやる! 証拠も無しに私を犯人扱いした事を、貴様は裁判所で後悔する羽目になるぞ!」
「証拠だったら、そこにいる私の可愛い助手が、既に手にしているのですがね」
ロビーに集まっている事件関係者達の一人を、青年は指差す。ホテルの客達や、ウイルス盗難事件を捜査していた、CIAやFBIの捜査官達など、大人ばかりの中では場違いに見える、少女趣味の黒いワンピースに身を包んだ、ブロンドの髪をツーテールにしている子供を指差しつつ、青年は続ける。
「可愛いでしょう? 私の助手がどれくらい可愛いか、知りたくないですか?」
ロビーにいる者達は皆、首を横に振るが、青年はリアクションを無視して語りだす。
「どうやら、皆さんも私の助手の可愛いさを知りたいようですので、お話ししましょうか」
「――いや、誰も聞きたがっていないんだよ、そんな話は!」
青年の助手である黒いワンピース姿の子供が、強い口調で青年を制止しようとするが、青年は無視して、話を続ける。
「この前……ケーキ食べ放題の店に連れて行った時のエピソードがピッタリかな。いや、それともルーブル美術館を見学に行った帰りのエピソードが……」
悩ましげに、青年は目を伏せる。
「――違うな。女装の際に化粧している時の、はにかんだ様な顔が……いやいや、やはりベッドの上で愛し合った後の、気だるげな表情こそ……ぐえっ!」
青年の話し声が、苦しげな呻き声に変わる。突如、十二歳程に見える青年の助手が、右手に持っている黒いハンドバッグで、青年の頭を殴り付けたのだ。
「貴様とベッドの上で愛し合った経験など、僕の人生の何処にも存在せんわッ!」
甲高い声で、青年の助手は青年を叱り付ける。女装の際……という表現から分かる通り、少女にしか見えない黒いワンピース姿の助手は、少年である。
「――駄目じゃないか、グレアム。前に教えただろう、ボケに対する突っ込みは、ダメージを相手に与えない様にしなければと……」
頭をさすりながら、青年は助手であるグレアム・ブラックローズに、ボケに対する突っ込みのあり方について、解説し始める。
「音を立てながらも、苦痛を与えない加減で叩かないと、今みたいにボケのトークが途切れてしまうじゃないか。道具を使って叩くなら、ハンドバッグみたいに結構硬い上、音がしないものではなく、ハリセンかプラスチック製のメガフォン、ピコピコハンマーなどの、叩かれた方が痛くないのに、いい音を響かせる道具でなければならない」
長々と語り続ける青年の言葉を聞いて、グレアムはこめかみを震わせ始める。
「今度、日本にいる友達から、お笑いのネタ番組を録画したDVDを、送ってもらう事にしよう。それを一日に十回見て、突っ込みの何たるかを学び給え。そうすればグレアム、きっと君は立派な漫才師に……ぐはぁ!」
再びグレアムが頭を殴り付けた為、青年は苦しげに呻き、言葉を途切れさせる。
「何故、僕がジャパニーズスタイルのコメディアンに、ならなければならないんだ? いや、そんな事はどうでもいい! さっさと話を進めろ、このチャッターボックスが!」
チャッターボックス……饒舌家という意味を持つ仇名で呼ばれた青年は、殴られた後頭部をさすりながら、残念そうに溜息を吐く。
「解けない謎も解決出来ない事件も無いし、そろそろ探偵業にも飽きたから、日本に戻って漫才師でも目指そうかなーとか、思ってさ」
「――貴様の喋りは長ったらしいだけで、面白みに欠けるから、コメディアンには向いていない。大人しく探偵を続けやがれ!」
グレアムは青年の目を指差し、強い口調で続ける。
「アイ・オブ・プロビデンス(プロビデンスの目)と讃えられた貴様の頭脳は、只者達が解き明かせない犯罪の謎を解き明かしたり、防げない犯罪の発生を防ぐ為にある! 無駄な事に使おうとするなッ!」
アイ・オブ・プロビデンスとは、アメリカ合衆国の国章にもなっている、上部に目がついているピラミッドのマークの事である。このマークの目は、世の全てを見渡し見通す、神の目を意味する。
世界的な探偵組織……世界探偵協会において、最高レベルの探偵として扱われている、この饒舌なる青年は、事件の全てを見通しているかの様に、あらゆる犯罪を解決してしまった事から、全てを見通す神の目を持つ探偵と評される様になった。それ故、探偵としての青年は、アイ・オブ・プロビデンスという名で呼ばれている。
そして、青年の助手にして護衛役でもあるグレアムは、ガーディアン・オブ・プロビデンス(プロビデンスの守護者)と呼ばれる様になった。青年とグレアムの探偵コンビは、プロビデンス(神の摂理)と呼ばれる、犯罪者達が畏怖する存在なのである。
「――とにかく、さっさとこの下らない事件を片付けろ! その為に、わざわざ怪しまれない様に女装して、このホテルにある女性専用フロアに潜り込んで探し回り、証拠を見つけて来てやったんだからな!」
「女装は君の趣味じゃないか。普段だって、女装してる時の方が多いくらいだし……」
「女装は趣味じゃない、特技だ! 鍛錬の為、普段から女装してるだけ!」
からかう様な口調の青年の言葉を、グレアムは否定しながら、左手に下げていた、ホテルのマーク入りの紙袋を青年に手渡す。
「女性専用フロアにあるワインセラーに、貴様が言った通りの物があった。ミス・レベッカの名義で預けてあったものだ」
「――だろうね、有難うグレアム。後でお礼にキスしてあげよう」
「殺されたいのか、貴様」
軽口を叩く青年を睨み付け、きつい言葉を吐きながらも、グレアムの表情は何処か嬉しげである。
「先程述べた通りの理由で、今回の事件の犯人は、共犯者にして愛人であった、ミス・レベッカの手を借りて、ウイルスの容器を女性専用フロアのワインセラーに隠しました。犯人が男性であるという、既に判明した情報を利用し、捜査の手が及び難いと思われる、女性専用フロアに隠した訳です」
ハンドバッグの中から取り出した、深緑色のワインボトルを、青年はビルに見せ付ける。
「そ、それは!」
ビルの顔に、焦りの色が明確に浮かんだのを確認し、青年は畳み掛ける。
「ワインセラーの温度は、今回盗み出されたウイルスの保存にも適している。貴方は、このワインボトルの中に……」
青年はグレアムから手渡されたワイン・オープナーでコルクを抜くと、近くのテーブルの上に、予め並べてあったワイングラスに、次々と血の様に赤いワインを注ぎ続ける。すると、ワイングラスに単四の電池程の大きさの、銀色のシリンダーが落ちて沈む。
「パンデミック(感染爆発)を引き起こせば、数百万どころか億単位の人間すら虐殺する事が出来る、米軍の研究所から盗み出した、この殺人ウイルス入りの容器を隠し、ミス・レベッカにワインセラーに預けさせました」
シリンダー……殺人ウイルスの容器を摘み上げながら、青年は続ける。
「ま、このワインを貴方が先程、このホテルの二階にあるワインショップで購入したのは、既に調査済みだという事も、付け加えておきましょうか」
「――成る程、既に証拠までも押さえられていた訳か。流石は世界最高の探偵、アイ・オブ・プロビデンスのカイ!」
ビルはカイと呼んだ青年……吾桑魁を睨み付けながら、素早く懐に右手を挿し込むと、拳銃を引き抜いて、銃口を魁に向ける。
「死にたくなければ、その容器を寄越せ!」
「あらら、誤魔化し切れないと分かって、切れちゃいましたか? まるでアクション映画や日本のアニメに出て来る、悪役ですねー」
銃口を向けられても、怯えたり慌てたりする様子を見せず、魁はおどけた様な口調で、ビルに問いかける。何時の間にか、グレアムは魁を護るかの様に、魁の前に立っている。
「こんな物騒なウイルスを手に入れて、どうするつもりなんです? まさか、地球にとってのガン細胞である人類を滅ぼす為に使うだなんて、映画やアニメの悪役みたいな事言わないで下さいよ。醒めちゃうんですよね、そういう手垢の付きまくった設定は」
「――その、まさかさ」
魁に問われたビルは、不愉快そうに言葉を吐き捨てる。
「我等の崇高なる理念や理想を、映画やアニメの悪役のそれと、一緒にしてしまうような貴様には、理解出来んのだろうがな! 奢り高ぶった人類に鉄槌を下し、殲滅する事こそが、我等……緑の使徒の悲願!」
十メートル程の距離をとって対峙している魁に、ビルは強い口調で命じる。
「撃ち殺されたくなければ、その容器を寄越せ! 人類を粛清し、地球を本来の美しい姿に戻す為の、神の道具であるウイルスを!」
「どうする、魁?」
後ろにいる魁に、グレアムは尋ねる。
「荒事は君の担当だ、任せるよ。ただし、殺さない程度にね」
「――了解」
魁の返答を聞いたグレアムの瞳が、妖しげな光を帯びる。何処か人間離れした雰囲気を漂わせ始めながら、少女の如き外見の少年は、素手の左手をビルに向けて突き出す。
「動くな!」
素手のグレアムに、得体の知れない何かを感じ取り、ビルは制止を命じる。だが、既に言葉で制止出来る段階は、過ぎていた。
突如、素手であった筈のグレアムの左手の中に、拳銃が現れたのだ。ジェットファイアという名の、ベレッタのオートマチックが。
まるで瞬間移動でもしたかの様に、いきなり拳銃が出現した事に、ビルやロビーにいる他の人々が驚く間すら与えずに、グレアムは躊躇い無く引き金を引く。引き金を引いた数は三度なのだが、銃声が一回に聞こえる程に素早く、グレアムは拳銃を連射した。
一瞬で撃たれた三発の銃弾は、ビルの両手……左足首を撃ち抜いた。ビルは反撃も出来ずに、両手と左足首から血飛沫を飛び散らせながら、悲鳴を上げて崩れ落ちる。
「両手を潰せば攻撃は不可能、片足を潰せば逃げるのも不可能。小口径のジェットファイアによる、手先や足先への銃撃なら、出血量も死に至るレベルに達する可能性は低い……見事だよグレアム。ご褒美に、今夜はベッドの上で可愛がってあげよう」
一瞬でビルの戦闘能力と移動能力を奪い、見事な戦闘技量を見せつけたグレアムの耳元で、魁は囁く。
「その下らない事ばかりを喋る口も、ついでに撃っておくか?」
硝煙が燻る銃口を魁の口元に向けつつ、グレアムは不愉快そうに眉間に皺を寄せながら、脅し文句を吐き捨てる。
「何だ、ベッドの上が嫌なら、車の中でも……ん?」
魁が軽口を叩いている途中、携帯電話がクラシックのメロディを奏で始める。だらしなく着崩しているイタリア製スーツの、ジャケットの内ポケットに右手を突っ込み、魁は銀色の携帯電話を取り出す。




