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四の姫お菓子を作る  作者: 十海 with いーぐる+にゃんシロ
1/7

ブラウニーブラウニー1

 

 太い木の梁の渡された高い天井。磨かれた木の床、壁は優しい砂色のしっくい塗り。ずらりと並ぶ棚には、薬草の花や実、茎、葉、そして根っこ、あるいはそのいずれかをオイルや酒に浸けたもの。ありとあらゆる部位と加工品の収められたガラス瓶が置かれている。

 天井に渡された紐には乾燥した薬草の束がかけられ、作業台の上には調合に使う道具がきちんと並んでいた。

 薬草香る空気に満たされた店の奥、いつも店主が眠たげに寄りかかっているカウンターには……

 今、小さな黒板が置かれていた。いつもは調合する薬草の分量を書き留めるのに使われているものだ。

 黒いなめらかな表面には、チョークでこんな文字が書かれていた。


『ご用の方はベルを鳴らして下さい』


 そして、黒板の傍らには銀色のベルが一つ。持ち手には花とつる草のからみ合う意匠が施され、磨き抜かれて表面はぴかぴかだ。

 では、肝心の店主はどこにいるのかと言うと……


「どうだ、ニコラ、オーブンの火加減は」

「おっけーです、師匠!」

「ん、いい感じに熱くなってるな」


 奥の台所に居た。

 薬やお茶の調合は店の作業場で行い、菓子と料理は台所で作る。それが長年のフロウの習慣であり、一貫として変わらぬ流儀だった。『同じ場所でやっちまったらいつ、何が混ざるかわかったもんじゃない』からだ。


 この家の台所は、広い。、店に出す菓子やジャムを作る工房も兼ねているからだ。

 また今でこそほぼ一人暮らしだが、長い歴史の中では家族や間借り人が住んでいた時期もある。

 調理台は広く、壁際には耐火レンガで組んだ立派なかまど、その隣には半球状の薪オーブンがでんっとすえられている。長年使い込まれて煤けてはいたがきっちり組まれたレンガは緩む気配すら見せず、どちらも立派な煙突が付いていた。


 伯爵家の四の姫こと魔法訓練生ニコラ・ド・モレッティはオーブンの蓋を開け、火かき棒を操り、慎重な手つきで薪の燃え滓を奥に寄せていた。

 頭の後ろで金髪をきっちりと一つに結わえ、顔を赤くして、額に汗を浮かべている。

 熱せられた石の放つ熱を利用して、これからあるものを焼くのだ。


「今日は何を作るの?」

「あ~、バタースコッチブラウニー」

「ああ、あの四角いチョコレートクッキーね」


 ニコラはぱしっと両手を握り会わせ、青い瞳をきらきらと輝かせる。


「じいやがいつも焼いてくれるの。あれ、大好き! ……でも、バタースコッチって?」

「チョコレートの入ってないブラウニーのことさね。エプレポートの交易ルートが開かれるまでは、こっちが主体だったんじゃないか?」


 チョコレートの原料となるカカオはコーヒーと同様、この西の辺境では栽培されていない。気候が寒過ぎるのだ。東の交易都市エプレポート経由で、南方で産出されたものが輸入されている。

 運ぶ距離の長さと手間から他の材料に比べれば若干、割高ではあるものの、手が届かない程ではない。事実、キャロブ豆を混ぜたものは手ごろな価格で出回っている。

 しかしながら純度の高いチョコレートは今でも高級品で、やんごとないご婦人の厨房か、高級菓子店ぐらいでしかお目にかかれないのだった。


「材料は小麦粉と、バターとブラウンシュガーと卵、刻んだクルミに、干しぶどうに、ふくらし粉」


 言いながら、さくさくと分量を量ってとりわけて行く。ニコラがぎょっと目を見開いた。


「こ、こ、こんなに使うの、お砂糖!」

「これでもだいぶ甘さ控えめにしてんだがねぇ……」

「小麦粉より多いよ?」


 確かに、小鉢の中で山になったブラウンシュガーは、その隣の小麦粉に比べて明らかに盛りが多い。


「その方が日持ちするからな」

「しぇえええ……知らない方が良かった……色々と」

「何、一度にがばちょと食わなきゃ問題ねぇさ」


 くつくつと笑いつつ、フロウは四角い鉄の焼き型を台に乗せた。


「そら、こいつの表面にバター塗ってくれ」

「はーい……ってこれケーキ用の型じゃない!」

「うん、ブラウニーってのはまとめて一枚、どーんとでっかいのを焼いて、冷めてから小さく切り分けるんだ」

「何て大胆な」

「面倒くさがりの俺にはぴったりって訳だ」

「自分で言うし……」


 ニコラは細い指でバターをすくいとり、せっせと焼き型に塗り付けた。型の一辺は23センチほど、この家にあるケーキ型の中は中ぐらいのサイズだ。


「あれ、でも……じいやの焼いてくれたのは、大きさも厚さもきっちり同じだったよ?」

「それ、ある意味すごいな……計って切ってたのか」


 ド・モレッティ家の執事は極めて几帳面な性格らしい。


「さーてっと、それじゃ準備もできたし、作り方説明するぞ?」

「はい!」

「材料混ぜて、型に入れて焼く」

「………それだけ?」

「ああ、そんだけだ」


 拍子抜けしたようだ。メモを取ろうとした手が止まっている。


「あ、クルミとレーズン入れるのは一番最後な?」

「すっごいアバウト……」

「一応、捕捉。バターは湯煎で溶かして、卵は溶きほぐしてから入れるとダマになりにくい」

「了解!」


 ぴしっと敬礼しそうな勢いで返事をして、かりかりとメモを取っている。

 ニコラにとっては菓子作りも、薬草の調合も、魔法も、全て修業の一部なのだ。

 ヒゲの中年薬草師から、この少女は単なる学問以上のものを学んでいるのである。


「よし、じゃあ教えた通りにやってみろ」

「はい!」


 大きな木のボウルに材料をひとまとめに入れて、木杓子でざっしざっしと混ぜる。最初のうちはざらっとしていた生地が次第に混ざりあい、ねっとりと滑らかになってきた。

 ほんのりと赤茶色を帯びているのは、大量に混ぜたブラウンシュガーのためだろう。

 仕上げに刻んだクルミと、レーズンを加えてさらに混ぜる。


「香り付けはバニラ? ブランデー?」

「バニラに決まってるだろ」

「だよね!」


 とろりとバニラのエッセンシャルオイルをひと垂らし。香り自体に甘さがある訳じゃない。それでもこの香りを嗅ぐと、舌が濃密な甘さを思い出す。


「わあ、ちゃんとクッキーの生地になってる!」

「だろ? じゃあオーブンの準備だ」


 二人がオーブンの扉を開け、中をのぞき込んでいる間にこっそりと、調理台に飛び乗る、黒と褐色斑の影一つ。オレンジ色のチョーカーに下げられた水晶の珠と木のビーズが触れ合い、カチリとかすかな音を立てる。

 ぺろりと舌なめずりすると、ちびはのびあがってボウルに前足をかけた。そのまま顔をつっこんで、生のクッキー生地を一口、はくっとかじりとる。


「んぴゃ」


 美味しかったらしい。さらにもう一口。夢中になってむしゃむしゃやっていると、背後からわしっと捕まえられる。


「ちーびー」

「ぴゃーっ」

「焼く前につまみ食いたぁいい度胸だ、このこのこのっ」

「ぴゃっ、ぴゃっ、ぴゃーっ」


 フロウは両手で拳を握り、人さし指の関節でちびのこめかみを挟み、ぐりぐりぐり抉った。容赦無くぐりぐりと。


「ぴぃいう、ぴぃいいううう」


 たまらず、ちびは耳を伏せる。金色の瞳が半開きになり、尻尾がもわっと膨らんだ。


「ねー師匠」

「ん、何だ?」

「使い魔とホストって感覚共有してるんでしょ?」

「ああ、そうだな」

「ダイン今、頭痛くなってるんじゃあ……」

「ああ? 躾けの悪いホストにはいい薬だろ」

「んびぃ」


     ※


 その頃、騎士団の砦の中庭では。

 見回りを終え、馬から降りた直後のダインが顔をしかめ、こめかみを押さえていた。


「いで……」

「どうしました先輩!」

「いや、こー何か頭がじんじんする」

「冷やしますか?」

「いや、多分大丈夫だ」

「んー……」


 シャルダンは伸び上がってダインの額に、その白い手をぺとっと当てた。そのまましばらく動かない。

 周囲の団員たちも、別の意味で動けない。


「熱はありませんね」

「そーか」

「でも念のためしばらく休んで下さい。いいですね?」

「ん……わかった、そうする」


 騎士と言う生き物は、概して乙女の言葉には逆らえない。それ故にシャルダンはある意味、この砦で最強の存在だった。


     ※


 再び薬草店に話を戻そう。

 若干、量は減ったものの、まだまだたっぷりある生地を型に入れる。

 流し込む、とは行かなかった。練り上げられた生地はかなり粘り気があって、固かったのだ。

 もっちり、ぼてっと落として、へらで平らに伸ばす、慣らす、伸ばす、慣らす……


「んー、なかなか表面がきれいにならない……」 


 まるで壁を塗る左官職人のように、真剣な顔をしている。やれやれ、と肩をすくめ、フロウはゆるりとした口調で弟子に呼びかけた。


「一ついいことを教えてやろうか。ブラウニーを作る時のコツはな」

「はい」

「勢いだ!」

「了解!」


 その一言で、何か吹っ切れたらしい。ニコラは勢い良く、ざっざっざっと上下左右にへらを動かした。


「できました!」

「よし、後は焼くだけだ」


 両手に分厚いキッチンミトンをはめて、焼き型をオーブンに入れる。

 石でできた狭い箱の中には、燃えた薪の発した熱が行き渡っている。わずかに残った熾火で温度を保ちつつ、内側に篭った余熱でじんわりと焼き上げるのだ。

 蓋を閉めると、フロウはおもむろに高さ30cmの砂時計をひっくり返した。砂が落ち切ったら焼き上がり、と言う訳だ。


「さーて今のうちに洗いものやっとくか!」

「はーい」


 ボウルや木べら、その他卵を混ぜるのに使った器やバターを溶かした時の鍋を洗って、丁寧に拭いて。棚に収める頃には、クッキーの焼ける甘く、香ばしいにおいが漂い始めていた。


「きゃわきゃわわ」

「きゃーわー」 

「あら?」


 聞いていてくすぐったくなるような、小さな声が近づいてくる。まるで木の中で小鳥がかさこそ動くような気配がする。

 そろーりと振り返ると、テーブルの下にころころとまるまっちい生き物が群れていた。

 まるっこい体から細い短い手足の突き出した二頭身の小人。大きさは大人の手のひらに乗るくらい、大体20センチ前後と言った所だろうか。亜麻色のふわふわの髪の毛に、つぶらな蜜色の瞳が愛くるしい。


(ちっちゃいさんだ!)


 見ないふりをして、テーブルに座る。


「ねえ、もしかしてちっちゃいさんって師匠に似てる?」

「ああ」


 ころころした小人の居るテーブル下を、ちらとも見ないでフロウが答える。彼らがそこにいるのは、確かめるまでもなくわかっているようだ。


「ちっちゃいさんは……ブラウニーは、家につく妖精だからな。長く住んでると影響を受けて、段々その家の住人に似てくるんだ」

「じゃあ、じゃあ、私の家には、私そっくりのちっちゃいさんが?」

「いるかも知れないな」

「わああ、見てみたーい」


 ニコラは手を握りあわせてうっとりとつぶやいた。



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