悲しみ
この話の更新は非常に遅いです。それでも構わないようでしたら読んでほしいです。
研ぎ澄まされた静寂に囲まれた湖、その中心にはとめどなく涙を落とす少女がいる。湖に波紋を作り出すその雫は限りなく透きとっている、一筋の想いに彩られ……一見彼女を含めその空間は神秘的な湖のように美しくに思えるだろう。しかし実際はその対に位置していた。
そこは冷たい暗闇と限りのない悲しみに支配されていた。
眼に映るものは闇だけだ。しかし確かにそこに誰かがいるのが分かる。
絶え間なく響いているのだ、その空間にも【その人】の心にも。その【その人】の苦しみが……
「……ひっく……ひっ…………」
瀬川香奈は泣いていた。
香奈を【今】照らすものは皆無であった。彼女に【今】触れるものは冷たく、透き通った雫だけでしかなかった。真っ暗な部屋の中でただ、ある想いが溢れ彼女は泣いていた。その呻きのような声にもならない声には悲哀の念しか感じとれない。
彼女は失ったのだ。生きる糧の全てを。
「どう……し……ひっ……いなく……ぁるの……」
心に残ったものは幸福な過去の想い出達だけである。しかしそれらは決して彼女をその絶望から救ってくれるものにはなれないものであった。むしろ彼女を絶望に縛り付けているのだから。
「お……かあ、さん……おとう、さん……」
彼女の日常から切り離されたものそれは、家族だった。
十七歳にもなった香奈だったが幼少から溺愛と呼べるほどに両親から可愛がられ、愛されていた彼女はその年でも両親から自立したいとは思いもしなかった。彼女にとって家族とは、もはや自分の一部だったのだ。
それが失われた日、香奈の心に降りやむことのない雨が降り始めたのは昨日のことであった。
水曜日、学生にとっては休みまでの日が多く憂鬱極まる曜日。その日、香奈は普段通りに学校へ通っていた。二時限目終了の鐘がその場の生徒に安らぎの訪れを告げた時だった。勢いよく教室のドアが開かれ受け持ちの先生、担任から急に呼び出され告げられたのだ。あまりに突飛な事実を……両親の死を。
その担任は両親が交通事故を起こしてしまい…………と香奈に現実を突きつけそして理解させようとしたのだが彼女はそんな説明を聞いてはいなかった。彼女が聞きたかったのは、【嘘】その一言だけだったのだから。
そしてそのまま香奈は彼女の家に一旦帰された。もうこの世にはいない両親に合わせるための準備をさせるためだった。しかし香奈はそれを無言で拒否、拒絶した。起きることのない両親を見て、そしてその温もりの感じない冷たい手に触れてしまったら両親の死を認めてしまいそうになる、そう思えたからだ。
彼女が今彼女の部屋で一人いるのは両親の死を認めさせようとしてくる自分以外の人と会わないようにするためだった。
「生きてるん……ひっつ……だよ、ね」
香奈が言葉に出して自らにそう言い聞かせているのは彼女が既に両親の死を心の深層で認めているからであった。彼女自身は気づいていないのだが……だから彼女の意志に関係なく彼女の心は満たされた過去の記憶を走馬灯のように思い出しているのだ。
その過去の記憶を香奈は今起こった出来事であると自分自身に言い聞かせるために強く瞳の裏に思い描いていた。そうすることによって両親が【今】存在しているという彼女にとっての事実を認めたかったのだ。しかし想い出を抱きしめても心の奥深くで真実を認めてしまっている彼女に返ってくるものは喪失感だけでしかなかった。ふと、香奈が呻きを心の中に押し殺した。何かに聞き耳を立てているようだ……
『ただいま……香奈? どこだい?』
悲しみの淵に追い込まれていた彼女には確かにそう、唐突に父親の声が聞こえていた。
「お、お父……ひっ……さん?」
彼女は泣き濡らしたベットから這い出るように抜け出すと自らを閉じ込めていた部屋を自らの手で押し開き、そのまま一心不乱に玄関へと駈け出した。
「おとうさん!?おかあさん!?」
玄関を瞳に映した瞬間香奈に重く虚しさがのしかかった。いなかったのだ。そこには誰も……香奈の父親も母親も……
「…………あっ!」
もう一度そこを見まわした香奈はそこに一人の人を見て歓喜の声を上げた……その人物をよく見もせずに……
その人に走り寄った彼女はその途中で気づいてしまった。それが自分を映す鏡だったということに。
「…………なんで……いてくれ、ないの?…………ひっ!!」
その怯えたような声は悲しみが出させる呻き声ではなく、物理的な恐怖が彼女に反射的に出させた悲鳴であった。
「なに……これ……」
彼女の目の前にあった鏡は高温の熱で溶かされたかのように酷く爛れていた。