偽りの規律(オーダー)
大きな避難所は先発報道陣の手垢にまみれているだろう。数件を巡って一番小さな学校で車を停めた。
体育館と思しき建物のドアには〝テレビ新聞一切取材お断り〟の貼り紙がある。どうしよう――これこれこういった理由で取材させてはもらえませんでした。と報告すればデスクの「やはり女は――」といった視線にさらされることは間違いない。私は悪名高いマスコミの記者よ、貼り紙には気づきませんでしたと空とぼけよう。意を決してドアノブに手をかけると中から誰か出てくる気配があった。
「あのう、すみません。週間アクティブの仙道と申します。少しお話を伺えませんか?」
声をかけた赤銅色の肌をした老人はドアに顎をしゃくってこう言った。
「取材はお断りだと書いてあっぺ」
「少しだけでいいんです。避難所でお困りのことなどありませんか?」
「おめらが来ることがこでらんね」
方言の100パーセントは理解出来なかったが、歓迎されていないことは老人の表情からも明らかだった。他に話を聞ける誰かはいないものか、閉じられていないドアの奥を由里は覗き込む。
「勝手に入ったりするごって警察呼ぶかんな。都会もんはずるこくてしゃあねえ」
老人は由里が諦めて立ち去るのを確認するまで、てこでも動かないといった顔で腰に手を当てたまま仁王立ちとなっている。「失礼しました」そう言って踵を返す。こんな弱腰じゃあダメだわ――由里は小さく息を吐いた。
他を当たってみよう。車に戻ろうと足を踏み出した時、校庭の隅で遊ぶふたりの子どもが目に入った。生徒なのか避難所に住む子供なのかも分からないまま、速足で歩み寄って声を掛ける。
「ねえ、あなたたち、ここで暮らしているの?」
警戒心を瞳に宿したまま男の子が答える。
「テレビのひと?」
「ううん、あたしは本のひと。ねえ、ここに住んでるの? いつから?」
「津波の日からずっとだよ。あたしたち、本にのる?」
女の子が、男の子を押しのけるようにして身を乗り出してくる。
「そうよ、お話を聞かせてくれるなら――」
ちゃんと書くわ、でも載るかどうかはデスク次第ね。内心で補足する由里に咎めるような声が届いた。
「ちょっと、あんた。うちの子に何か用?」
ジャージ姿の女性が、ずらりと立ち並んだ仮設トイレの影から姿を現した。母親だろうか、腐敗抑制剤のキツイ香りが鼻をつく。
「あ、失礼しました。私はこういう者です。お母様ですか? お子さんにお話を伺えればと――」
由里が渡した名刺から顔を上げず、刺を含んだ声で女性は言った。
「アクティブ? ああ、あのエッチな本か。へえ、あんたみたいな記者も居るんだ」
やはりその程度の認識なのか――表情を曇らす由里に構わず女性は言葉を続けた。
「どうせ、あんたもきれいごとしか書かないんでしょう。まあ本を買うつもりもないんだけどさ」
「ご迷惑はお掛けしません。少しだけお話を伺えませんでしょうか。さっき外に出ていらした方に取材はお断りだと聞いたのですが、私も手ぶらでは帰れませんので」
落ち込んでる暇などない。精一杯の悲壮感を浮かべて泣きついてみる。
「お金は出るの?」
「え? あ……はい」
予想だにしなかった要求に言葉が途切れそうになるが、財布に入れた紙幣の枚数を思い出して言葉を繋ぐ。
「薄謝ですが」
「冗談よ。こんなとこでひと月も暮らしていると、ひとも悪くなっちゃうみたいね。で、なにが訊きたいの」
化粧っ気のない顔は小さな子供を持つ母親にしては老けてみえた。避難所暮らしの苦労がそうさせたのかも知れない。
「被災された時の状況や、こちらでの生活の御不満をお伺い出来ると有難いのですが」
「御不満ねえ」ふっと、皮肉めいた笑みを浮かべ女性が話しだす。
「ひどいもんよ。いまでこそ食べ物も洋服も全員に行き渡るようになったけど、最初は一日に食パン一枚、おにぎり一個の食事よ。勿論、風呂もトイレも使えない。暖房もないのに雪は降る。着の身着のままでここへ逃げ込んだのはいいけど、毛布もなければ着替えもない。床に敷く段ボールさえなかったのよ。都会に住むあんたたちが温かいお風呂に入って湯気の立つ食事を楽しんでる間、ひもじさと寒さに耐えている私たちが居るなんて思ってもみなかったでしょうね。」
「いえ、被災地の状況は報道で――」
「じゃあ、僅かばかりの食糧を奪い合う人々を見た? 命が助かっても骨折や捻挫の痛みで一晩中、うんうん唸ってる人はテレビに映った? お医者さんも居なきゃ薬もない、そんな中で苦しむひとが居るとは思わなかった訳?」
女性の語気が鋭くなった。確かに地震や津波を逃れたからといって、怪我一つなく避難出来た人の方が少なかっただろう。死者と行方不明者の数は頻繁に報道されていたが、負傷者といった項目はなかったように思う。
「そんなひとたちには気の毒だけどね、こっちだって寒さと空腹で眠れないんだ。早く病院にでもどこへでも行ってくれないかと思ったりもしたものよ。ただでさえ年寄りばっかりなのよ。辛気臭いったらありゃしない」
「お気持ちは分かります」
「分かるですって? 旦那もお姑さんも行方不明、パート先は津波に流されて仕事もなくなった。わたしとこの子たちにはなにも残ってない。仮設住宅だっていつはいれるのか分からない。例えはいれたとしても光熱費は被災者負担だっていうじゃない。どうやって払えっていうの? ニ年で追い出されたその後はどうしろっていうの? 支援物資だっていつまでも届くものじゃないのよ。あんたになにが分るっていうの!」
軽い相槌のつもりで口にした言葉に女性の目が吊りあがった。激しくなる口調に由里は失態を悔やんだ。
「やっとテレビも見られるようになった。芸能人や政府のえらい人達も来てるみたいね。ここじゃあ見ないけど――私たちはエキストラかなにか扱いだわ。勇気を与えたい? 胸が痛む? 正直、あんたら何様のつもりって感じだわ。立場が逆転して同様の言葉を掛けられたらどう感じる? ほんの数分で今まで築き上げてきたものをすべて失くしたのよ。経験してみなきゃ絶対に私たちの気持なんか分かりゃしないんだ。がんばれ、がんばれも、もう聞きたくない。目一杯頑張ってるんだ。泣かないように、狂わないように、死んでしまおうとしないようにね」
掛けるべき言葉が見つからない。女性の苦悩が由里の胸に深く突き刺さっていた。
「食べ物も寄付もありがたいとは思うわ。でもね、私たちは物乞いじゃないの。喜んで施しを受けているなんて思わないで欲しい。地震や津波が来るまでは、あんたたちとそう変わらない生活だって出来てたんだ。テレビに映るのは、ありがとう、嬉しいって素直に口に出来る人だけ。複雑な表情で支援物資を受け取る私達じゃあ画にならないからでしょうね。でも、この辺りはまだマシ。気仙沼の友達に聞いたんだけど、あっちじゃ震災直後、道端でカップ麺を五百円で売ってたりしたそうだし、ガソリンは一リットル千円になってたそうよ。放火もレイプも略奪もなんでもあり。いつだったか携帯で見たニュースに『震災があっても規律正しい生活を送る日本人に海外では感心している』ってのがあったわ。知らないってことは幸せよね、おめでたいと言った方がいいのかしら」
吐き捨てるように言う女性の表情が突然、和らいだ。
「ごめん、あんたにボヤいたって始まらないわよね」
「いえ、私が軽率でした」
頷くだけになってしまった由里は、自分がもどかしくてならなかった。
「ママ、怖いよお」
近づいてきた男の子が母親の袖を掴んで引く。子供たちに向ける女性の顔は母親のそれへと戻っていった。
「ごめん、ごめん。マコトに怒ってる訳じゃないからね」
「雨が降ってきたよ、中にはいろう」
「あ、本当だ。ねえ、もういい?」
「ええ、ありがとうございました。記事になりましたら送らせていただきます。お名前は?」
伝える声が擦れる。これが被災地の現実なんだ――その重さに由里は打ちひしがれていた。
「古田千鶴、住所は当分ここよ。当てにしないで待ってるわ。じゃあね」
親子は手を取り合って、体育館の入り口へ向かった。
「パパ、明日には帰ってくるかなあ」
マコトと呼ばれていた男の子が無邪気な声で母親に問いかけた。父親の不明を知らされてはいないのだろう。
「うん、私たちが頑張ってればね」
「じゃあ、がんばるっちゃ」
「そうそう、がんばるっちゃね」
親子連れの姿がドアの向こうに消えるまで見送る。振り返って手を振った女の子に、慌てて手を振り返す由里の表情は硬い。小さな揺れは一時間と間隔を空けず、震える膝を揺らす。こんな状況下でさえ、あのひとは強く生きようとしているのだ。書こう、書いて善意の押し売りを止めさせないといけない。被災者にかける言葉の無神経さに気づいてもらわねばならない。〝使命感〟その三文字が胸に浮かび上がる。決意を秘めて乗り込む車のフロントガラスを小さな雨粒が流れた。被災地が流す涙のように思えた。
女性の話を頭の中で反芻しながら街道を上る。迷彩服や消防の制服に混じって、ガレキを掘り返す人々や、廃屋――つい一ヶ月前までは主のあったそのなかにはいり、倒れた家具や畳みを持ち上げている人々が居た。まだ行方不明の家族を探しているのだろうか。それとも思い出の品を探すために仮の住まいから足を運んでいるのか。話を聞いてみるべきだ――そう思うのだが、つい臆してしまう自分が居た。迷いを持って望んだ取材は、僅かな衝撃に打ちのめされ、萎えそうになった心は自己防衛本能の砦に逃げ込もうとしていた。いまはこれ以上厳しい現実を知りたくない。明日こそ頑張るから、と自分に言い聞かせ、由里は取材対象を命を持たないものに切り替えた。
ここにも誰かの生活があったのだろう。車を停めバッグから皮製のカメラマングローブを取りだすと、数少なく残った建物の一つに足を踏み入れ慎重に足を進める。水に浸かった木材や壁は異臭を放ち、脆く崩れそうだった。体を支えようと手を伸ばした柱が手応えを失って倒れ込むと、由里は大きくバランスを崩した。蓋を閉め忘れた取材バッグの中身が散乱する。腰を屈めて散らばったものを拾い集める背後で声がした。由里はピクリと肩を震わせた。
「おねえさん、危ないよ。余震が来るとこういう壊れかけた家は簡単に崩れ落ちちゃうから」
振り返ると二人組の青年がニヤニヤ笑いを浮かべ、こちらを見ていた。どちらも髪を金色に染めている。
「ねえ、なに探してたの? 俺達も手伝ってあげようか」
車のナンバープレートを見たのか、標準語で話してくるのだが、独特なイントネーションまでは隠せない。地元の青年であることは容易に判断できる。
「いえ、探し物ではないんです。それにもう行きますから」
「だめだよ、勝手に他人の家にはいっちゃあ」
「そうですね、うっかりしてました。雑誌社の者です。ごめんなさい。ここはあなた方のおうちなんですか?」
「そうじゃないけど、ほら、こんな状態だから物騒でさ。俺達は自警団みたいなもんだよ。泥棒が来ないように見回ってるんだ」
「そうなんですか。今後は変な疑いをもたれないよう、気をつけます」
二人の金髪青年が後を追って声をかけ続ける。
「どこの雑誌? 俺達も何度か話を聞かれたんだけど」
「そうでしたか」
カメラを構え、室内を数枚撮影すると、再び慎重に足を運んで建物から出た。車の荷室にバッグを置きラップトップを開いてみる。ダメージはなさそうに見えるが、機能までは分らない。電源ボタンを押そうとして、ここで故障が判明したところでどうなる、と行為の無意味さに気づいてディスプレイを閉じた。慣れたキーピッチの愛機だったが、壊れていれば内藤のを借りるしかない。いざとなれば家電量販店を探して同じ物を探せばいい。気持を切り替え、それぞれの機材をあるべき場所へと詰め直した。
「取材しないの? 被災者の声とかなんとかをさ」
ナンパでもしたいの? お生憎様、こっちは忙しいのよ。浮かんだ言葉を呑みこんで努めて事務的に返す。
「今日は先を急ぎますので、また次回にでも」
「次っていつさ?」
会釈をしてさっさと運転席に乗り込む由里に、粘りつくような視線を投げつける男達は言葉を止めない。聞こえないフリをしてエンジンを始動させると、諦めたのか前方に停められた軽トラックに戻って行く。遠ざかる背中に描かれた髑髏らしきプリントを目の端で追った。
変な奴等、何が自警団よ。あんた達こそ、火事場泥棒みたいなことしているんじゃないの? 悪趣味なダウンジャケットだこと。心の中で投げ掛ける悪態に嫌悪感が滲む。ポツポツとフロントガラスを叩いていた雨粒が次第に大きくなり、バチバチと大きな音を立て始めた。今日はここまでね――ホテルで一息入れるとしよう。エディタソフトの動作が不安定だったことを思い出し、由里は助手席に置いたバッグにそっと手を置いた。