10 只の夢にしてやるから
夕陽を映す川にかかる、古びたアーチ状の橋を渡った所にある十字路で、部活動などを終え、一緒に学園から帰宅して来た崑崙八仙グループの面々は、三つの道に分かれる。
別れの挨拶を交わした後、崑崙八仙兄妹は川沿いを遡る道を、慧練は川を下る道を、そして文月と遙南……千佳耶と詩文の四人は、橋から真直ぐに延びている道を行く。
「――それにしても、今日の花果王さんは凄かったね。消火器持って暴れ回るなんて。物凄いお兄さん持ってるな、何仙姫は」
文月の言葉に頷きながら、遙南が口を開く。
「血が繋がってるとは思えないよ、あの二人。文武両道の優等生で人気者の何仙姫に、何をやっても普通だけど、過剰なシスコンのせいで、人気皆無の花果王さん……」
「お前らは中等部に入ってからの付き合いだろうけど、小学生の頃までは花果王の方が、人気者だったんだぜ」
中等部の二人の会話に、詩文が口を挟む。
「神童って呼ばれる程に頭が良かった上、スポーツ万能で顔まで良かったもんだからさ」
「嘘だー!」
遙南が、疑いの声を上げる。
「いや、マジなんだって。マサキチの初恋の相手が、花果王だったくらいだし」
「ひ、人の過去の恥部を晒そうとするの、止めなさいよ!」
マサキチと呼ばれた事に文句をつける余裕が無いらしい、千佳耶の言葉を聞いて、文月と遙南は、詩文の話が事実らしいと察する。その上で、文月は一応、千佳耶に確認する。
「千佳耶さん、詩文さんの話……ホントなんですか?」
「――まぁ、昔は格好良かったんだよね、あいつ。今だって、あのダサい眼鏡かけるの止めて、ファッションとか気を遣えば、結構カッコイイ筈なんだけど」
問いに答え続ける千佳耶の頬は、仄かに赤く色付いている。
「それに、何でも出来ちゃう凄い奴だったんだ、花果王。今みたいな駄目人間になるなんて、予想も出来なかったくらいに」
「何で、そんなに凄かった花果王さんが、今みたいに残念な人に、なっちゃったんですかね?」
そんな遥南の問いに答えられる者は、この場にはいない。その問いに対する答えを知るのは、花果王と何仙姫だけなのだから。
実際は人並み外れた頭脳や運動能力を、花果王は持ち合わせているのだが、そういった能力の持ち主だと世間に知られると、怪盗の容疑者としてマークされる可能性が高まる。それ故、花果王は「能有る鷹は爪を隠す」を実践しているのだ。
夕陽が朱に染め上げる川沿いの道を、並んで歩く兄妹は、傍目には恋人同士の様に見える。初夏とはいえ夕方になれば、吹き抜ける風は身を震わせる程度に、冷たい。
兄である花果王は制服の上着を脱いで、風に身を震わせた妹……何仙姫の肩にかける。
「――有難う、兄さん。でも、私が上着を借りたら、兄さんが寒さで風邪を……」
「気にするな、お前とは鍛え方が違う」
「だったら、遠慮無く甘えさせて貰います」
何仙姫は嬉しそうに、花果王の上着の匂いを嗅ぐ。
「兄さんの匂い……兄さんに抱き締められてるみたい」
幸せそうに微笑んでいた何仙姫の表情が、歩いている内に、曇り出す。何かを案じているかの様に。
「――兄さん、もう一つ……甘えさせて貰っていいですか?」
「構わないよ。何をして欲しい?」
「今日の五時間目……少し居眠りをしてしまって、その時……夢を見たんです」
「何時もの夢か? 鐘の音が聞こえた後に見る、あの夢……」
花果王の問いに、何仙姫は頷く。鐘の音が聞こえた後に見る何仙姫の夢とは、誰かの不幸な未来の光景を見てしまう、予知夢である。
表情の翳りと、気落ちした様な口調、夢という言葉から、花果王は何仙姫が予知夢を見たのだと、察したのだ。
「アルカナ・グループが日本に持ち込んだアニヒレイターを、スリル&サスペンスが盗み出そうとするけど、凄腕の二人組の探偵に阻止されて、追い詰められるんです」
「スリル&サスペンス……あれだけの組織力がある連中が、たった二人組の探偵なんかに追い詰められるのか?」
過去の様々な経緯から、スリル&サスペンスが二人組ではなく、大規模な組織を率いているだろう事を、花果王は見抜いていた。それ故、スリル&サスペンスが二人組の探偵に追い詰められると聞いて、少し驚いたのだ。
何仙姫は花果王の問いに頷き、夢の内容を語り続ける。
「追い詰められたスリルが、アニヒレイターに願いを叶えさせ、その場を乗り切ろうとします。ですが、アニヒレイターは願いを叶えるどころか、スリルの身体を乗っ取って暴走し始め、アルカナ・グループのビルがある辺りを廃墟と化し、結果として二万人を越える人々の命を奪う事に……」
「二万人を越える人々の命を奪う……か。虐殺者って名前は、伊達じゃねえな」
犠牲者の多さに、背筋が寒くなる程の悪寒を覚えながらも、花果王は身を震わせない様に気を張りつつ、何仙姫に問いかける。
「何故、アニヒレイターは暴走するんだ?」
「――それは、分からない。夢には出て来なかったから」
恐ろしい夢なのだろう。立ち止まって夢の内容を思い出しながら、花果王の問いに答える何仙姫の身体は、震えている。
何仙姫が語る夢の内容は、余りにも非現実的だった。常識有る人々なら、只の夢だろうと片付ける程に。
しかし、花果王だけは違った。何仙姫が眠っている時、鐘の音を聞いた後に見る、不幸な事件や事故の夢は、誰かが運命を捻じ曲げない限り、現実になると知っている花果王だけは。
「兄さん……」
瞳を潤ませた何仙姫は、不安げな顔で、花果王に訴える。全てを言葉にせずとも、何仙姫の思いと望みは、花果王に伝わる。
「安心しろ、その夢は……俺が運命を捻じ曲げて、只の夢にしてやるから」
花果王は何仙姫の身体を抱き締め、背を優しく撫でながら、慰めの言葉をかける。
「アニヒレイターを、俺が盗み出して……」
夕暮れの空の下、花果王は怪盗フォルトゥナとなり、魔剣と呼ばれるアニヒレイターを盗み出す決意を固める。沢山の人々が死ぬ未来を予知し、心が押し潰されそうになっている妹を、その苦しみから救う為に。
そして、花果王が決心した三時間後、五月二十五日午後八時、スリル&サスペンスのスポークスマンを務める弁護士から、スリル&サスペンスの次なるターゲットが発表された。誅すべき悪党は悪徳企業アルカナ・グループ、盗み出す物はアニヒレイターだと。




