Collaborators(協力者)
「勘弁してくれよ、また強盗かレイプ犯だろ?」
光芒の中に迷彩服に身を包んだ自衛官が姿をあらわせた。小野木達の風体から、同年輩の自衛官が来るものとの予想に反し、声も身のこなしも若そうだ。すると、この二人も自衛官なのか――それならば納得出来る。土地の匂いを感じさせない物言い、若い自衛官を呼びつける振舞い。現役でなければ元自衛官なのだろう。いずれ確かめよう、習慣になっていたICレコーダーのボタンを押しかけて思い直す。こんなのにばかり頼ってちゃいけない。もう一度パペッツの回路に火を入れよう。由里は筐体をコートのポケットに落としこんだ。
「いいじゃねえか。義を見てせざるは勇なきなりって言うだろ? あ、雄って言えば昔、お前も雄一郎に助けられたことがあったじゃねえか」
「古いこと、覚えてやがるんだな」
若い自衛官が苦々しい表情になる。無帽だった彼の顔は整っている。誰かに似てる……その横顔が由里の記憶に引っ掛かる。
「だいたい、嫁さんも子供もほったらかしてこんなとこまで出張って来るんじゃねえよ。カジさんまで連れてきちゃって。農園は大丈夫なのか?」
「おうよ、新しい乗組員だって居るし、誠が戻って面倒見てくれてるから安心だ。美代ちゃんも最初はぶつくさ言ったけど、言い出したら聞かねえ俺だしな。それにたまには息抜きもしねえと、また浮気癖が……おっと、これはオフレコだぞ」
乗組員? 漁師なの? でも農園って行ったわよね……小野木と若い自衛官が交わす会話が由里に混乱を招く。
「で、警察が引き取りにくるまで駐屯地でとっつかまえとけっていうんだろう? 官舎だって被災してるんだぜ、俺達の寝床がなくなっちまうってえの。もう二十人近くなってんだぜ、警察だって容疑者を収容する施設には困ってるんだからさ」
「容疑者じゃねえよ。レイプ未遂、器物損壊の現行犯逮捕だ。何なら、ここで殺して埋めちまうか」
小野木は物騒な文句をさらっと口にする。
「だめだってば、仮埋葬墓地だってもういっぱいなんだから。それに俺達が捕まえたことしてるからいいけど、ジュンさのやってることは違法行為だぞ」
巡査? 警察官なのだろうか。自衛官の言葉が、由里に新たな混乱を呼んだ。考えてみれば親子ほども年齢の離れて見える小野木と自衛官の会話が規律の厳しい上官と部下のものとは思えない。それどころか旧知の仲さえ感じさせる内容でもあった。
「んにゃ、我が国でも市民による逮捕は認められている。警官に突き出さす代わりにお前に引き渡してるのは違法かも知れんがな。固いこと言うな、元不良少年」
論旨をずらした反論は砂の柱に立つ城のように脆い。
「現役不良中年にいわれたかないね。警察の機能が戻ったらヤバイぜ」
うーん、と小野木が考え込む表情になった。
「さすがに、こんなとこで警察に捕まってちゃあ美代ちゃんも怒るだろうな。じゃあ海に沈めてこよう。津波で掘り起こされちまった道路標識がたくさんあったろう。あれに縛っとけばそう簡単に浮き上がっちゃこねえだろう」
再び物騒な提案を口にする。しかも自分の閃きを讃えるかのように掌を拳で叩いている。そのやり取りを、目を覚ました暴漢の一人が聞いて抗議の声を上げた。
「冗談じゃない、レイプぐらいで殺されてたまるか。裁判を受けさせてくれよ」
「ぐらいだと? される方の身になってみろ、女性にとって耐えがたい屈辱なんだぞ。死にも勝る苦しみを感じる人だって居ようさ。ここいらには、まだまだ仏さんがゴロゴロ転がってる。ひとつやふたつ増えたところで誰も怪しみゃしねえんだよ。お医者さんも多忙で検視なんかやってる暇はねえ。なんせ病理医まで避難所に動員してるぐらいだからな。こいつが引き取ってくれねえんじゃあ、海に沈めるしかないじゃねえか。恨むならナオを恨め」
「あはは、俺かよ」
とんだとばっちりに、さぞや迷惑がるかと思った若い自衛官は愉快そうに笑う。そして小野木の言葉は暴漢の台詞を復唱するかのようだった。ナオ? 何だろう? 何かが記憶に引っ掛かる。思い出せない……錠剤を嚥下し損なって喉の奥に張り付かせてしまったような不快感が由里にあった。
「ナオって誰なんだよ。勘弁してくれよ、何でもするから」
小野木のヒゲ面が緩んだ。
「ほう――何でもするってか」
ニンマリと笑って、カジを見る。
「岸田さんとこに放り込もう。おい尚、あそこ行きだ」
「あいさー、じゃねえな――なんか農園時代に戻ったみたいで懐かしいや。でも、この小芝居もそろそろ潮時だぜ。このまえ助けたおばちゃんがお礼をしたいって駐屯地まで来たのには焦ったよ」
「ああ、あれか――」
小野木は何かを思い出したように、にっと笑った。
「だってピンクのダウン着てたんだぞ。ピチピチギャルと間違えても仕方ねえだろう。しかし、おばちゃんの顔を明るい場所で見た連中の顔ったらなかったな。五十四って言ってたっけ? カジさんも懐かれて困ってたもんな」
〝ピチピチギャル〟そんな死後を恥ずかしげもなく口にする小野木は間違いなく中年だろう。そしてその小野木に敬語を使うカジは一つ二つ下といったところか――由里は完全に自分自身を取り戻したことを核確信する。水を向けられたカジがなんとも言えない表情になった。
「ええ、あれには参りました」
男達の会話に惹き込まれていた由里を、使命感が我に返した。何より存在を忘れられたかのように扱われるのはたまらない。
「あのう、お話中、申し訳ないんですが……」
「おっと、忘れてた。送るよ。で、お嬢――ええと、あんた名前は?」
「申し遅れました、私は週刊アクティブの記者で仙道由里と申します。改めてお礼を申し上げます。危ないところを助けていただいてありがとうございました」
自衛官の登場にようやく警戒を解いた由里が、腰を折って感謝を告げる。受け取った名刺をヘッドライトの灯りにかざした小野木が驚いたような顔になった。
「あらま、うちの下の娘と同じ名前じゃねえか。しかも漢字まで一緒ときてやがる。今更、何の取材に来たんだ?」
今日、何度目かの〝今更〟に、由里はむっとする。窮地を救ってもらった恩義は感じるが、上司でもないこの男にそんな事を言われたくない。だが昨日より続く選択のミスが抗議を思い留まらせた。あなた方にはわからないでしょうね。報道に関わる人間の使命感よ、と表情に意図を滲ませ、小野木を真っ直ぐに見据える。
「報道されない真実を女性目線で書きたいと思っています」
「ふうん、報道されない真実か。尚、今お前らが仏さんをほじくり返しているところは、まだ半分ぐらいしか捜索が終わってねえんだろ。ガードレールに巻きついたのとか、赤ん坊抱いたまま亡くなった若い母親とかがめっかったそうじゃねえか。あれはテレビじゃ流せねえよな」
カジと二人で暴漢達をトラックの荷台に放り投げていた自衛官が振り返って答える。
「ああ、それは随分前の話だよ。でも町の人口から考えても、あそこにはまだたくさん残ってると思う。仏さんが居そうな所は重機を入れられないからな。手作業じゃあ、なかなか捗らなくってさ。長い間、水に浸かってる仏さんは男か女かも分かりゃしない。今日、見つけたのなんか服を引っ張った途端、肉がずるっと削げちゃって大変だったんだぜ」
いきなり、そんなものを見せられるのか……彼等の会話には使命感の腰を砕く充分な威力があった。由里はふと浮かんだ疑問を添え木にと用いた。
「あなた方は、どうやってそんな情報を仕入れているのですか? やはり現地の方々に直接――」
小野木が由里の質問を手を挙げて遮った。
「いや、被災した人達は、何が報道されて何が報道されてないなんて知っちゃいないと思うぞ。なんせ、まだ新聞も郵便も届かない地域だってあるんだ。やっと見られるようになったテレビは写り映え優先、芸能人の炊き出しや嘘くせえ激励であの人たちの生活が戻ると思うか? 俺達はひたすら走り回るだけだよ。どこに何が足りない、どこで誰が困ってる。そんな話を聞きつけては何とかしようと走り回ってるだけだ」
しかしメディアが映像だった場合、ニュースの価値は視聴率という数字に帰結する。新聞や雑誌なら発行部数だ。マスメディアに身を置くものとして小野木の指摘は耳の痛いものだった。
「車はどうする? どこか修理を頼める当てはあるのかい?」
「いえ、支社で訊いてみようと思います」
「じゃあ、カジさんに任せとくんだな。こんな時期だ、どさくさ紛れにとんでもなくボラれるかも知れねえぞ。あんたを送ったらレッカー車で引き取りにきてやるよ」
「車の修理までやっているんですか?」
その問い掛けには答えず、小野木は続けた。
「どうする? 修理する間、大人しくしてるか? 何ならこの車で連れてってやろうか、報道されない真実ってヤツの現場に」
粗野な外見と教養を感じさせない話しぶりは由里のレセプター(受け皿)に合わないものだったが、被災地に慣れ自衛官の知り合いも居る彼の申し出は願ってもないものでもあった。反撥を感じる反面、物騒な言葉を吐き続ける小野木に根拠のない安心感も抱いていた。何? この感覚は、自問への回答を待たず、記者根性が反応してしまう。
「お願い出来ますか?」
「その代わりといっちゃあ何だが、見たまんまを書いてくれよ。この国は歪んでる、あんた等マスコミのせいでもあるんだ。同じ画と同じコメントをテレビや新聞が繰り返し報道すれば、見る側、読む側の多様性も吸収されちまわあ。芸能人が来ない避難所も、さっきみたいな犯罪も、この先この国が向かうだろう苦難も書いてくれると約束してくれるなら案内しよう」
言われるまでもない――彼等の乗って来たと思われる白い大柄なRV車のナンバープレートに目をやると〝鵜飼〟の文字が見えた。識者を気取る地方在住者のメンツを立ててやることで取材がはかどるならお安い御用だ。
「ええ、書きます」
「取引成立だな。カジさん、聞いた通りだ。頼むぜ」
暴漢をトラックに積み終え、自衛官と言葉を交わしていたカジが顔を向けた。
「了解です」
「よし、じゃあ出発だ」
「カジさんって方は車の整備士なんですか? それでレッカーをお持ちなんですね」
「そう……でもあるな、詮索されるのが嫌いな御人なんだ。整備士のボランティアが居たっていいだろう? レッカーは俺達のじゃない。ホテルは太白区か? 乗んな」
被災地を走り回っているRV車はボディも床も泥だらけだった。助手席で揺られながら見る小野木のヒゲには所々白いものが混じっている。四十後半から五十代前半といったところだろうと判断した。腕まくりした袖から覗く前腕部は太い。きっとだぶっとしたツナギの下にも逞しい筋肉が詰まっているのだろう。映画でロビン・フッドを演じたオーストラリア出身の俳優が小野木の横顔にダブる。決して二枚目ではないが、頼れる父親といった風貌だった。
「自己紹介がまだだったな。小野木淳一、鵜飼県の中ノ原市ってとこで農園をやっている。さっきのカジさんは仕事のパートナーで、若い自衛官は尚、うちの卒業生だ」
その人達が何でここに? どうして車の修理が出来るの? 卒業生って何? 一度に多くの疑問が浮かんでくる。整理して、プライオリティ(優先順位)を決めた。
「幾つか質問があります」
「答えられることは答えよう」
「暴漢をどこへ運んだんですか? 岸田さんって方はどなたなんです? 」
「ノーコメント」
いきなりか――記者としてだけでなく、個人的な興味もあった。推測が的を得ていれば表情の変化からでも真偽は読み取れる。質問の仕方をかえてみよう。由里は別のアプローチを試みた。
「じゃあ、何故あなた方は自衛官を呼べるのですか? 以前、自衛官だったんですね。卒業生の意味は?」
「ブー、予備自衛官でも、即応予備自衛官でもなきゃ、元自衛官でもない。理由は……そうだな、図々しいからだってことにしといてくれ。卒業生は……そのうち、話す」
はぐらかすような笑顔の小野木に怒りが先に立って表情を読みとるどころではない。私は子供じゃないのよ。声にしかけた抗議を喉の奥で止め、別の質問に代える。
「何故、鵜飼県で農園をなさってるあなた方が、ここに?」
「趣味だ。質問コーナー終了」
抱いた疑問に、何ひとつとして答えを得られないまま一方的に打ち切られる。由里は完全に腹を立てていた。
「太白区とうちゃーく、お宿はどこだい?」
由里は無言でホテルの電話番号をナビに入力する。好奇心を満たしてくれない小野木への、せめてもの抵抗だった。