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幽冥を抜けて

 由里が東北自動車道に入ったのは午後八時を少し回っていた。到着が早朝では、仙台支社も開いてはいないだろう。給油のついでに仮眠をとって、時間を調整するとしよう。

 いつ通っても、ここの街路灯の間隔は広いように思う。道路脇の建造物などからも明るく照らし出される首都高速からの連絡だったせいもあろうが、オレンジのナトリウム光は頼りなく感じられ、取材旅行の行く末を類推するかのように思われ意識のベクトルを逸らす。速度を上げれば解消されるのだろうかと試してみるが、今度は視域が狭まる。仕方なく巡航速度を時速百キロメートルに保った。気がつけば、街路灯は、姿を消している。インターチェンジ付近だけの設備なのか……いままで街路灯など特に気にもしていなかった。そういえばいつも友人や母が隣に居ての東北行だったなと回想する。

 都内では見かけることの少なくなった〝支援物資運搬中〟の垂れ幕を掲げた大型トラックや〝災害派遣〟と書かれた自衛隊のジープやトラックが目につく。洋服や毛布などは、結局過剰になり自治体が処分することもあるという。いまはなにが不足し、なにを運んでいるのだろう。自衛隊の派遣はいつまで続くのだろう。カーオーディオから流れ出したヴィトルト・ルトスワフスキのピアノに身を委ねると、ふと浮かんだそんな疑問も掻き消されて行った。

 平穏を打ち破るのは、ランダムに座席を突き上げる不快感だった。突貫工事で復旧させた高速道路は、本来の舗装ではなかったのだろう。注意して見ると、道路脇に急設の看板があり〝段差注意〟と書かれている。やれやれ、音楽もゆっくり楽しめないのか。オーディオソースを切り替えるとラジオ福島が環境放射能測定値を放送している。へえ、こんなことやっていたんだ。震災後、埼玉より北へ出ていなかったことに由里は気づいた。

 郡山ジャンクション通過時に確認したカーナビの情報によれば、菅生パーキングエリアまでは七十分ほどの道のりだ、一気に走ってしまえば仮眠も長く取れるなと見込む。マスクにヘルメットの出で立ちではメイクの乗りを気にする必要などなかったのかも知れないが、本社勤務である矜持と独身女性のたしなみまで打ち捨てるつもりはない。寝惚け眼での支社入りだけは避けたかった。

 二十三時半を数分過ぎて、菅生に到着した。売店やレストランの灯りが落ちたパーキングエリアは、寒々とした感に包まれる。少し開けた窓から流れ込む冷気は、都心のそれとは明らかな差異を以て、由里に思考の覚醒を促す。給油所付近に並ぶ車の列は他県ナンバーが目立つ。知り合いの見舞いにせよ支援物資の運搬にせよ、市街地のガソリンスタンドの営業状況が不明瞭ないま、ここで最後の給油をしておこうといった思惑は、誰もが同じだったのだろう。

 見上げた夜空には、無数の星が散らばる。都心で見える数倍、いや数百倍か。給油待ちの列で数えてみるのだが、車間を詰める度に目印を見失ってしまう。私の人生みたいだな……

 大学時代の先輩でもあった恋人が、海外勤務を機にと申し出たプロポーズに応えられなかった一年前の情景が蘇る。あの時、結婚して子供でも産んでいれば、こんな不毛感を味わうことなく過ごせていたのだろうか。ごく平凡な女の幸せが、自身の求めるものではないように思え選択した結論は正しかったのだろうか。今更か――由里は詮無い逡巡に終止符を打った。。

 疲労が健全な思考を蝕んでいるようね。給油カードを受け取った由里は、エンジンをかけたまま停車する大型トラックの居ない静かな駐車スペースを見つけシートを倒した。


 携帯電話のアラームが、まどろむ由里の五感を無遠慮に揺り起こす。一瞬、自分がどこに居るのか分からなくなっていた。こうした知覚機能の瞬間的喪失は誰にも起こり得るものなのだろうか。たまゆらに消えるその感覚を味わう毎、抱いてしまう疑問は答えを求めてのものではなかった。

 液晶画面の表示を確認してから腕時計に目をやると、数秒遅れで長針が重なる。七時か――軽い朝食と身繕いを済ませて出れば丁度いい時間だな。ドアを開け車外に降り立つと、大きく伸びをした。同様の所作が、駐車スペースのあちこちで見かけられる。付和雷同、没個性、凡庸――脳裏に浮かんでは消えるその単語達は、由里にとって下し難い自己評価であった。


 仙台南部道路長町インターチェンジを下り、カーナビの案内に従って車を走らせる。支社を根城にして、取材を始めよう。長くて五日間か――兄への電話で告げた言葉を想起する。デスクが納得する記事さえ書ければ、その限りではない。岩手まで足を伸ばす前に帰京命令が出るやも知れない。やや腰の引けた感は継続していた。

 高速を下りたばかりのメンタル・スピードメーターには修正が必要だった。時速九十キロメートルを指すデジタル表示に、慌ててアクセルを緩める。そうか、地元警察は復旧作業に大わらわのはず。焦ることはなかったんだ、と緊迫した意識に緩和というサプリメントを投与して噛み砕く。

 この辺りは大した被害はなかったのだろうか、それとも復旧なった後なのだろうか。各種報道で目にしたようなガレキが積み重なる街の画を予想していた由里の予察は裏切られる。地域によって、差異があるのかも知れない。或いは、車窓を流れるだけの街並みが、異邦人である由里に詳細を送り届けてくれるほどの寛容さを持ち合わせていない、そんなところなのかも知れない。


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