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will(意志)

 プラン通り石巻から始めよう。片手をハンドルから離すと、胸ポケットに入れたICレコーダーのRECボタンを押す。撮影した写真の背景を呼び起こす時、音声は有効な手段となる。

「……ひどい」

 東部道路は、その左右で様相を異にする。この道が津波を防いだのだろう。道路に紛れ込んだ汚泥や漂流物がその名残を示していた。進行方向右手の海側には、変電所内に流れ着いた自動車が放置され、田園地帯は津波に蹂躙された痕が明らかになっていた。海から離れたここがこうなら……沿岸部の荒浜地区に思いを巡らす。ラップトップの画面、グーグルマップに表示された小学校や老人ホームはどうなっているのだろう。

 空港北のインターを下りて確かめたい衝動に駆られるが、石渡や内藤の作った取材プランを蔑ろにする訳にも行かない。帰りに回ればいいわ、と思い留まった。

 遠目には被害の少なく見える家並も、多くの屋根にブルーシートが掛けられている。津波だけじゃないんだ。観測史上最大規模であるマグニチュード9.0を記録した大地震は、全ての住民から万遍なく平安な暮らしを奪い取っていた。

 空気、香り、情緒、どれも実際に足を運ばねば分かるものではない。そんなことは過去の取材で身についていた。大量に流布される報道写真や映像から被害の予測はついていたつもりだった。しかしその由里をして言葉を失わせるだけのものが、そこにはあった。録音中になったままの機器に気づき、手短なコメントを入れると、ホールドモードにする。それは表現力に富み、語彙を多く持つ彼女が担当した幾つかの取材において初めてのことだった。「節約よ」そう嘯いてみるのだが、声に力はない。

 ガレキや被災した自動車の集積場を眺めながら三陸道へと進む。すれ違う車両は自衛隊のものであったり、災害復旧車両の横断幕の張られたものであったりと、作業車両が多い。「御苦労さま」心の中で労いの言葉を送った。

 丘陵地を抜ける松島手前、ツツジ棚が可憐に咲き誇る。あの山々が津波をしのいでくれたのか――しかし揺れまでは防げなかったようだ、墓地には倒れた墓石の修復のためクレーン車がはいっている。真新しい墓石が黒く鈍く光りを放っていた。

 鳴瀬奥松島料金所ではトイレ休憩に立ち寄る車が多く、万が一のためにと由里も駐車スペースに車を乗り入れた。アルミのボトルに水を詰める。ここの水道は復旧しているのね。少しだけ気が休まるように思えた。

 復旧の遅れている地区で必ず食事をとれる保証はない。空腹だった訳ではないが、カーナビの検索機能でファミレスを見つけると矢本で下り、案内に従って車を走らせた。街道沿いを並走する線路は千石線だろうか。飴のようにグニャリと曲がった線路、折れるか傾くかした架線の電柱、復旧の見通しが立たないのも無理はない。初めての災害取材が時間を置いてからのものだという弛緩した想いは由里の脳裏から消え去っていた。

 復興? どこが? 誰にともなく呟く。屋内に侵入した泥を詰めたと思われる肥料袋、水の浸いた建具や家具が住宅や店舗前の歩道を占拠する。回収は約束していてもまだ手が回らないのだろう。不眠不休で働く自治体の職員は責められない。

 定川に並行して走る辺りから車内に異臭が入り込む。「なにこれ……ヘドロ? それとも死んだ魚の臭いなの」ベンチレータを室内循環に切り替え、助手席のバッグから取り出したハンカチで鼻と口を押さえる。地域の人々には申し訳ないけど、この惨状に相応しい匂いよね。決してそうは書けない事を知りながらICレコーダーに声を収めた。

 被害の少なく感じられる街道沿いの白昼だ。車上狙いや窃盗団が姿を現わすこともないだろうとは思うのだが、目の届かない駐車場の車に残す荷物は最小限にしたい。最後まで迷った挙句ビニール袋に包まれたままのヘルメットは後部座席に投げ入れ、ドアハンドルに設置された黒いボタンを押した。ハザードランプのアンサーバックがニ度点滅して施錠を知らせる。

 閑散とした店内に足を踏み入れ、アメリカンクラブサンドとドリンクバーを注文するとソファに並べたバッグを広げる。平日の昼間だからか、それともママ友のお茶タイムまでは復活していないのか、占拠した四人掛けのテーブルの両隣に客の姿はない。

 一眼レフのデジタルカメラ、ICレコーダー、ラップトップパソコンなどを取材用バッグへと移し替える。ボディアーマーと同じ素材で作られたそれは堅牢で軽量。値段は張るが愛機を守るためにと張り込んだアメリカ製だ。トレーサー・プログラムが気に入って購入を決めたものだった。

 ドリンクサーバーの並ぶコーナーへと向かう。いつものように冷たい烏龍茶と温かいカフェラテを、と伸ばした手が止まる。被害が軽微と言われる支社でああだったんだ。沿岸部でまともなトイレなんか期待出来っこない、水分は控えておこう。グラスを戻し湯気の立ち上るマグカップだけを手に取って席に戻った。四切れあったサンドイッチを一切れだけ胃に収めると、残りを紙ナプキンで包んで取材バッグの隙間に押し込む。

 さあ、戦闘開始だ。席を立つ由里の表情が引き締まった。


 定川に沿って港へと下る。水辺の全てが異臭を放っていた。花粉アレルギーのない由里にとってマスクは閉塞感をもたらすものでしかないが止むを得ない。いつまでも片手運転している訳には行かなかった。シャッターチャンスは生き物だ、瞬間を逃すな。デスクが口うるさく言っていた文句を思い出した。

 速度を落とし、何一つ見逃すまいと目を凝らしながら走る左前方、映像の記憶があった。「仮埋葬地だ……」広い平地に規則正しく土が盛られ、隆起の一つ一つに花が供えられている。慌てて車から降りシャッターを切るが、その行為が不謹慎に感じられ、次の瞬間、手を合わせていた。有名な動画サイトにアップされたものにはもっと過激なものだってある。プロである私が怯んでいてどうする。他に記録するものはないかと周囲を見回し、ひび割れたアスファルトをカメラに収めた。ムキになってるのかな? 自問への明確な答えはどこからも返ってこない。

 港への通路はフェンスで塞がれていた。現地に入ったばかりの私なんだ。内藤さんじゃないけど、サクサクと行こう。とにかく行ける場所を目一杯回るんだ。人々の命を、生活を、そして、もしかすると未来までをも奪った海は、遠く穏やかに蒼さを満たしている。

 目にするものすべてが想像を上回っていた。石巻駅ではコンテナが積み木の様に散乱し、何十トンもありそうな重機が横倒しになっている。製紙工場では大きなロール紙が転がったままで、起こそうとする人影もない。既に見慣れてしまったガレキや自動車の集積所を横目に女川街道を走らせていると、名産品の缶詰をモチーフにした大きな魚油タンクが横倒しになっていた。そのせいだけでもないのだろうが、多くの海鳥が廃墟となった水産工場地帯を多く飛び回る。信号は機能しておらず、警官が交通整理をしていた。車を停めようにも側溝の蓋は所々開けられたまま。そうでない路肩は鋭利なガレキが散乱している。慎重に停車場所を選んで車を停めた。カメラを構える。通りすがる車から送られる視線が刺すように感じられて身をすくめた。その都度、しっかりなさいプロでしょと、由里は自らに叱咤を繰り返した。

 視線を振った先、集落が形成されていたらしき一帯のパノラマに由里の感性が凍りつく。見渡す限り累々と重なって横たわるガレキの山。建物も電柱も車も船もが災禍に撹拌されていた。泥足の巨人が群れを成して走り去った後のようにも見える。まさしく混沌だった。迷走を繰り返す政府や経済を、そう揶揄したことはあったが、物理的な混沌を目にする機会など、生涯に一度あるかないかだろう。

「ひどい……これほどとは……」ようやく発した言葉が、時を空けてICレコーダーに収まる。

「これで復興に向かってるって言えるの?」

 泣きだしそうな空のグレイ、遠く山裾にポツンと残りそびえる校舎、そしてガレキの山とが陰気なグラデーションを織りなしていた。

 地震発生から一ヶ月、ニュースの鮮度が落ちると、飽きっぽい国民は連続ドラマやバラエティ番組の再開を熱望し、たまに流れる余震のテロップさえ邪魔な存在と感じ始める。そして来るべき長期休暇の予定に彼等の脳裏が埋め尽くされた頃、そこに被災者への憐憫や哀悼が入り込む余地はない。

 惨状ばかり映していては、士気の落ちた経済にも悪影響を及ぼすとばかりに、画面は明るいニュースにとって代わる。新幹線の全線復旧、春の訪れは被災地を通り越し、青森のものだったりもした。国民の記憶が希薄になってしまうのも当然かも知れない。

「時が止まってる?」眼前の風景は災禍直後に目にしたものと、なんら変わりなく思える。テレビ画面や雑誌の紙面に収まるサイズでもない。それは由里の視界を覆い尽くし圧倒し続ける。震える両足を台地に踏ん張ると、あり得ない姿勢で重なりあう車に、ぽっきり折れたコンクリート製の電柱に、そして失われた街の姿に必死にシャッターを切った。

 写真じゃ何も伝わらない――我に返って、ファインダーから目を離す。私が撮る程度の写真なんか巷に溢れている。ただ目に見えるだけの現実をフレームに収めて、誰の興味を惹きつけられるのだろう。

『私達がついている。頑張って、あなたはひとりじゃない』聞こえの良い美辞麗句を掲げる一方、再開なったパーク&リゾートには入場待ちの行列が出来たという。ここ以外の多くの街では『人に優しい政治を目指します』と耳をつんざく音量で街宣車から演説を垂れ流し、統一地方選の候補者が選挙カーで走り去る。大震災を盛りの過ぎたイベントとしか感じられない人々に、私はなにひとつ伝えることが出来ないんだ。無力感と現実の厳しさが胸を縛る。由里の頬を一筋の涙が流れ落ちていった。

「でも、やらなきゃ」

 ラップトップを起動させ、避難所マップを検索する。市役所、学校、運動公園など多くの場所に点在しているようだ。人々の話を聞こう。私に何が出来るのかは分からない。でも出来ることから始めよう。

 明確となった意志が由里の瞳に灯った。


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